在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾八
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾五
【小説】ランキングBest300<81位~90位>
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾四
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾参
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾弐
映画『キングダム2 遥かなる大地へ』☆「諦めるな!お前はまだ-」に泣く(T_T)
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾壱
戦国時代屈指のリベンジャー『范雎』は、平民から超大国秦の宰相まで出世した神算鬼謀
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾九
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾八
御座松塚跡(東京都稲城市)を訪問しました
白山神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
籠口ノ池(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました。
王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました②
戒翁寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
江の島燈籠2023(神奈川県藤沢市)を訪問しました
新橋駅SL広場(東京都港区)を訪問しました
新宿諏訪神社(東京都新宿区)を訪問しました
玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました
大林寺(長野県長野市松代町)を訪問しました
宗忠寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
長王寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
福聚院(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
池辺杉山神社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
観音寺阿弥陀堂(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
9月22日、オーストリアのマック将軍は、ウルムを流れる、イラ川の戦線を保持する事を決定した。 一方、ナポレオンは、9月28日~30日の三日の間に、フランス軍…
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
二俣地域の城巡り 最後は二俣城ゆかりの松平信康の菩提寺、清瀧寺へ。 小さな静かなお寺ですが、二俣城ゆかりの見どころも多く、松平信康の霊廟もあり、訪問した甲斐ありました。 訪問記 諏訪神社 清瀧寺 信康廟 おまけ アクセス 清瀧寺HP:施設スポット検索-清瀧寺|公式/浜松・浜名湖観光情報サイト~浜松だいすきネット~訪問日:2020年12月 訪問記 二俣城と鳥羽山城を散策した後、信長の命で二俣城で切腹した松平信康の霊廟がある清瀧寺にも足を延ばしてきました。二俣城からは歩いても10分ぐらいですので、行かない手はないですね。 車は二俣小学校前の無料駐車場に停めました。二俣周辺史跡等周遊、本田宗一郎もの…
「三日坊主」という言葉には、こんな説明がされています。~飽きっぽくて何をしても長続きしないこと。 また、そのような人のことを嘲っていう言葉~何事も「三日」ほどの短期間のうちに、すっかり飽きてしまう意味であることは分かりましたが、では「坊主」って? それ
1600年関ヶ原!天下分け目の合戦! 【関ヶ原のラン】と勝手に称し、西暦にちなんだ16.00kmに再挑戦します コースを関ヶ原観光公式サイトで調べると↓ おすすめモデルコース:観光情報[関ケ原観光Web] 「関ケ原合戦 行軍コース」…徒歩:約6時間(行程:16.00km)丁度いい距離🤭 徒歩約6時間のコースを前回は91分で走破しましたが、今回は一気に85分切りを狙います💪 ※途中の史跡巡りや写真撮影の時間は、もちろん時計を止めます <前回を参考にした、今回の作戦イメージ> 朝9時 🚃関ケ原駅到着(岐阜県不破郡関ケ原町) もはや電車移動で体力が削られるのは🤢想定内 自分で地図を用意する必要はあ…
桀は、末喜の願いに応えるため、巨大な宮殿の瑤台、または、傾宮を建て、落成祝いには、過去にないほどの大規模な規模の宴会を催した。 桀は、祝宴において、池に酒を…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
二俣城に続いて、二俣城と別城一郭の居館側、鳥羽山城です。 枯山水庭園跡があったり、立派な大手道があったりと、要塞の二俣城と比べると居館の鳥羽山城という雰囲気。今は公園になっていて、本丸が芝生広場に真っ赤な大木だったからかもしれませんが、本丸内はなんだかホッとしました。 概要 訪問記 大手道 本丸 曲輪 感想 アクセス お城:鳥羽山城 静岡県浜松市HP: 二俣城跡及び鳥羽山城跡/浜松市訪問日:2020年12月 概要 二俣城と同時期、1560年ごろに今川氏によって築城されたと考えられています。 その後は徳川氏が領有しますが、1572年には武田氏が攻め落とし、1575年まで武田氏と徳川氏の攻防が繰り…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
前回はメトロポリタン美術館のコレクションの所蔵するスチルフリートの「日本の風景と装束」に収録されている写真を何点か取り上げて検討を施しました。今回も海外のデジタルコレクションから明治期の写真を何点か取り上げてみたいと思います。今回は「ニューヨーク公共図書館(New York Public Library)」のデジタルコレクションから、日下部金兵衛の写真を何点か取り上げます。※「New York Public Library」は日本語版Wikipedia...
263年劉備が作った蜀の国は滅びました。多くの蜀の遺臣は、蜀を滅ぼした魏の国(のちに晋)に仕えましたが、一人南方に活路を見出すものがいました。
呉の武将陸遜の子の陸抗。 陸抗は、晋の武将羊祜との『羊陸之交』と言われる敵同士の友情で有名です。 果たして、この友情はいかにして生まれたものだったのでしょうか?
オーストリアのマック将軍は、フランス軍の進路が、南ドイツのシュヴァルツヴァルト、「黒い森」と考え、要衝の地、ウルムに入った。 ウルムは、神聖ローマ帝国の領邦…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
昨年の12月に浜松市北部、旧天竜市の二俣地区にある城跡群を回ってきました。初めてでしたが、よく整備されていて地元の方もたくさん。良いところでした。 まずは二俣城。百名城ではありませんが、天守台が有名です。それ以外にも古い石垣や遺構が数多く、見どころ盛りだくさんでした。 概要 訪問記 感想 基本情報 お城:二俣城 静岡県浜松市HP: 二俣城跡及び鳥羽山城跡/浜松市訪問日:2020年12月 概要 二俣地域には今川氏と斯波氏の争いの頃から笹岡城が存在しましたが、二俣城はその近く1560年頃に築城が始まったとされます。同時期に近くに迎賓館的な性格を持つ鳥羽山城も築城され、二城まとめて機能の違う一つの城…
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
知名度としては、勝海舟(かつ・かいしゅう/1823-1899年)や、小栗忠順(おぐり・ただまさ/1827-1868年)には及ばないかもしれませんが、黒船来航(1853年)後の、いわゆる幕末期に活動した人物の一人に川路聖謨(かわじ・としあきら/1801-1869年)という人物がいます。旗
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
少康には、三人の息子がいたと言われる。 父と共に寒浞を打倒し、夏王朝を再興した、「予」、鄫に封じられた、「曲烈」、会稽に封じられた、「無余」である。 無余の…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
新年あけましておめでとうございます。 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等未作成 twi以外、掲示板 著名人ブロ…
箱根駅伝の往路107.5㎞を走破して1000日ゴールを考えています 一気に走破なんて絶対無理ですし、そもそも箱根駅伝は二日間です 僕も48時間かけて、走破することにします <作戦> ★一日目(連続999日目) 0時 大手町発(一区21㎞)2時着→休 10時 鶴見発(二区23㎞)12時着→休 20時 戸塚発(三区21㎞)22時ゴール ~湘南の砂浜で野宿~ ★二日目(連続1000日目) 6時 平塚発(四区20㎞)8時着→休 14時 小田原発(五区20㎞山登り) 1000日目 17時 遂に芦ノ湖ゴール! これならいけるのではないでしょうか、甘いですかね? しかし、卒業式ラストランでやりたいこと…
ドクター・マーチンってごつくて実用的、しかもハードな感じが格好いいですよね!普段はナイキやアディダスのトレーナー(いわゆる運動靴)を履いてる私も、トレーナ...
最近のお気に入りウォーキング・コースは、家から30分ほど歩いて行ける牧場地帯。もっと近くにある運河沿いコースはこの時季ヌカルミ多すぎて、ゴム長でも大変な状...
本日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』ざっくり解説記事です。 いよいよ『麒麟がくる』もクライマックス。徐々に信長と光秀の間のすきま風が強く吹き始めました。 この世の春を謳歌している信長は、朝廷さえも自らの思うままに操ろうとし始めたようです。正親町天皇から誠仁親王への譲位、関白の座も二条晴継を廃し近衛前久へうつす。また、物語中では述べられていませんでしたが、天正からの改元や、閏月の挿入など、朝廷や天皇家の専売特許であった事項への口出しが目立つようになっていたと伝わります。 しかも(さすがにフィクションでしょうが)、今回の話中で光秀は天皇から直々に『信長が世を平らかにするか見届けよ』と指示を受け…
犬山城訪問に引き続き、周辺の城下町を散策しました。 城下町の商店街はインスタ映えスポットになっていて、若者がたくさん。でもそこは城下町なので、昔の名残で歴史好きの興味を引くであろうスポットもたくさん。 いろんな趣味の方が長い時間楽しめそうなスポットです。 1.犬山城第3駐車場 2.木ノ下城 3.どんでん館 4.犬山城下町 5.大手門広場 6.城とまちミュージアム 7.犬山城 8.寺内町 木ノ下城 城下町散策 本町通り 城とまちミュージアムー犬山城下町ジオラマ 寺内町 木ノ下城 前回まで犬山城に居ましたが、時を戻して犬山駅前、犬山市役所前の第3駐車場に戻ります。 まず近くの木ノ下城へ。 木ノ下城…
みなさんポスKING永田です ! ! ! 今日は早起きしてOpen前に磐田市にポスティング行ってきました~ ...
評価:55点/作者:神田由築/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット 91~江戸の浄瑠璃文化』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
第三次対仏大同盟は、イギリスとロシアの同盟に、オーストリア、スウェーデン及び、南イタリアのナポリ王国が、参加して、結成された。 同時に、オーストリアは、ロシ…
こんにちは!旅人サイファです。 今回は薩摩藩の子弟教育についてのお話です。 先日記事にしましたが、江戸時代の薩摩藩は、他藩とはちがい、領域内に多数の支城『麓』を築き地方政治を行っていました。 中でも出水麓は、肥後街道の入り口。北を接する熊本藩との接点のため、藩内各所より屈曲の者を集めて、薩摩最強との誉れ高い出水武士団を作り上げました。 その出水武士団の基礎を作ったのが、出水麓三代目地頭『山田昌巌(しょうがん)』という人物です。 この写真は大正六年に撮影されたもの。 『児請(ちごもうし)』というここ出水郷独特の儀式を撮影したものです。 完全武装した武家装束の大人たちに取り囲まれた中を少年が文を読…
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
ウソかマコトか、随筆「枕草紙」の作者として有名な平安時代の女性・清少納言(966頃-1025年頃)にはこんなお話が残されています。兄・清原致信(生年不肖-1017年)が、二十名ほどの騎兵・歩兵に館を襲撃された時のお話です。すでに出家していた清少納言も、じつはこの館にい
犬山城の訪問記、後編。天守内へと進みます。前半は曲輪の構造を辿っていたら天守前でお腹いっぱいになってしまいました。 tmtmz.hatenablog.com 訪問記 感想 基本情報 訪問記 さて、天守内へ向かいます。 天守内を下から隈なく見ていって最後に眺望、といきたいところですが、順路は真っ先に最上階へと誘います。コロナだから導線を仕切っているんでしょうか。素直に従って最上階へ。最上階からは外に出ることができます。手すりが低くてなかなかスリリング。小学生の頃によく来た気がするのですが、今思うとよくこの低い手すりのお城に小学生を連れてきたものです。まぁ、警備員さんが目を光らせてくれているので、…
別の伝承では、羿は、自身は、王座に就かず、太康の弟の中康を王位に擁立し、自身は、天下の覇権を握ったと言われる。 伯封の父、后夔は、禹の臣下で、禹が、四瀆(長…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
これまで何度も『枕草子』を取り上げてきました。 今回は趣向を変えて、中宮定子について簡単にまとめてみたいと思います。 まず、定子という人はもの凄く可愛くて美人…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
遅くなりましたが、本年最初の投稿です。今年も本ブログを宜しくお願いいたします。 投稿に手間取っている間に首都圏1都3県に緊急事態宣言が出てしまいました。心配です。みんなで協力して早く日常に戻れますように。。 投稿に時間がかかってしまった訳は、新年最初の投稿に相応しいネタを考えているうちに家族桃鉄が始まってしまったから。無事に50年プレイ完了。勝って順調な新年の滑り出しができました。誰も気にしていないって?それも気にしない。 さて、今年最初の投稿は、国宝の現存天守が残る犬山城。 小さい頃に近所に住んでいて、遠足などで何度も訪問した個人的思い出のお城。白帝城という呼び名にも非常に馴染みがあります。…
評価:55点/作者:藤原重雄/ジャンル:歴史/出版:2014年 『日本史リブレット 79~史料としての猫絵』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史リ…
2020.12.5 探訪 「賤機山」の南麓には静岡浅間神社。浅間神社境内にある大歳御祖神社側から少しのぼった場所に、「賤機山古墳」があります。知ってる人は知ってるけどこの場所に古墳がある事を知らない人も居るかも?ちなみに現在の「静岡」の地名は賤機山から由来したもの。(賤ヶ丘→静ヶ丘→静岡)短い階段を上がると古墳はすぐそこ。賤機山古墳---------------------------- 賤機山古墳は、静岡平...
ナポレオンは、戴冠式の後、タレーランの進言に基づき、自身が、大統領を務めている、イタリア共和国=旧チザルピーナ共和国の王国化について、協議を重ねた。 タレー…
先週からのカミーユ・サン=サーンス没後百年つながりで、《ヘンリー八世》の対訳テンプレートを作成しました。 対訳テンプレートはこちら → ヘンリー八世 超マイナーオペラだと思いますけど、なぜかウィキペディアの記述は充実してます。キャサリンがソプラノ、アン・ブーリンがメゾ、タイトルロールはバリトンだそうです。 テンプレはポリウト方式で作成しています。こちらの記事をお読みになってから作業を進めてください。役名の邦訳を右脇に書き込んで管理人に送ってもらえれば、こちらで一括置き換えします。 ▼ANNE▲ ▼CATHERINE ET LE CHŒUR▲ ▼CATHERINE▲ ..
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。