あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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竹千代君、売られる… ここに三河 田原城の戸田弾正少弼康光は、いまの広忠の義父になるが、この縁で、~陸地には敵が多い。 船で我が領地から送り申し上げる~ と約束し、西郡(にしごおり)から吉田へお入りになるところを、康光はその子 五郎政直と申し合わせ、供の人々を欺いて、竹千代を船に乗せて尾張 熱田湊に送った。 織田信秀に渡したところ、信秀の喜びは大変なものであり、熱田の加藤図書順盛の元へ預け置いた。 こうして信秀から岡崎へ使者が立てられて、 ~幼君 竹千代は私(信秀)の膝元に預かり置いた。 いまに至っては、今川との手切れをし、私に降参するほうが良い。 もしも叶わぬときは、幼君 竹千代の一命を頂戴…
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
織田信秀 三河へ侵攻 天文十七年このころ、武勇に優れた道閲入道(武勇に優れた五代当主、松平長親)も亡くなられ、織田信秀の喜びは大変なものであった。 ~今ならば、三河を侵略することは容易い~と、まず安祥城を攻め落とし、その子 信広にあとを守らせ、筒針に砦を構え、上和田城に内応に応じた松平忠倫、上野城に酒井将監忠尚、松平清定、山中城の松平重弘と、岡崎城は敵に囲まれ孤立して大変危険になった。 三河は大いに乱れ、明けても暮れても互いの戦が止むことは無かった。 当時、筧 平三郎重忠は、岡崎の御家人だったが、偽って上和田城の松平忠倫に降参し、親しげにに近づき忠倫を刺し殺した。 今回の反逆の首謀者であった忠…
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我が国の近代における軍人エピソードを中心としたブログです。 特に山下奉文陸軍大将と武藤章中将を取り上げていきますが、それ以外の方々や事柄についても触れていきたいと思います。
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