"埼玉には季節感を感じられる、花の絶景が楽しめるスポットが沢山ありますよ!埼玉の花のスポットを、良く知られる名所から案外知られていない穴場まで、花が楽しめる17スポットを紹介します。気になるスポットを見つけて出かけてみませんか?
関東鉄道黒子駅の桜を見た後、沿線の桜を見に大田郷駅や騰波ノ江駅、大宝駅などの駅巡りをしてきました。<大田郷駅>関東鉄道下館駅の一つ手前の駅。駅前広場に桜が...
2024.2.19豊橋カレーうどんも 蒲郡では新しい発見に出会えて、とても充実した楽しい時間になりました▼宿泊した竹島近くのホテルいつもはビジネスホテル専門な…
2年ぶりに関東鉄道黒子駅の桜を見に行きました。かなりの老木ですが、今でも桜の花を立派に咲かせており、駅で花見を楽しむ事が出来ました。<関東鉄道黒子駅>日中...
本能寺跡⇒桂大橋 前置きにずいぶん費やしてしまったが 改めて本能寺跡からスタート およそ6kmのルートを車で16分 京都駅直前で右折し、東海道新幹線を左手に…
永禄年間(1558〜1570)から天正年間(1573〜1593)にかけて 天正3年(1575)の長篠の戦いをはじめとする武田軍と 徳川軍が三河の地を争い戦う中で、遠江へ通ずる街道を 監視する目的で築城されたと思われる 城跡の麓にある長峰神社の永禄7年(1564)の棟札には 伊藤右京貞守と記されており、この人物が亀ヶ城の城主だった 可能性が高いが詳細は不明となっている ソコがロマンなんだけどねー♪ 主郭、一部土塁、虎口の石垣などが残っています 立派作りの長峰神社、石積、 樹齢数百年と思われる古木と祠
新田義貞の攻めた鎌倉城の防衛線は「鎌倉城の特徴」に書かれた赤いラインで、その下は鎌倉城の城壁の切岸です。現在は樹木伐採を禁止されて放置された山で、山は樹木のベールに覆われ切岸の痕跡を確認するには想像力を必要と成った。鎌倉時代から昭和の初めまでの鎌倉の山は里山で住人の燃料として樹木は使われ続けられ岩壁の切岸は「一目瞭然」でした。現代は、樹木が岩に入り込み岩壁崩れの元凶と成り、2019の台風により樹木が岩肌を抱き込んだ状態で風に薙倒されたり、温暖化でグリーンベールは厚みを増し単なる山に見える。眺望の有るべき源氏山は、街並みも見えず海も望めない。下図は、樹木と建物を排除し、稲村ケ崎より大仏切通し迄の切岸で、赤ラインの下の崖です。下図は更に建物の現状の下の図。仮想図で樹木の厚みは表示してない。切岸の傾斜が強い場所...鎌倉城西側防衛線稲村より大仏切通
井ノ口城 三河 額田郡一揆の拠点 その後の松平・徳川の発展のきっかけとなった
井ノ口城は井ノ口砦ともいわれ愛知県岡崎市井ノ口町にあります。寛成六年(1465)三河国額田郡で反幕府・反守護のいわゆる「額田郡一揆」と呼ばれる蜂起事件が起こり、この地域で有力な大場氏、丸山氏、梁田氏などが井ノ口城を拠点として、京の幕府へ運ばれる年貢等を略奪したとされます。牧野氏、西郷氏によって井ノ口城は一旦は攻め落とされましたが、大将分のものは逃亡し狼藉を続けたと伝わります。幕府は改めて伊勢氏に命じて一揆の鎮圧を図り、政所執事の伊勢氏は配下の松平氏、戸田氏を用いて一揆の鎮圧に成功します。松平氏、戸田氏はこの功によりこの地域での支配権を獲得し、特に松平氏にとっては三河平定のきっかけとなったようです(一揆の理由・経過等については諸説があります)。今回の参考仕様は(1)「三河松平一族」平野昭夫2002(2)「愛...井ノ口城三河額田郡一揆の拠点その後の松平・徳川の発展のきっかけとなった
桜も散ってしまいましたね。散りゆくものは、やはり儚くもありますね。桜まつりで、すでに葉ザクラとか残念ですし、今年は、4月上旬に見えて満足でした。花見に行った時…
京都駅より1日巡回バス券 800円を購入してここを訪ねる。 街並み保存地区であり、よく整備保存されている。 お昼の訪問であったので、京都で見かけると云う芸妓さんは見かけなかったけれども、若いカップルが和装してポーズを決めてカメラマンが撮影しているの見た。 このようなツアーがあるのであろうか、他所でも目にする。 金沢芸妓 https://kanazawageigi.jp/chaya/higashi.html
城を観る今回は...(撮影 2021/07/16)鳥羽山城(遠江国)〜解説板 浜松市指定史跡 鳥羽山城跡〜鳥羽山城のッ解説板ねッ。。。 ヽ(´o`;なんち…
SLパレオエクスプレス 旧型客車特別運行ー2024年4月14日ー
今週と来週の土日限定で秩父鉄道SLパレオエクスプレスの旧型客車特別運行が行われるという事なので、大麻生へ行ってきました。最初は朝から秩父方面まで行こうかと...
只今、ブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞り、具体的な写真をお届けしています。 「平櫓(一重櫓)」をスタートするにあたっては、「はじめに…
5年前のブログを再UPしました。『長浜城と桜 2 豊公園』昨日の続きです。今回は豊(ほう)公園の桜です。 しだれ桜と天守 現地の案内地図です。この長浜港か…
禁煙を望む気持ちはあるけれど、なかなかやめられない、そんな悩みを抱える方は多いですよね。イライラや口寂しさなど、禁煙の際に感じる不安や欲求は誰にでもあります。でも、タバコを吸わない人でも同じようにイライラしたり、口寂しさを感じることがあるのです。それならば、本当にタバコは必要なのでしょうか? 私もかつては喫煙者でした。1日20本以上も吸っていた時期もありましたが、今ではもう10年以上も禁煙を続けています。その経験から、禁煙に成功した方法をご紹介します。 まず、自己暗示(思い込み)が大切です。自分に「タバコって本当に必要?」と問いかけ、吸わない時間を増やしていくことで、禁煙を実現しました。禁煙外…
本能寺跡 2日目スタート宿泊先から西へ500mほど直進したところにある老人ホームが跡地 外観は当時を偲ぶのような景色が一切なし 『信長最期の地』とはいえ、 …
渡月橋 下山してバスに乗車して嵐山駅へ到着 渡月橋を見学 歴史は古く、836年に架橋したのが始まりで、秦氏にゆかりがあるとかないとか ちなみに鎌倉時代に亀山…
もう60年も前の話を取り上げるのは笑止千万とはこのことでしょう。 小生には受験勉強になじめずに苦悶した時代でもありました。 実はナマケモノであっただけ。 今思えば、学生の本分に従って努力してきた人には結果的に、半世紀経っても少しは報われた世代でもありました。 しかし時代が変わる。 チャットGPTが誕生してきた現今では、まだどうなるかは分かりませんが秀才の職業は無くなっていくでしょう。 …
ミステリー 青峰山に住む妖怪・牛鬼を退治した勇者、山田徳兵衛高清の墓! 地図付き
「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」ミステリーな旅、牛鬼を退治した山田徳兵衛の墓の紹介です。 ミステリーなもの 場所、…
『139城目』黒井城 (兵庫県丹波市) 登城日:令和4年3月20日(日)ようやく山を抜け、空が見えてきました。山って雰囲気が変わるから面白いんだよね~ずっと同じじゃ飽きちゃう。そうそうGWたまには山登り行きたいなぁ。って思うけど、もう無理だよね。身体が付いて行か
<もっと知りたい 小林一三> 13DAY館長講座に行きました!
本日「池田文庫」(大阪府池田市)で開催された「もっと知りたい 小林一三」の講座に行きました。 この講座は、阪急文化財団理事であり館長でもある「仙海義之」氏が講…
只今、ブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞り、具体的な写真をお届けしています。 「平櫓(一重櫓)」をスタートするにあたっては、「はじめに…
関西中部100名城(3)―高取城ほか・2 - 日本100名城
「木彫りの熊」に案内されるようにして高取城本丸上部への坂道を上る。最後の門と虎口を通過して到着した場所が、広さ4500平方mにもなる本丸広場だ。北西隅に、先ほど下から見上げた天守台がある。往時には連立式3重3階地下1階の天守閣が築かれたという。高取城と同じく日本三大山城の1つに数えられる備中松山城の
第478回:[出羽]中野城(最上一族の骨肉の争いの跡と伝わる)
訪問日:2023年10月中野城は山形県山形市にあった城です。築城年代は定かではありませんが,15世紀初めに最上義直の次男である中野満基により築かれたと案内板にあります。以後,中野氏を名乗り最上一族の主要な分家として宗家の当主を幾人も輩出しています。戦国時代にも最上義守が中野家より最上宗家に入り第十代目の当主となっています。この義守の長男が有名な最上義光であり,次男が中野家を継いだ中野義時です。1574年に最上...
令和6年も私が散歩する道の「ソメイヨシの桜」は元気よく咲きました。今年は、天候不順で特に寒暖の差が激しく、絶好の散歩日和が少なかった。今年の画像は、何時もの一眼レフカメラでなく、スマホのカメラで撮りました。撮影は、令和6年4月12日で満開は少し過ぎちらほら散りはじめていました。側を流れる川附川には、さくら花筏になっていました。令和6年4月、私達の散歩道桜散りはじめました
設楽城は鎌倉時代にこの地を治めていた設楽氏により 築城され、戦国時代に設楽城の主となった伊藤氏が、 城を今のかたちに改修したと推測されています 設楽城(したらじょう)は、大干瀬川(おおちせがわ)の 流れが大きく曲がる地形を利用して築かれています 設楽城には本丸、曲輪、土塁等の遺構が残っており 当時の仕組みを感じる事ができる山城です 時間があれば遊歩道を歩いてみたいね ないけど^_^
「能見城」を訪問したならば「新府城」にも立ち寄るのが正しい? ように思えて12年振りに少しだけ再訪しました。 実際は新府城真横の県道17号(七里岩ライン)を甲州街道の抜け道として利用してたので、通る度に復元工事の様子は見ていましたが。 今回は少しだけの訪問なので、側(外部の堀だけ)の見学です。 詳細はごく初期の新府城の記事を参照してください。 kurokuwa.hatenablog.com kurokuwa.hatenablog.com 新府城 北側水堀と低湿地跡 一応グーグル先生も載せます せっかく新旧の画像があるので 2010年と2022年の写真を並べてみましょう。 こちらは現地の案内 新…
2024.2.19抹茶もいただきました 蒲郡市のマンホールカードは竹島橋のたもとにある「海辺の文学記念館」で配布されています とてもシャレた建物です ◆マンホ…
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