ACAO FORESTが絶景すぎた!アクセス方法や新しくできた施設を紹介!(静岡県熱海市)
2022年5月4日に静岡県熱海市にある「ACAO FOREST」に行ってきました […]
「海の菩薩」として広い信仰を集めてきた「普賢寺」 今回は、山口県光市にある臨済宗の寺「普賢寺」をお届けします。 寛弘3年(1006)、平安時代中期の創建で性空上人により開かれたとされます。&nbs
原因不明の爆発により海に沈んだ「戦艦陸奥」 今回は、山口県大島郡周防大島にある「陸奥公園」をお届けします。 大東亜戦争の最中、この地西北方の海域に待機中突如として起こった大爆音と共に、世界に誇る軍
季節を通じて楽しめる「瀬戸公園」 今回は、山口県大島郡周防大島にある、「瀬戸公園」をお届けします。 瀬戸公園は般若姫伝説で知られる大多満根神社の境内を公園に整備したもので、大島大橋が眺められる海の
GWの仕事は、前半が大阪、後半はあじわい館やった。4日・5日はこどもの日にちなみ、クイズラリーや飴のつかみ取り、だし巻きづくりなど、あれこれ体験できるイベントである。私はお抹茶体験を担当。4日はええお天気やし、梅小路公園はすごい人出やったそうであるが、あ
連休中は、あまり遠出もしてないけど色々な用もかなり片付き、久々に展覧会へこの手のエジプト展は、もう何年も前に、エジプト考古学博物館などから来日したようなのを何…
※2020年の旅行でござる さて、このころ、ちらほらコロナのニュースが流れるようになってきたころで、 恐る恐るの旅行でござる。 またしても、朝焼けとともにお出かけなのだ。 画像もワタク
古都の空からこんばんわダイエット目的でヨガと動く瞑想に目覚めた正統派ゲイことMA⭐CHARUです。 ヨガの準備もして髪もバッチリきまったけどスイッチが入…
【空也上人・銭洗い】六波羅蜜寺の参拝ポイント【京都旅行・駐車場・アクセス】
所在地&アクセス〒605-0813 京都府東山区五条通 大和大路上ル東京都駅からだと市バス 206 系統、清水道下車、松原通を通って徒歩7分京阪電車だと清水五条駅から徒歩7分僕は祇園四条駅方面から歩いて徒歩12分くらいで着...
1809年4月9日、ティロルにおいて、愛国者のアンドレアス・へファーが、フランスに対して、蜂起した。 へファーの背後には、オーストリアに買収された、カプチン…
今朝にはもうすっかり元気になっていて、昨日の激痛は泡沫の夢だったのか? 病院で触診をして貰っても痛くも痒くも無く、採血で終わり。お薬も出なかった。 心のモヤモヤを解消出来ないまま快活CLUBに寄って「パリピ孔明」の9巻を読んで帰って来たけど、あっと言う間に読み終わってしまった上に結構いいところで「つづく」だったものだから、ますますモヤモヤが募って本当につらい。 昨日「センゴク権兵衛」の最終巻が家に届いた。これで完結かと思うと勿体なくて、少ーしずつ読んでいるところ。 「センゴク」シリーズでは不識庵さんと湯川さんと早雲さんのお話が大好きで、何度も読み返してなかなか先に進めなかったのは良い思い出。 …
【みね打ち②】戦国武士・剣豪・居合の達人によるみね打ちの逸話
前回はみね打ち(棟打ち)が古態を多く残すとされる『延慶本』を含む『平家物語』諸本や『義経記』などに見られるように、意外と古くから知られる攻撃手段であったことをお話しました。今回は近世文献に登場する戦国武士や武芸者たちによるみね打ちの話題を扱います。 まずは旧ブログにおいて塚原卜伝関連でたびたび使用したことで自分にとってもなじみ深く、また近年価値が見直されてきている『甲陽軍鑑』からです。 ■『甲陽軍鑑』品第卅一「浄土宗法花宗論 付於勝間迫合之事」(※1)・然処に、近藤と申牢人名乗て、原美濃守近所へ刀をぬき持てのりよる。原美濃守刀をぬきはづし、みねうちに近藤が甲のしころのはづれ首の骨をたたき、馬よ…
【塚原卜伝 補①】神道流「奥秘の一刀」で多人数を斬り殺した尾張の武芸者 及び 改良されたかもしれない「一つの太刀」
旧ブログでも反応の多かった神道流系統の奥義「一つの太刀」についての小記事です。そちらでは以下のように「一つの太刀」が松本備前守や塚原卜伝らを開発者とするものだけでなく、神道流の開祖である飯篠長威斎を起源とする説が江戸時代前期の地誌『古今類聚常陸国誌』にあることも紹介してありました。 ■『古今類聚常陸国誌』(※1)「飯篠長意」・長意、下総国香取郡人也、夙(つとに:早くから)好撃剣、未得妙、祈於香取明神、夜夢明神来授一巻書、曰、汝後為天下剣客師、矣、長意夢裡受読・長意晩得奥術、秘而不傳名為一刀、有一弟子能窮其術、長意奇而授之、授受三世、得塚原卜傳、 飯篠長意(長威斎)は会得した奥義の術を誰にも伝え…
【『平家物語』の二刀流①】『延慶本平家物語』源行家の二刀流剣術(前)
二刀流剣術と言えば一般的にはその代名詞とされる宮本武蔵の例など戦国時代以降の技術とイメージされることが多そうですが、『平家物語』諸本を見る限り、鎌倉時代に遡り得るか、遅くとも室町前期には発想の存在した戦闘方法であることもわかります。その戦国以前の二刀を使用した例としては『太平記』の新田義貞のものも知られていますが、 ■『太平記』巻十六(※1)・ただ十方より矢衾を作って射ける間、その矢雨の如くなりにけり。されども義貞は薄金といふ鎧に、鬼切・鬼丸とて源家累代の重宝を二振帯かれたりけるを抜き持つて、降る矢をば飛び越え、揚る矢をば指しうつぶき、真中に中る矢をば切つて落とされける間、その身は恙もなかりけ…
【武芸用語で読む文献史料①】新当流「薙の太刀」の戦場使用を記した毛利家臣 及び鎧武者に対する足への攻撃について
戦国時代後期毛利家に仕えた武士・玉木土佐守吉保の自叙伝である『身自鏡』という覚書があります。成立は元和3(1617)年でこの種の覚書の中では比較的早く、また以下のように内容の点でも評価の高い文献史料です。 みのかがみ【身自鏡】毛利家の家臣玉木土佐守吉保(1552‐1633)の自叙伝。1617年(元和3)に作られた。吉保の先祖および自身の誕生から老年に至る事跡を年代順に叙述。年月日付には若干の記憶違いがみられるが,戦国時代を生きぬいた地方武士の生活が生き生きと記されている好史料。とくに,著者の体験に基づく,当時の寺院教育の教授法,教科書などが詳しく記されており,教育史料としても貴重である。【勝俣…
【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦の勝因とする幻想③】 『平家物語』諸本から根拠がないことを確認
tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は壇ノ浦合戦の基本史料から「『平家物語』以外に水手への攻撃を記す史料は無い」という情報の真偽についての確認を行い、実際その記述がなかったことを確かめました。今回はその水夫への攻撃が唯一記されているという『平家物語』諸本から見ていきます。検証だけでなく、壇ノ浦合戦に関する各本ごとのばらつきや内容の多彩さを見て『平家』諸本比較の面白さを知っていただければ幸いです。 まず『平家物語』及び異本の成立の概略は以下をご参照ください。 平家物語(読み)へいけものがたり日本大百科全書(ニッポニカ)「平家物語」の解説 kotobank.jp・平清盛(…
【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想②】日記・史書・同時代文書などに壇ノ浦合戦の水夫攻撃の記述がないことを確認
tougoku-kenki.hatenablog.com 前回お話したように壇ノ浦合戦の源氏方による水夫への攻撃は、 ■『延慶本平家物語全注釈 第六本』(※1)・水夫への攻撃は『平家物語』諸本のみに見えるが ■『四部合戦状本平家物語全釈 巻十一』(※2)・『平家物語』以外に水手への攻撃を記す史料は無い。 と『平家物語』以外には見られないことを研究者によって断言されておりますが、実際にそうであることを自分でも確認しておきたいので、今回は壇ノ浦合戦の研究に用いられる諸史料から見ていきたいと思います。 まず、その史料の選定ですが、以下のような参考文献で壇ノ浦合戦に関して活用されている、信用に足る文献…
【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想①】序論:否定された幻想
日本史や歴史小説に興味のある方は、以下のように描かれる源義経のイメージや壇ノ浦合戦の展開を何がしかの形でご覧になったことがあるのではないでしょうか。 ■小説 司馬遼太郎・著 『義経』(※1) 1968年単行本刊行 該当回の雑誌掲載は『オール讀物』67年10月号 ・戦いの初動期において敵船の船頭や梶取に矢を集中してかれらを殺してしまえばどうか。かれらさえ殺せば敵船は進退をうしなう。進退をうしなったところでゆるゆると名ある者を狙撃する。卑怯だろうか。「どうであろう」 と、義経は水軍通の船所正利にきいた。正利はおどろいた。「それは水軍の作法ではありませぬ」 はげしくかぶりをふった。陸上の騎射戦におい…
刀の刃ではなく、その裏側の峰で殴ることで命を奪わずに済ませる「みね打ち(棟打ち)」という攻撃手段ですが、これは近年の芝居や時代劇ドラマなどの都合から生まれたものではなく、中世・近世の文献を調べてみると意外と古い時代から見られるものであることがわかります。今回は源平合戦の時代を舞台とする『平家物語』や『義経記』から紹介しましょう。 まずは後白河院の御所である法住寺殿において文覚上人が狼藉に及んで取り抑えられる場面です。 ■『覚一本平家物語』 巻第五 (※1)・信濃国の住人安藤武者右宗、其比当職の武者所でありけるが、「何事ぞ」とて太刀をぬいてはしりいでたり。文覚よろこ(ン)でかかる所を、き(ッ)て…
八幡山ロープウェーに乗って八幡城跡駅へ 近江八幡の街や遠くに安土城跡を観ながら八幡山へ。駅から一周30分の散策コースを歩きます。 八幡山展望館 2…
初めて波照間島行ったときに過酷な船を知る【私が旅人になっていった話・36】
台風のせいで色々邪魔されてた旅。はじめは父との二人旅で、船会社のツアーで石垣島から日帰りで波照間島に行く予定だったけど台風で行けなくて。いまから15年以上前の話。 父との二人旅が終わり、一人旅にかわり、2泊石垣島にいたけど、台風で色々予定変更です。前回の話はこちらです。 www.englandsea.com 元の予定は、父とは波照間日帰りの船会社のツアー、その後に私が一人旅になって、ほんとにいきたかった波照間島に2泊で行く予定でした。 沖縄本島と石垣島と西表島に、このときの一月前に旅したとき、雨ばかりできれいな海がみれてなかったのが納得できなかったのと、八重山諸島が気に入って。 なので旅から帰…
北ヨークシャーの学校では先週&先々週がイースター休暇だったそうで、土日を除けば最後の休暇が金曜日。木金はコマゴちゃんが保育園へ行く日なので、マゴ君はママと...
アテネ3日めのお出かけは、国会議事堂のあるシンタグマ広場からスタート。X君実家の近くにあるトラム(路面電車)停留所から、シンタグマまで直通20分くらい。着...
曽我兄弟は、工藤祐経の屋形に入ったが、祐経と王藤内の姿はなかった。 兄弟は、一瞬、呆然とするが、祐成は、「鎌倉殿の警護のため、侍所が近い。恐らく、宿直に参上…
こどもの日に、丹波の 黒井城 跡(丹波市春日町)に登ってきました。 明智光秀 の 丹波攻め で激戦地となった山城です。 山としては 猪ノ口山 といい、標高356mで三等三角点があります。 城主は 赤井直正 (あかい なおまさ)。 この武将に関しては、ほんとに詳しく調べておられる方々のHPがたくさんありますので、私はゲーム「 信長の野望・大志 with PK 」を使って紹介します。 シナリオ「信長包囲網(1570年)」での丹波の領主は 波多野秀治 です。 八上城 を本城として、黒井城と植生城の3城に8人の武将を配し、国力27位ですね。 その 黒井城 に 赤井直正 がいるのですが、ゲームでは波多野…
せわしない日々、休む時間もない…。そんな時こそ芸術鑑賞をしてみるのも良いかもしれません。何かを「ととのえる」。大事なことですね。
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
【厳選】大人の遠足!心奪われる教会群の村『前編』 in Vietnam
こんにちは。 突然ですが、ベトナム人の多くは仏教徒ですが、何故か四方八方に現れる教会群の村が有ることをご存じでしょうか。 ベトナム(ハノイ)在住時、お友達数人が日帰りで大人の遠足を企画したものの…訪れたい教会へは全く行けず、帰りの列車に飛び乗って帰宅したことを耳にしました。 何も無い不便な村(☜かなり失礼だけど…笑)なので、お友達の失敗を教訓に入念な準備をした上で、本帰国前に厳選した教会を訪れることができました。(残念ながら…今も昔も旅行会社のツアーは有りません) 今回は、【厳選】大人の遠足!心奪われる教会群の村『前編』 をご紹介します。
ブログは「石・石塁・石垣シリーズ」を掲載中ですので、どうぞご覧ください。 初回プロローグでピックアップした切口による分類の下記表から「①②-(1) 野面積み・…
~白地の中央に太陽(日章)の赤丸をあしらった日章旗(日の丸)を、 いつ誰が日本の国旗と決めたのかしらん?~突然にこんな質問をぶつけられたとしたら、「日の丸弁当」の方ならともかくも、まあ大抵の方は即答できるものではありません。そこで頭の中を少々クールにした