真田昌幸・幸村に関すること何でも
吉田神社の境内④今宮社(吉田神楽岡町)に関する記事です。今宮社は吉田神社の参道入口・二の鳥居前に鎮座する境内末社です。吉田山マイマップ今宮社は木瓜大明神ともよばれた吉田村の産土神です。鎌倉時代の建保3年に今宮社の記録があり、吉田神社創建以前から神楽岡に鎮座
エナガ先生の講義メモ
粟田神社の参道③三条大橋(京都市・東山区~中京区)に関する記事です。三条大橋は京阪三条駅の西側にある、鴨川に架かる三条通りの橋で東海道53次の起点として知られています。三条大橋マイマップ最初に架けられたのは室町時代で、天正17年(1589)に豊臣秀吉の命により五
エナガ先生の講義メモ
…未だ、誰も知らなかった「日本語の始まり」(元始ヤマトコトバ)。強いては「日本国家の創建」等の事。此の始まりは、カミ(上)の御名(レビ記)であった【ΙΑΩ=ヤオ】(八尾市竹渕)を地名とする地域(河内)から始まった。 …【日本国・開闢物語】(日本書紀・巻頭成句)の成り立ちは、【モ−セ5書】(ト−ラ)の最初に当る【Bereshith】(創世記)。その「劈頭成句」の焼き直し版であった!!
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2018年4月6日からスタートした「続日本100名城スタンプラリー」。 攻城記録、お城の紹介、スタンプ情報、アドバイスなどの記事をお待ちしております☆ ※趣旨に沿わない記事のトラックバックはご遠慮願います。場合によっては、削除させていただきますので、ご了承ねがいます。
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【日本建国・創建史】はユダヤ教の創世記に始まった!!
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古代史を探索しています。考古学、民族学も扱っています。
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ブログは個人のもの。そんな概念を打ち破れるようなブログでありたい。
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さまざまな歴史的な事件や、テレビドラマ、映画、小説、漫画などの舞台となる家・屋敷の間取り図を思いっきり想像力を働かせて楽しんでみませんか?
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皆さんの街のアイヌ語由来地名を集めましょう。それっぽい地名なら何でもOKです。どんどん登録してください。
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2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」に関するブログ記事です。
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戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。
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町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
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こんにちは。数回にわたり大阪の秘境天王寺七坂を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。大都市のど真ん中に残るなんだか不思議な空間でしたね。 皆さん…
八坂神社の参道①辰巳大明神(京都市・東山区・元吉町) に関する記事です。辰巳大明神は京阪四条駅の北東400m、白川筋と新橋通りが合流する三叉路にあります。祇園新橋マイマップ辰巳大明神は御所の辰巳(東南)の方角の守護神として祀られたのが始まりです。祭神:辰巳大明
前回紹介した里宮の裏から山頂の奥宮へ向かいます。 詳しい地図で見る 奥宮への参道というか登山道入り口。貸出の杖を用意してくれている。 場所にもよるが踏み跡はし…
みなさんこんにちは。 いかがお過ごしでしょうか。 今回は世界人権宣言の第26条をお伝えします。 教育を受ける権利についてです。 全泰一ブロンズ像…
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真田昌幸・幸村に関すること何でも
田中与兵衛の子。わび茶の完成者。茶聖と称される。 秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられたと云われる。利休七哲等の助命嘆願適わず、切腹、晒し首。罪名は定かではない。
証如の子。本願寺第十一世門主。軍事・経済の要衝である石山本願寺を拠点として、本願寺教団の最盛期を築く。石山戦争では雑賀衆などの土豪勢力や、各地の門徒組織を総動員して信長を苦しめた。
江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家。本名は杉森信盛。越前国生。 浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍した。100以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物、残りが時代物であった。芸の面白さは虚と実との皮膜にあるとした「虚実皮膜論」が知られる。 忌日の11月22日(明治以降は新暦で行われる)は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、冬の季語である。 箕面市の瀧安寺において同寺に寄進した大般若経が発見された
酒井重忠の子。江戸幕府の老中、大老。朝鮮出兵、関ヶ原、大阪の役など緒戦に参戦し、活躍した徳川家の宿将。家康、秀忠、家光と三代に渡り、徳川家を支えた。
安土桃山時代の戦国武将。歌人である。三淵晴員の次男で、和泉守護細川元常の養子。三淵藤英は兄、細川忠興は子にあたる。本名は藤孝、幼名を萬吉、剃髪して幽斎と号す。従五位下兵部大輔。 藤孝は初め室町将軍家に仕え、後に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え重用され、三条西実枝から古今伝授を受け近世歌学を大成させた。
出自は美濃。臨済宗の僧。恵林寺にかくまった六角義弼の引渡し要求を拒否したことから焼討ちに遭う。僧侶もろとも焼死。武田信玄に「機山」の道号を与えた事でも知られる。 辞世の句、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」
安土桃山時代の武将。江戸時代初期の大名。足守藩2代藩主。歌人。北政所の兄・木下家定の嫡男。弟に木下利房、木下延俊、小早川秀秋。号は長嘯子(ちょうしょうし)。妻は森可成の娘うめ(宝泉院)。娘は徳川家康の五男信吉の妻。キリシタンであったようで、洗礼名「ペテロ」が伝わる。
上杉謙信の養子、景勝を藩祖とする米沢藩藩主。斬新な藩政改革を断行し、財政危機に瀕していた米沢藩を蘇らせた稀代の名藩主。
英国人。徳川幕府の外交顧問として活躍。後に、日本人女性のお雪と結婚し、一男一女を儲ける。神奈川県横須賀市西逸見町に按針の墓がある。