在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
【58】続日本100名城 一宮城跡(登山口だけ)〜ランチは「和美彩美」さんで(徳島県徳島市)
続日本100名城 向羽黒山城(福島県大沼郡会津美里町アザ船場地内)
<大和郡山城>の”城門”を巡るー南御門が永慶寺に移築、惣構えの大門一つも再現
【56】続日本100名城 岡豊城跡/長宗我部元親の居城に興奮(高知県南国市)
本佐倉城・滝山城・小机城
続日本100名城 秋田城 秋田城跡歴史資料館(秋田県秋田市寺内焼山9-6)
寒ブリ食べに行ってきた(7) 富山城
島原城・原城
<田丸城>の”城門”を巡る-両脇の侍溜が分離された長屋門形式の富士見門、転輪寺表門へは移築門
<津城>の”城門”を巡る-城内に城門はないが、西の丸跡内に藩校の”入徳門”が現存移築
興国寺城@静岡県
諏訪原城@静岡県
<郡上八幡城>の”城門”を巡る-本丸天守台と桜の丸の間に模擬冠木門が建つ
<苗木城>の”城門”を巡る-”風吹門”の門扉・柱・冠木だけが”苗木遠山史料館”に展示
大垣城【二回目】@岐阜県
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾参
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾弐
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾壱
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾
お江戸の「べらぼう」な糖尿病事情
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾九
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾八
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾六
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾五
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾四
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾参
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾弐
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾壱
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾
【平安貴族】「光る君へ」で人気再燃の藤原実資と藤原道長:平安時代の政治を彩った関係
畠山重忠の軍勢は、源頼朝の許に向かおうとした、三浦一族の軍勢と鎌倉の由比ガ浜で、遭遇する。 三浦一族の惣領、三浦義明の娘は、畠山重能の妻であり、縁戚関係のた…
わらび機(はた)まつり。このお祭りは初めて。16時半頃に着いた。 JR蕨駅西口の蕨ピアロード商店街がメイン会場だったのかもしれない。凄い人混み。 配偶者は餡餅を食べていた。 早々に楽しさよりもつらさの方が勝って来たので、商店街から逸れて和樂備神社(わらびじんじゃ)へ。人が少なくて快適。 ここは何度か来たことある。12月のおかめ市とか。 和樂備神社=蕨城。隣の公園に蕨城の石碑があった(撮り忘れた)。 戦国時代は、扇谷上杉氏や北条氏のお城だったみたい。 今日の9時から、東口の機神社で式典をやっていたらしい。東口のコインパーキングに車を停めたのに、暑過ぎて寄り忘れてしまった…。 今日(最終日)は19…
畠山重忠は、秩父平氏の一族の嫡流、畠山重能の嫡子である。 重忠は、武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄によって、存命中から、「坂東武士の鑑」と称された。 後世、良…
1810年2月16日、ウィーンにおいて、2月7日のナポレオン及び、マリー・ルイーズの婚姻契約が、批准された。 2月23日、ナポレオンは、未だ、会ったことのな…
方円舎清親「内国勧業博覧会之図」から(部分)(再掲)(「国立国会図書館デジタルコレクション」から)前々回及び前回の2回で、「七湯の枝折」(以下「枝折」)の「産物」に記載されている「蛇骨」と「木葉石」について検討しました。今回はその締め括りとして、明治10年(1877年)の内国勧業博覧会にこれら2点が出品された記録と、「新編相模国風土記稿」(以下「風土記稿」)上のこれら2点の記述の有無について検討します。...
織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあって、両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」または「甫庵
2022.5.15 撮影 敦賀駅すぐ側のブロンズ像「都怒我阿羅斯等像」。都怒我阿羅斯等と書いて「つぬがあらしと」。「敦賀」の名前の由来となった渡来人です。「角額」→「角鹿」→「敦賀」---------------------------- 都怒我阿羅斯等像 日本書記の巻第六の項に「一に曰く崇神天皇の世に額に角有ひたる人一の船に乗りて越国の筍飯浦に泊れり故其處をなずけて角鹿と曰ふ…」の記事がみえている。任那国の...
呉の滅亡を招いた、傾国の美女である、西施は、出身地の苧蘿村に「施」の姓の家族が、東西二つの村に住んでいて、彼女は、西側の村に住んでいたため、西村の施との由来…
葛西清重は、桓武平氏良文流の秩父一族の庶流、豊島清元の息子である。 秩父一族は、平良文の孫、平将常が、武蔵国秩父郡中村郷を所領として、秩父氏を称した。 将常…
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4124.html【月見御殿】---------------------------- 月見御殿 この付近は金ヶ崎の最高地(海抜86メートル)で月見崎といい通称月見御殿と呼んでいて、南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡といい、戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えている。----------------(金ヶ崎城跡 案...
下河辺行平は、小山政光の弟、下河辺行義の息子で、下河辺政義の兄である。 行平は、小山朝政、結城朝光の兄弟の従兄弟であり、宇都宮朝綱、八田知家の兄弟の縁戚にな…
七年前に訪れた時と若干被るかも知れませんが…2022.5.15 探訪 金崎宮から「金ヶ崎城跡」に向かいます。【鴎ヶ崎】進んでいきましょう。【尊良親王御墓所見込地】---------------------------- 安政年間(江戸時代末期)この地付近より経塚が発見され、石室からいずれも銅製の経筒・円鏡・椀(三点とも敦賀市指定文化財・金崎宮所蔵)が出土した。当時は殆ど話題にならず、遺物は埋め戻されたという...
7年前に神社と城跡に訪れた時の記事。http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1324.htmlhttp://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1325.html何で恋の宮なのかは過去ログを参考にどうぞ。2022.5.15 参拝 「金崎宮」にやって参りました。下の写真、階段の右手側に見える鳥居は「愛宕神社」です。越前若狭五大名城をアピールする幟。この鳥居をくぐればすぐですよ。金崎神社は、境内地の大部分が金ヶ崎城の旧跡。城跡につ...
結城朝光は、小山政光の四男で、源頼朝の乳母の一人、寒河尼の息子である。 寒河尼は、八田宗綱の娘であるため、朝光は、宇都宮朝綱及び、八田知家の母方の従兄弟に当…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。