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歴史ブログ村 テーマ(作成順)

  • 本願寺蓮如

    本願寺第七世存如の子。本願寺第八世門主。熱心な布教活動を生涯行い、浄土真宗本願寺の現在の礎を築く。浄土真宗本願寺、中興の祖。

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    参加メンバー 7人

  • 竜造寺隆信

    龍造寺周家の子。九州で大友氏、島津氏と並ぶ勢力を一代で築く。肥前の熊と呼ばれる。島津・有馬連合軍と戦い戦死。(沖田畷の戦い)

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    参加メンバー 1人

  • 武田四名臣

    今尚「武田四名臣」と称ばれ その功績誉れ高い武田家臣:馬場信房(信春)・内藤昌豊(昌秀)・高坂昌信(春日虎綱)・山県昌景の四将に関する話題を 気軽にトラックバックしてください。記事は各将個別の内容でも構いません。

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    参加メンバー 4人

  • 松平治郷

    江戸時代後期の大名。出雲国松江藩の第7代藩主。江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)。父は第6代藩主・松平宗衍(治郷は次男)。母は側室の歌木(大森氏)。幼名は鶴太郎。号は不味。官位は従四位下、佐渡守のち出雲守、左近衛権少将、侍従。治郷の収集した茶器の銘品・銘菓は「不昧公お好み」として現在にも伝えられ、松江市が今を以って文化の街として評される礎となったことは、治郷の現代に至る功績である。

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    参加メンバー 1人

  • 堀尾吉晴

    尾張の国、丹羽郡御供所(ごくしょ)村(現大口町)に生まれ、 豊臣秀吉に仕え、三中老の一人となる。 松江城を築き、初代城主となる。松江にて没。

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    参加メンバー 4人

  • 小泉八雲

    日本に帰化したイギリス時代のアイルランド人の紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家。国籍を取得する前の彼の旧名はパトリック・ラフカディオ・ハーンで一般的に名前として知られているラフカディオは彼のミドルネームである。なお名前の「八雲」は、一時期当人が島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなむとされる。

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    参加メンバー 13人

  • 徳川秀忠

    徳川家康の第三子。江戸幕府第二代将軍。関ヶ原では、真田昌幸の前に失態を演じるが、多くの外様大名を改易するなどして、徳川幕府の基盤を固めた。

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    参加メンバー 7人

  • 豊臣秀頼

    豊臣秀吉の子。母は淀殿。豊臣政権の後継者となるも、後見人前田利家の死、石田三成の失脚後、家康の台頭で一大名に没落。大阪の役で敗れ、豊臣家滅亡を迎える。

    テーマ投稿数 19件

    参加メンバー 9人

  • 三浦按針

    英国人。徳川幕府の外交顧問として活躍。後に、日本人女性のお雪と結婚し、一男一女を儲ける。神奈川県横須賀市西逸見町に按針の墓がある。

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    参加メンバー 4人

  • 上杉鷹山

    上杉謙信の養子、景勝を藩祖とする米沢藩藩主。斬新な藩政改革を断行し、財政危機に瀕していた米沢藩を蘇らせた稀代の名藩主。

    テーマ投稿数 11件

    参加メンバー 7人

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  • 木下勝俊

    安土桃山時代の武将。江戸時代初期の大名。足守藩2代藩主。歌人。北政所の兄・木下家定の嫡男。弟に木下利房、木下延俊、小早川秀秋。号は長嘯子(ちょうしょうし)。妻は森可成の娘うめ(宝泉院)。娘は徳川家康の五男信吉の妻。キリシタンであったようで、洗礼名「ペテロ」が伝わる。

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    参加メンバー 1人

  • 快川紹喜

    出自は美濃。臨済宗の僧。恵林寺にかくまった六角義弼の引渡し要求を拒否したことから焼討ちに遭う。僧侶もろとも焼死。武田信玄に「機山」の道号を与えた事でも知られる。 辞世の句、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」

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    参加メンバー 2人

  • 細川藤孝

    安土桃山時代の戦国武将。歌人である。三淵晴員の次男で、和泉守護細川元常の養子。三淵藤英は兄、細川忠興は子にあたる。本名は藤孝、幼名を萬吉、剃髪して幽斎と号す。従五位下兵部大輔。 藤孝は初め室町将軍家に仕え、後に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え重用され、三条西実枝から古今伝授を受け近世歌学を大成させた。

    テーマ投稿数 23件

    参加メンバー 6人

  • 酒井忠世

    酒井重忠の子。江戸幕府の老中、大老。朝鮮出兵、関ヶ原、大阪の役など緒戦に参戦し、活躍した徳川家の宿将。家康、秀忠、家光と三代に渡り、徳川家を支えた。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 近松門左衛門

    江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家。本名は杉森信盛。越前国生。 浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍した。100以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物、残りが時代物であった。芸の面白さは虚と実との皮膜にあるとした「虚実皮膜論」が知られる。 忌日の11月22日(明治以降は新暦で行われる)は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、冬の季語である。 箕面市の瀧安寺において同寺に寄進した大般若経が発見された

    テーマ投稿数 8件

    参加メンバー 6人

  • 本願寺顕如

    証如の子。本願寺第十一世門主。軍事・経済の要衝である石山本願寺を拠点として、本願寺教団の最盛期を築く。石山戦争では雑賀衆などの土豪勢力や、各地の門徒組織を総動員して信長を苦しめた。

    テーマ投稿数 4件

    参加メンバー 4人

  • 千利休

    田中与兵衛の子。わび茶の完成者。茶聖と称される。 秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられたと云われる。利休七哲等の助命嘆願適わず、切腹、晒し首。罪名は定かではない。

    テーマ投稿数 13件

    参加メンバー 8人

  • 真田昌幸・幸村

    真田昌幸・幸村に関すること何でも

    テーマ投稿数 72件

    参加メンバー 16人

  • 上杉景勝

    長尾政景の子、母は上杉謙信の姉・仙桃院。上杉謙信の養子。豊臣政権の五大老の一人。家康と対立し西軍の与した関ヶ原の合戦以降、米沢に減封されるも、上杉家臣団を減らさなかった。そのため晩年まで財政難が続いた。米沢にて死去。寡黙な大名として知られる。

    テーマ投稿数 288件

    参加メンバー 14人

  • 上杉景虎

    北条氏康の七男。上杉謙信の養子。1578年、養父の謙信死後、同じく養子であった景勝と家督を巡り対立し敗れる。(御館の乱)

    テーマ投稿数 67件

    参加メンバー 5人

  • 足利義教

    三代将軍足利義満の三男。室町幕府 六代将軍。くじ引きで将軍に選ばれた事から、籤引き将軍と呼ばれる。将軍家による中央集権制体制を築く。

    テーマ投稿数 4件

    参加メンバー 3人

  • 九戸政実

    九戸信仲の子。南部氏の有力国人。器量に優れ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築く。しかし、後継者争いから南部信直と対立し、同年挙兵。南部家の精鋭であった九戸勢は頑強に抵抗するも、信直の要請で援軍として参戦した豊臣勢連合軍の前に破れ、一族諸共惨殺されたと云う。(九戸政実の乱)

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 長篠の戦い

    天正3年(1575年)5月、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦い。徳川氏の信濃国方面の前線であった長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前となったため、家康が織田軍の援軍を要請。5月21日(新暦7月9日)に長篠城西方の設楽原(したらがはら)あるいはあるみ原にて野戦が行われ、織田・徳川連合軍側の勝利に終わった。

    テーマ投稿数 11件

    参加メンバー 6人

  • 織田信雄

    織田信長の二男。一時、北畠氏を継ぐも、本能寺の変後、織田氏に復姓。織田氏の後継者争いでは秀吉と対立。家康と同盟、小牧・長久手の戦いを引き起こすも、信雄は保護者であった家康に無断で単独講和してしまう。

    テーマ投稿数 17件

    参加メンバー 7人

  • 村上義清

    村上顕国の子。信濃埴科郡葛尾城主。武田信玄を度々破り、村上氏の最盛期を築く。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 足利義輝

    室町幕府第十二代将軍、足利義晴の子。第十三代将軍。塚原卜伝に奥義を伝授された剣豪将軍。義藤から義輝に改名している。

    テーマ投稿数 16件

    参加メンバー 8人

  • 徳川信康

    徳川家康の嫡男。母は正室の築山殿。家康の跡継ぎとして将来を嘱望されるも、内通の疑いで処断される。

    テーマ投稿数 3件

    参加メンバー 2人

  • 天草四郎

    益田甚兵衛の子。本名、益田四郎時貞。キリシタン。島原の乱の指導者と云われる。幕府軍の総攻撃により肥前島原、原城(旧領主、有馬家の居城)陥落の際、討死。

    テーマ投稿数 6件

    参加メンバー 4人

  • 最上家親

    戦国大名、最上義光の次男。最上氏第十二代当主。山形藩主。

    テーマ投稿数 11件

    参加メンバー 4人

  • 伊達輝宗

    伊達晴宗の次男。伊達氏第十六代当主。子に政宗、小次郎等。

    テーマ投稿数 11件

    参加メンバー 3人

  • 山本勘助

    三河国宝飯郡牛久保(愛知県豊川市牛久保町)の生まれと伝わる。諸国を流浪し剣術や軍学を修めたとされる。当初は今川氏への仕官を希望していたが叶わず、天文12年(1543年)に板垣信方の推挙を受けて武田信玄に仕える。外見は片目と足が不自由で風采も悪かったと伝えられる。得意の軍略で信玄に様々な献策をして勝利に導くとともに、武田家中に築城術の手ほどきをした。 永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いでは啄木鳥の戦法を考案するが、上杉謙信に裏をかかれて手薄な本隊が奇襲を受けると責任を感じて敵中に突入しそのまま戦死する。享年69。 今でも、当て推量なことを「山勘」「ヤマカン」と言うが、これは山本勘助を略したものが語源であるとする説もある。近現代にあっても彼を軍師として主役・脇役に取り上げた作品は多く、井上靖の歴史小説『風林火山』が特に著名である。

    テーマ投稿数 100件

    参加メンバー 25人

  • 徳姫

    織田信長の長女。徳川信康の正室。母は信長の側室で、信忠、信雄の母でもある生駒吉乃(いこまきつの)。清洲城で生まれたと云われる。 夫、徳川信康が自身の書いた築山殿と信康の罪状を訴える十二ヶ条の訴状により、信長の命で処断されるなど波乱の生涯を送る。

    テーマ投稿数 1件

    参加メンバー 1人

  • 松平忠吉

    徳川家康の四男。東条松平家第3代当主。後の清洲藩藩祖。 初陣の関ヶ原の合戦で島津豊久を討ち取るも、その時の負傷がもとで死去。

    テーマ投稿数 4件

    参加メンバー 3人

  • 松平広忠

    松平清康の子。松平宗家八代当主。徳川家康の父。 家臣岩松八弥に刺殺される。広忠の父、清康も家臣の阿部弥七郎に刺殺されている。

    テーマ投稿数 1件

    参加メンバー 1人

  • 塚原卜伝

    吉川覚賢の子。新当流(鹿島新当流)開祖。「一の太刀」で知られる無敗の剣豪。 三十九度の合戦、十九度の真剣勝負に望み、一度の負傷もしなかったという戦国期を代表する剣豪。弟子に真壁氏幹、斎藤勝秀ら。足利義輝や北畠具教にも剣術を指南したと云われる。

    テーマ投稿数 32件

    参加メンバー 11人

  • 細川晴元

    細川澄元の子。細川氏(同族)、三好氏などと将軍家を巻き込み政争を繰り返した。

    テーマ投稿数 1件

    参加メンバー 1人

  • 本多正純

    本多正信の子。父、正信の代からの宿老、幕府年寄(老中)。晩年は失脚。父、本多正信は家康に友と呼ばれた参謀、片腕であったため、秀忠の代も幕府年寄として権勢を誇るも、1622年、謀反の疑いで減封。身に覚えの無い正純は固辞するも、逆に秀忠の勘気に触れ、改易の上、出羽国横手に流罪。そのまま横手で没す。

    テーマ投稿数 3件

    参加メンバー 3人

  • 織田信秀

    織田信定の嫡男。尾張の戦国武将。子に信長、信行、長益、お市の方など。美濃の斉藤道三、駿河の今川義元等と争うなど戦国武将として活躍。主家、清洲織田家を圧倒する勢力を築くも、急死。

    テーマ投稿数 10件

    参加メンバー 6人

  • 島津忠恒

    島津義弘の三男。初代薩摩藩主。後に家久と改名。慶長の役では父等とともに、寡兵で明軍20万を破るなど武勇に優れた大名として知られる。

    テーマ投稿数 5件

    参加メンバー 2人

  • 忍者

    忍者、忍術、忍法について何でも。小説、漫画などの忍者でも、史実の忍者でも何でも構いません。

    テーマ投稿数 104件

    参加メンバー 47人

  • 歴史グッズ

    歴史に関係するグッズについて何でも。フィギュア、小物類、Tシャツなどなどいろいろ。

    テーマ投稿数 51件

    参加メンバー 17人

  • 聖徳太子

    聖徳太子の業績や人物像、時代背景についてなら何でもOKです!

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    参加メンバー 10人

  • 三国志マガジンを読む

    2005年から発刊されている世界初の三国志専門コミック誌「三国志マガジン」を読んで感想をTBしてください。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 磨墨

    磨墨は梶原景季の愛馬であり名馬として知られた。磨墨に乗った景季は、1184年(寿永3)の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月(いけづき)に乗る佐々木高綱と先陣を争った(宇治川の先陣争い)。磨墨を葬った場所と称する所は日本各地にあり。

    テーマ投稿数 2件

    参加メンバー 2人

  • 梶原景季

    平安時代末期から鎌倉幕府初期の武将。梶原景時の嫡男。通称を源太といった。 木曽義仲追討に際し、宇治川の戦いにおいて佐々木高綱と先陣を争い渡河。続く一ノ谷の戦いでは箙に梅の花の枝を挿して奮戦し、板東武者にも雅を解する者がいると敵味方問わず賞賛を浴びた。 その後も鎌倉幕府内で順調に地歩を固めるが、源頼朝の死後父とともに失脚し、駿河国で討ち取られた。

    テーマ投稿数 4件

    参加メンバー 4人

  • 平安時代

    平安時代の出来事、人物、文化などなど平安時代の記事ならなんでも結構です!

    テーマ投稿数 571件

    参加メンバー 34人

  • 寺・神社

    寺社仏閣に関すること何でも

    テーマ投稿数 17,102件

    参加メンバー 757人

  • 武蔵坊弁慶

    熊野水軍の長、湛増の子と言われるが出生を正確に記す史書はない。一説では、母の胎内に18ヶ月おり、産まれた時には髪が肩まであり歯も生えそろっていたと言われる。五条大橋から衣川の自害まで常に義経に従う。敵軍からは鬼の弁慶と恐れられ義経の忠実な家来として活躍した。千本狩りや立ち往生、内弁慶の慣用語など、その人物像を伝える言葉は今も多く残る。

    テーマ投稿数 7件

    参加メンバー 6人

  • 明智光秀

    戦国時代、安土桃山時代の武将。通称は十兵衛。正式な名のりは、源光秀。幼少時の名は桃丸。生年は不詳であるが、光秀死後かなりのちの江戸時代に書かれた軍記文学『明智軍記』に記載された辞世の句とされる漢詩に「五十五年夢」とあることから、1528年に推定されることもある。『明智系図』によれば、清和源氏の流れである土岐氏一族の明智氏の出自とされているものの、出自、前半生の経歴は、ともにはっきりしていない。妻は妻木載煕の娘の煕子。娘は細川忠興正室玉子(細川ガラシャ)で、細川ガラシャの女系の系統は現在の細川護煕元首相に続く。

    テーマ投稿数 255件

    参加メンバー 24人

  • 西郷隆盛

    幕末〜明治時代初期の政治家。維新の三傑の一人。薩摩藩(鹿児島県)の下級武士の出身で通称を吉之助。南洲と号した。大久保利通とともに薩摩藩を公武合体から倒幕運動へと動かし薩長同盟を成立させた。ついで王政復古のクーデターを指導し戊辰戦争では政府軍の総参謀として江戸城の無血開城を実現。明治新政府では参議となり廃藩置県では西郷のひきいる軍事力がにらみをきかせた。のち征韓論をめぐる争いにやぶれて辞職し鹿児島に帰って私学校を開き士族の子弟を教育した。1877(明治10)年かつがれて西南戦争の首領となったが新政府軍にやぶれて鹿児島で自殺した。

    テーマ投稿数 215件

    参加メンバー 25人

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