TOPICS
  • 1位

    「坂本龍馬の先妻」第13回

     今回は「坂本龍馬の先妻」13回目です。  残り2回となりましたが、時期的に言ったらまだ慶応年間です。  この記事は「坂本龍馬の先妻」について書かれていると思うのですが(そういうタイトルですし)、あとはどうするつもりなん

    秋海棠 界

    + ゆらゆらゆれる +(備忘録)

    読者になる

続きを見る

  • 頼三樹三郎

    頼三樹三郎

    頼三樹三郎は、幕末期の儒学者。通称は三木八。号は鴨崖。父は「日本外史」で有名な儒学者・頼山陽(三樹三郎は三男)。1853年にペリーが来航して一気に政情不安や尊皇攘夷運動が高まりの兆しを見せ始め、1858年には将軍後継者争いが勃発すると、尊王攘夷推進と徳川慶喜(一橋慶喜)擁立を求めて朝廷に働きかけたため、大老の井伊直弼から梅田雲浜・梁川星巌・池内大学と並ぶ危険人物の一人と見なされて安政の大獄で捕らえられて江戸の福山藩邸において幽閉される。福山藩主の侍講・石川和助は、父・頼山陽の愛弟子であり、三樹三郎を厚遇すると同時に必死で助命嘆願を行った。だが、幕府の厳しい姿勢は変わらず、間もなく江戸小塚原で斬首されてしまった。

    テーマ投稿数 3件

    参加メンバー 3人

  • 彰義隊

    彰義隊

    彰義隊は、明治初期の1868年に前将軍徳川慶喜警護のために旧幕臣の渋沢成一郎や天野八郎らにより結成された旧幕臣等による軍事組織。江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持に活躍。尊王恭順有志会改称彰義隊。

    テーマ投稿数 4件

    参加メンバー 2人

  • 長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)

    長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)

    土佐の戦国大名。長宗我部氏21代当主。 年表 1575年土佐一国を平定。 1582年織田信長の死後、中央の混乱に乗じ、1585年四国全土を平定。しかし、その直後、秀吉による四国征伐軍に降伏。土佐一国のみを安堵される。 1586年には秀吉の九州征伐に従軍。しかし、豊後戸次川の戦いで敗走。 小田原征伐、朝鮮出兵にも従軍。 1599年死去。享年61歳。 分国法である『長宗我部元親百箇条』を制定したことでも知られる。 左目 姫若子 大河ドラマ 墓

    テーマ投稿数 15件

    参加メンバー 10人

  • 長宗我部盛親

    長宗我部盛親

    四国の覇者、土佐の出来人、長宗我部元親の四男。兄・信親の戦死で長宗我部家の後継者に。小田原征伐、朝鮮出兵で功を立てる。関ヶ原で西軍に付くも戦闘に加わる事無く破れ改易。大阪夏の陣では豊臣方主力を率いて八尾の戦いで奮闘。落城後、逃亡図るも蜂須賀家の家臣に捕縛され、京都の六条河原で子女とともに斬首。

    テーマ投稿数 10件

    参加メンバー 6人

  • 大久保長安

    大久保長安

    大蔵太夫の子(諸説有り)。武田信玄の猿楽師。後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された。 没後、不正蓄財疑惑が発覚し、莫大な遺産は没収、一族も処断された。長安の庇護者であった大久保忠隣も失脚。一説に本多正信・正純父子の陰謀とも言われている。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 板倉勝重

    板倉勝重

    板倉好重の子。徳川家譜代大名。江戸町奉行、京都所司代など歴任。徳川二十八神将の一人。京都所司代時代は、京都の治安維持、朝廷工作、豊臣家の監視に当たる。方広寺鐘銘事件では、本多正純らと豊臣家に対する強硬策を上奏し大阪の陣に至る。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • ホロコースト ??holocaust??

    ホロコースト ??holocaust??

    ホロコースト【holocaust】 大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺。 生々しい歴史の傷跡。 アンネの日記などをはじめ、数々のユダヤ人が手記を残しています。 あなたのホロコーストに対しての考え、また、『アンネの日記』(などユダヤ人の手記)の感想など、トラックバックしてください。 世界平和のためにブログだって何かできるはずです。

    テーマ投稿数 106件

    参加メンバー 21人

  • 奥の細道紀行

    奥の細道紀行

    松尾芭蕉の歩いた下野路を写真で紹介。 栃木県内に残る芭蕉の句碑も紹介しています。

    テーマ投稿数 20件

    参加メンバー 11人

  • 勝海舟

    勝海舟

    勝海舟は、江戸時代末の幕臣、政治家である。枢密顧問官、正二位勲一等伯爵。幼名は麟太郎(りんたろう)。本名義邦 (よしくに)、維新後改名して安芳(やすよし)。これは幕末期、安房守に任ぜられたことから勝 安房(かつ あわ)と呼ばれたため、安房(あほう)と同じ音の安芳と変えたもの。海舟は号。佐久間象山よりもらった「海舟書屋」よりとったという。父は旗本小普請組の勝小吉。母は信。 山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。 幕末の剣客男谷信友は従兄弟にあたる。海舟も、十代の青春をほぼ剣術修行に費やした。 財務省主計局次長の勝栄二郎は子孫。

    テーマ投稿数 80件

    参加メンバー 18人

  • 徳川吉宗

    徳川吉宗

    徳川吉宗は、江戸幕府の第八代将軍。 徳川御三家の紀州藩二代藩主徳川光貞の四男として生まれる。二人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、七代将軍家継の死により徳川将軍家の血筋が途絶えると、江戸幕府八代将軍へと就任し、自ら質素倹約、新田の開発、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行う。 破綻しかけていた幕府財政を再建し、江戸幕府中興の祖と呼ばれるが、米相場の安定に苦心したことから米将軍ともいわれる。

    テーマ投稿数 6件

    参加メンバー 4人

続きを見る

  • 龍馬とおさなは本当に「婚約」していたのか?(その1)

     さあ。ずっと考えていたこのネタ。  そろそろ自分の中でもちゃんとまとめないと、と思っていました。  でもなかなか時間が取れない。「時間がない」というのは、往々にしてただの「言い訳」です。そう、このネタ、怖いんです。だっ

    秋海棠 界 + ゆらゆらゆれる +(備忘録)
    読者になる

続きを見る