あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
織田信長 公~近世の曙像(名古屋市緑区 桶狭間古戦場公園) 二人の御曹司 万松寺 天主坊に薄汚れた身なりの青年が足早に訪ねて来た。 織田の御曹司、信長である。 その出で立ちは腰に朱鞘の太刀を縛りつけ、髪は茶筅で乱暴に縛りつけ、手には大小の瓜をぶら下げていた。 朱鞘の太刀が無ければ、百姓の若者にも見えるだろう。 渡り廊下をづかづか足音を立て、竹千代君の居る部屋の襖を勢いよく開いた。 部屋には三人の童。 一人は折り紙遊び。一人は書物を読んでいる瞳の大きな童。もう一人は書物を読んでいる童を遠巻きに眺める年上の童だった。 信長は折り紙遊びの童に向かって、 ~その方が松平の竹千代か?~ と切れ長の目を開…
母の便りと黒鶇(くろつぐみ) 万松寺、天主坊に幽閉された竹千代君であったが、織田信秀は竹千代君を戸田康光の持ちかけに応じ、竹千代君を買い取り人質としたものの、その生母に関して意外な事実を知った。 東を固める阿久比(あぐい)城主、久松佐渡守俊勝の再嫁した於大の方である。 さすがに幽閉はしても竹千代君を粗略に扱うことは無かった。 竹千代君の身柄が尾張にあると知った 御母公~於大の方は、岡崎で生き別れた我が子が信秀の元にあることを夫、俊勝に告げた。 御母公は夫 俊勝の許しを得て、手紙や菓子、季節の衣類に至るまで家臣 平野久蔵と竹内久六の両名に持たせて万松寺へ訪ねさせ、竹千代君の安否を確かめた。 どう…
織田信秀、竹千代を万松寺に幽閉する 戸田康光から竹千代を買い取った信秀だったが、 広忠の毅然とした返答に感心したのか、いずれ使い道はあろうかと、竹千代の命を奪おうともせず、万松寺の天主坊へ身柄を置いた。 今川義元も広忠の義心に感心し、~それならば救援の兵を遣わすように~と遠江と東三河の軍を差し向け、三河 小豆坂において織田勢と合戦し、織田方はついに退却した。 松平蔵人信孝が織田方に内応したとはいえ、松平忠倫が討たれたあとは、同志の者たちが没落するのを憤り、自ら打って出たが 返り討ちにあってしまった。 山中城の松平権兵衛重弘も落ち失せたため、織田方はいよいよ大軍を動員して岡崎へ乱入しようとした。…
出雲国風土記 飯石郡 『狭長社(狭長神社)』
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『釜石』
あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編
全国の神々が集う!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編
出雲国風土記 出雲郡 『加毛利社(加毛利神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『多倍社(多根神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『日倉社(日倉神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『佐久多社(嘉羅久利神社)』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 境外摂末社編
出雲国風土記 大原郡 『船林社(船林神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『賣豆貴社(賣豆紀神社)』
出雲国風土記 大原郡 『宇乃遲社(宇能遅神社)』
【化粧地蔵考】 その4 石仏の変質
【化粧地蔵考】 その3 化粧地蔵と宝篋印塔の融合
【化粧地蔵考】 その2 持物の変化
3体目の天女像があった!
大日寺のみたけ観音 (与次との比較 2)
弘前市 弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区をご紹介!🏯
二つの「はにわ」展
吉備の石棚〈いしだな〉
【東日本】今週のお題「行きたい場所」【旅行】
【新潟市中央区】燕喜館【白山公園内の和風建築】
【松山市】松山城【坂の上の雲のOP】
化粧地蔵でほのぼの (その48 鉾立郵便局近くの化粧地蔵 1)
次なる“日本のサグラダ・ファミリア”品川駅前の日本庭園で、春の訪れを告げる河津桜
福岡市博物館完全ガイド:見逃せないおすすめ観光スポットと魅力を徹底解説!
【中野区】山﨑家茶室・庭園【中野区立歴史民俗資料館】
「歴史ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)