城を観る今回は...(撮影 2021/08/27)椿井城(椿井山城)〜椿井井戸登城口〜ここからッ行けるのかッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
<七日市陣屋> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-前田家分家の陣屋
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡る”…
厚木市消防本部の消防車ペーパークラフトを、昨年に続き今度は化学車を作らせてもらいました。前回同様に小学低学年を対象にしてるんで、切込加工有りでやってます。作り方も単純なんで組立図も無しで問題ありません。一枚物で袋も無しなので簡単に部品が脱落しないレベルで
【城を観る+】《粟田部城(行司ヶ岳城)》2024 〜朝倉景盛の居城!粟田部城跡を観る〜
城を観る[YouTube]今回は...(撮影 2024/04/05)【城を観る+】《粟田部城(行司ヶ岳城)》2024 〜朝倉景盛の居城!粟田部城跡を観る〜【城…
■城名新発田城■所在地越後国蒲原郡新発田(現在の新潟県新発田市大手町)■称号日本100名城■別名菖蒲城(あやめじょう)・舟形城■築城年不明■廃城年1873年(明治6年)■築城者(新発田氏)■主な改修者溝口...
沖縄世界遺産 識名園に到着では・・・入園です。楽しみです。識名園には、今も水が湧き出る「育徳泉(いくとくせん)」があります。きれいな淡水にしか生息しない「シマチスジノリ」という紅藻類の発生地として、国の天然記念物に指定されました。後方には、この泉を称えた
この日は島根県安来市にある月山富田城跡に立ち寄った後、鳥取県米子へ戻りました。少し時間もあったので、駅近くにある米子城跡を訪れてきました。米子城は室町時代...
<伊勢崎陣屋> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-旧森村家で再利用された式台と書院
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡る”…
前回に引き続き、日本百名城・五大山城の一つ月山富田城跡を紹介します。余談になりますが、五大山城とは越後の春日山城、能登の七尾城、近江の観音寺城、小谷城とこ...
2024.5.11 ゆっくり来たい場所50%off新幹線で北海道の旅函館朝市を一周楽しんだあとは「函館元町」ヘ函館港を望む坂の上にあります異国情緒たっぷりの街…
少し前になりますが、JR伯備線の381系特急「やくも」の最後のお別れに行った日、空いてる時間に日本百名城・日本五大山城の一つである月山富田城跡へ行ってきま...
60番札所の横峰寺からの帰りに登山バスを降車して乗り継ぐ路線バスの時間が2時間余りあったので、JR氷見駅まで歩いて下山した。 途中で森家(住吉屋)を見ることが出来た。 内部まで見るみることができなかった。見学会は月1回であるという。 江戸時代末期(1841年)に建てられた大地主のお屋敷。 下記でお雛様や内部をごらんください。
■所在地 徳島県徳島市徳島町 ■遺構 復元門・石垣・堀・郭 ■城のタイプ 平山城 ■築城者 蜂須賀家政徳島城は、阿波一国を与えられた豊臣秀吉の腹心、蜂須賀小六…
首里城を後にして・・・次の世界遺産の「玉陵」に来た。。。世界遺産ですがな。。。ではでは・・・神聖なる場所ですからね。。。ここですか。。。では・・・中に入ってみます。。。歴代王様達の墓ですね。。。沖縄の首里に佇む玉陵は、1501年に尚真王によって建てられた、琉
<谷田部陣屋> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-陣屋建築の一部(玄関)を公民館に再利用
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡る”…
前回の続きです。今回は⑥搦手二の門までです。 下図の馬坂門から中に入ったところです。現在は休憩所になっている、七番砲台跡の土台石垣が見えます。手前の解説板のと…
武将の墓 福島正則の墓-2 - 不動院!広島にも墓あり!統治した地に残る墓! 地図付き
「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、福島正則の墓-2の紹介です。 人物名 墓のある施設 住所 …
丸山能頭城 三河 乙川が削り残した急峻な地形の残存遺構は詰城だったか
丸山能頭(まるやまのうとう)城は愛知県岡崎市丸山町能頭にあります。額田郡牢人一揆に登場する丸山中務入道の城とされますが、後には松平氏配下の成瀬伊賀守国次が居城したとされます。城址遺構は三河の大河矢作川の支流の乙川に削られた急峻な地形に残りますが、周囲の状況から想像すると居館とは別に築かれた、いわゆる詰めの城にあたる可能性がありそうに思いました。今回の参考資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994(2)「岡崎市史第7巻」柴田顕正著出版岡崎市1929などです。丸山能頭城乙川がS字状に蛇行し削り残された突端にある乙川が土地を削り、岩盤に当って大きく蛇行する場所に城址はあり、川面から10m以上の高低差があります。付近には古墳が多数残り、古くから乙川沿いに人が集住していたとされます。丸山能頭...丸山能頭城三河乙川が削り残した急峻な地形の残存遺構は詰城だったか
首里城内を出て、弁財天堂へとやって来た。。。では・・・橋を渡ってみましょう。。。もうね・・・言葉は要らない。wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
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