般若₋179
ジョーカーはどこだ?~よみがえる幻の城と魔界の使者…411
十年屋 🫖 / 廣嶋玲子 を読みました。
眠いのに、眠れない。睡眠不足の朝~キミをさがして…第4章 秘密のかくれんぼ…6
目に見えない死角がもたらすリスクと危険性 誰かいる
般若₋178
明治時代のベストセラー小説「食道楽」のレシピを再現したカレーぱん 明治村
恐竜の島に会いに行こう 宝の島続々編 第1章 再始動だ!…18
般若-177
青山 美智子『鎌倉うずまき案内所』あらすじと感想
ジョーカーはどこだ?~よみがえる幻の城と魔界の使者…410
ムシムシの一日と私の趣味~とりつかれちゃった?魔法の扉…第1章 謎の扉…4
【小説紹介・感想】男娼マエストロと栄光の少女たち【ハーメルン】【R15】【恋愛】【娼館】【冒険者】
今日の書籍紹介:『すべての見えない光』 by アンソニー・ドーア
【本紹介】BUTTER
広島旅行 vol.1
広島平和記念資料館 (広島市 中区)
自分のために、広島へ
78年目のヒロシマ
✏️ 8月を考える。
77年祈り続けてきた核廃絶
ネットを見てるとNo.220。。。( ゚Д゚)
書籍|昭和の名作「はだしのゲン」/平和学習教材から削除?
新幹線東京広島片道7560円の旅♪(3日目その11、広島城その4戦争遺跡、広島県広島市中区基町)
紫陽花と「立ち上がる雑草」
【『はだしのゲン』平和教材から削除】唯一の被爆国たる自覚と責任を忘れた愚かな日本人たち。
多家神社の宝蔵、日本に残る唯一の建物です。そして、唯一現存します広島城内の建物です。
「ヒロシマの火 平和への灯」は、分火されました2つの火が灯されています。
原爆直後、元安川で芽吹いたクスノキ移植されてすくすくと育っています。
本照寺の大亜細亜悲願之碑です。
小旅行や日々のお散歩、行ったところや見てきたものなどについて発信してゆくブログ。昔の写真などの整理も兼ねてのブログなので、ちょっと古い記録もあったりします。
千葉県東部地域の歴史調べたり街歩きをしています。本は村上春樹さんを中心に短篇を読んでレビューを書いています。コーヒーと猫好きの中年男性が運営する雑記ブログです。
初本は1994年に新潮社から発行されてる。作者・井上ひさしさんは、この重いテーマを数年以上かけて調査したり、被爆者の話を聞いたりしているだろう。1994年といえば、身内に限っても呉から原爆のキノコ雲をみた16歳の海軍志願兵(予科練)のおじも、原爆投下二日目に広島に入った海軍兵の義父も、まだまだ元気だった。義父が話す地獄絵のような風景を見た人は2024年の今、もう世から去ってしまった。「日本は東アジアへの侵略国で加害者であったが、広島・長崎では非人道的兵器の被害者であった」という、この本の論評者がいたが、それでは一つ足りない。広島・長崎の市民は、街から転居するのを禁じられていた。あの日、「おとったん」は40才過ぎくらい。「美津江」は20才くらい。軍都広島が昭和20年8月に空襲を受けないはずがなかった。・・・...父と暮らせば(広島県広島市)
円管はすべて無くなり水流れ/左岸枠内杭打ち機械(新河岸川・弁天橋)
5月の下旬、弁天橋の工事現場は太い管がほとんどなくなり、中央を川の水が流れていた。太い管は右岸に1列だけあり、その先の坂の上に黄色い重機が見えた。左岸は鉄の杭で4角い枠が出来ている。位置を変えてみると、枠の中にはコンクリートの瓦礫が残っていた。すぐ脇には、掘り出されたと思われる錆びた鉄管が横たわっていた。それから1週間後の6月の初め、右岸にあった太い管も無くなっていた。河川敷の坂もなくなり、重機は土手に上げてあった。左岸の枠の上のほうには、鉄パイプの柵が設けられている。枠の中には、新琵琶橋でも見た赤い鋼材が組まれているのか見えた。この2週間後の6月の半ば、左岸には2台の重機のアームが上に伸びていた。歩行者用の橋の上からみると、右岸の土手の重機は無くなっていた。一方左岸には、多くの重機が並んでいる。一番目立...円管はすべて無くなり水流れ/左岸枠内杭打ち機械(新河岸川・弁天橋)
「きけわだつみのこえ」日本戦没学生の手記 (鹿児島県鹿屋市)
戦没学生とは、学生身分の軍人で戦死した人。大方が幹部候補生で、一般兵より身分が高かった。高等教育を受ける人は限られた数のエリート層だっただけに、戦没学生の手記は戦後社会へ反響も大きかった。この手記の本は映画化され、管理人も学校の講堂で映画を観た。「死んだ人々は還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?」二等兵役の信欣三の表情が印象的だった。・・・旅の場所・鹿児島県鹿屋市今坂町「特攻慰霊塔」旅の日・2013年8月10日書名・「きけわだつみのこえ」日本戦没学生の手記発行・東京大学出版会1952年・・・大塚晟夫中央大學學生。昭和二十年四月二十八日、沖縄嘉手納神で戦死。二十三歳。昭和二十年四月二十一日はつきり言ふが俺は好きで死ぬんぢやない。何の心に残る所なく死ぬんぢやない。國の前途が心配でたまらない。い...「きけわだつみのこえ」日本戦没学生の手記(鹿児島県鹿屋市)
補修済みジグザグ階段上りけり/下り石段花の鉢植え(富士見櫓跡)
久しぶりに富士見櫓跡下の路を歩いていると、階段の前がすっきりしている。以前あった仮設の柵がなくなっていた。かなり長い間、階段の老朽化で危険なので通行止めになっていた。それがいつの間にか終わったようで、階段が上れるようになっていた。階段は何度も折れ曲がって上って行く。長めの階段の上に、白い説明版が見える。そのすぐ上に漢文の石碑が建てられている。以前は、この辺りも立ち入り禁止だった。そこから南側を眺めることができる。ここからの眺望も久しぶりで、喜多院と思われる森が見えた。そこから頂上への階段が伸びる。上には何もなく更地になっている。ここからだと、周囲の木が邪魔になって眺望は開けていない。別の短い階段を下りると、小さな神社の前に出る。右手の神社の前に、見慣れない光景があった。手水鉢の上に花が吊るされている。その...補修済みジグザグ階段上りけり/下り石段花の鉢植え(富士見櫓跡)
松本安太郎・小田原電気鉄道・富士屋自働車の自動車事業まとめとエピソード数点
大正元年(1912年)から12年(1923年)までの小田原・箱根地域で自動車事業を新規に立ち上げてきた松本安太郎、小田原電気鉄道、富士屋自働車について、かなりの回数記事を出してきました。今回はそれらを少しまとめた上で、それらの記事に収まらなかったエピソードを何点か紹介したいと思います。まず、ここまでの記事を一覧化します。「富士屋自働車」と「エム・エフ商会」の自動車事業を巡って(その1)「富士屋自働車」と「エ...
1週間ほど前、あのカラスの巣は撤去されていた。撤去されたのは、この写真を撮る前日で、季節外れの真夏日だった。真下から見ても、巣の痕跡はなにも残っていない。撤去作業は見ることはできなかったが、近くでカラスがその様子を見ていたそうだ。電柱の根本近くには、以前路上に散らばっていた木の枝が集められていた。長いもの、短いもの、太さもみな違う。この前日、近くのお店の木の台の上で、1羽のツバメが大きな声で鳴いていた。もしやと思って横から見たが、ツバメの巣のあるようには見えなかった。やはり、今年はここに巣はつくらなかったようだ。カラスの巣のあった所は以前のままで、巣作りを阻止するようなものは見えない。このままだと、来年もまたここに巣を作るかもしれない。真夏日に撤去されたりカラスの巣
ナンキンハゼの花です。 冬の粉雪を散らしたみたいに樹木いっぱいになっています白い実からしたら、 まるで想像もつかないなんともユニークです。 ニョッキ、ニョッキっと、 梅雨空に目が覚めたみたいに、 出てきた虫さんみたいです。
高松城水攻め⇒本能寺の変⇒城主・清水宗治湖上で切腹⇒中国大返し⇒山崎の戦い戦国時代最大の連続した出来事であり、歴史上も重大な事件。史書に、小説に、映画に、テレビに、ゲームに、漫画に、絵本に、・・・頻繁に登場するが、歌はない。高松城主・清水宗治は為政についての資料は何も残ってないが辞世の句、一句で今も名を高松の苔に残している。~浮き世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して~・・・旅の場所・岡山県岡山市高松・高松城跡旅の日・2023年7月16日書名・「太閤記」原作者・小瀬甫庵現代訳・「古典文学全集・13太閤記」ポプラ社昭和40年発行・・・高松城水攻め年があけると信長は、甲州へ兵を進め、家康と力を合わせて、武田をほろぼしました。武田勝頼は、三月十一日に天目山で家族の者と自殺してしまいました。いっぽう、秀吉も今...「太閤記」高松城水攻め(岡山県岡山市)
広島と東京のどちらのデパートから季節のご挨拶を送ろうかとしばらくはどっちつかずでしたが最近は広島からお贈りしていますずっとパンフレット持って催し物売り場に行っ…
何か忘れているような… そういえば、 先週思い出して急遽植えました。 すると、 出てきました。 朝顔の双葉が出てきました。
小旅行や日々のお散歩、行ったところや見てきたものなどについて発信してゆくブログ。昔の写真などの整理も兼ねてのブログなので、ちょっと古い記録もあったりします。
「歴史ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)