渋川義季は、1423年(応永三十年)、少弐満貞に博多を攻められ、敗北し、肥前国山浦城に逃れた。 その敗北を契機に九州探題の勢力は、衰退を始めた。 1425年…
昨日午後お寺に来られたご夫婦は二人とも歴史好きでいつもご一緒で歴史散策を楽しんでいるとのこと。 本堂にご案内して田沼時代の遺物について少々語らせていただきました。 別件、ブログでは以前、菅山の川田砦について記したことがありましたが、その方はそのあたり(老児保険施設の南の台地)の地名について、地元の古い伝承で「コジロ」と言れていることを教えてくださいました。 お名前が川田さんと仰るそうで、尚更その情報の真正度はup。 高天神籠城組の末裔を推測します。 私は予定がありましたので途中で失礼させていただきましたが、何より二人一緒の趣味、同行は頼もしいこと。 それを奥方に言うと「何を・・・」とばかりに叱られました。 「散々連れ回されて甚だ迷惑」とのことでした。 まぁ10回に一回程度のお付き合い、言い返したら怒るでしょうが 「山城」と言えば最近はまったく不同意。 「下で待ってる」の常套句はまだマシの程度。 「時に足手まとい」ではありますがね。 昨日は服部半蔵が夜陰に乗じて上ノ郷城に侵入して火をかけ家康方の勝利を導き、さらに鵜殿家の継承者2人を生け捕りにして駿河人質(瀬名と信康)奪還の駒を得るなどwの立役者になるなどお話の世界・・・などとは記したものの、実際にその件についてその名、渡辺半蔵(正成)を推測できるものも「あるにはある」のでした。 昨日記した忍者の件は「鵜殿由緒書」に加え「三河物語」にも記されているといいますが、史料といわれるものは、各々時間のタイムラグがあって、まずはその書を記すにあたって以前の書物をあたるワケで、表現が違えども、あたかもその場に居合わせた如くに記すものですから記述の頻度が多いとしても他の確度からの検証も必要ですが・・・ この上ノ郷城落城が忍者(忍び・忍びの兵・甲賀衆)の仕事であるという件はかなりに有名なところで、伴与七郎なる甲賀者が 江州より呼び出され鵜殿長照(鵜殿長持の息生け捕りにされたのは彼の二人の息子)を滅ぼした功労者として家康から感状を与えられています。 そして伴氏は甲賀出自。彼が従者として連れてきたという者に「服部藤助と中山久蔵」の名があります。 服部半蔵が岡崎に住まったこともあってその地が伊賀町・伊賀八幡などの名称が残る通りですが、甲賀者が伊賀者を連れてきても不思議はないところではあります。 ただし寛政譜から見るに半蔵正成の没年が慶長元(1596)五十五歳とありますが、そうであれば生誕
〜三河武士が五百騎ほど居りまする〜家康が秀吉に語ったとされるこの言葉は、度々歴史番組でも扱われたことがあり、存じている方も多いかと思います。肝要の時に用に立たず。宝の中の宝といふは人にて留めたり【岩淵夜話別集】【器物はどんな名品であれ、肝心なときに役に立たない。宝の中の宝というのは人材である。】という意味です。この時代の茶器の名品は、器によってひとつが一国一城にも値したものも有りました。かつて織田信長が謀反を起こした松永久秀に対し、久秀が持っていた明器、(平蜘蛛の釜)を差し出せば、命を助けるという逸話。また、秀吉による九州征伐において、島津氏に組みして秀吉に抗っていた秋月種実は、降伏に際して大事にしていた天下の明器〜楢柴肩衝〜(ならしばかたつき)を秀吉に差出して命を救われました。かつて豊臣秀吉が、居並ぶ諸...家康のつぶやき5〜三河武士が五百騎ほど居りまする
大石忌 赤穂義士ご命日 1703(元禄16)年 2月4日前年12月14日 吉良邸に討入りし主君の仇を討った大石内藏助以下赤穂浪士46人が幕府の命により切腹 …
2月23日は五大力さん総本山 醍醐寺 五大力尊仁王会春を呼ぶ奉納餅あげ 五大力さんとは 本尊 五大力尊不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉…
江戸時代 薩摩藩が築いた安倍川の旧堤防 薩摩土手(権現様堤) (静岡県静岡市葵区井宮町・水道町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)・水道町(すいどうちょう)の薩摩土手(さつまどて)は、江戸時代前期の慶長11年(1606年)頃に薩摩藩が中心となって妙見山(みょうけんさん)の麓に築いた安倍川(あべかわ)の旧堤防です。慶長8年(1603年)に征夷大将軍となった徳川家康は、
<戦国小姓の令和見聞録:400字>※記事が更新されますと前日の記事は消滅いたす故お覚悟くださりませ! 以前の全ての書状を拝見される場合はFC2ブログでお試しく…
【パソコン DELL Vostro 270s CPUを交換しました
SSD、メモリに引き続き今回はCPUの交換をしてみました。 元からこのPCに搭載されていたCPUはCeleron G470(2.0GHz 2コア/2スレッド)、チップセットはB75 Expressになります。 第3世代Coreiシリーズが搭載可能ということで今回はヤフオクで購入した中古CPU Core i5 3450(3.1GHz 4コア/4スレッド)を使用してみました。 背面のカバーを外すし、ファン廻りのカバーを取ります。 ファンの電源を外し、固定しているネジ×4を...
【お楽しみ】2月4日は「ぷよの日」だとか… この際なのでシリーズの歴史をまとめてみた(諸説あり?)
こんばんは。2月4日は、日本記念日協会が認定した「ぷよの日」なのだそうです…(開発元のセガでは”毎月24日”も「ぷよの日」としているらしい) 落ち物パズルゲーム「ぷよぷよ」といえば、同じ色の「ぷよ」を4つ以上くっつけると消える”お馴染みのルール”で様々な層に親しまれるのと同時に近年では「国際大会で活躍するプロプレイヤー」も登場するなど、上級者どうしの対戦は実に白熱したものになるのだとか… 今日はそんな「...
福姫です今日は2月定例ウォーク「節分オルレ」を開催しました🚶🚶🚶最少催行人数20名としておりましたが、キャンセル等もあり本日8名となってしまいました。仕…
C54のキャブは、C53のキャブを流用し、キャブ屋根の高さが合う様に調整。始めに、C57のボイラーとキャブ屋根上部まで(4.5mm)と、キャブの下から底面(12mm)を計測してから、C53のキャブが載る様に動力側を加工しました。また、キャブの窓枠等のディテールを削って平らにして、
おはようございます大阪市阿倍野・住吉の健康・ダイエットを応援する漢方薬舗 長春堂の粕谷です。 暦の上では今日は「立春」、春の始まり。 ですが、まだもう少し…
インスタで流行ってるAI加工アプリやってみた。
投稿体験談をAIを使ってイラストにしてみたvol.1
今川氏真~戦国大名から没落するも一芸をもって江戸幕府高家に名を連ね 生涯妻と添い遂げた人物
AIに仕事を奪われる?って【あなたはすでにAI】なのでは?
雑記_AI描写をやってみた
AIイラスト(画像)は商用利用しても大丈夫なのか?著作権問題を徹底解説!
ハッピーハロウィン♪で、AIさんにイラストお願い
5回めのコロナワクチン通知きた。月日が立つのが早いなぁ~。
人工知能(AI)にブログ記事を書かせてみた(Let artificial intelligence (AI) write a blog post)
巨大生物出現!未確認生命体を追跡せよ!【Stable Diffusionで魔術式構築 !未知との遭遇!】
笑った話
小説AI兼AI絵師さん『NOVEL AI』は日本人の好みそうなアニメ絵を物凄いき出してくる。
手軽になりすぎたAI画像作成・騙されないためにはどうすりゃいいのか
AIで生成 夭逝したスターの今
AI画像!静岡水害!フェイクについて!スピリチュアル
〜天道次第〜武田信玄が駿河の次に触手を伸ばしたのは、家康の領国、遠江でした。武田信玄の大軍勢が差し迫る中、軍儀の場では、籠城を主張する家臣が多数を占め、家康が語る思いは。〜我国をふみきりて通るに、多勢なりとて、などが出てとがむべし。そのごとく、我国をふみきりて通るに、多勢なりとて、などが出て咎めざらん哉。兎角、合戦をせずしてはおくまじき。陣は多勢、無勢にはよるべからず、天道次第。~現代釈~自分の国を踏み破って通る者が居れば、その軍勢が多いからといって、咎めないことなど出来ない。絶対に戦うべき。戦いは多勢が必ずしも無勢に勝つとは決まらない。天が味方するかどうか、〜天道次第〜である。武田信玄の軍勢に領国を蹂躙される中、同盟国の尾張、織田信長からも今は自重せよと念を押され、家臣も出陣には反対される中、家康が信玄...家康のつぶやき4〜天道次第
渋川義季の正室、北条朝房の娘は、娘の幸子及び、息子の直頼を産んだ。 直頼の生年は、1335年(建武二年)、即ち、誕生直後に、父の義季は、戦死し、幼児のまま、…
マスク外そうキャンペーンの如くの政府関係お偉いさんたちからの物言い。 政界からそういった声があがっていることからそもそものマスク嫌いの方たちは早々に外している感はあります。 要はマスク装着について強要ができなくなったということ。 かといって私からそれを外して皆さんの前に出るなどまだまだ絶対にできるはずもなく。 ホールの参列者も本堂も装着率は100%です。 政治家ではなくウィルス感染症の専門家の意見を尊重したいものです。 政府の意見に沿ったことを言う専門家というのもありますからつまるところ、私の勝手。とやかく誘導しないでいただきたい。 信じられないことばかりやらかす政治屋さんのお話だけは「聞く耳」はもたないというのが信条。 踊らされたくありませんね。踊るのは政治屋だけでよろしい。 ただし犯罪者にとってはマスク装着社会はその変装グッズとして違和感はないでしょう。 今ほど「仕事」がやりやすい時はないでしょうね。 疫癘もそうですが同時に悪辣な輩も蔓延りますが・・・ まぁバシバシとあの強盗事件に関与した連中がお縄になっていますからその辺りは安心社会に向かって欲しい。 あぶく銭ゲットの短慮のゲスな仕事は割が合わないこと、知らしめなくてはね。 扨、先日記した廣忠寺前の道(桑谷城)。 岡崎衆の桑谷山超えの目的地は「西ノ郡」。 鵜殿一統の本拠地上ノ郷城です。 城郭大系「上ノ郷城」の冒頭を記すと・・・ 「(応仁の乱以降)守護勢力に代わって国人・土豪が勢力を伸長させた。三河に於いてその主たる者が田原の戸田氏であり西三河の松平氏である。そのほか北設楽の菅沼、作手の奥平、岡崎の西郷、宝飯の牧野に加えて、西ノ郡の鵜殿などが・・・」とあります。 「西ノ郡」=現在の蒲郡ですが当時はその周辺は鵜殿氏の繁栄の場でした。 ある方と話しましたが、現在でも蒲郡は東西に分けて線を引くとすれば東側は鵜殿系ファン、西に松平系となるそう。 特に上ノ郷城周辺(神ノ郷町)では「殿様」と言えば鵜殿さん。 家康は敵というのが当然に漂う雰囲気のよう。 こちらの鵜殿長持は今川義元の妹を妻としたといい、そうなれば長持の子長照は今川氏真とはいとこということになります。 家康も駿河在住時の顔見知りであったかも知れませんね。 そういった強い今川との姻戚関係があったとすると、義元が桶狭間で死したあとも駿河は遠方にも関わらず、また周囲が松平に帰順していく流れにあっても頑なに今川方として
幕末の地誌で紹介された幻の前方後円墳? 有永古墳 (静岡県静岡市葵区有永町)
静岡県静岡市葵区有永町(ありながちょう)の有永古墳(ありながこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)に築かれた前方後円墳だとされています。幕末の文久元年(1861年)、浅間神社神主 新宮高平(しんぐう こうへい)が編纂した駿河国の地誌『駿河志料』(するがしりょ
【関心事】のり、しゃり、きゅうり、がり、あがり… いろいろ値上がりしてる恵方巻をがぶり(韻とは)
こんばんは。2月3日は他の季節よりも扱いのいい”節分”ということで、1年で一番煎り豆と海苔巻の消費量が多いとかそうでもないとか(しらんけど)ブログ主の家でもスーパーで恵方巻を1本買って、分けて食べました(ブログ主は奥歯の治療中なので、煎り豆はやめて軟めのあられにした)海苔巻といえば、太巻きや中巻きもいいですけど「細巻き」が好きだったりするんです… 中でも子どもの頃には赤・黄・緑の3色が揃ったやつ。黄...
石田三成の家紋は大一大万大吉ではない?使用していた家紋の由来と意味を解説!
石田三成(1560(永禄3)〜1600(慶長5))は、安土桃山時代に活躍した武将です。豊臣秀吉の家臣として秀吉のことを支え、その死後も豊臣家を五奉行として支え続けました。そんな石田三成の家紋と聞いたら、「大一大万大吉」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?しかし、実は石田三成の家紋は別のものだったのです。この記事
こんにちは。今回も前回に続いて「京の冬の旅」の特別拝観からになります。そして今回のテーマは上様です。よろしくお願いします。 京の冬の旅、今回もノブさまの菩…
福姫日記にお越しいただきありがとうございます どうぞ本日も宜しくお願い致します 昨日の日記では3月25日(土)に開催される「名護屋城本丸薪能」のご紹介をさせて…
先ほどから、ぼくのブログ記事宛てに戴いたコメントに対するぼくからの返信ができない状態になっています。解決するまで、返信コメントは、コメント主様の記事へ書かせていただきたいと思います。よろしくお願い致します。葵北風コメント返信できない状態です
おはようございます大阪市阿倍野・住吉の健康・ダイエットを応援する漢方薬舗 長春堂の粕谷です。 ついこの間お正月だと思ったら、あっという間に1カ月が経ちました…
足利氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 義国の次男、源義康は、上野国の足利荘を相伝すると、足利義康を称した。 源姓足利氏の誕生である。 義…
先般、大正十一年生まれの百一歳の方の葬儀式のお勤めに。 地元で書道教室を開いていた方ですが奥様はまだまだ健勝。 ご主人の収集した書関係の文書、筆、硯等やコレクションを「処分せよ!!」との強いお達しがあったためこれまでこつこつと「燃やすか捨てるか」をしてきたとのこと。 それは棺の中に納められた「書」関連の書物を私が目にしたことから色々と聞き出したのですが、ついつい私のエゲツナイ本音が出てしまいました。 「これって値段が付きそう・・・」 故人への家族の想いとしてそれが故人と一緒するわけですから私の横槍は無意味ですが、経験上その棺の中には「おお!!」と溜息が出るような代物が入ること度々目撃しています。 かなり値の張りそうな着物とか・・・ 施主はこれまで大量の(価値のありそうな)古文書類を処分してきたそうで「これが最後の一冊」と棺に。 自宅にはまだ「処分に困っているものがある・・・」とのことでしたので、もし捨てるなら「一度は拝見したいものだ」と未練たらたらでお願いしました。 聞けば施主もその息子さんも「まったく興味がなし」と。 ネットで処分することも同様とのこと。 物欲皆無のスッキリサッパリの家系、天晴れ。 そういえば奥方も息子も私の集めた書物等を「捨てる・処分する」を断言していましたが。 人によってはその価値100%200%あったとしてもその近き親族であっても無価値-100%レベルの感覚があるものです。 さて、日々色々な情報が舞い込んで気がかりなこと多々ありますが、今一番に心に残るその言葉。 賽銭箱にあるあの言葉を目にするたびに「涙が溢れる」という方の件。 娘さんと父母3人で数日前にお参りし、翌日にまた今度は夫婦二人で本堂にいらしたところを奥方が出くわしたといいます。 その翌日が娘さんの手術の日とのことで阿弥陀さんにご挨拶に参ったと。 感じ入ります。 是非に阿弥陀さん、何とかして欲しい・・・というのが私の切なる願いです。 手術が成功しますように・・・そしてまた家族の笑顔を見せて欲しい。 生きる、生かされる・・・大切なこと。 ①②はその拙寺賽銭箱のことば。 釋海嵐は息子。実名が法名です。 あ奴がそれを言うのは妙に説得力があります・・・ そして③④は昨日記した隣のコインランドリーの駐車場の図。 息子に「こんなんです・・・」と画像を送ると「ヤな感じだね・・・」。 私は「尤・・・」とのみ。 大き目トラックもこれまであの駐車場を
江戸時代 間宮林蔵と蝦夷地を探検 駿府城代 松平信濃守忠明の墓 (静岡県静岡市葵区井宮町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の浄土宗 井宮山 松樹院(しょうじゅいん)北側には、駿府城代 松平信濃守忠明(まつだいら しなののかみ ただあきら(ただあき))の墓があります。江戸時代中期の宝暦9年9月29日(1759年11月18日)、豊後国(大分県)岡藩の第8代藩主 中川修
芳春院(まつ)木像(大徳寺芳春院)& 特報!三玄院・特別拝観できます‼
こんにちは。毎日サブすぎて泣きそうな日々がつづくココ名古屋ですが、皆さまのエリアでは如何でしょうか。でも、今回はおそらく名古屋よりもずっとサブかった京の都から…
【お楽しみ】今シーズンは最初で最後の(と思われる)”あったか~い”ブツを手に入れたのです…
こんばんは。今日は仕事の帰りにちょっと遠回りして、いつもは寄らないコンビニに行ってきたのです…そういえばこの冬は”中華まん”というものを食べていないよなぁと思い、そろそろシーズン終了かなぁと感じたので行ってみたのです…揚げ物が入ったホットケースの隣に縦長の蒸し器が見えたので「まだやってる!」と分かり、肉まんとあんまんを1個ずつ買ったのです…持って帰って家族と食べたのですが、熱々のあんまんを丸かぶりする...
石田三成の最後の戦い「関ヶ原の戦い」なぜ家康に挑んだのか?原因や結果を簡単に解説!
石田三成(1560(永禄3)〜1600(慶長5))は、安土桃山時代に活躍した武将です。豊臣秀吉の家臣として秀吉のことを支え、その死後も豊臣家を五奉行として支え続けました。そんな石田三成は、その生涯の最後に関ヶ原の戦い(1600(慶長5))に挑み敗れその生涯に幕を下ろしました。。石田三成は関ヶ原の戦いで徳川家康と戦ったの
福姫日記にお越しいただきありがとうございます さて、昨日の福姫日記で予告しておりましたが来月、弥生の季節に「なんですとぉ~??」と言ってしまいそうな行事がここ…
石田三成の家臣まとめ。三成を支えた武勇に優れた武将たちを簡単に解説!
石田三成(1560(永禄3)〜1600(慶長5))は、安土桃山時代に活躍した武将です。豊臣秀吉の家臣として秀吉のことを支え、その死後も豊臣家を五奉行として支え続けました。そんな石田三成の家臣にはどのような人がいたのでしょうか?この記事では、石田三成の家臣について簡単に解説していきます。石田三成の家臣団にはどのような人物
おはようございます大阪市阿倍野・住吉の健康・ダイエットを応援する漢方薬舗 長春堂の粕谷です。 2月に入り、春が近づいてくると・・・ アレルギー体質の方は「今…
【清和源氏】編『足利一族』章「渋川氏」節 03.渋川義鏡
#140 『信長公記』を読むその12 巻6 後半:元亀4・天正元(1573)年
#139 『信長公記』を読むその11 巻6 前半:元亀4・天正元(1573)年
山陰の小京都『津和野』、歴史を歩いてみよう
【清和源氏】編『足利一族』章「渋川氏」節 02.渋川満頼
#138 『信長公記』を読むその10 巻5:元亀3(1572)年
#137 『信長公記』を読むその9 巻4:永禄14(1571)年
#136 まとめ『近世日本国民史 豊臣秀吉時代』~大河『どうする家康』を楽しむために
#135 第4回「清州でどうする!」の感想 ~大河ドラマ『どうする家康』
#134 ブックレビュー『近世日本国民史 豊臣秀吉(四)』~『どうする家康』に備えて
時代小説でほのぼのしよう!女性も親しみやすいおすすめ作品を紹介
樹齢1000年を超える御神木と流鏑馬が見られる『鷺原八幡宮』
#133 献本到着『フューチャーリテラシー』佐藤 もとい著
#132 『信長公記』を読むその8 巻3:永禄13(1570)年
#131 TVメモ『歴史探偵 戦略家、今川義元』
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