1位〜100位
●林一馬氏が説く伊勢神宮成立史①伊勢神宮・大嘗宮建築史論林一馬中央公論美術出版ここまで伊勢神宮や天照大神を研究する著名な日本史学者5名の著書を見てきました。次は少し毛色の違う建築史学の林一馬氏の論文『伊勢神宮成立史考』を見てみます。林氏は、伊勢神宮の日本建築史上に占める位置の重大さからすればその成立史は建築史学的に看過できない、その成立年代の如何によっては日本の古代建築の歴史的な組立てに甚大な影響を及ぼす、として自らの試見を提示されました。この論文はこれまでに取り上げた各氏を含む先学研究を包括的に整理して論点を抽出し、論理的な批判を展開しながら自身の考えを主張するものです。すでに何度か登場してもらっているので重複する部分があるかもわかりませんが、あらためて紹介したいと思います。論文から適宜引用しながら確認...天照大神と伊勢神宮(15)
昨日に続き今日も猛暑になりそうなので、少しでも涼しさを感じていただこうと札幌行北斗星を出してみました。牽引機はEF65-1019号機で実際夢空間北斗星トマムスキーを牽引したことがあります。 夢空間客
4月のゴールデンウィーク前に柏市、取手市、つくば市を巡った。 最初に訪れたには、柏市の大青田貝層。一昨年秋に木下(きおろし)貝層を木下万葉公園で見学した。木下貝層は、約12万年前に古東京湾と呼ばれる広大な内湾に堆積した砂層(木下層)で、当時生息していた貝類を中心とする化石が多量に出土する。同様の貝層が柏市の利根運河の川底からも見つかっていると知り訪れた。地名から大青田(おおあおた)貝層と呼ばれている。大青田貝層の研究の歴史は古く1937年に大炊御門経輝(おおいのみかどつねてる)侯爵が地質学会雑誌に報告している。侯爵は理学博士で貴族院侯爵議員。ネット情報によると利根運河から取水する用水路を探索す…
久々に邪馬台国関連記事を書く。例によってアイデアに過ぎないが。昨日22日に再啓上した記事「古代日本と東アジア交流史 3 漢から魏へ 女王卑弥呼の登場 歴史本義」をくまなく読まれた方は、いくらかは卑弥呼は公孫氏の血縁者だった可能性はないか?と感じられた方がい
●岡田精司氏が説く伊勢神宮と天照大神③古代王権の祭祀と神話(オンデマンド版)岡田精司塙書房続いて著者は、ここまでの論証で存在が明らかになった天照大神以前の太陽神が、神話の中に痕跡をとどめていないかを探り、心御柱=ヒモロギを依り代とする神の連想から、高皇産霊尊の別名として『古事記』に見える高木大神(高木神)がそれであるとします。『日本書紀』本文では一貫して最高司令神、一書においても天照大神とかかわりつつ、『古事記』では天照大神と並んで司令神とされています。また『日本書紀』の天孫降臨の一書ではその発する言葉に「勅」の文字が使われ、瓊瓊杵尊の誕生では「皇祖」と表現されます。さらに『出雲国造神賀詞』では「神王」とされており、これらはすべて高皇産霊尊が古くは大王家の祖神であったことを示していると説きます。また、宮中...天照大神と伊勢神宮(14)
古代日本と東アジア交流史 3 漢から魏へ 女王卑弥呼の登場 歴史本義
古代日本と東アジア交流史 3 漢から魏へ 女王卑弥呼の登場 歴史本義2017年10月12日 11:47本論に入る前に、まず中国の1~2世紀、「光武帝」「桓霊時代」「中平」年について解説しておく。前置き、中国のここまでの流れ(光武帝時代)と韓地名の初出「新(8~23)代からの
第一回では、自らの立ち位置(邪馬台国北九州説)とその根拠を紹介した。二回目からは『魏志倭人伝』が記された時代背景と作者である陳寿の史家という立場。そこから邪馬台国の場所を探訪してみよう。 (好意的に記されている邪馬台国) 『魏志倭人伝』は正式には中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんびとういでん)倭人条の略称 である。東夷伝には他に、夫余、高句麗、東沃沮(とうよくそ)、挹婁(ゆうろう)、濊(わい)、韓の各条がある。その中でも最も紙面を割いているのが倭人条であり、約2000文字である。 『三国志』研究の第一人者の渡邊義浩氏は、『魏志倭人伝の謎を解く』にて、『魏志倭人…
新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 4/4
新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国 播田 安弘日本史サイエンス〈...
新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 2/4
「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国 播田 安弘日本史サイエンス〈弐〉邪馬台...
県指定史跡 古墳時代中期(5世紀後半頃)の前方後円墳 陣座ヶ谷古墳群 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川庚申山)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の陣座ヶ谷古墳群(じんざがやこふんぐん)は、前方後円墳1基と円墳2基で構成されています。県指定史跡 陣座ヶ谷古墳(陣座ヶ谷2号墳)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)に築かれた全長55mの前方後円墳です。直径8.4㎝の銅鏡
大型複合遊具,ロープスライダーが人気 駅南公園 (静岡県藤枝市田沼1-22)
静岡県藤枝市田沼(たぬま)の駅南公園(えきなんこうえん)は、大型複合遊具が子供たちに人気です。遊具・砂場・芝生の多目的広場・トイレなどが整備されています。公園の隣接地は、イベント会場として利用される芝生の「駅南多目的広場」です。駅南公園
人気のパワースポット 縁結び,商売繁盛,家内安全,厄除け祈願 遠江国一宮 小國神社 (静岡県周智郡森町一宮3956‐1)
静岡県周智郡森町一宮(しゅうちぐん もりまち いちみや)の遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)は、縁結び、恋愛成就、商売繁盛、家内安全、厄除け祈願などに御利益があるとされ、多くの参拝者が訪れるパワースポットです。祭神は、大黒様(だいこくさま)と
今川義元を討ち取った服部小平太 最期の地の伝説 姫街道 長坂 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)には、東海道の脇道の姫街道(ひめかいどう)が通っています。姫街道 長坂は、室町時代後期(戦国時代)の永禄3年5月19日(1560年6月12日)に「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)で今川義元(いまがわ よしもと)を討ち取った、服部小平
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