兵庫県加古川市在住の歴史愛好家がボランティアで歴史ガイドを行っております。過去のガイド書を公開しております。 ロマンと風情溢れる加古川の歴史を“風化”させない、そのための一助としたいため、たくさんの方々に楽しんで頂ければ幸いです。
祖先のルーツを追っています。戸籍調査と会津藩士、斗南藩士の名簿調査を行っていきたいと思います。 https://hanachankawaii.hatenablog.com/
神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。
島原半島、特に雲仙、諫早あたりを中心に、読書、家庭菜園、趣味、グルメ等のブログです。
「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
川越の何でも雑記帳。散歩写真、行事、伝説、花、動物などいろいろ紹介しています。
福岡,博多の昔のことについて,思い付くままに。福岡市章の由来から,福岡・博多の市名論争,午砲など。
房総半島の南に位置する鋸南町勝山を中心とした南房総一帯の魅力を紹介します。
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。
小浜市の歴史文化(文化財・お祭り)紹介と歴史を生かした地域まちづくりのブログです。
吉村昭、門田隆将、ノンフィクション、歴史小説などの読書日記と、温泉、旅行の備忘録。
太平洋戦争で日本を守り抜いてくれた人たちのお手紙を掲載しています
オホーツクを中心とした文化と歴史のサイト〜子ども達へ伝えたい郷土の歴史語り
備前国の宇喜多氏を中心に戦国・織豊期の政治権力・人物研究をしています。
景色でもタコでもない、歴史の町、下津井
陶工房 カフェ ギャラリー 絵咲木 猫好きな店主の,田中吉政の歴史にどっぷりの毎日。
東京と広島の行き来生活(デュアルライフというらしい) 歴史好きママ(ばあば)の助手席ドライブ日記です
双子座です。俳句の匙太さんとは全くの別人です。皆さまの応援のおかげでgooブログ「花・自然」最優秀新人賞をいただきました。本当にありがとうございます。
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いわき市鹿島町の歴史と情報。 それに周辺の話題。 時折、プライベートも少々。
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君の臣を視ること土芥の如く、臣の君を視ること寇讎の如し、と評されし末永一族の闇に埋もれた叛骨の歴史。
瀬戸内海の島々や四国をフェイールドに出会った歴史をお届けします。国会議員増田穣三の評伝もあります。
名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について考察している歴史クラブです。
安芸の歴史について戦国時代は毛利元就から幕末の浅野長勲まで。主に毛利元就の春霞集の訳を扱っています。
映画「怒りの孤島」に対する誤解を解きたい。 児童養護施設「あけぼの寮」児童の名誉回復、
日本中世史や民俗学について日々綴っています。 歴史SLGのプレイリポートの書いていく予定です。
渡良瀬遊水地の歴史と現状を自然環境の観点から考えます。周辺自治体の施策についても見ていきます
残した足跡に比較して何故かマイナーな扱いしか受けない肥前松浦氏。 そんな松浦氏をメジャーにするためのblogです。 目指せ大河ドラマ!
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The dome still stands today. In 1996,it became a World Heritage Site. It sends a silent but clear message to the world: “NO MORE HIROSHIMA” We all must think about peace. Now,let us all reflect on this historic day as the first step to world peace. 最近、ブッシュ大統領の新型核爆弾を作る予算が上院で 却下されました。 たぶんそんな現実を知る日本人は少ないでしょう。 そのきっかけとなったのがアメリカの一人の女性でした。 核戦争反対の市民運動がアメリの議会まで動かしました。 今の大統領候補も核の廃棄を公約にしています。 なぜか? そうこないだの同時多発テロを始めアメリカにもたくさん の戦争被害者がいるという事です。 特に最近アメリカ国内で懸念されてるのは核テロが起きる 可能性にアメリカ市民は不安を感じているという事。 だから核廃棄は国家ではなく市民レベルで急務の状態。 すでにアメリカでは私達以上に戦争反対、核廃棄の市民運動 が現在起きています。 又、アメリカ国民も好きであちこちに戦争に行ってるのではなく 国の命令で行かされてるある意味、戦争の犠牲者。 いえ過去のどの戦争においても国民が望んで好きで 他国に戦争に行った事なんてないはずなんです。 国の命令、国による情報洗脳による物だと思います。 原爆による犠牲を伝えていくのは私達日本人の責務では あるけど、単に被害者意識だけを強調していくだけでは 諸外国の理解は得られない時代だと思います。 原爆にしても最大の責任者はアメリカの当時の主導者と 破壊的思想の日本の政府であり、国民という次元では 国境を越えて私達は一つになる時! NO MORE HIROSHIMAはそれでのみ実現できる! 広島の被爆体験者で世界中で原爆の話を公演してる方は ”私は一度として悲惨な顔で話をした事はなく、笑顔で 戦争のない未来を語っています”という言葉を聞いて 私も何かしなければと思いました。 英語がもっとできればこういう文を完璧な英語にして 日本人の平和への取組みを外国の方にも投稿したい ところですが、まずはコミュニケーションが 満足にできないので頑張りたいです。
陰謀論'(いんぼうろん、conspiracy theory)または陰謀説(いんぼうせつ)とは、 1.歴史上の出来事は、ある個人・団体の陰謀、策謀に基づき生じた 2.ある個人・団体の活動に、目的や内容が隠蔽されている活動がある とする考え、もしくは考え方である。陰謀論に基づいて世界史を解釈することを、陰謀史観と呼ぶ。
靖国神社(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区にある神社である。旧称は東京招魂社。東京の九段に鎮座する事から、単に九段あるいは九段下などと通称される事も多い。 2008年現在の宮司は、南部利昭。戦前は内務省が人事を、陸軍・海軍が祭事を統括した。 祭神は近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、戦役に就き戦没した日本の軍人・軍属であり、慰霊・顕彰・崇敬などを目的として祀っている。 単一宗教法人であり、神社本庁には加盟していない東京都知事認証の単立神社(単立宗教法人)である。 桜の名所としても知られる。 最重要の祭儀は合祀を行う例祭(旧称:招魂祭)
日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、第二次世界大戦において日本本土に対して行われた連合国軍による空襲。特に1944年末ごろから熾烈となった。その結果、日本全国の主要都市の殆どが灰燼に帰し、空襲は1945年(昭和20)8月15日の終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。なお、いくつかの都市では、空襲とあわせて艦砲射撃も行われており、本稿でも記載する。 この結果については、戦後、米国戦略爆撃調査団による報告書が出されている。
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration)は、昭和20年(1945年)7月26日のポツダム会談での合意に基づいてアメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、大日本帝国に対して発した第二次世界大戦(太平洋戦争)に関する13条から成る勧告の宣言。 宣言を発した各国の名をとって「米英支ソ四国共同宣言」ともいう。1945年8月10日、大日本帝国はこの宣言の受け入れを駐スイス大使館経由で連合国側へ申し出、またラジオトウキョウを通じてアナウンス。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で昭和天皇(元首であり大元帥また正式には大日本帝国陸海軍大将)の裁可を受けた政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎とが連合国への降伏文書に調印した。
超古代文明を研究する。
戦争童話(せんそうどうわ)は、2002年から毎年8月に、テレビ朝日系列にて放送されているシリーズの名称を指す。
バンザイ突撃(ばんざいとつげき)は、太平洋戦争中の日本軍兵士による米軍に対して敢行された突入攻撃。自滅的攻撃と解釈されるのが一般的である。 主に戦闘の最終段階(日本軍敗色濃厚時)に行われ、米軍からは『バンザイ・アタック』(banzai attack)、もしくは『バンザイ・チャージ』(Banzai charge)と呼ばれ、狂信的な兵士達の理解不能な自殺行為として恐れられた。銃剣や軍刀を振りかざし、鬨の声を上げて突進してくる日本兵の姿に恐怖し、精神に深いダメージを負う米兵もいた。 実際の突撃時に全ての日本兵が『バンザイ!』と叫びながら突進したとは限らず、日本兵の言葉にならない雄叫びを耳にした米兵が、日本人が叫ぶ詞で一番米国で知られていた『万歳!』を当て嵌め、名付けたものと推測される。他に、突撃決行の前に全員で「天皇陛下万歳」を唱和した事からこう呼ばれるようになったとする説もある。 バンザイ突撃に加わった日本軍兵士の生存者は非常に少ないため、米軍側の視点が主になりやすい。
白兵戦(はくへいせん、close combat)とは、刀剣などの近接戦闘用の各種武器を用い、突撃を主要な戦闘行動として行う形態の戦闘をいう。現代においては、近距離での銃撃戦と白兵戦と格闘戦を一体のものとして捉えており、距離によってCQB・CQCと分類するので、白兵戦という分類はあまり用いられない。
サイパンの戦い(—のたたかい、Battle of Saipan)とは太平洋戦争中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦い。ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が斎藤義次中将が指揮する日本軍第43師団を破り、サイパン島を占領した。