太鼓や笛を聞くとむずむずする。お祭りがあるとつい見に行ってしまう。あまつさえ参加しちゃう。笛吹いてます。踊ってます。保存会入ってます。そんな方、どうぞご賛同ください。
文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球
縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良時代の謎。神社、遺跡、古地に足を運び、忘れられた記憶、隠された暗号を探ります。近ごろは、古いサイノカミ・アラハバキ信仰の視点で(横断的に)探ることも多くなりました
勝手に広報大使を名乗り、大阪堺市にある古墳や史跡、神社仏閣、カフェを紹介しています。関西中心に訪れた場所の記録や紹介を載せています。特に奈良県は観光ガイドに載っていないようなあまり知られていないけど素敵な場所を中心に紹介しています。
画像出展出雲大社 (izumooyashiro.or.jp)Google検索 出雲国譲り及び出雲神話 タケミカヅチなど出雲大社北側境外に新しく置かれた素鵞社(そがしゃ)出雲神話の神々に記紀歴史上の氏族があてはまる、そういう記事を先日ここに書いたが、その後少し考え直してみた。あの記事に
民族学伝承ひろいあげ辞典
さて上社、穴師坐兵主神社のご祭神は「大倭社注進状裏書」によると御食津神。しかし御神体は「日矛」であると記されています。武神に相応しいと思われる矛が御食津神の御神体なのも違和感がありますね。こちらのご祭神、アメノヒボコを祭神とする説もありか…と考えてしまいます。でも下社の御神体が「鈴之矛」でイコール子鈴で、上社の御神体が「日矛」であるなら、天降りの「鏡」はいずこへ?まあ現在の上社の御神体が「鏡」とされますので、上社に天降りの鏡があると解釈すべきなのでしょうが。穴師の神も祭器も情報がかなり錯綜してしまっているようです。御食津神や天鈿女命、稲田姫が祭神であるならば、何故「兵主」神社なのかとなります。そもそものところになりますが「兵主神」自体、どういう神様であるか諸説ありすぎて・・・皆神山すき氏は「巻向穴師社に祀られた...穴師坐兵主神社の神宝2
古代四方山話
「前編」では谷川健一氏の著書「蛇不死と再生の民俗」をもとに想像を膨らませてみました。この「後編」では、蛇や蛇神を考えるにあたって追加の材料として栃木県にある大平山神社のサイトにある情報を取り上げてみます。大平山神社には境内摂社として蛇神様(水神様)を祀る蛇神社があります。また、内容は全く分かっていませんが、毎年旧暦の1月8日には神蛇祭(しんださい)と呼ばれる開山式が行われるようです。そんな関係からか「蛇と水神のはなし」というコラムが記載されていましたので、以下に整理してみます。・蛇は「田を守る神」とされ、①蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたから、②田の稔りを荒らす野鼠を捕食するから、ということがその理由である。・水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神と密接な関係にある。そして蛇...蛇神について(後編)
古代日本国成立の物語
富士見峠愛宕神社露頭。牛王頭川上流。イノシシらしきうなり声がしたので、深追いせず退散。ミツマタ思いがけないところで見つけた、ツノハシバミ。雌花の赤が鮮烈。キブシ沼の原からで、今日の書斎はここ。
Ancient Botanical Garden
蛇神、龍蛇神、蛇神信仰、、、古代より蛇が神様として崇められるのはどうしてだろうか。以前から調べてみようと思いながらもここまで放置したままでした。最近、オンラインサロンの仲間から蛇にまつわる話を聞く機会があったので、この際、自分なりに調べてみようと思って谷川健一氏の「蛇不死と再生の民俗」を読んでみました。正直なところ、民俗学というのはよくわからない学問で、関連のありそうな事実や事象が並べられて、だからこういうことだ、と直線的(誤解を恐れず言うと短絡的)に結論に導かれる。まるで靴の上から足を掻くような、何となく腹落ちしない気持ち悪さが残る。だからこの本を読んでも明快な答えが書かれているわけではありませんでした。とはいえ、この機会に改めて調べてみたことも含めて、初めて知る事実や改めて確認できた事実など、材料をたくさん...蛇神について(前編)
古代日本国成立の物語
【新説・四天王寺】熊野のこん跡 『あしかき』三首の考察【道標神・クナト信仰】
はじめに 『難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所』鎌倉時代、#四天王寺 #転法輪石 を詠んだ #慈円(愚管抄の著者、天台座主)の詩。#あしがき の解釈がたいへん難しい。#クナト信仰 #熊野詣 #道標の信仰 新カテゴリー #新説四天王寺 目次 古い四天王寺の風景の中に-『あしがき』三首 ① 葦垣(あしかき)の 隈処(くまと)に立ちて我妹子(わがせこ)が 袖(そで)もしほほに 泣きしぞ思はゆ ② 難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所(この寺を おかむしるしの石の上に かたく契を むすびけるかな) ③ 難波がた 入りにし日を ながむれば よしあしともに 南…
ものづくりとことだまの国
戦国時代 花沢城の戦いで討死 城主 小原(大原)肥前守資良の家臣 岩崎主馬右衛門直重の墓 (静岡県焼津市高崎 高崎共同墓地)
静岡県焼津市高崎(たかさき)の花沢城(はなざわじょう)は、室町時代末期(戦国時代)の天文6年(1537年)頃に今川義元(いまがわ よしもと)が築城したと考えられています(築城時期・築城者は諸説あり)。花沢城跡 九ノ曲輪に造成された高崎共同墓地には、今川氏家臣の花沢城主 小原(
00shizuoka静岡観光おでかけガイド
三日三晩で築いた伝説 古墳時代中期の円墳 目隠山古墳 (静岡県磐田市鎌田)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の目隠山古墳(めかくしやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる長軸約37m、短軸約31mの円墳です。兎山(うさぎやま)公園周辺の円墳7基で構成された、八王子古墳群(はちおうじこふんぐん)のうちのひとつに数えられます
静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド
3月5日(金)、市内平戸の文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大ぼとけ)を安置している仮小屋に掲示物を設置しました。 熊谷市指定有形文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大ぼとけ)は、昨年12月23日に源宗寺本堂から仮小屋に移動され、源宗寺本堂の建て替え中はこの仮小屋に安置されています。 昨年、仮小屋を設置してから壁面が殺風景な状態でしたが、本日、仮小屋の北側と南側の壁面上部、二ヵ所に大型の布製ポスターを設置しました。 仮小屋の高さが約6メートルと非常に大きいため、遠くからでも目につきやすくなっています。 現在、仏像は養生シートに覆われている状態ですが、今後、仮小屋内で一部補強と修理を行う予定です。今後、仮小屋での保管中、仏像の一般公開も検討しています。 仏像の修復や一般公開の情報については、当ブログや委員会ホームページにて随時、発信して参りますので、ご確認い..
熊谷市文化財日記
後藤基国の次男。通称、後藤又兵衛。緒戦で武勇を轟かせた勇将。主君、黒田長政との確執から出奔、浪人となる。大阪の役が勃発すると軍師として入城。大坂夏の陣では、道明寺の戦いで奮戦するも片倉重長に討たれる。
テーマ投稿数 10件
参加メンバー 4人
木村重茲の子(諸説有り)。豊臣秀頼の小姓、幼馴染み。秀頼の信任厚く、大阪の役では主力部隊を率い奮戦し名を広める。若江の戦いで、藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙。一時、藤堂軍右翼を脅かすも激闘の末、安藤重勝に討たれる。
テーマ投稿数 7件
参加メンバー 3人
利隆元の嫡子。長州藩初代藩主。豊臣政権五大老の一人。中国の覇者、毛利元就の後継者。叔父の吉川元春、小早川隆景の補佐を受け領土を守るが、関ヶ原で敗れ、120万石から周防・長門37万石に減封される。
テーマ投稿数 8件
参加メンバー 6人
織田信長の嫡男。岐阜城主。初陣以降、松永討伐軍、武田攻めなど緒戦に転戦。織田家の後継者たるも父、信長と供に本能寺の変で斃れる。
テーマ投稿数 22件
参加メンバー 7人
真田昌幸の次男。通称、真田幸村。真田十勇士や大阪脱出説など数々の逸話がある。大阪夏の陣では真田軍の壮絶な突撃に、徳川本陣の馬印が踏み倒されたと言われる。真田軍の奮戦は島津忠恒に「真田日本一の兵(つわもの)」と言わしめる。
テーマ投稿数 129件
参加メンバー 29人
武田家家臣。真田昌幸の父で、真田信繁(幸村)の祖父。信濃先方衆として上州方面、対上杉戦線で活躍。 その武略の才は晴信(信玄)に評価され、外様衆でありながら譜代家臣と同等の待遇を受け、甲府に屋敷を構えた。武田家中でも一目置かれていたと言われ「攻め弾正」の異名で呼ばれた。
テーマ投稿数 3件
参加メンバー 2人
楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。幼名は多聞丸。橘正成(たちばな・の・まさしげ)と自称する。兵衛尉→従五位下・検非違使尉・左衛門尉・河内守・摂津守。恩賞方・武者所・記録所寄人・雑訴決断所奉行。贈正一位(1880年)。父は楠木正遠と伝えられる。
テーマ投稿数 52件
参加メンバー 8人
氏家行隆の子。出家後に名乗った卜全(ぼくぜん)の名で知られる。西美濃三人衆の一人。伊勢長島攻めで織田軍撤退時、殿軍を務める中、一揆衆に襲われ戦死。
テーマ投稿数 1件
参加メンバー 1人
京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。 関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で、名将立花宗茂率いる西軍の大軍に対し寡兵で奮戦。降伏するも西軍を足止めし本戦に参加させなかった。若狭小浜八万五千石へ加増、小浜城を築く。晩年は城下町整備に励んだ。
テーマ投稿数 1件
参加メンバー 1人
織田信忠の嫡男。岐阜城主。本能寺の変後、織田家の重臣等による清洲会議において羽柴秀吉の支持を受け、織田家の家督を相続(当時、幼名・三法師)するが、実権は保護者であった秀吉が握る事になる。 関ヶ原で西軍に組し、戦後改易、高野山に追放される。
テーマ投稿数 10件
参加メンバー 5人
兄磯城(天稚彦)の次なので順番的に、再戦時の長髄彦には出雲勢を推定するが、初戦時の長髄彦は地理的に考えて出雲勢ではないだろう。 初戦(※)で苦戦した神武は、太陽に向かって戦うのは縁起が悪いと言って軍を退かせる。 今我 是日神子孫 而 向日征虜 此逆天道也 今し我 是は日神の子孫 而 日に向かい虜(敵)を征す 此れは天道に逆らう也 太陽の方角には、南北軸であれば南、東西軸であれば一般的に東を想定する。 長髄彦との初戦で日に向かって戦った神武は、北か西から攻撃したことになる。 出雲の北は海だ。 神武は白肩之津に着岸して下船、徒歩で生駒山を越えて戦場の孔舍衞坂に到達したとあり、出雲の北に至るルートを…
2年目に訪れた時に再開発が決まっていた港区No.33遺跡と西久保八幡貝塚を再訪した。 港区No.33遺跡の跡地 ロシア連邦大使館 カザフスタン共和国大使館 3年坂は手前で通せん坊 西久保八幡神社は再開発の域外だったが、こちらは建替工事中だった。 昨日の西久保八幡神社の御本社、初渡御。立派で重すぎず棒がしなって当社比的に大変好きな神輿。思わずトランス状態に入るまで担いでしまった。99歳のご長老の挨拶「昭和20年にB29に焼かれてから72年ぶりの復活」の言葉が重い。祭禮は平和だからできる。虎ノ門界隈の戦後がはじまる。 pic.twitter.com/SATRgbTLT7— かまわぬ🍎 (@kama…
丘陵尾根に築かれた円墳16基以上 不動ヶ谷古墳群 (静岡県掛川市大池,下垂木字不動ヶ谷 曹洞宗 和光山 永江院の周辺)
静岡県掛川市大池(おおいけ)・下垂木(しもたるき)の不動ヶ谷古墳群(ふどうがやこふんぐん)は、曹洞宗 和光山 永江院(ようこういん)周辺の丘陵尾根に築かれた円墳16基以上で構成されています。掛川バイパスと住宅地の建設で丘陵が削られ、半数以上の古墳が消滅。永江院西側の
花粉が気になりますが、明日香村の神社をいくつか調べたく春の飛鳥に。 近鉄・飛鳥駅で下車。明日香村の西側、大字でいうと御園(みその)~檜前(ひのくま)を歩きました。ちょうど高松塚古墳やキトラ古墳があるあたりです。 御園の竹林 御園 天神社 庚申堂 御園 御屋敷 木壁 檜前(ひのくま)大神宮社 檜前 於美阿志神社(おみあし)境内 飛鳥駅前の『あすか夢販売所』にて。 旬のあすかルビー ちょうど日本初の通貨、富本銭(ふほんせん)を調べていたところ。笑 オォ。ぐるぐる。ロマネスコはカリフラワーとブロッコリのかけ合わせ品種。で、カリブロ。 ロマネスコ(カリブロ) ロマネスコ(カリブロ)自宅にて クマ子さん…
勝手に広報大使を名乗り、大阪堺市にある古墳や史跡、神社仏閣、カフェを紹介しています。関西中心に訪れた場所の記録や紹介を載せています。特に奈良県は観光ガイドに載っていないようなあまり知られていないけど素敵な場所を中心に紹介しています。
「歴史ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)
太鼓や笛を聞くとむずむずする。お祭りがあるとつい見に行ってしまう。あまつさえ参加しちゃう。笛吹いてます。踊ってます。保存会入ってます。そんな方、どうぞご賛同ください。
フランシスコザビエルが 日本に苦難の末もたらした キリスト教(耶蘇教) 西洋の文物や鉄砲や文化も 日本伝来〜世界への伝道について クリスチャン受難の歴史なども
隠れキリシタンなどを悲劇を生んだ 日本におけるキリスト教受難〜迫害の歴史について
ユネスコの世界無形文化遺産にもなった、日本の伝統 雅楽 その舞 舞楽
ノーベル平和賞を受賞した 核なき世界〜実現しましょう! バラクオバマ大統領の預言!
大河ドラマ「龍馬伝」に関するトラコミュです。 坂本龍馬、彼を取り巻く人々、岩崎弥太郎、武市半平太、饅頭屋長次郎、土佐藩、幕末諸藩など、お気軽にトラックバックしてね。
岩村城は岐阜県恵那市岩村町にある中世の山城跡で、江戸時代には岩村藩の藩庁であった。付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。女城主悲哀の物語が残る。
東ドイツ好きのためのトラコミュ。 トラバント、ヴァルトブルク、ザンドマン、アンペルマンなど、東独製品記事のアップをお願いします。 たとえば、 現在のドイツの東独関連情報。 オスタルギー(東・ノスタルギー)など。
日本の古代史に関すること、考古学でもなんでもトラックバックしてね。 平城京遷都1300年記念ですし。
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