「徳川家康公関連サイトNo.1!」を目指すブログです。敬愛する家康公や徳川家臣団に関する史跡巡りや解説・考察などメインに、関東のマイナーな歴史スポット等も紹介できたらと思います。
お気に入り武将と「天下侍魂」の更新についてイラストつきで語ります。
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天正3年(1575年)5月、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦い。徳川氏の信濃国方面の前線であった長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前となったため、家康が織田軍の援軍を要請。5月21日(新暦7月9日)に長篠城西方の設楽原(したらがはら)あるいはあるみ原にて野戦が行われ、織田・徳川連合軍側の勝利に終わった。
九戸信仲の子。南部氏の有力国人。器量に優れ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築く。しかし、後継者争いから南部信直と対立し、同年挙兵。南部家の精鋭であった九戸勢は頑強に抵抗するも、信直の要請で援軍として参戦した豊臣勢連合軍の前に破れ、一族諸共惨殺されたと云う。(九戸政実の乱)
三代将軍足利義満の三男。室町幕府 六代将軍。くじ引きで将軍に選ばれた事から、籤引き将軍と呼ばれる。将軍家による中央集権制体制を築く。
北条氏康の七男。上杉謙信の養子。1578年、養父の謙信死後、同じく養子であった景勝と家督を巡り対立し敗れる。(御館の乱)
長尾政景の子、母は上杉謙信の姉・仙桃院。上杉謙信の養子。豊臣政権の五大老の一人。家康と対立し西軍の与した関ヶ原の合戦以降、米沢に減封されるも、上杉家臣団を減らさなかった。そのため晩年まで財政難が続いた。米沢にて死去。寡黙な大名として知られる。
真田昌幸・幸村に関すること何でも
田中与兵衛の子。わび茶の完成者。茶聖と称される。 秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられたと云われる。利休七哲等の助命嘆願適わず、切腹、晒し首。罪名は定かではない。
証如の子。本願寺第十一世門主。軍事・経済の要衝である石山本願寺を拠点として、本願寺教団の最盛期を築く。石山戦争では雑賀衆などの土豪勢力や、各地の門徒組織を総動員して信長を苦しめた。
江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家。本名は杉森信盛。越前国生。 浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍した。100以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物、残りが時代物であった。芸の面白さは虚と実との皮膜にあるとした「虚実皮膜論」が知られる。 忌日の11月22日(明治以降は新暦で行われる)は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、冬の季語である。 箕面市の瀧安寺において同寺に寄進した大般若経が発見された
酒井重忠の子。江戸幕府の老中、大老。朝鮮出兵、関ヶ原、大阪の役など緒戦に参戦し、活躍した徳川家の宿将。家康、秀忠、家光と三代に渡り、徳川家を支えた。