在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
2022年09月 (1件〜50件)
現代日本ではとんと見られることがなくなった「天然痘」も、実は明治時代に入るまではかなり猛威をふるっており、その凄まじい病状自体がまた「恐怖の対象」になっていた。仮に運よくこの「病状」を乗り越えられたとしても、はっきり天然痘跡が残る人も少なくなく、実際、幕
前述の通り、源頼朝の嫡男、第二代の鎌倉殿の源頼家には、一幡、善哉、栄実、禅暁の四人の息子と娘の竹御所がいた。 源実朝にとって、甥、姪に当たる。 比企能員の娘…
前述の通り、源実朝は、大江広元に対して、源氏の正統な血統は、自分の代で終わり、子孫が継ぐことはないと述べており、生涯、子供ができないことを自覚していたと思え…
前節、「北条義時」と、本節「源家滅亡」は、年代順に記述していない。 最大の理由は、源実朝の治世を年代順に記述すると、一節では、収まらなくなり、特に、和田義盛…
フィギュアという言い方はちとあれですが…2017年の記事。https://unframed.lacma.org/2017/09/21/archaeology-el-ú-waka’-maya-ritual-resurrection-scene-broader-perspective→★翻訳したページはここをクリック。王家の墓室の中から23個の陶器製の小像。リンク先の記事によれば復活の儀式をあらわした像だそうで、1500年前のマヤ文明の遺跡から発掘されたものらしい。特に中でもかぶり物が脱着出来るコレ凄い。もしもガチャでこん...
先日行った会津若松。 会津若松といえば「鶴ヶ城」 もちろん、鶴ヶ城にも行ってきました。 小学校の修学旅行で鶴ヶ城に行った記憶はあるものの、さっぱり覚えていません。 修学旅行の定番コースの会津。 記憶にあるのは、 白虎隊の飯盛山、さざえ堂、五色沼。 そして、 猪苗代湖近くにある野口英世記念館。 鶴ヶ城の記憶が全然ありません! とはいえ、何十年前の話よ(^_^;) (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 昔のことはさておき、 鶴ヶ城がとても良かったです。 天守閣にも入場して、最上階から眼下を眺めました。 飯盛山方面を見た景色です。 屋内…
1213年(建暦三年)5月3日、和田義盛の乱が、鎮圧されると、戦後処理が行われた。 同年9月19日、日光山別当の法眼弁覚が、大夫阿闍梨重慶が、謀反を企ててい…
北条義時は、1205年(元久二年)閏7月の牧氏事件によって、父の北条時政を追放し、第二代執権の座に就いたことは、既に述べた。 父の時政の性急な権力独占が、多…
武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城へ 続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつそれなりに山を登ることになりました。 とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。 お城:要害山城(128)山梨県甲府市HP:甲府市/要害山(ようがいさん)訪問日:2022年2月 概要 訪問記 スタンプ@甲府駅前 藤村記念館 登山口~諏訪の水 諏訪の水~主郭西側の門 概要 1519年、武田信虎が甲府の躑躅が崎館(訪問記)に居館を移しました。翌年、詰城として築いたのが要害山城です。 1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避…
人為的災害として、犠牲者の多さでは日本史上でも指折り数えられるであろう一つが「明暦の大火」(別名・振袖火事/1657年)だ。その数は10万人以上にもなったようだから、彼らを葬ってやろうにも人数が多すぎて、とてもじゃないが民間だけでは対応し切れない。そこで幕府が
先日、娘たちに誘われて 会津若松に行ってきました。 娘たちの目的は、福島県立博物館で開催されている新選組展。 推しの刀が展示されているとか。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); スマホゲーム、ミュージカル、舞台、アニメと大人気の刀剣乱舞。 日本刀の名刀を擬人化、イケメン化(?)した作品。 (未だにちょっと理解が追いつきません) 娘たちは刀剣乱舞に夢中になっているのですが、その中に登場する和泉守兼定を どうも長女が推しているらしいのです。 和泉守兼定は、土方歳三の愛刀として有名な刀だと聞きます。 私は全く勉強不足で知らなかったので…
前述の通り、源実朝は、1203年(建仁三年)9月、十二歳の年、征夷大将軍に任官した。 当初、外祖父の北条時政が、執権として、実権を握っていたが、牧氏事件によ…
「丙辰丸」「庚申丸」を建造した「恵美須ヶ鼻造船所跡」 今回は、山口県萩市にある萩の産業遺産群の一つ「恵美須ヶ鼻造船所跡」をお届けします。 萩の産業遺産群には、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡
世界遺産「大板山たたら製鉄遺跡」 今回は、山口県萩市にある「大板山たたら製鉄遺跡」をお届けします。 たたら製鉄とは、千年以上の歴史を持つ日本在来の製鉄技術です。 炉の中で原料の砂鉄と燃料
JUGEMテーマ:歴史郷土の偉人「田坂市良右衛門」 今回は、山口県岩国市玖珂町にある「義民 田坂市良右衛門碑」をお届けします。 安政年間(1854〜59)、玖珂は岩国・吉川藩領の代官所として、玖珂
毛利元政が絶えず身に付けていた、父・元就の歯 今回は、山口県周南市熊毛にある、毛利氏ゆかりの地「毛利元就公歯廟」をお届けします。 中国地方の覇者、毛利元就は、軍略・政略・謀略に優れた武将で、一代の
日本人の歴史教科書と言われる、NHKの大河ドラマは、2024年までの六十三作までに、北条政子、豊臣秀吉の妻のねね、川上貞奴、春日局、日野富子及び、前田利家の…
最近は台風も多くて、雨が多いですね~ 変な天気で体もおかしくなってしまいます ! ! 少しでも体を動...
1206年(建暦三年)5月3日、朝比奈義秀は、鎮西の住人である、小物資政を討ち取り、土屋義清、古郡保忠と、三騎、轡を並べて、敵陣に突入すると、将軍の軍勢を攻…
年(建暦三年)5月2日午後六時、和田軍は、一斉に大倉御所を襲撃して、御所を警護する、将軍の軍勢、北条泰時、北条朝時、足利義氏等の兵と合戦に及んだ。 そして、…
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北条義時の思惑とは異なり、将軍の源実朝は、泉親衡の乱は、終焉し、危機は去ったと認識していた。 泉親衡の乱の目的は、北条義時の打倒であり、将軍の源実朝ではなか…
少々乱暴に言い切ってしまうなら、明治に入った頃のいわゆる「文明開化」とは、日本が従来使用していた「モノサシ」を西欧製のそれに切り替えることだったのかもしれん。いい例が、伝統ある?「チョンマゲ頭」から割合素気ない「ザンギリ頭」への転換だが、ひょっとしたら女
今回は前回公開した「七湯の枝折」(以下「枝折」)の「神習(かんならい)文庫本」の産物一覧を受けて、「つたや本」との比較で気付いたことを挙げてみます。その前にまず、「神習文庫本」についてもう少し掘り下げてみます。「枝折」の草稿とされるものがどうして無窮会神習文庫に収められることになったのでしょうか。「七湯の枝折」(沢田秀三郎釈註 1975年 箱根町教育委員会)の解説では「神習文庫本」について次の様に触れて...
1213年(建暦三年)3月9日、源実朝の意向の名目によって、和田義盛の一門、九十八人の面前で、北条義時の郎党、金窪行親、安東忠家は、和田胤長を二階堂行政に引…
泉親衡の乱に参加していたのは、和田義盛の四男の和田義直及び、五男の義重、そして、和田義盛の弟、義長の息子の胤長である。 三人が、泉親衡の乱に参加したのは、武…
泉親衡の乱は、首謀者の泉親衡の逃亡及び、その与同者達の配流及び、恩赦によって、終焉を迎えた。 しかし、泉親衡の乱は、鎌倉の武家政権の草創以来の最大の内乱の発…
千葉成胤が、安念を北条義時に引き渡した。 義時の郎党である、金窪行親の尋問の結果、安念は、謀反の全容を自白した。 首謀者は、泉親衡、与同の武士は、張本百三十…
源実朝は、北条義時が、自身の郎党を武家政権の御家人に列することを認めなかった。 義時の嘆願を却下したため、実朝は、和田義盛の上総介への推挙を認めることができ…
無住法師が編纂した『沙石集』はよく取り上げていますが、しっかりと取り上げるのは5ヶ月ぶりです。今回は面白話ではありません。タイトルに記したとおり、平等院鳳凰堂…
1209年(承元三年)5月12日に、源頼朝の挙兵以来の功臣下、侍所別当の和田義盛が、上総介任官の推挙を源実朝に求めた。 和田義盛は、三浦義明の孫であり、三浦…
橘氏の出身で唯一皇后に立てられた女性、それが第52代・嵯峨天皇の皇后となった橘嘉智子(786-850年/享年65)であり、仏教への信仰が篤く、日本最初の禅院・檀林寺を創建した事績から死後「檀林皇后」と諡号された。千年以上経った今もなお、世に類なき美貌の持ち主だった、
「センゴク」の人が関ヶ原の漫画を連載するみたいで、神聖ローマ帝国の漫画もやるとかで、楽しみが増えた。 ↓この日の日記で、「センゴク権兵衛」最終巻の呆気なさを嘆いていた矢先の朗報。 昨日に引き続き廃人状態。12年前、パニック発作が出て治療を始めた時も今と似たような感じだった。 その当時も休日の過ごし方は今とあまり変わらずドライブや貧乏旅行を楽しんでいたけど、所々記憶が完全に抜け落ちている。自分で撮った(らしい)写真を見てやっと思い出すことも多かった。 また寒天ゼリー。そんなに好きか。 包み紙を水で洗って乾燥させて、たまにメーカー毎に並べて比較するのも楽しい(暇人)。 旬菓吉宗庵ミックスゼリー ↓…
源実朝は、1203年(建久三年)の比企氏の乱の動乱と共に征夷大将軍に就任し、二年後の1205年(元久二年)、畠山重忠の乱及び、牧氏の変が、勃発している。 源…
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人の』主人公は、北条義時である。 後世、鎌倉幕府と呼ばれる、武家政権の構築者、政治的天才の源頼朝及び、瞬く間に、平家を…
人には何度か贈ったことあるのに自分では一度も食べたこと無かった「鎌倉半月」というゴーフル(ゴーフレット?)をサービスエリアで見かけて、「これ会社で貰って食べたけど、美味かったから食べてみなされ」と、配偶者氏にお薦めされた。 パリパリで美味しい。 ウサちゃんも可愛い。 鎌倉五郎本店 鎌倉半月 6~7年前から育てていたクラッスラ・ゴーラムが越冬失敗で瀕死になり、ほんの僅か残ってはいるけど、ずっとヘロヘロで時間の問題かもしれない。 …で、新たに買って来た苗がどうもゴーラムでは無いっぽくて、クラッスラ・オバタ・ホビット(宇宙の木)という名前シールが貼ってあることに気がついた。 ゴーラムも「宇宙の木」と…
1205年(元久二年)8月7日、牧氏の変の翌月、下野国の有力御家人、宇都宮朝綱が、謀反を疑われた。 宇都宮頼綱は、宇都宮業綱の息子で、宇都宮朝綱の孫に当たる…
源頼朝は、「坂東武士の鑑」として、畠山重忠に、「頼朝の後胤」を護ってくれるように、慇懃の詞を尽くしていた。 しかし、畠山重忠は、比企氏の乱の際、妻の父、北条…
平朝雅は、源義光の四男、源盛義の孫である。 源義光の長男の義業は、常陸国の佐竹氏、次男の義清は、甲斐源氏の祖となり、佐竹氏及び、甲斐源氏は、治承・寿永の乱の…
牧の方は、北条時政の後妻で、北条政子、北条義時、阿波局、北条時房の継母である。 北条時政は、1138年(保延四年)の生まれのため、1180年(治承四年)の源…
神戸のお豆パンを貰った。どうもありがとう。表面を焼くとお豆が軟らかくなってさらに美味しい。 運転免許証の更新に行った警察署付近で撮った、シオカラトンボっぽいトンボ。 ヒューッと飛んで来て、自分の目の前に着地した。 トンボが苦手な人は閲覧注意!クリック・タップすると画像が大きくなります。 7月の半ば頃、配偶者が職場近くで見つけたというギンヤンマっぽいトンボ。 この人も地面に居る。どちらも何をしているのだろう? トンボが苦手な人は閲覧注意!クリック・タップすると画像が大きくなります。 犬山城のつづき。 犬山城の天守へ向かう途中に神社がいくつかあった。 時間が無かったので写真を撮るだけになってしまっ…
日本列島をいくつかに分ける場合、代表的なひとつが北から順に、北海道/東北/関東/中部/近畿/中国/四国/九州、この「八つ」の地方に分割する方法だ。まあ、これには異議もないと思うがダ、ひょっとして、ヒメ隊員はこんな疑問を抱いたことはないか?~「中国地方」の
北条義時は、畠山重忠討伐に疑念を抱く、御家人達を見て、事実関係を確認していった。 父の北条時政が、言葉を失い、畠山重忠の謀反は、冤罪であると証明されたが、源…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。