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  • 徳川家康

    徳川家康

    安土桃山時代の武将。松平広忠の嫡男。1542年,三河国(愛知東部)岡崎城で生まれる。幼少時代を織田氏(尾張清洲)・今川氏(駿河)の人質として過ごしたが桶狭間合戦により独立、織田信長と同盟した。1573年、長年苦しめられてきた武田氏を長篠合戦で破り、勢力を伸ばす。織田信長没後の1584年、羽柴秀吉と対立し小牧・長久手で戦うが後に講和。1590年、後北条氏滅亡後の関東に入封。1596年従二位内大臣となる。1600年に関ヶ原の合戦で石田三成を破り、事実上天下を握ると直後に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。また、大坂夏の陣、大坂冬の陣で豊臣氏を滅ぼし、戦国時代を終わらせた。 。

    テーマ投稿数 347件

    参加メンバー 63人

  • 石田三成

    石田三成

    戦国武将 永禄3年(1560年)に石田村生まれ 秀吉に見出されて,家臣となる. 佐和山城主,五奉行の一人.治部少輔 秀吉のもとで出世し,有能な官僚として活躍するも加藤清正,福島正則ら武闘派からは嫌われる.1600年.関ヶ原の合戦に敗れ,京都六条河原で斬殺される.なお佐和山城は井伊直政に与えられた.

    テーマ投稿数 96件

    参加メンバー 29人

  • 平敦盛

    平敦盛

    平安後期の武将。笛の名手。 一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれる。弱冠16歳。

    テーマ投稿数 1件

    参加メンバー 1人

  • 島左近

    島左近

    島左近勝猛。安土桃山時代の武将で石田三成の家臣(軍師)。「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」

    テーマ投稿数 16件

    参加メンバー 8人

  • 小早川秀秋

    小早川秀秋

    1582年〈天正10〉生 1602年〈慶長7〉没 1582:豊臣秀吉の正室ねね(北の政所)の甥に生まれて秀吉の養子 1592:丹羽国亀山城10万石を与えられる 1593:(文禄2)秀吉に実子、秀頼が生まれると小早川隆景の養嗣子に出される  隆景の隠居後、35万7千余石を領する筑前国名島城の城主。位官も中納言に昇進、 (衛門府を唐名で金吾ということから)金吾中納言と呼ばれた。 1597:(慶長2)慶長の役(朝鮮出兵)で釜山方面の大将  戦後、釜山を離れて蔚山城の救援に奮戦した軽挙を石田三成らに咎められ、 所領は12万石に減封、一時的に越前北庄に遷せられた(1598年〈慶長3〉)が 秀吉没後、徳川家康の計らいにより旧領へ復帰。 1600: 関ヶ原の戦いでは当初、西軍に属して松尾山に陣を敷いたが、合戦の途中で寝返り、  東軍に勝利をもたらした。その功により備前・美作55万石に任じられる(備前岡山城主) しかし、世間から裏切り者の烙印を押された秀秋は、諌言した老臣杉原紀伊守を殺すなどして 政道に乱れを生じ、逐電する者も跡を絶たなかった。 1602:(慶長7)21歳で病死。死についてはさまざまな風説がある。

    テーマ投稿数 11件

    参加メンバー 8人

  • 小西行長

    小西行長

    ?〜1660(慶長5)安土桃山時代の武将。キリスト教を信仰し,洗礼名アグスチン。初め備前の宇喜多直行に仕えたが,直家が織田信長に帰属するとともに羽柴秀吉に仕えた。舟奉行に任ぜられ,「海の司令官」と呼ばれた。1588年(天正16),肥後に一揆がおこると,加藤清正とともにこれを鎮圧し,その功により肥後半国を与えられ,24万石の領主となった。文禄の役では先鋒となって進撃し平壌を陥落させた。慶長の役で再び渡海し南原を攻略したが,秀吉の死により撤兵した。その後,石田三成らと文治派を構成,加藤清正・福島正則らの武断派と対立した。1600年(慶長5)の関ケ原の戦いでは西軍に属したが敗れ,石田三成らとともに斬首された。行長はキリシタン大名のなかでもとくに信仰心が篤く,領内のキリシタンや追放された高山右近を保護した。また信仰のゆえに自害を拒否し,祈りつつ殺されたという。

    テーマ投稿数 27件

    参加メンバー 6人

  • 宇喜多秀家

    宇喜多秀家

    1572(元亀3)年〜1655(明暦元)年11月20日     豊臣政権五大老の一人、備前中納言、備前岡山57万石の城主    関ヶ原の合戦では西軍の総大将、敗戦により八丈島に流罪

    テーマ投稿数 34件

    参加メンバー 8人

  • 島津義弘

    島津義弘

    島津義弘・維新天文4(1535)-元和5(1619).7 薩摩守護島津貴久の次男。天正15(1587)年、秀吉の九州征伐に無条件降伏し、以降、秀吉に属す。 関ヶ原では、西軍に属し天満山東麓に布陣し、松平忠吉・井伊直政隊と交戦するが、防御に徹し他隊への協力はしなかったという。西軍が総崩れする中、家康の本陣近くを通って撤退するという、「前進撤退」の有名な話が残っている。多くの戦死者を出しながらも大坂へ逃れ、海路帰国した。 関ヶ原後は、西軍に加わった諸将のほとんどが、厳しい制裁を受けたのに対して、井伊直政らの尽力により免赦され、所領も安堵された。

    テーマ投稿数 12件

    参加メンバー 4人

  • 武田信玄

    武田信玄

    戦国時代の武将。名は晴信。1541年(天文10)父,信虎を追放して甲斐(山梨)武田家の当主となる。民政に力を入れ「甲州法度」を定めた。その一方で近隣諸国を征服し、川中島の合戦?において越後の上杉謙信と争った。織田信長と雌雄を決しようとして三河(愛知東部)野田城攻城後に信州にて死去。

    テーマ投稿数 187件

    参加メンバー 57人

  • 脇坂安治

    脇坂安治

    1554年生 1626年没 近江出身 戦国時代の武将 通称、甚内 豊臣秀吉の部将 賤ヶ岳の七本槍の一 小田原征伐、文禄・慶長の役に参加 1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いで東軍に参加 戦後は伊予大洲五万三千石の大名

    テーマ投稿数 5件

    参加メンバー 3人

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