在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
no.366 ノートアイス
<八戸城・根城>の”城門”を巡る-立派な御殿門、根城に再移築した東門が残る八戸城
<弘前城 長勝寺構>の”城門”を巡る
<戸切地陣屋・白老陣屋>の”城門”を巡る-幕末に国防の為に幕府の命で築城した”出張陣屋”
<松前城>の”城門”を巡る-復興門2基と移築現存門が復元天守と現存櫓門に花を添える!
『全国の「櫓門」を巡る』の「メニューバー」をリニューアルしました
全国「城門」を巡る ”はじめに”
雨の佐土原城攻城記。 その1 <二ノ丸~中の道登山口>
雨の佐土原城攻城記。 その2 <中の道登山口~登山道>
雨の佐土原城攻城記。 その3 <切通道~本丸>
紅葉が美しい摂津池田城逍遥
<御殿総集編> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-全国90の御殿遺構や再建建造物を訪ねよう!
<伏見城(14)> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-伏見城激戦跡の”血天井”を見る
<伏見城13> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-”福山城”の復元”御湯殿”と沼名前神社の能舞台
<伏見城12> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-平等院塔頭”浄土院”内の子寺”林養庵”にも移築
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
神体山や磐座など 『風土記』の時代から続く自然神道の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:75点/作者:山下博司/ジャンル:歴史/出版:1997年 『世界史リブレット 05~ヒンドゥー教とインド社会』は、山川出版社の歴史シリーズ、「世界史リ…
神体山や磐座など 『風土記』の時代から続く自然神道の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山や磐座など 『風土記』の時代から続く自然神道の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
ナポレオンは、1798年2月、総裁政府にエジプト遠征計画を上申し、遠征軍を編成した。 歩兵十五個准旅団、騎兵七個連隊、砲兵二十五個中隊、その他、千人の後方…
斯波氏の嫡流である、斯波武衛家は、戦国大名としては、存続できなかった。 しかし、奥州の地では、斯波氏の子孫は、戦国大名として、戦国時代を生き抜いた。 斯波…
しかし、カール・マルテルが、病床に伏すと、ウードの息子である、フノアルドは、再び、フランク王国に叛旗を翻して、事実上、独立した。 カール・マルテルの二人の息…
この場合の三英傑とは、一般的には「戦国の三英傑」とも呼ばれる下の方々のことです尾張国・織田信長(1534-1582年)尾張国・豊臣秀吉(1537-1598年)三河国・徳川家康(1543-1616年)実際各々の個性にはそれぞれに異なった強烈さを放っていますが、実は外来宗教である「キリ
評価:70点/作者:早瀬晋三/ジャンル:歴史/出版:2009年 『世界史リブレット123~未完のフィリピン革命と植民地化』は、山川出版社のシリーズ、「世界史…
ナポレオンは、新たな栄光の地を、オリエントに求めた。 ナポレオンが、オリエント、特にエジプトを渇望したのは、イギリス方面軍最高司令官への就任後ではない。正確…
斯波義統の義銀の弟の津川義冬は、織田信長の次男である、織田信雄の家老であった。本能寺の変の後、義銀は、信雄の配下になった。その後、信雄は、羽柴秀吉と対立すると…
同時に、ローマ教皇ステファヌス3世は、国王のピピン3世及び、二人の王子に対して、「パトリキウス」の称号を与えた。パトリキウスは、古代ローマ社会において、上流…
本日は動画の紹介。少しばかり紹介するのが遅れましたけど、焼津の四区櫻組のかたの切実なお願いです。【櫻組ヒロミチのお祭り気分でアンエットン#013 荒祭りの祭典委員…青年、中老になってみよう 焼津】毎年、祭りを取り纏める祭典委員の方々には本当頭が下がります。いつもお疲れ様です。そして、ありがとうございます。私も時々このブログで散々言っていることですが…「伝統文化」を継承していくのは、とても大変な事です...
GWに実家の新築工事が完成間近ということで引っ越しの手伝いに行って参りましたので今回は番外編としてご紹介します // 写真 玄関 リビング キッチンパントリー 小上がり和室 廊下 洗面脱衣室 浴室 階段 2階 2階トイレ 寝室 2階クローゼット 壁 まとめ 実家はすごかった 写真 玄関 玄関の扉を開けると木の香りが~!無垢に囲まれた空間に迎い入れられました! リビング ここも全面無垢!引渡し前なので工具類がまだ置いてあります キッチンパントリー キッチン裏にはパントリーがありました 小上がり和室 ここは畳の真ん中が取り外せて掘りごたつにもなるらしいです! 廊下 廊下の照明も調光タイプのダウンラ…
城を観る[YouTube](撮影 2017/08/13)山形城(霞城)2017 〜山形城を観る〜にほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100 (CARTOPMO…
城を観る今回は...(撮影 2018/06/03)文殊山城〜文殊山城を望む〜下から見るとこんな感じ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山…
城を観る[YouTube](撮影 2017/06/13)東条城(三河国)2017 〜東条城を観る〜にほんブログ村アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く…
城を観る[YouTube](撮影 2016/02/25)姫路城2016 〜姫路城を観る〜にほんブログ村アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さん…
個人の日記がいわば一種の「歴史証言」としての価値を生み出すこともあるようで、たとえば元禄時代の尾張藩武士・朝日重章(文左衛門/1674-1718年)の残した日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」も、そうした物の一つに挙げていいのかもしれません。この日記は1691年か
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2758.html神社から少し歩いたところに『お照の墓』があるそうで、気になってしまい行ってみることに。少しばかりわかりづらい場所にありました。この標識が現れるまで歩きながらキョロキョロ。途中でどこかで道を間違えたのかとドキドキしてしまった。何の神様がお祀りされているのかわからない小さな神社。お墓への道が崩...
評価:60点/作者:斎藤照子/ジャンル:歴史/出版:2008年 『世界史リブレット 84~東南アジアの農村社会』は、山川出版社の「世界史リブレット」シリー…
出雲国風土記 飯石郡 『狭長社(狭長神社)』
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『釜石』
あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編
全国の神々が集う!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編
出雲国風土記 出雲郡 『加毛利社(加毛利神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『多倍社(多根神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『日倉社(日倉神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『佐久多社(嘉羅久利神社)』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 境外摂末社編
出雲国風土記 大原郡 『船林社(船林神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『賣豆貴社(賣豆紀神社)』
出雲国風土記 大原郡 『宇乃遲社(宇能遅神社)』
ナポレオンは、イタリアの遠征中に、自然科学の権威を招くと、対等に議論を戦わせた。ナポレオンは、十代の時代に、実に大量の様々な分野の本を読んでいたため、その学識…
国見「中尊寺ハス」が見頃 福島民報 ... 地区のハス池で、「中尊寺ハス」が見頃を迎えた。十三日は梅雨の晴れ間が広がり、優美な桃色の花が青…
斯波義統には、義銀、義冬、長秀など、少なくとも、三人の息子がいたと言われている。 義冬は、後に津川義冬を称し、織田信長に仕えた。長秀は、毛利長秀を称し、織田…
前回の「銀座散策~神社・裏路地巡り~(1)」では、銀座が東西南北1キロ四方の狭いエリアであることをご説明し、京橋から歩き始めて、銀座1丁目の守護神である「幸稲荷神社」まで歩きました。今回は、銀座の中心的な通りである中央通り(旧東海道)まで歩いてみます。★★★ ★★★(町人地の神社)今回の「銀座散策~神社・路地裏巡り~」シリーズでご紹介する銀座の神社は、江戸時代の町人地にあった神社又は武家屋敷などにあっ...
先日行った福知山城の写真です。内部は残念ながら撮影禁止と書かれていました。遠くから城の全景です。見えにくいですが小天守もあります。再建なのですが、工夫された城内で展示物も豊富です。天守閣は四階建てですね。天守最上階より福知山市街です。所々に明智光秀の肖像画が飾られていました。福知山のヒーローなのでしょうか?私が初めて訪れた時は、ただの城跡でした。現在は綺麗に整備されてとても美しい姿になっています。でも微妙に寂しい気持ちもあり気分的には複雑ですね。週刊名城をゆく39福知山城・田辺城小学館ウィークリーブック福知山城
ピピン3世の即位と同時に、その二人の息子、カール及び、カールマンは、フランク王国の「宮宰の息子」から、フランク王国の「王子」となった。 後に西ローマ皇帝とし…
評価:70点/作者:弘末雅士/ジャンル:歴史/出版:2003年 『世界史リブレット 72~東南アジアの建国神話』は、山川出版社の「世界史リブレット」シリーズ…
幼いころから聡明かつ大変な堅物、その上とっても毛並みが良い・・・江戸中期の老中・松平定信(1759-1829年)はまさにこの通りの人物でした。なにせ八代将軍・吉宗の孫であり、一時期は将軍候補者としても目されていた(異説もあり)ばかりか、江戸幕府の三大改革として取り
今回は『枕草子』の一節で、『百人一首』にも採録されている清少納言の和歌が出てくるお話です。 頭の弁・藤原行成様が、私たちのいる職の御曹司に参上して、話をなさっ…
戦国時代、房総半島には里見氏という一大勢力が存在し、関東の覇者である北条氏と激しい戦いを繰り広げていました。そのため存在自体は知っていたのですが、里見氏
検索でいきなりココに辿り着いた人はその1からどうぞ。→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2736.html大楠まで誘導するかのように、不自然に黄色い珪藻土で固めたとっても歩きづらい変な参道が出来ていました。なんなのコレ。神社ならばもっと自然と調和した美しい参道をだな…http://www.kinomiya.or.jp/top/ookusu.html-----------------------------大楠の由来 大昔の大楠を御神体...
神体山や磐座など 『風土記』の時代から続く自然神道の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
銀座は日本だけでなく、世界的にもトップレベルの高級繁華街ですが、意外にも多くの神社があります。そこで今回は、神社巡りをしながら銀座散策をしてみます。また、銀座には多くの路地裏がありますので、これら路地裏も散策してみます。★★★ ★★★(銀座概要)銀座は中央通り(旧東海道)を真ん中にして、東西1キロメートル、京橋・新橋間の南北1キロメートルの狭い地域で(下図参照)、銀座1丁目から8丁目まであります。日本...
本日は七夕。たくさんの記事の更新すいません。過去の記事をちょっとだけ編集しなおして再掲しておきます。日本には、数々の七夕の物語があります。七夕に登場する『彦星』のモデルとなっている者が存在し、それは一説には古事記に登場する、高天原を裏切った『天若日子』なのだとか。今回は室町時代の『御伽草子』(短編のお話が幾つも詰め込まれたもの)を紹介しようと思います。その中には『天稚彦草子』という七夕の物語があり...
2019.1.12 探訪 我がふるさと焼津には、たとえ人物が有名だとしても、あまり知られる事もなくひっそり存在する史跡がございまして。『井伊直孝産湯の井』って知っていますか?…って知るワケないですよねぇ。(^ω^ ;)だって、道路脇にこんな風にちんまりしているだけだから、あまり気付かれる事も無いんです。これでも整備された方で、以前はもっとわかりにくい雰囲気でした。井伊直孝といえば誰もが知る歴史上の有名人。彼は焼津...
江古田は「えこだ」「えごた」? 西武と都営で異なる駅名の読み、なぜそうなった 乗りものニュース 西武池袋線の江古田駅は「えこだ」と読みます…
日本の歴代天皇も、現在でこそすべての歴代天皇に追号や諡号がありますが、ちょい前まではそれがなく、単に廃帝も呼ばれていた天皇経験者もいました。○淡路廃帝(あわじはいたい)または単に廃帝(はいたい)○九条廃帝(くじょうはいてい)または後廃帝(こうはいてい)が
検索からこの記事に辿り着いた人は、その1からどうぞ。→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2727.html神社境内にある「六鈴鏡出土古墳」(奥屋敷一号墳)。-----------------------------奥屋敷古墳群 関方地区の猪之谷神社境内を含む範囲にある、3基が確認されている古墳群です。神社の本殿に向かって左側の斜面に残る古墳は、奥屋敷一号墳と呼ばれています。横穴式石室で、羨道から...
2019.1.12 参拝 焼津市関方にあります「猪之谷神社」(いいのや神社)。一説には井伊家と何らかの関わりがあるかも知れないと言われているようですが、詳しくはよくわかりません。ちなみにこの神社から近い場所には「井伊直孝産湯の井」や、直孝ゆかりの神社が存在しています。この神社の古墳からは「六鈴鏡」が発見されているらしい。-----------------------------猪之谷神社の文化財 焼津市指定...
温故知新子曰く、故きを温ねて新しきを知れば以て師と為すべし古いことを研究し新しい知識や方法を得る人がいれば、その人をリーダーとして良い満州事変の結果、大陸に進出する前進基地、更に中国革命の波及阻止をする拠点として日本が中国東北三省および熱河省に作った傀儡国家が満州国である。傀儡国家とは傀儡政権とも呼ばれ名目上は独立しているものの内政・外交ともに自己決定権が不完全で支配者の利益のために支配された国家...
前々回の記事と前回の記事で、石上の渡しにまつわる私の過去の記事を再掲しました。その際、石上の渡しや山本橋についてはその後新たな情報を得ていないということを書いたのですが、その直後に別件で分析を始めた資料の中で、偶然石上の渡しから山本橋に切り替えられた頃の記録を見つけました。今回はその記録についてまとめることにしました。今回調査している資料はこちらです。藤沢市史料集(二十二) 小川泰堂「四歳日録」(...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。