「しばやんの日々」というブログ名で活動を始めて10年になりました。1月に勤務先を定年退職したこともあり、気分一新してドメインを取得し、新しいブログを立ち上げました。もう少し使い込んでから、活動の中心にする予定です。
日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!
おかげ様で2500万アクセス突破!感謝です…その日の出来事や歴史ウラ話を楽しくわかりやすく♪
邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について綴っています。
猫、本、歴史、アートなど好きなもの、日々の出来事を徒然に。絵は和風オリジナル多め。季節の写真もあり。
趣味は、遺跡・史跡・城跡や寺社仏閣を巡ること、絵画や陶芸もかじっています。もちろんグルメやスイーツにも興味がありますし、登山屋やハイキングなどのスポーツもやっております。
石田三成、明智光秀、織田信長、齋藤道三、豊臣秀吉、細川幽斎、柴田勝家など 歴史上の偉人、有名人とその子孫についてまとめたサイトです。 歴史上の偉人の生涯や子孫について、ゆかりの地などをご紹介していきます。
時代小説、歴史小説を中心に、素人管理人が読了した書籍について、ネタバレしないように綴っていきます。
年表にこだわる「闇鍋」ブログです。京都、鎌倉、横浜などの寺社、石碑、城址の写真とともに。
受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三
日本史の勉強が楽しくなるような年号のゴロ合わせなどを、イラストたっぷりにお届けします!
一人息子が就職・独立し、卒母しました。これからは、今まで興味があってなかなかできなかった地元奈良の観光・歴史・お役立ち情報などを発信していきます♪奈良まほろばソムリエ検定奈良通1級に挑戦予定です。
【歴史×旅】で人生をより豊かに✨日本遺産や城めぐり🏯、神社仏閣⛩などさまざまな旅行や観光の際に役立つ歴史の情報を発信します!✈️
国文学科出身イラストレーター。『平家物語コラム』『建礼門院右京大夫集あらすじ漫画』を連載中。オリジナル漫画と独自のツッコミで、古典文学を楽しく紹介します。
京都のお寺で育ったしばやんの歴史考察等。令和2年以降は、新しい記事は「歴史逍遥『しばやんの日々』」に掲載しています。
「動乱の『太平記』は、振り返ればすべては兵どもの夢の跡、しかし、当人たちにとっては揺れ動く歴史の流れの中で誇りと名誉に文字通りに命を賭けた、男たちの旅路の物語、…だと思って読み始めてみます。よろしければお付き合い下さい。」
古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)
台地、川、暗渠、鉄道などの街、歴史、地形を感じながら
歴史・音楽・映像を中心に、想像をめぐらす長文コラムです。 歴史の謎と陰謀を探ってみます。 「音楽の旅路の風景」を思い出してみます。 読書気分で、どうぞごゆっくり…。 【あまの みそしる】
ふたりの聖徳太子とは、竹田皇子と押坂彦人大兄皇子です。<br>隅田八幡神社人物画像鏡にある日十大王とは聖徳太子のこと。
京都の大学で、日本史を学んでいる大学院生です。 このブログでは、日本の近現代の歴史についてや、 出会った人との思い出や、僕の考えを自由に書いていきます。 よろしければ、僕のブログをのぞいてみてください。
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。歴史好きの者が書いているブログです。
鹿児島ユナイテッドFCを関東から応援するブログです。サッカーと歴史を関連させて面白おかしく楽しめるように書いています。Jリーグのことも語っていければと思っています。
ちょっと深く、されど、受験日本史において本当に必要な情報だけを紹介する、全ての受験生に贈る高校日本史ブログです。 —桓武天皇が選んだ遷都の先はなぜ「京都」であったのか。― 自信を持って説明できますか?
記紀原書「ヲシテ文献」に学ぶ歴史の真実 〜よみがえる縄文〜
拙い記事を日記的に載せています。ping送信が上手くいきませんのでホーム画面からご覧下さい
基本シンプルな生活について書いています。歴史が好きなので、ときどきそのお話も書いてます。
本・歴史・テクノロジー好きで将来は起業を志しているえんで(大学生)が運営するブログです。 「どこよりも丁寧にわかりやすく面白く」というポリシーで運営しています。
「歴史ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)
島津義弘・維新天文4(1535)-元和5(1619).7 薩摩守護島津貴久の次男。天正15(1587)年、秀吉の九州征伐に無条件降伏し、以降、秀吉に属す。 関ヶ原では、西軍に属し天満山東麓に布陣し、松平忠吉・井伊直政隊と交戦するが、防御に徹し他隊への協力はしなかったという。西軍が総崩れする中、家康の本陣近くを通って撤退するという、「前進撤退」の有名な話が残っている。多くの戦死者を出しながらも大坂へ逃れ、海路帰国した。 関ヶ原後は、西軍に加わった諸将のほとんどが、厳しい制裁を受けたのに対して、井伊直政らの尽力により免赦され、所領も安堵された。
戦国時代の武将。名は晴信。1541年(天文10)父,信虎を追放して甲斐(山梨)武田家の当主となる。民政に力を入れ「甲州法度」を定めた。その一方で近隣諸国を征服し、川中島の合戦?において越後の上杉謙信と争った。織田信長と雌雄を決しようとして三河(愛知東部)野田城攻城後に信州にて死去。
1554年生 1626年没 近江出身 戦国時代の武将 通称、甚内 豊臣秀吉の部将 賤ヶ岳の七本槍の一 小田原征伐、文禄・慶長の役に参加 1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いで東軍に参加 戦後は伊予大洲五万三千石の大名
父は重政、母は宮部善浄坊継潤の部下國友與左衛門某の姉である。 初め信長に仕え、ついで継潤に従い、のちに秀吉の命により、秀次付きの家臣として尾張支配に尽力。豊臣氏直轄領の代官も兼ねた。関ヶ原役では東軍に属し、先鋒となって手柄をたて、石田三成を捕らえた功で筑後柳川で三十余万石を領し新地の経営に手腕を発揮した。
越後の戦国大名。長尾為景の子で初名・景虎。政虎、輝虎。兄長尾晴景の跡を継いで越後を領し、北陸そして関東に勢力を伸ばした。上杉憲政を保護すると、関東管領山内上杉氏の名跡を継承。上杉憲政より偏諱を貰い、上杉政虎と名乗り、ついで将軍足利義輝の偏諱を賜って上杉輝虎と名乗った。その後、剃髪して不識庵謙信と号す。義侠に富み、小田原北条氏や甲斐武田氏を度々争った。越後の龍といわれる。
安土桃山時代の武将。父は輝宗。母は最上義光娘(義姫) 米沢で生まれる。幼少の頃、疱瘡で片目を失ったが、 片倉景綱、茂庭綱元らの重臣に恵まれたこともあり、勢力を拡大。 また周辺豪族を縁組などにより従わせ、会津の芦名氏を滅ぼして 東北の覇権を握り「独眼竜」と呼ばれた。 また幕府に従属する一方でスペイン・ローマに使節を派遣するなど 仙台藩62万石の基盤を確立させた。長男・秀宗は宇和島藩主となった。
いつも何気なく使っている言葉の語源って、なんだろう? それを探っていくと、昔の人のいろんな暮らしぶりや考えが見えたりします。やまと言葉を中心に、日本語の語源や歴史をひもといていきます。
大河ドラマ「功名が辻」について
駿河国(静岡県中部)の守護大名である今川氏の第7代、今川氏親と正室は中御門宣胤の娘(寿桂尼)の間に生まれる。幼名は芳菊丸。正室は武田信虎の娘(定恵院)。子に今川氏真、娘は武田義信の室となっている。「海道一の弓取り」と呼ばれるように、領国経営と外征に才能を発揮した。
平安時代末期,平氏の全盛期をきずいた武将。保元の乱・平治の乱で源氏をおさえて中央政界に進出し、1167年に太政大臣となり、むすめの徳子を高倉天皇の后(きさき)とした。この間、一族を朝廷の高位高官につけ、西国に500余りの荘園をもち、30余か国を知行国として全盛をほこった。のち、後白河上皇と対立すると院政をやめさせ、徳子のうんだ安徳天皇を即位させ、外祖父(母方の祖父)として独裁政治を行った。そのため、反感をいだくものがふえ、各地で源氏が挙兵するさなか、熱病で死んだ。清盛はまた、父の代から関係した日宋貿易に積極的に取り組み、大輪田泊(神戸港)を修築し、瀬戸内海の水運をさかんにした。