15分の瞑想を初めて3日め。今朝は、久しぶりに「あ~、良く眠った!!」と気持ちよく目覚めました。睡眠導入剤はやめようと自分で強制的にやめてから(きちんと医師に相談して)寝ていても、足が冷たいな・・とか、あれどうなったかな・・などと意識があって眠りに落ちていない時間が多い状態です。でも、働いているわけではないので、眠たければ昼寝すればいいと割り切って眠剤をやめてみています。それでも、なんとかかんとか浅い眠りができているので良しとしていました。病気になったのも、心身ともに強いストレスが何年も続いたことで、自律神経が乱れ頻脈や高血圧、不眠、そして免疫力低下・・病気発症となったのでとにかく今までの悪しき習慣をまずやめて、(コンビニ食・清涼飲料水、甘いパンやお菓子やケーキ、乳製品、肉食ばかり、)体に良いと思われるこ...15分瞑想3日め・・・・・
「神秘学概論」読解 50 :5つの魂の能力-2 高次の諸世界へ至ろうとする人が、魂制御ための修行する5つの魂の能力の「2・意志衝動の統御」では、自分みずからが下す命令に、厳格に従う習慣を身につけなけれ
浜松城周辺の史跡より、椿姫観音を紹介します。お田鶴の方(おたづのかた)は、浜松城の前身の引馬城城主・飯尾連竜(つらたつ)の妻で、父は鵜殿長持、母は今川義元の義妹。築山殿とは今川氏の同族で、母同士が義理の姉妹にあたります。井伊家と飯尾氏は、ともに国人領主であり、今川氏の家臣でした。連竜の父・乗連(のりつら)は、井伊直虎の父・井伊直盛と同様、桶狭間の戦いで、今川軍の先鋒を務め、信長軍に討たれて戦死。飯...
こんばんは~火曜日に娘(長女)と出掛けた初春の鎌倉🌸最後に江島神社へ参拝しました。1821年再建の青銅の鳥居↓「江島大明神」の額の筆跡は、弁財天のお使いであ…
インプラント手術から2日目。血だらけの枕で目覚めることはありませんでした。一応、ビニール敷いて寝ましたが大丈夫だったようです。現在の状況は、歯が18本あります…
外はどしゃ降りの雨。来週後半も雨のようなので、お墓参りは明日からの数日がいいかと。お墓も気になるけれどお仏壇も気になっていました。仏教宗派無しとして葬儀をあげ、自宅の作り付けのお仏壇に入ってもらったおじいちゃん。仏壇のしつらえ方に、以前からどうにも違和感があって・・・・お位牌が、ど~んと最上段に置かれているのです。今回、義母が施設入所となったことで、お仏壇の管理を私がすることになったのを機にネット検索ではありますが、お仏壇の設置の仕方を調べてみました。本来、お仏壇の最上段には、自分が所属している宗派のご本尊にご鎮座いただくもののようです。その両脇に、脇侍。ご本尊は木彫りなどの像を。脇侍は、掛け軸にするのが、かっこいいなと思いました。仏飯器、茶湯器などという用語も、恥ずかしながら初めて知りました。仏壇に向か...お仏壇の掃除とご本尊様
「神秘学概論」読解 50 :5つの魂の能力-1 高次の諸世界へ至ろうとする人は、修行を通して、以下の諸特性を身につけなければならない。特に必要なのは、魂が思考と意志と感情を支配することである。魂のこの
1568(永禄11)年頃から徳川家康の遠江進攻が始まり、家康は菅沼定盈と、菅沼忠久・近藤康用・鈴木重時ら井伊谷三人衆に道案内をさせ、引佐奥山から奥山方広寺に立ち寄りました。なぜ、方広寺だったかというと、そこの僧が家康に通じていたそうです。家康軍8千は方広寺に二晩滞在。方広寺の僧徒は家康軍の滞在を喜び、人質まで出して恭順を示し、また住民たちは、食べ物や飲み物を用意して徳川軍をもてなしました。家康は、方広寺...
こんばんは~火曜日に娘(長女)と行った初春の鎌倉、第4回です。「鎌倉文学館」の後は由比ヶ浜駅まで戻り、江ノ島へ向かいました途中、江ノ電からの車窓↓朝、曇ってい…
タカラガイのビーチコーミング〜自然とのふれあいと癒しを求めて〜
ビーチコーミングとは?ビーチコーミングという言葉を聞いたことがありますか?海岸や浜辺などで貝殻や珊瑚、海洋生物の骨格や化石などを集めるアクティビティのことです。シーグラスなどを集めることもあります。自然からの贈り物である貝殻を収集することで
自分のやるべきことをやらずに、罰を受ければ被害者面。首相もレーダー照射について言及せず。特定野党の攻撃にも高市さん以外は対処できず。いったい日本と言う国は、何をやっているのか。何度も言うけれど、この党の人たちは、国会を混乱させて、日本人を不愉快にすることを目的としているとしか思えない。何やってるんですかね。情けない・・・・・ならぬもんは、なりませぬ!!!!と国は毅然とした態度をとってくださいよ。毅然たる態度をとれ!!
「神秘学概論」読解 49 :第二の自己-2 物質的な外界、外感覚的世界から自由になれるだけの内的世界に魂の力を育て、身体に反射するかたちではない内的本性を体験できるようになると、そこには通常の自我では
牛久保城は三河国宝飯郡牛久保にあった平城です。享禄2年(1529年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられています。以来、成勝、貞成、成定、康成の牧野氏4代にわたる居城となりました。牧野成定の時代の1561年(永禄4)に、前年の桶狭間の戦いで今川氏から自立して三河の平定に乗り出した松平元康(徳川家康)の奇襲攻撃を受けますが、この奇襲は失敗し、牛久保城はしばらくの間、今橋城(...
こんばんは~火曜日に、娘(長女)と出掛けた初春の鎌倉🌸本覚寺へお参りした後は「鎌倉文学館」へ向かいました。歩いてでも行けますが、時間&体力節約のため、江ノ電…
14時の予約だったので、少し早めに行こうと思ったら30分前に着いてしまいました。10分前に会計に呼ばれて支払いをし、14時に個室の治療室に入りました。消毒?用…
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