在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
聖地をめぐる旅(長野県)
信濃高遠城を歩く。 その1 <三ノ丸・二ノ丸・本丸>
武田信玄の菩提寺・恵林寺(山梨県甲州市)
青梅街道宿場巡り⑩:大菩薩峠の向こうの塩山宿
【戦国武将診断】あなたに似ている戦国武将は誰?
甲府に行ってきました(前編):武田氏居城跡にある武田神社
大型連休の旅7・武田神社3-境内を巡り歩いて大満足の参拝でした-
■「小諸城址『懐古園』」千曲川と深い谷に囲まれた天然の要塞(長野県小諸市)
大型連休の旅6・武田神社2-神社の境内は見どころが一杯です-
大型連休の旅5・武田神社1-武田信玄を祀る神社を久しぶりに参拝です-
三分一湧水(さんぶいちゆうすい)武田信玄が三つの村に水を公平に分配した 山梨
秘湯中の秘湯。
奈良和歌山の旅ラン③ 高野山の奥之院参道で戦国武将の墓碑を参るランというかほぼウォーク
策を練らずして戦う者は、己を滅ぼす
一歩退くことは、二歩進むための準備である
実際、急死した、最上家親の死因は、「猿楽を見ながら頓死す。人みなこれをあやしむ」と史料に記されているように、不明であったため、当時から、毒殺説が、囁かれていた…
戦国武将・佐々成政(さっさ・なりまさ/1536?諸説あり-1588年)による「さらさら越え」・・・その史実は、音韻からイメージする爽やかさとは打って変わって、相当に過酷なものだったようです。では、その「」さらさら越え」とは、いったいどんなこと?織田信長(1534-1582
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
最上義光は、1613年(慶長十八年)には、体調が、悪化していたため、正月の拝賀に、使者が、赴いている。同年4月、義光は、病躯を押して、江戸に上ると、将軍の徳川…
江戸時代の享和・文政・文化の時期に長きに渡って老中(1802-1822)を務めた土井利厚(1759-1822年)は、現代における知名度はともかくとして、「老中生活20年」というなんとも立派な経歴を踏んだ人物です。では、本当に「能力ある老中」だったと見ていいのか?という問題を
そして、最上義康が、暗殺されるが、犯人のみならず、暗殺の年さえ、諸説があって、定かではない。暗殺の年は、1603年(慶長八年)説が、有力であるが、1602年(…
ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアが実在したことを、実際の発掘によって証明(1871年)した人物として有名なドイツ人考古学者ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)は、少々の意外感が伴いますが、幕末期の日本に滞在したことがありました。その来日とは、「遺跡発
最上義光は、上杉景勝から、奪回した、日本海の要津、酒田港を最大限に活用すべく、庄内から、山形へ通じる二本の街道を改修・拡幅すると共に、最上川の三難所を開削して…
さて、江戸中期に生きた平賀源内(1728-1780年)なる人物の紹介は、こんな仰々しいサマになっています。本草学者/地質学者/蘭学者/医者/殖産事業家/戯作者/浄瑠璃作者/俳人/蘭画家/発明家/コピーライター/春本作家/衆道指導者?/博覧会プロデューサー/さらには
直江兼続の退却と同時に、最上軍は、逃げ遅れた、上杉軍を追撃して、谷地城に籠る、尾浦城主の下秀久を降伏させた。そして、下秀久を先手に庄内地方に進攻して、短期間で…
神辺町出身の童謡詩人・葛原しげるが鞆の浦を詠んだ未発表の和歌13首が発見された。 当地を愛して頻繁に訪れていたことを示す貴重な資料だという。[中国新聞]...
平安時代に紫式部が著した『源氏物語』について、鎌倉時代前期の公家歌人・藤原定家が家来に書写させ、自ら校訂した写本「定家本(青表紙本)」が三河吉田藩主大河内家の子孫宅で新たに発見された。 見つかったのは54帖の一つ「若紫(わかむらさき)」132頁で、題字の筆跡や題字に使われた紙、本の構成などが現存の青表紙本に一致したという。[産経新聞]...
古墳時代(4世紀末~5世紀初め)に築造された鵜沼羽場町の前方後円墳「坊の塚古墳」で、スロープ状の構造物が発見された。 前方部から後円部へ歩いて上がるもので、後円部の墳頂で執り行われた埋葬儀式の様子を知る手がかりになるという[毎日新聞]...
室町時代の水墨画家・雪舟が若い頃に描いた人物水墨画「騎獅文殊・黄初平・張果老図」が発見された。 文殊菩薩と仙人の張果老と黄初平を描いたもので、「拙宗」と名乗っていた頃のものだという。[毎日新聞]...
嵯峨遺跡で南北朝時代(14世紀中頃)以降に創業したとみられる酒造りの遺構が発見された。 天龍寺などの寺院が手がけた僧房酒(そうぼうしゅ)の関係遺構とみられ、搾りから貯蔵までの工程がわかる遺構としては日本最古だという。[産経新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
上杉景勝は、直江兼続に約2万の軍勢を預け、最上領の侵攻を開始した。最上義光は、小野寺義道を牽制すべく、庄内に出兵していたため、最上軍は、約7千に過ぎなかった。…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。