在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
1件〜100件
出雲国風土記 意宇郡 『佐久佐社(八重垣神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『佐久佐社(六所神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『志志乃村社(志志乃村神社)』
出雲国風土記 出雲郡 『伊自美社(伊甚神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『宍道社(氷川神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『宍道社(石宮神社)』
出雲国風土記 仁多郡 『三澤社(三澤神社)』
出雲国風土記 神門郡 『小田社(小田神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『狭井社(佐為神社)』『狭井高守社(佐為高守神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『粟谷社(粟谷神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『宍道社(大森神社)』
ちょっと寄り道...宍道神社巡拝スタンプラリー 『女夫岩遺跡』
出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』
出雲国風土記 楯縫郡 『宇美社(宇美神社)』
出雲国風土記 出雲郡 『阿具社・支比佐社(阿吾神社)』
現代日本ではとんと見られることがなくなった「天然痘」も、実は明治時代に入るまではかなり猛威をふるっており、その凄まじい病状自体がまた「恐怖の対象」になっていた。仮に運よくこの「病状」を乗り越えられたとしても、はっきり天然痘跡が残る人も少なくなく、実際、幕
前述の通り、源頼朝の嫡男、第二代の鎌倉殿の源頼家には、一幡、善哉、栄実、禅暁の四人の息子と娘の竹御所がいた。 源実朝にとって、甥、姪に当たる。 比企能員の娘…
前述の通り、源実朝は、大江広元に対して、源氏の正統な血統は、自分の代で終わり、子孫が継ぐことはないと述べており、生涯、子供ができないことを自覚していたと思え…
前節、「北条義時」と、本節「源家滅亡」は、年代順に記述していない。 最大の理由は、源実朝の治世を年代順に記述すると、一節では、収まらなくなり、特に、和田義盛…
フィギュアという言い方はちとあれですが…2017年の記事。https://unframed.lacma.org/2017/09/21/archaeology-el-ú-waka’-maya-ritual-resurrection-scene-broader-perspective→★翻訳したページはここをクリック。王家の墓室の中から23個の陶器製の小像。リンク先の記事によれば復活の儀式をあらわした像だそうで、1500年前のマヤ文明の遺跡から発掘されたものらしい。特に中でもかぶり物が脱着出来るコレ凄い。もしもガチャでこん...
先日行った会津若松。 会津若松といえば「鶴ヶ城」 もちろん、鶴ヶ城にも行ってきました。 小学校の修学旅行で鶴ヶ城に行った記憶はあるものの、さっぱり覚えていません。 修学旅行の定番コースの会津。 記憶にあるのは、 白虎隊の飯盛山、さざえ堂、五色沼。 そして、 猪苗代湖近くにある野口英世記念館。 鶴ヶ城の記憶が全然ありません! とはいえ、何十年前の話よ(^_^;) (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 昔のことはさておき、 鶴ヶ城がとても良かったです。 天守閣にも入場して、最上階から眼下を眺めました。 飯盛山方面を見た景色です。 屋内…
1213年(建暦三年)5月3日、和田義盛の乱が、鎮圧されると、戦後処理が行われた。 同年9月19日、日光山別当の法眼弁覚が、大夫阿闍梨重慶が、謀反を企ててい…
北条義時は、1205年(元久二年)閏7月の牧氏事件によって、父の北条時政を追放し、第二代執権の座に就いたことは、既に述べた。 父の時政の性急な権力独占が、多…
武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城へ 続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつそれなりに山を登ることになりました。 とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。 お城:要害山城(128)山梨県甲府市HP:甲府市/要害山(ようがいさん)訪問日:2022年2月 概要 訪問記 スタンプ@甲府駅前 藤村記念館 登山口~諏訪の水 諏訪の水~主郭西側の門 概要 1519年、武田信虎が甲府の躑躅が崎館(訪問記)に居館を移しました。翌年、詰城として築いたのが要害山城です。 1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避…
人為的災害として、犠牲者の多さでは日本史上でも指折り数えられるであろう一つが「明暦の大火」(別名・振袖火事/1657年)だ。その数は10万人以上にもなったようだから、彼らを葬ってやろうにも人数が多すぎて、とてもじゃないが民間だけでは対応し切れない。そこで幕府が
第19回 ハンニバルが好き 『アド・アストラ』第1巻について
第20回 ハンニバルが好き 『アド・アストラ2巻』について
第24回 ハンニバル VS ローマ 『アド・アストラ 3巻』について
第25回 史記から見る中国の歴史 始皇本紀
第31回 史記世家1 呉世家 ~史記から見る中国の歴史
第32回 史記世家2:越王句践 ~史記から見る中国の歴史
第33回 史記世家3:斉大公 ~史記から見る中国の歴史
張角三国志!天公将軍ちょうかく、太平道黄巾の乱、世界史劉備も解説
宗教紛争の原因って?
第34回 史記世家4:キングダム登場前の斉の歴史 ~史記から見る中国の歴史
第35回 史記世家5:キングダムの斉”田斉”の歴史 ~史記から見る中国の歴史
第36回 史記世家6:『論語』の孔子の魯国その1 周代の魯 ~史記から見る中国の歴史
#112 ブックレビュー『ハンニバル戦争』の感想について
Heilige Drei Könige:東方の三賢人
第38回 史記世家7:孔子の魯国その2 春秋戦国時代の魯 ~史記から見る中国の歴史
先日、娘たちに誘われて 会津若松に行ってきました。 娘たちの目的は、福島県立博物館で開催されている新選組展。 推しの刀が展示されているとか。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); スマホゲーム、ミュージカル、舞台、アニメと大人気の刀剣乱舞。 日本刀の名刀を擬人化、イケメン化(?)した作品。 (未だにちょっと理解が追いつきません) 娘たちは刀剣乱舞に夢中になっているのですが、その中に登場する和泉守兼定を どうも長女が推しているらしいのです。 和泉守兼定は、土方歳三の愛刀として有名な刀だと聞きます。 私は全く勉強不足で知らなかったので…
前述の通り、源実朝は、1203年(建仁三年)9月、十二歳の年、征夷大将軍に任官した。 当初、外祖父の北条時政が、執権として、実権を握っていたが、牧氏事件によ…
「丙辰丸」「庚申丸」を建造した「恵美須ヶ鼻造船所跡」 今回は、山口県萩市にある萩の産業遺産群の一つ「恵美須ヶ鼻造船所跡」をお届けします。 萩の産業遺産群には、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡
世界遺産「大板山たたら製鉄遺跡」 今回は、山口県萩市にある「大板山たたら製鉄遺跡」をお届けします。 たたら製鉄とは、千年以上の歴史を持つ日本在来の製鉄技術です。 炉の中で原料の砂鉄と燃料
JUGEMテーマ:歴史郷土の偉人「田坂市良右衛門」 今回は、山口県岩国市玖珂町にある「義民 田坂市良右衛門碑」をお届けします。 安政年間(1854〜59)、玖珂は岩国・吉川藩領の代官所として、玖珂
毛利元政が絶えず身に付けていた、父・元就の歯 今回は、山口県周南市熊毛にある、毛利氏ゆかりの地「毛利元就公歯廟」をお届けします。 中国地方の覇者、毛利元就は、軍略・政略・謀略に優れた武将で、一代の
日本人の歴史教科書と言われる、NHKの大河ドラマは、2024年までの六十三作までに、北条政子、豊臣秀吉の妻のねね、川上貞奴、春日局、日野富子及び、前田利家の…
最近は台風も多くて、雨が多いですね~ 変な天気で体もおかしくなってしまいます ! ! 少しでも体を動...
1206年(建暦三年)5月3日、朝比奈義秀は、鎮西の住人である、小物資政を討ち取り、土屋義清、古郡保忠と、三騎、轡を並べて、敵陣に突入すると、将軍の軍勢を攻…
年(建暦三年)5月2日午後六時、和田軍は、一斉に大倉御所を襲撃して、御所を警護する、将軍の軍勢、北条泰時、北条朝時、足利義氏等の兵と合戦に及んだ。 そして、…
こんにちは。今回は東北地方では 唯一の現存天守、弘前城をご紹介します。 弘前城天守 【弘前城の歴史】 弘前城は弘前藩初代藩主津軽為信により 築城の計画を立てられました。 築城の計画はなかなか進まず、 為信は天守の完成を見ることなく亡くなりました。 その後父の遺志を継いだ2代藩主信校が築城するも、 火災により焼失、長く天守不在の状態となっていました。 現在残っている天守は9代藩主寧親により 築城されたものです。 小さいながらもとても存在感のあるお城です。 現在石垣の老朽化のため、天守を曳屋し、 修復工事を行っています。 天守を元の位置に曳戻のは 2025年頃を予定しているとの事です。 すべての工…
北条義時の思惑とは異なり、将軍の源実朝は、泉親衡の乱は、終焉し、危機は去ったと認識していた。 泉親衡の乱の目的は、北条義時の打倒であり、将軍の源実朝ではなか…
少々乱暴に言い切ってしまうなら、明治に入った頃のいわゆる「文明開化」とは、日本が従来使用していた「モノサシ」を西欧製のそれに切り替えることだったのかもしれん。いい例が、伝統ある?「チョンマゲ頭」から割合素気ない「ザンギリ頭」への転換だが、ひょっとしたら女
今回は前回公開した「七湯の枝折」(以下「枝折」)の「神習(かんならい)文庫本」の産物一覧を受けて、「つたや本」との比較で気付いたことを挙げてみます。その前にまず、「神習文庫本」についてもう少し掘り下げてみます。「枝折」の草稿とされるものがどうして無窮会神習文庫に収められることになったのでしょうか。「七湯の枝折」(沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会)の解説では「神習文庫本」について次の様に触れて...
1213年(建暦三年)3月9日、源実朝の意向の名目によって、和田義盛の一門、九十八人の面前で、北条義時の郎党、金窪行親、安東忠家は、和田胤長を二階堂行政に引…
泉親衡の乱に参加していたのは、和田義盛の四男の和田義直及び、五男の義重、そして、和田義盛の弟、義長の息子の胤長である。 三人が、泉親衡の乱に参加したのは、武…
泉親衡の乱は、首謀者の泉親衡の逃亡及び、その与同者達の配流及び、恩赦によって、終焉を迎えた。 しかし、泉親衡の乱は、鎌倉の武家政権の草創以来の最大の内乱の発…
千葉成胤が、安念を北条義時に引き渡した。 義時の郎党である、金窪行親の尋問の結果、安念は、謀反の全容を自白した。 首謀者は、泉親衡、与同の武士は、張本百三十…
源実朝は、北条義時が、自身の郎党を武家政権の御家人に列することを認めなかった。 義時の嘆願を却下したため、実朝は、和田義盛の上総介への推挙を認めることができ…
無住法師が編纂した『沙石集』はよく取り上げていますが、しっかりと取り上げるのは5ヶ月ぶりです。今回は面白話ではありません。タイトルに記したとおり、平等院鳳凰堂…
1209年(承元三年)5月12日に、源頼朝の挙兵以来の功臣下、侍所別当の和田義盛が、上総介任官の推挙を源実朝に求めた。 和田義盛は、三浦義明の孫であり、三浦…
橘氏の出身で唯一皇后に立てられた女性、それが第52代・嵯峨天皇の皇后となった橘嘉智子(786-850年/享年65)であり、仏教への信仰が篤く、日本最初の禅院・檀林寺を創建した事績から死後「檀林皇后」と諡号された。千年以上経った今もなお、世に類なき美貌の持ち主だった、
「センゴク」の人が関ヶ原の漫画を連載するみたいで、神聖ローマ帝国の漫画もやるとかで、楽しみが増えた。 ↓この日の日記で、「センゴク権兵衛」最終巻の呆気なさを嘆いていた矢先の朗報。 昨日に引き続き廃人状態。12年前、パニック発作が出て治療を始めた時も今と似たような感じだった。 その当時も休日の過ごし方は今とあまり変わらずドライブや貧乏旅行を楽しんでいたけど、所々記憶が完全に抜け落ちている。自分で撮った(らしい)写真を見てやっと思い出すことも多かった。 また寒天ゼリー。そんなに好きか。 包み紙を水で洗って乾燥させて、たまにメーカー毎に並べて比較するのも楽しい(暇人)。 旬菓吉宗庵ミックスゼリー ↓…
源実朝は、1203年(建久三年)の比企氏の乱の動乱と共に征夷大将軍に就任し、二年後の1205年(元久二年)、畠山重忠の乱及び、牧氏の変が、勃発している。 源…
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人の』主人公は、北条義時である。 後世、鎌倉幕府と呼ばれる、武家政権の構築者、政治的天才の源頼朝及び、瞬く間に、平家を…
人には何度か贈ったことあるのに自分では一度も食べたこと無かった「鎌倉半月」というゴーフル(ゴーフレット?)をサービスエリアで見かけて、「これ会社で貰って食べたけど、美味かったから食べてみなされ」と、配偶者氏にお薦めされた。 パリパリで美味しい。 ウサちゃんも可愛い。 鎌倉五郎本店 鎌倉半月 6~7年前から育てていたクラッスラ・ゴーラムが越冬失敗で瀕死になり、ほんの僅か残ってはいるけど、ずっとヘロヘロで時間の問題かもしれない。 …で、新たに買って来た苗がどうもゴーラムでは無いっぽくて、クラッスラ・オバタ・ホビット(宇宙の木)という名前シールが貼ってあることに気がついた。 ゴーラムも「宇宙の木」と…
1205年(元久二年)8月7日、牧氏の変の翌月、下野国の有力御家人、宇都宮朝綱が、謀反を疑われた。 宇都宮頼綱は、宇都宮業綱の息子で、宇都宮朝綱の孫に当たる…
源頼朝は、「坂東武士の鑑」として、畠山重忠に、「頼朝の後胤」を護ってくれるように、慇懃の詞を尽くしていた。 しかし、畠山重忠は、比企氏の乱の際、妻の父、北条…
平朝雅は、源義光の四男、源盛義の孫である。 源義光の長男の義業は、常陸国の佐竹氏、次男の義清は、甲斐源氏の祖となり、佐竹氏及び、甲斐源氏は、治承・寿永の乱の…
牧の方は、北条時政の後妻で、北条政子、北条義時、阿波局、北条時房の継母である。 北条時政は、1138年(保延四年)の生まれのため、1180年(治承四年)の源…
神戸のお豆パンを貰った。どうもありがとう。表面を焼くとお豆が軟らかくなってさらに美味しい。 運転免許証の更新に行った警察署付近で撮った、シオカラトンボっぽいトンボ。 ヒューッと飛んで来て、自分の目の前に着地した。 トンボが苦手な人は閲覧注意!クリック・タップすると画像が大きくなります。 7月の半ば頃、配偶者が職場近くで見つけたというギンヤンマっぽいトンボ。 この人も地面に居る。どちらも何をしているのだろう? トンボが苦手な人は閲覧注意!クリック・タップすると画像が大きくなります。 犬山城のつづき。 犬山城の天守へ向かう途中に神社がいくつかあった。 時間が無かったので写真を撮るだけになってしまっ…
こんにちは。今回は戊辰戦争最後の戦いといわれる 箱館戦争の舞台となった五稜郭をご紹介します。 五稜郭公園内「箱館奉行所」 【五稜郭の歴史】 五稜郭は幕末の箱館開港の際に 函館山の麓に置かれた箱館奉行所の 移転先として築造されました。 しかし完成からわずか2年で江戸幕府が崩壊、 短期間箱館府が使用した後、 箱館戦争で旧幕府軍に占領、本拠地とされました。 1871年に奉行所を含むほとんどの建物が 解体され、その後は陸軍の練兵場として使用されました。 1914年から五稜郭公園として一般に公開されています。 現在ある箱館奉行所は2010年に復元されたものです。 五稜郭公園はJR函館駅から市電、 または…
日本列島をいくつかに分ける場合、代表的なひとつが北から順に、北海道/東北/関東/中部/近畿/中国/四国/九州、この「八つ」の地方に分割する方法だ。まあ、これには異議もないと思うがダ、ひょっとして、ヒメ隊員はこんな疑問を抱いたことはないか?~「中国地方」の
北条義時は、畠山重忠討伐に疑念を抱く、御家人達を見て、事実関係を確認していった。 父の北条時政が、言葉を失い、畠山重忠の謀反は、冤罪であると証明されたが、源…
1205年(元久二年)6月22日、鎌倉は、謀反が発生したと大騒ぎとなり、御家人達は、謀反人を誅するべく、由比ヶ浜へ先を争って走った。 畠山重忠の嫡子の重保は…
坊門信清は、京の朝廷の後鳥羽上皇の外叔父であると同時に、鎌倉の三代征夷大将軍、源実朝の義父になった。 坊門信清は、朝廷の頂点の上皇及び、鎌倉の頂点の将軍、双…
今って子供の夏休み8月31日までじゃない所が多いんだな。いつ頃からそうなったのだろう?ぜんぜん知らなかった。 北と南で差があるのは知っていたけど、東京はずっと31日までだと思っていた。いつの間にか24日までになってる。 埼玉県は8月25日までだって。 今日は、焼きそばの麺が1玉残っていたので、お昼に作って食べた。 そして犬山城のつづき。 犬山城の歴史 犬山城は天文六年(一五三七年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。 戦後時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、一六〇〇年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。 小牧長久手合戦(一五八四年)の際には、…
1204年(元久元年)9月10日に始まった、平賀朝雅の平家残党軍との合戦は、三日後の12日には、鎮圧され、その後、伊賀国の残党が、追討された。 わずか、三日…
自分の故郷にある植物園。 この辺は元々徳丸ヶ原と呼ばれる湿地帯で、高島秋帆が洋式砲術の演習をしたことに因んで「高島平」という地名が付いている。 今日は小中学生無料の日だったようで、夏休み最後の日曜日ということもあってか大盛況だった。 小学生以下の小さい子もたくさんいたのでのんびり見て回ることは出来なかったけど、みんな楽しそうで良かったと思う。 植物園なのに、ナポレオンフィッシュやチンアナゴやヒマンチュラ・チャオプラヤ(淡水の巨大エイ)を見ることも出来る。 インコやヘビやカメまでいるし、それでいて入館料は大人1人260円。 以前は、ダイオウグソクムシも居た。 スマトラ島原産の植物、サンタンカ・ダ…
源全成の死後、北条時政が、千幡の乳母夫の立場になったが、乳母は、北条時政の娘、阿波局のままであった。 牧の方は、北条政子、北条義時、阿波局にとって、継母のた…
今日は晩ご飯を食べてから配偶者の仕事用事プチドライブに付き合い、車の中で「レインボーマン」の「死ね死ね団のうた」を聴いていたけど、この曲「ワンダーウーマン」のテーマっぽいよな。 「ワンダーウーマン」を見た時に「死ね死ね団や!」だと気がついて感動したことをすっかり忘れていた。共通の元ネタがあるのだろうか。 昨晩食べなかったご飯のおかずの内の1つ。茄子の揚げ浸し。 今日も自分だけ晩ご飯抜き。 このキダチアロエは、25日(木)にヤマザキデイリーストアで見つけた。1鉢に3株も植わっていて298円は破格だと思うのだよ。 もう1鉢しか残っていなかったので、思い切って買って帰って来た。 勝手な思い込みだけど…
源実朝は、1192年(建久三年)8月9日、源頼朝と北条政子の次男として、生まれた。 同年7月12日、源頼朝は、念願の征夷大将軍に任官しているため、実朝は、生…
夏季限定ささらがたの西瓜味。 自分の中ではもうとっくに夏の気分が終わってしまっているので、買って来た翌日から急いで食べて行けば良かったと後悔している。季節外れ感が凄い。 かなり西瓜で驚いた。爆発した西瓜っぽい味というか。 残るは2味。 福耳とうがらしが特売だったので2袋買って来て、初めの1袋は種の他に白い筋まで取ったら全く辛くなくて拍子抜けだったので、今日は種だけにした。 切ったり取ったりしている間にカプサイシンが揮発しているのか、咳とくしゃみが止まらない…。 白いのを残して大正解。丁度いい辛さでとても美味しかった。 お昼に↓これぜんぶ独りで食べた。で、晩ご飯抜き。 ピーマンか人参を大量に食べ…
「七湯の枝折」の「産物」の検討もかなり進んできましたが、この「七湯の枝折」の草稿と見做されているものが、無窮会(むきゅうかい)神習(かんならい)文庫(以下「神習文庫」)に所蔵されていることは、「禽獣類」の検討の過程で紹介しました。しかし、この時は禽獣類の記述の比較のみで終えてしまったので、他の項目の草稿との比較はまだ行えていない状態でした。また、前回までの「蛇骨」と「木葉石」の検討でも、「神習文庫本」...
ヒメ隊員はおそらく、「国定教科書」ってものを御存知ではなかろうから、始めに少し簡単な説明をしておこう。~日本では1903年(明治36)から小学校の教科書が国定と され、忠孝の教育が強調されたが、1948年(昭和23)以降は 教科書検定制度に移行した~つまり戦前は忠孝
当時の光景が思い出される「山県有朋誕生地」 今回は、山口県萩市にある「山県有朋誕生地」をお届けします。 山県有朋は、奇兵隊総督、明治以来日本陸軍の第一人者となり、首相(2回)枢密院議長を歴任し「元
大砲のレプリカや大砲鋳造遺構がある「郡司鋳造所遺構広場」 今回は、山口県萩市にある「郡司鋳造所遺構広場」をお届けします。 松陰神社のほど近くには「郡司鋳造所遺構広場」があり、公園になっています。&
中止になったふるさと宮まつりの日、リニューアルオープンした佐野SA(下り)で丸い箱入り名菓ひよ子を発見。 名古屋旅行で記憶が上書きされて完全に食べ忘れていた。賞味期限8日もオーバーしていたよ…。 ↑魂の抜けた表情 佐野SAでしか売っていない限定品なのかと思ったら、ひよ子のオンラインショップでも売っているみたい。 一度に3個食べた。ご飯代わりになる。 このかっぱ寿司ノベルティの白い小皿は物凄くお気に入りだけど、 デザインは↓こういう方が良かったな(雑コラ)。↑これだと食べ物を置いた時にカー君の顔が隠れて、普通の白い小皿になってしまう。 清洲城のつづき。 内部は、清洲の町や清洲城の歴史が展示されて…
昨日、テレビで明日香村の特集をしてて見入ってしまった。数か月に明日香村を訪れたけど、初訪だったから一押しの有名な場所ばかりを巡り、知らなかった。最近、復元され…
1203年(建久三年)9月5日、源頼家は、危篤を脱し、意識を回復すると、嫡子の一幡及び、比企一族の滅亡を知ると激昂した。 源頼家は、堀親家を使者として、仁田…
台風が来ているの知らなかったよ…。どうりで天気が悪いわけだ。 台風10号の名前は「トカゲ」らしい。 昨晩、玄関前の防風スクリーンにまたヤモリちゃんがくっついていたみたい(撮影者:配偶者)。 今までで一番綺麗に撮れているな。 爬虫類が苦手な人は閲覧注意!クリック・タップすると画像が大きくなります。 今日のご飯兼おやつ。 夏季限定ささらがた鳳梨(ぱいなっぷる)。 これを食べた後、びっくりドンキーのパインバーグディッシュも食べたくなった。 暑さはもう暫く続くだろうけど、お盆過ぎた瞬間に「THE・夏」ではなくなってしまうのが毎年ほんと寂しくて。 そして、清洲城のつづき。 清洲城天守の手前に、大手橋とい…
1203年(建久三年)9月2日、北条時政が、比企能員を暗殺すると、能員の従者達は、能員の暗殺を比企一族に伝えた。 比企能員の息子の宗員、時員、五郎、猶子の河…
宇都宮のドン・キホーテで見つけた栃木 スカイベリー グミ。 ↓この日のこと。 グミというよりゼリー菓子だな。こういうのも美味しくて大好きだ。 ↓これは、名古屋城内のお土産屋さんで売っていた亀の尾城土鈴。 配偶者が自分用のお土産に買っていた。 名古屋城は別名「亀の尾城」とも呼ばれ、名古屋台地を巨大な亀に見立て、頭に熱田神宮、尾の先に名古屋城が建っている、という言い伝えがあります。 亀は、古来より吉祥を呼ぶ縁起の良い動物とされており、魔除けや安全祈願などの願いを込めてつくられてきた土鈴を、「亀の尾城」をモチーフに制作しました。 名古屋城内でも、表二之門の瓦や本丸御殿上洛殿の彫刻欄干などにも亀の姿を…
源全成が、誅殺されると、同年7月16日、全成の三男、阿野頼全が、京の東山延年寺で、源仲章によって、誅殺された。 四男の阿野時元は、外祖父の北条時政、叔母の北…
昨日は彩乃菜宴でお昼を食べた後、隣にある食の駅で約1週間分の野菜を買って、智光山公園を一回りして、途中のホームセンターで足りない物(洗剤等)を買って帰宅した。なかなか充実した日曜日だったと思う。 ↓食の駅で売っていたレモンケーキ。これが凄く美味しかった。 最近はレモン味のお菓子が続いている。 小牧山城からのつづき。 「信長の野望 天翔記」だったか、清洲城には史実通り織田信友が居たと思う。 信友は特技に「暗殺」を持っていた。信長を暗殺しようとしたり、尾張国守護だった斯波義統を殺した人物だからだろう。 斎藤道三とか、松永久秀とか、宇喜多直家とか、梟雄と呼ばれる感じの武将には大体付けられている特技で…
前述の通り、1199年(正治元年)10月、梶原景時弾劾事件によって、梶原景時は、失脚。 翌年の正月20日、景時は、戦死した。 その三日後の正月23日、三浦義…
佐々木盛綱は、越後、佐渡、信濃国から参じた、御家人達を編成し、阿賀野川を渡った。 佐々木盛綱は、城資盛に軍使を使わすと、資盛は、鳥坂城の付近で戦闘を行うと返…
そういえば、朝食バイキングを食べるためにエレベーターで1階に下りて、ドアが開いて出た瞬間に「ワッ!」と驚かされたんだよな。犯人は館内服姿の見知らぬご年輩だったよ。 突然のことに固まっていたら「…あっ、いやっ、」と、何やら言い訳を始めた…ような気がしたけど、「トリコ」の初代メルク並に声が小さくて殆ど聞き取れなかった。 「早朝からこの仕打ち。日頃の行いが悪いせいか?ワイが悪いんか?」と、腑に落ちぬまま朝ご飯を食べて部屋に戻り、チェックアウトをするのでエレベーターを待っていたら、また見知らぬ男の人から「いやぁ、ゴニョゴニョ…だったもので、ゴニョゴニョ…」と、話しかけられた…ような気がする(やはり聞き…
梶原景時の変の一年後、1201年(建仁元年)正月23日夜、城長茂が、京の三条大路南の東洞院大路東に所在する、小山朝政の邸宅を襲撃した。 朝政は、この時、大番…
朝・昼ご飯兼おやつ。久々にファミマのチョコクロワッサン(貰った)。 温めたのも、冷やしてチョコが硬くなったのも、どちらも美味しい。 少数派だろうけど、自分は冷やご飯や冷えたお弁当やお惣菜も好きなので、池波正太郎が旅館で出されたカツレツを半分残しておいて、翌朝、揚げ油のラードが白く浮き上がるぐらい冷えたのにソースをたっぷりかけて食べるのが美味しいと言っていた気持ちが凄く良く解かる。 小牧山城のつづき。 ここはジョギングをしている人が多いんだな。 夢に向かって挑戦するお山のお相撲さん こまき山。 愛知県出身こまき部屋。番付はどの辺か判らなかった。 ↓ここで紙相撲の台紙をダウンロード出来るよ。 そえ…
「京都守護職/会津藩松平肥後守容保中将/御預浪士/ 新選(撰)組」(前身は壬生浪士組).これが「新選(撰)組」の正式な名称ということになる。ただ、「新選組」と「新撰組」の表記については、さして拘りがなかったのか、局長の立場にあった近藤勇(1834-1868年)自
今日は網戸にずっとセミが止まっていたので、ベランダのペットになかなかご飯をあげられず困ってしまった(セミ怖い)。4時間ぐらい居座っていたと思う。 久しぶりに3COINSを覗いてみたら、1鉢だけアストロフィツムがあった。 先日の道の駅の人と同じく根元がグラグラしていたので、今回も植え替えの時期まで多肉植物用の土を詰めて安定させておこう。 銘菓あわ雪プレーン味、最後の一切れ。大きく切っても賽の目に切っても、お豆腐にしか見えない。 インスタントコーヒーを濃く溶いて冷やしたのをかけて食べた。 …これが一番美味しいとは(大発見)。 サービスエリアには無かったけど、コーヒー味もあるみたい。 れもんういろは…
2022.6.4 参拝 「熱田神宮」にやって参りました。今回はそんなに細かく写真を撮っていません。境内社など沢山見たい人は二年前の記事を貼っておくので、そちらと併せてご覧になって下さい。http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3252.html【熱田神宮の絵馬】「しろ鳥がはこぶあなたの願い」…熱田神宮は草薙剣が御神体。草薙剣といえば日本武尊。彼の最期、白鳥になって飛び立ったあの場面を連想します。梅の絵馬。境内に...
梶原景時は、源頼朝の死後、わずか、一年後に滅ぼされた。 十三人の合議制は、解体し、鎌倉の有力御家人の権力闘争の皮切りとなった。 そして、その最終的な勝者が、…
今日の朝・昼ご飯。昨晩作ったゴーヤチャンプルーの材料を少しずつ取っておいて、また作って食べた。美味しかった。 沖縄は昆布の消費量が凄いというので、思いつきで緑色のくらこん部長を少し加えてみたけど、加えない時と大して変わらない。 岡崎市の銘菓あわ雪。これはプレーン味。 よく解らない味と食感で美味しかった…いや、これ過去に何度か自分で買って食べたことあるわ💢なぜ忘れる💢 これは濃い緑茶ありきで、無いと本当によく解らぬまま終わってしまう。 エスプレッソも合いそうではある。 名古屋城のつづき。 天守閣は閉鎖中なので、本丸御殿へ。 ここは大空襲で焼失してしまい、残っていた資料を手掛かりに2009年から復…
去る15日で大東亜戦争(太平洋戦争)から77年となったが、ウクライナでの戦争や中共政権による台湾や日本への脅迫、北朝鮮・金王朝の瀬戸際外交などの中で戦争の...
1199年(正治元年)12月29日、梶原景時の鎌倉追放後、事件の発端である、結城朝光の兄の小山朝政が、景時に代わり、播磨国守護になり、同時に、美作国守護は、…
優しい世界。「ねことにちようび」という食器シリーズの小鉢。 更年期になってからというもの、常時ささくれ立っている自分にとって悪意の欠片も無い白猫ちゃんの表情は、癒しそのもの。 このシリーズは、全体的に安価で揃え易いと思う。↓これは1つ399円だった。 ねことにちようび 小鉢 直径9.5cm 配偶者が「コクが足りなくて今ひとつだった」と言っていたので、何となく食べるのを躊躇っていたお墨付きのチャナマサラカレーを遂に食べてみたけど、普通に美味しいではないか💢こういうのでいいんだよ。 西友 みなさまのお墨付き ひよこ豆と野菜のチャナマサラカレー 名古屋城のつづき。 清正公石曳きの像。ちょっとドクター…
三浦義澄・三浦義村・千葉常胤・千葉胤正・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・藤原朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・大井…
長良ういろは岐阜土産だったのかー!(愕然) そういや2009年の名古屋旅行でも、名古屋土産だと思い込んだままお友達に渡したような気がする。 ういろうは苦手だけど、自分の知らない間に技術革新とかで「美味しくなっているかも」と、期待を込めて時々買ってしまう…。 ↓パックから取り出そうとすると崩れるな。 名古屋のつづき。 あんかけスパゲティを食べた後、地下鉄で名古屋城までやって来た。 12年前に金シャチ横丁なんてあったかな。お洒落な飲食店が並ぶ一画だった。 金シャチといえば、世の中にはまん丸サボテンの金鯱好きもたくさんいるかと思うけど、↓これは前にバナナワニ園で撮った金鯱(確か)。ここも楽しいよ。 …
御朱印集め初心者主婦の御朱印巡りブログ、御朱印の紹介や訪れた寺社仏閣のご案内など、御朱印情報ブログ
源頼朝の死後、鎌倉殿になったのは、北条時政の娘、北条政子の息子、源頼家である。 源頼朝は、1182年(寿永元年)の頼家の誕生時、比企尼の養子の比企能員、比企…
2009年に初めて、名古屋城を見て回った。 帰宅後、撮った写真をHDDに移してからすぐHDDが壊れてしまったんだよな。当然、名古屋旅行の写真も消えた。 思い出してしまったけど思い出したくもない…。当時のショックが蘇る。 12年ぶりの名古屋城のお土産屋さんで見つけた、染付の豆皿。 本丸御殿の襖の絵や障壁画がモチーフで、4種類の内2種類買って貰った(お猿さんとリス)。 上下間違えるとタヌキに見えてしまう。 ↓これが正しい。それでもリスには見えない。 台風直撃で仕方が無かったとはいえやっぱり悔しくて、また去年の掛川旅行写真を掘り返して懐かしんでいた。 ↓掛川花鳥園、ハシビロコウのふたばちゃん(去年)…
1199年(正治元年)正月11日、源頼朝の重病危急の情報は、18日には、京都伝わり、世情は、不穏な空気に包まれた。 村上源氏の嫡流、土御門通親は、その前年に…
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』において、三浦義村を山本耕史が演じたため、義村の知名度は、飛躍的に上昇した。 大河ドラマの放送前、三浦義村の名を知…
日本神話にはこんなエピソードが語られている。~天照大神の孫・ニニギノミコト(瓊瓊杵命)は「天孫降臨」 を果たした後に、 木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)に 出合い求婚したところ、姫神の父親はこの縁談を大いに喜び、 姉の石長姫 (イワナガヒメ)まで差し出
URLクリックで記事に飛びます。もう一度見たい記事や、まだ見てなかった記事等ありましたらご覧になって下さい。今まで行ったことの無い場所からよく知る場所まで、北陸旅行は実に良い思い出になりました。★一日目(2022.5.13)この日のメインは神社ではなく実はジョジョ展でした。宇宙軒食堂で食べたとんバラも美味しかった。白山本宮 加賀一ノ宮「白山比咩神社」 1)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4089.html2...
御朱印集め初心者主婦の御朱印巡りブログ、御朱印の紹介や訪れた寺社仏閣のご案内など、御朱印情報ブログ
范蠡は、同じく、勾践の家臣、文種に手紙を書き、「狡兎死して走狗烹られ」を説くと、更に、「越王の容貌は 長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。