在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
中国春秋戦国時代の諸子百家と思想家の教えを解説!おすすめ本紹介!
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾八
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾四
こんにちは、あとりです❤ 20年11月18日 京都、嵐山、『二尊院』に行ってきました。 『二尊院』は天龍寺から徒歩約20分です。 『二尊院』は小倉山山麓にあります。 周囲に「祇王寺」や「常寂光寺」があり、紅葉の名所として人気のお寺です。 【総門】 総門は伏見城の遺構を移したものといわれています。 【受付前】 『二尊院』は「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院であり、正式には「小倉山二尊教院華臺寺」といいます。 『二尊院』は承和年間(834~848年)に嵯峨天皇の勅願で建立しました。 総門から本堂までの参道は、「紅葉の馬場」と呼ばれ、約100mの間にモミジとサクラが交互に植えられています。…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月18日 京都、嵐山、『常寂光寺(じょうじゃっこうじ)』に行ってきました。 『常寂光寺』は嵐電・嵐山駅から徒歩約20分です。 【山門】 【受付】 『常寂光寺』は小倉山山麓に建つ日蓮宗の寺で、仏教の理想郷である「常寂光土」が寺名の由来です。 平安時代後期、小倉山山麓に時雨亭と名付けた山荘を設け、歌人・藤原定家が和歌を選び「小倉百人一首」を編纂(へんさん)しました。 時雨亭があったとされる場所は諸説ありますが、『常寂光寺』の仁王門の北側から二尊院の南側にあったと伝えられています。 『常寂光寺』境内には「時雨亭跡」の石碑が建っています。 【仁王門】 茅葺(かやぶ)…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月18日 京都、嵐山、『野宮(ののみや)神社』に行ってきました。 『野宮神社』は嵐山「天龍寺」の北側にあり、嵯峨野の竹林・「竹林の道」のそばにあります。 『野宮神社』は天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする未婚の皇女(天皇の娘)から選ばれた斎王が、伊勢神宮に向かう前に身を清めたところです。 また、源氏物語の「賢木(さかき)の巻」や謡曲「野宮」や、和歌などに登場する、歴史のある古社です。 『野宮神社』は日本最古の様式という黒木鳥居とくろもじの小柴垣に囲まれています。 黒木鳥居はクヌギの樹皮がついたままの鳥居で、邪気を防ぐといわれています。 【井戸】 龍神様がまつられ…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月5日 京都、祇園、『長楽寺』に行ってきました 『長楽寺』は八坂神社の南側の道を、東に長楽山を登っていきます。 八坂神社の正門・南楼門から徒歩約5分もかからないほどの距離ですが、緑に囲まれた落ち着いたお寺です。 『長楽寺』は延暦24年(805年)、桓武天皇の勅命によって伝教大師(最澄)を開基として創建されました。 御本尊は准胝(じゅんてい)観音像です。 平安時代、壇ノ浦の戦いで平家は破れ、平清盛の娘で、安徳天皇の生母・建礼門院は入水されるが助けられ、『長楽寺』で出家しました。 【客殿 双龍舞閣】 【本堂】 【鐘楼】 今回訪れた時は紅葉はまだでしたが、『長楽寺…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月5日 京都、建仁寺塔頭、『両足院』に行ってきました。 前回からの続きです。 よかったら見てください⤵️ 【書院】 注目⭐ 屋根に「アオサギ(鳥)」がとまっています。 今回、書院で長谷川等伯筆の襖絵「水辺童子図」と伊藤若冲筆の「雪梅雄鶏図」を拝観しました。 「雪梅雄鶏図」は雪が積もった、梅と赤い椿が咲く風景の中、1羽のニワトリがたくましく生きているという絵でした。 間近で見れたおかげで、ニワトリの体温や、鼓動まで感じるような、生を感じる絵でした。 書院前は池泉回遊式庭園となっていて、京都府指定の名勝です。 水量の豊かな広い池で、書院から池を挟んだ対岸は、岡の…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月5日 京都、『霊源院』に行ってきました。 『霊源院』は建仁寺塔頭で、「建仁寺」境内の南東に位置しています。 『霊源院』は通常は非公開です。 『霊源院』は幼い頃の一休宗純に漢詩を教えた僧など、学問に優れた僧を多数輩出しました。 また、今川義元が出家した寺としても知られ、義元の生誕500周年に際して、2020年春に庭園を刷新しました。昭和の小堀遠州と称された造園家・中根兄弟が造園を手掛けました。 『霊源院』に20年2月26日に訪れた時に、その作庭の様子を特別に拝観することができました。 その時の記事です⤵️ 今回こちらの令和の庭「鶴鳴九皐」の特別公開に合わせて…
こんにちは、あとりです❤ 20年11月5日 京都 、『六道珍皇寺』に行ってきました。 『六道珍皇寺』は阪急河原町駅から徒歩約15分です。 建仁寺のすぐそばにあります。 『六道珍皇寺』の「六道」とは、生前の善悪の行いによって、死後に行かなくてはならない地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上の六種の冥界のことです。 平安時代にこの場所が、葬送の地であった鳥辺野の入り口に位置していたため、冥界との境界「六道の辻」と信じられていました。 そのため、毎年8月7日から10日までの4日間は、冥途にも届くといわれる「迎え鐘」を撞(つ)いて、先祖の亡骸・精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわいます。 今回、「京都…
こんにちは、あとりです❤ 20年10月21日 京都、『新熊野神社(いまくまのじんじゃ)』に行ってきました。 『新熊野神社』は、奈良線・東福寺駅から徒歩約10分でした。 『新熊野神社』は熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)に後白河法皇によって創建されました。 後白河法皇が退位後に住んだのが、現在の三十三間堂の東側にある法住寺で、当時は「法住寺殿」と呼ばれ、その鎮守社として『新熊野神社』が、鎮守寺として「三十三間堂」が創建されました。 その造営にあたったのが法皇の命を受けた平清盛・重盛父子でした。 【影向(ようごう)の大樟(くすのき)】 境内を入ってすぐの左手にクスノキの大木が祀ら…
日光市 森友瀧尾神社 とっても立派な枝垂れ桜があり、桜のシーズンに再訪したい神社。 【栃木県一縁結び子宝安産大注連縄】や龍の極彩色の彫り物など 小さい神社さんですが見どころが多いです。
群馬県前橋市 上野総社神社 前橋ICからすぐ近くで行きやすい場所にあります。 うさぎの御朱印、変わり種みくじ招き猫みくじを拝受 上野総社神社は上野の総鎮守なり、上野総社 神社は国内総神社の神集ひ座す御神地なり、上野総社神社を参拝するは県内各神社を参拝 するにひとし。だそうです。
京都 うさぎを奉る 東天王岡崎神社 可愛い狛うさぎや、手水舎の黒うさぎや、奉納されたうさぎのおみくじなど 沢山のうさぎが奉られています。うさぎの御朱印、うさぎの絵馬、うさぎのお御籤もあり、うさぎ好きなら絶対に参拝したい神社です。
こんにちは、あとりです❤ 20年10月21日 京都、泉涌寺塔頭、『即成院(そくじょういん)』に行ってきました。 『即成院』はJR奈良線・東福寺駅から徒歩約20分です。 泉涌寺総門の横にあります。 【山門】 山門の上中央に鳥(鳳凰)がのっています❤ 青空に映えています。 『即成院』は泉涌寺塔頭です。 正暦3年(992年)に恵心僧都(えしんそうず)が伏見に建立した光明寺をルーツとし、明治時代に現在地に移転しました。 【本堂】 本堂には御本尊・阿弥陀如来と二十五菩薩像(重文)が安置されています。 極楽浄土の世界を立体的に表したもので、二十五の菩薩が並んで楽器を奏でているため「仏像のオーケストラ」とも…
こんにちは、あとりです❤ 20年10月21日 京都、泉涌寺塔頭、『悲田院』に行ってきました。 『悲田院』はJR奈良線・東福寺駅から徒歩約25分です。 『悲田院』までは泉涌寺道を登ります、また「泉涌寺」周辺は勾配のある山道が多いため、歩きやすいくつをオススメします。 【山門】 泉涌寺道から脇道に入ります。 建物のない山道のため『悲田院』へ行く道かどうか不安になりますが、右手眼下に学校があり、進んで行くと朱色の山門が見えてきます。 山門の奥が『悲田院』です。 【山門】 『悲田院』は聖徳太子が身寄りのない老人や子どもを収容する施設として設けられたのが始まりです。 御花園天皇が勅願し、葬儀を行ったこと…
こんにちは、あとりです❤ 20年10月21日 京都、泉涌寺別院、『雲龍院』に行ってきました。 『雲龍院』は「泉涌寺」の南側にある、泉涌寺別院です。 JR奈良線・東福寺駅から徒歩約25分です。 行きは勾配のある坂道を登るため、歩きやすいくつをオススメします。 応安5年(1372年)創建。 皇室ゆかりの写経道場として知られ、予約なしで写経体験が出来るそうです。 ここからは拝観料(400円)が必要です。 本堂「龍華殿」の内部以外は写真撮影ができました。 【蓮華(れんげ)の間】 「蓮華の間」の雪見障子の四角いガラスから椿・とうろう・楓・松のそれぞれ違った風景が見えます。 【悟りの窓】 書院悟之間の窓「…
こんにちは、あとりです❤ 20年10月21日 京都、『泉涌寺』に行ってきました。 前回からの続きです。よかったら見てください⤵️ 【舎利殿】 舎利殿は「仏牙舎利」(お釈迦様の歯)を奉安する特別な建物です。 舎利殿は寛文8年(1668年)皇居の建物を下賜されて移築し重層に改築されました。 舎利殿内部は通常非公開です。 今回「令和2年度 第56回京都非公開文化財 特別公開」で拝観することができました。 拝観料に、限定御朱印つきでした。 舎利殿内部の「仏牙舎利」の右に「月蓋尊者像(重文)」、左に「韋駄天像(重文)」が安置されていて、舎利を守護する姿があらわされています。 謡曲「舎利」では、この舎利殿…
9月の4連休 日帰りで栃木へうさぎの御朱印ドライブに行ってきました。日光市今市で🐇瀧尾神社、🐇報徳二宮神社、森友瀧尾神社、🐇大室高龍神社 4社を回って 宇都宮の二荒山神社を経由して 益子町の🐇鹿島神社、時間があれば西明寺 真岡市で🐇大前神社 益子町あたりでランチの予定でしたが・・・
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。