7月12日(土)13日(日)戦後80年目の映画上映会が近づいてきました。
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
51 猛将の片鱗 長年の宿敵、尾張の織田殿と和議と相成り、西の領地は、境川を両国の境界とした。 【東を切り取る。】これを機に元康君はその目を東三河へ向けた。 元康君の岡崎帰還に留守を守っていた重臣達も喜び、敵方に寝返った城を次々と奪い返していった。 当面の狙いは要衝、吉田城と牛久保城であるが、その前に枝葉の如くある付城を落とす必要があった。 まずは吉田城の前に立ちはだかる登屋ケ根城を勘四郎信一に命じて攻めさせた時のこと。 この登屋ケ根城攻めでは、元康君が烏帽子親となり、桶狭間で初陣を果たした鍋之助〜(本多平八郎忠勝)が叔父の肥後守忠真に付き従っていた。 大殿が帰参し、はやる気持ちも抑えようが無…
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
清洲同盟 3 元康君が尾張へいらっしゃることとなり、信長は道中の橋梁に修理を加え、道を整備されたりと、色々準備をされた。 元康君が清洲城へお渡りの際、その御行列を拝見しようと、尾張の清洲城下の者などが城門の辺りに群がって騒々しかった。 このとき、本多平八郎忠勝は、年わずか十四歳で供奉していた。 元康君の御馬前に御長刀を持って供奉しながら、〜三河の太守、松平蔵人佐元康が両国のよしみを結ぶために いらっしゃったというに、お前たちは作用に無礼な挙動をするのか!〜 と大音声で罵ると、皆その威勢に恐れをなして大人しくなった。 城下の騒ぎを聞きつけ、織田家の御家人と仲介の水野信元が先導して清洲城に入ると、…
清洲同盟 2 伯父の刈谷城主、水野信元が尾張から信長の使者として滝川左近将監一益を伴って来た。 石川弥七郎数正のもとに和議のことを申し入れてきたので、数正は岡崎の老臣たちを呼んで、このことをどう進めれぱ良いか話あった。 酒井左衛門尉忠次は、〜只今の当家の権勢をもっても、直ぐ様、織田。今川。両家の間に自立するのは難しいでしょう。〜 元康君の前でも、忌憚なく意見を申し上げる家の風土が岡崎にはあった。 当主、元康君が頼りない、侮りなどではなく、土着の三河譜代とは、古くから こうしたもの言いで、良く言えば主君と家臣との間の風通しの良さが戦場でも強さを発揮してきた。 忠次は続ける。〜今川氏真は、我らが必…
田上町・護摩堂山 ツキノワグマ目撃出没情報 [2025.6.28]
【68】村岡藩陣屋跡〜周辺の道の駅巡り(兵庫県美方郡香美町)
【67】因幡三名城の1つ、鹿野城〜お昼は地元で人気の蕎麦屋さん(鳥取県鳥取市鹿野町)
俳句の会「えらぶの風」吟行の日でした。
【66】日本100名城 千早城跡〜世界最大の無印良品(大阪府千早赤坂村、奈良県橿原市)
訪城記 ~岩尾城~ 【2025.4.28】
リスボン:サンジョルジ城(Castelo de São Jorge)
リスボン:トラムの乗り方を調べておけば良かった。。。
雨の中、道の駅ごかと道の駅桶川へ
柴田町・船岡城址公園 クマ出没目撃情報 [2025.5.29]
【64】休日の朝の明石城(兵庫県明石市)
街並みシリーズ:14・・・朝来市竹田城跡
訪城記 ~金石城~ 【2025.5.27】
今度はタクシー観光
小田城跡
【品川神社と板垣退助の墓】旧東海道にも近い歴史スポット!
■🏯将軍への道 〜徳川家康の人生を歩く歴史旅〜「名古屋郷土三英傑特集③」
三英傑ソックス
『L,KILL アイキル』クライマックス間近
小山評定 第一話
泰平の世をもたらした英傑、ここに眠る…徳川家康を祀る「久能山東照宮」
<福山城>の”城門”を巡るー”東の門”が鞆の浦に移築され店舗として再利用されています
法多山尊永寺(5)北谷寺~大師堂~鐘楼堂
続・史実の徳川家康に、ドラマで極端に美化された自分と極悪人に描かれた自分を見せてみた。
史実の徳川家康に、ドラマで極端に美化された自分と極悪人に描かれた自分を見せてみた。
法多山尊永寺(4)風鈴まつり
徳川家康(26)立命往生の巻!家康死す…天下泰平への思いは命尽きるまで
法多山尊永寺(3)本堂~願掛け風鈴
法多山尊永寺(2) 一乗庵
城ぶら「田中城」!徳川家康倒れる!家康が何度も訪れた鷹狩りの地
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