兵庫県地名船名採用 貨物船「まや」ドック入り
【ドラクエⅢ】世界の地名の由来・モデルとなった実際の国まとめ
探検595 蓬莱島の左右にあったもの
61◇◇富士山を眺めながら富士宮のIDEBOK〜春は桜を追いかけ気まま旅♬2年目その61
地名で街歩き(11) 札幌市「鳥居前」
散策!東京 : 夢の島熱帯植物館で熱帯の植物を見る。 あとオシャレカフェ。
ここはどこや?地元民も困惑!絶対読めない地名
散策!札幌(69) 日本三大河川の1つ、石狩川にかかる札幌大橋を眺める
「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑷)
読めそうで読めない日本の地名
「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑶)
★ 神戸の地名と伝説 ★
札幌・街の一コマ : 「通り」の「り」問題
【なぜその名称が…?】今尾恵介『日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』
「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑵)
7 .改 川つばめ 7p目更新、完結しました(江戸時代中期に延岡藩、岩熊井堰を造った藤江監物・江尻喜多右衛門を詠んで)
5〜6 .改 川つばめ 6p目更新しました(江戸時代中期に延岡藩、岩熊井堰を造った藤江監物・江尻喜多右衛門を詠んで)
見て良し!食べて良し!菜の花の御浸しの作り方(あと、天日塩の大切さを熱く語る)
5 .改 川つばめ 5p目更新しました(江戸時代中期に延岡藩、岩熊井堰を造った藤江監物・江尻喜多右衛門を詠んで)
3~4 .改 川つばめ 4p目更新しました(江戸時代中期に延岡藩、岩熊井堰を造った藤江監物・江尻喜多右衛門を詠んで)
発明発見編30/大判小判は世界の非常識
1~2 .改 川つばめ 2p目更新しました(江戸時代中期に延岡藩、岩熊井堰を造った藤江監物・江尻喜多右衛門を詠んで)
木曽呂の富士塚、県内最古の江戸時代の富士塚に登ってみた!【埼玉・川口市】
江戸時代から続く老舗和菓子店の桜餅が100円代! 志ら井
[24]舟幽霊 ~『狂歌百鬼夜興』に描かれた妖怪たち~
江戸時代のエコ社会: 持続可能な暮らしの先駆け
付録編26/男も女も座り方を変えた
江戸から現代へ: 日本文化の変遷と現代社会に生きる伝統
[23]火柱 ~『狂歌百鬼夜興』に描かれた妖怪たち~
[4]そうげん火~『新御伽婢子』より~
千葉県東部地域の歴史調べたり街歩きをしています。本は村上春樹さんを中心に短篇を読んでレビューを書いています。コーヒーと猫好きの中年男性が運営する雑記ブログです。
愛媛県の松山沖に大小の島々が浮かび、それを中島諸島と呼んでいる。その中島諸島の興居島(ごごしま)は、いちばん松山から近い島で三津浜港の目の前にある。興居島は今、ミカンや船踊りで有名だが、伊予富士という名山でも知られる。フェリーで興居島に向かうと、「あれがターナー島か」とすぐに気づくほどに、たしかに名画を思い浮かばせる無人島がある。旅の場所・愛媛県松山市興居島旅の日・2011.7.14書名・坊ちゃん著者・夏目漱石発行・集英社文庫1991年君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。向う側を見ると青嶋が浮いている。よく見ると石と松ばかりだ。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと言ってる。野だは...坊ちゃん (愛媛県ターナー島)
第一小学校の八重桜を見た同じ日、少し遠回りして帰ることにした。蔵造りの建物が並ぶ一番街の通りから、1本東側の道を歩いていてふと横道を見ると、奥に八重桜が咲いていた。一番街につながる、稲荷小路である。道に入ってみると、八重桜は稲荷神社のすぐ先にあった。さらに近づいてみると、八重桜は小路を覆うように咲き、左手にはまだ桜が咲き残っていた。どちらの桜も、このそば屋さんのものらしい。幹の反対側には、下の方に枝があり、そこもきれいに咲いていた。でもやはり、小路に張り出している枝の花が圧倒している。そこから、稲荷の小さな社の屋根が見えた。記憶は定かではないが、ここで始めて見た八重桜かも知れない。散る桜見送るように八重桜(稲荷小路)
第一小学校の南側の門から、八重桜と山桜の咲いているのが見えた。校庭では、体育の授業が行われていた。右手の方には、別のクラスが体操をしていた。どちらも、新入生のように見えた。八重桜は、門のそばから山桜まで続いている。手前の桜を見上げる。見ごろだが、満開少し前の感じがする。一番良く咲いているのは、山桜の手前の木だった。枝垂れ桜のように咲いている。南側の高いネットの所にも八重桜が咲いていた。そのそばの桜も、まだ花が残っている。角を曲がり、上り坂になるところにも、八重桜が咲いていた。となりの桜にも少し花がある。坂道を上る間も、子どもたちの声が聞こえていた。体育する新入生か八重桜(第一小学校)
金田一耕助さんが大活躍する映画は多いが、「KADOKAWA映画」が特によく知られている。「獄門島」は、笠岡沖がモデルで映画も笠岡沖の六島で行われた。大原麗子が六島に来た。似たような題名で、「悪霊島」がある。鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい!「悪霊島」は、鷲羽山沖がモデルで、主役は鹿賀丈史(金田一耕助)。笠岡市西ノ浜を歩くシーンが映画に登場する。小説でも映画でも、重要な役目で神楽の一行が登場する。作者・横溝正史は、備中神楽のことをよく調べて物語に組み込んでいる。旅の場所・岡山県井原市青野町「葡萄浪漫大神楽」旅の日・2024.4.14書名・「悪霊島」著者・横溝正史発行・角川文庫昭和56年「悪霊島」横溝正史角川文庫昭和56年発行第十一章神楽太夫このへんの神楽はいつか三津木五郎もいっていたとおり、備中神楽とよばれてい...悪霊島(岡山県井原市)
4月の15日、地方庁舎跡の桜はまだ咲いていた。こんなに遅くまで咲いているのはめずらしい。氷川神社の桜も遠目に、咲き残っているように見えた。近くで見ても、まだ多くの花をつけていた。以前見たときは、下の方がよく咲いていたが、この時は、上の方の花が多かった。花はまだ残っているが、地面には多くの花びらが落ちている。石鳥居の脇に、赤いツツジがきれいに咲いていた。それを撮っている間、風に吹かれた花びらが、つぎつぎと頬を打って落ちて行く。境内の2本の桜も、一面に花びらを落としていた。まだ少し花を残した桜よりも、脇の紅葉の新緑の方が目立っていた。次の日、地方庁舎跡の桜は、かなり変色していた。やはり、あれが今年最後の見ごろだったようだ。散る桜風に吹かれてほほを打つ(雀ノ森氷川神社)
小三の春古城山への遠足は、笠岡周辺の小学校にとって定番中の定番の場所だった。管理人は城見小学校の、小三の遠足で古城山に行った。城見小学校の校門を出て、当時の国道二号線を歩いて笠岡に行った。約10キロ足らずの距離。途中、吉浜や金浦では遠足の列が来るのを待っている家があった。生徒の親類の家で、おばあさんかおばさんが立っていた。そして生徒に菓子袋を渡した。遠足の持物はお菓子は一つと決まっていたが、その子たちは二つになる。それがうらやましかった。城山に登れば、お猿さんがいて楽しかった。織の中で飛んだり、跳ねたり、食べたり、の姿がたまらなく面白かった。かかれないようにエサをやるのも面白かった。帰り道はバスだった。貸切りの井笠バスに乗って小学校まで帰った。バスの運転手さんは飛ばした。古城山から城見小学校まで、信号はひ...尋三の春 (岡山県笠岡市)
マンションや地価の高騰だけでなく戸建て住宅の坪単価もあがっていてハウスメーカーで坪120~150万円くらいと聞いています ところでアフターコロナで都心回帰が戻…
長岡市よもぎひら温泉・和泉屋へ2024年4月10日(新潟交通のツアーで)(下)左下端の赤矢印先は和泉屋。左端の黄色矢印先付近に高龍神社が位置します。(下)高龍神社参拝後に宿に戻って入浴。4階にある「風の湯」へ。翌朝は婦人風呂と交換して入浴しました。この宿の湯は、ph9.3のアルカリ硫黄泉。とろみの湯で、湯につかると肌がスベスベになりました。和泉屋専用の自家源泉。(下左)風の湯の露天風呂。この写真と(上)は(下右)の宿の冊子「やまぼうし」から借用。浴室は撮影禁止でした。←A5判26ページ(下左)玄関前にある錦鯉の池(下右)1階にある500円で4盃飲める酒コーナー。12種類の酒がありました。1階の「コーヒーラウンジやまぼうし」では、宿泊客はコーヒーやジュースが無料で飲めました(拍手)。(下)お待ちかねの夕食。...管理人の旅日記110「よもぎひら温泉・和泉屋」
小三の春古城山への遠足は、笠岡周辺の小学校にとって定番中の定番の場所だった。管理人は城見小学校の、小三の遠足で古城山に行った。城見小学校の校門を出て、当時の国道二号線を歩いて笠岡に行った。約10キロ足らずの距離。途中、吉浜や金浦では遠足の列が来るのを待っている家があった。生徒の親類の家で、おばあさんかおばさんが立っていた。そして生徒に菓子袋を渡した。遠足の持物はお菓子は一つと決まっていたが、その子たちは二つになる。それがうらやましかった。城山に登れば、お猿さんがいて楽しかった。織の中で飛んだり、跳ねたり、食べたり、の姿がたまらなく面白かった。かかれないようにエサをやるのも面白かった。帰り道はバスだった。貸切りの井笠バスに乗って小学校まで帰った。バスの運転手さんは飛ばした。古城山から城見小学校まで、信号はひ...尋三の春 (岡山県笠岡市)
東北自動車道の側道から見える古墳がある。その名も“鶴ヶ塚古墳”(埼玉県加須市町屋新田)。墳頂には稲荷神社をはじめとする社が鎮座していて、「稲荷塚」とも呼ばれている。築造年代は不明で、かつて墳丘から靫形埴輪の下半部が出土したという。周囲は見渡す限りの水田である。かつては、鶴ヶ塚古墳以外の塚もあったのだろうが、その面影はどこにもない。鶴ヶ塚古墳にしろ、だいぶ変形しているようだ。神社が鎮座しているから唯一生き残ったのだろう。陸の孤島と呼ぶにふさわしい。いまだから言えることだが、子どもの夜泣きがひどいとき、鶴ヶ塚古墳まで足を延ばしていた。近所というわけではない。車を使わなければ行けない距離である。田園地帯だからかなり暗い。子どもがすぐに泣き止むような場所でもなかった。それなのに、引かれるように鶴ヶ塚古墳へ向かった...夜泣きに向かうは鶴ヶ塚古墳?
マンションや地価の高騰だけでなく戸建て住宅の坪単価もあがっていてハウスメーカーで坪120~150万円くらいと聞いています ところでアフターコロナで都心回帰が戻…
「歴史ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)