在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
歴史人「織田信長と本能寺の変」!令和の新発見で信長像が変わる?信長殺しの動機と黒幕説は?
建勲神社
【信長の合戦】小口城の戦い~犬山城攻略【尾張統一編】
謎解き編38/ハテナに遭遇した境内散策
【歴史年表で追う】信長・秀吉の戦いと政策を比べて覚える
【信長の合戦】村木砦の戦い【尾張統一編】
【歴史年表で追う】室町時代2つの争乱期、南北朝・戦国
しぶとい植物、そして光秀も @フラリエ
【信長の合戦】浮野の戦い【尾張統一編】
【信長の合戦】稲生の戦い【尾張統一編】
【SHN】袴田巌~冤罪で47年間を刑務所で過ごした男性の裁判で無罪が確定しました【姓名判断チャート掲載中】
トンデモ編11/退却殿軍はウラ最前線
【信長の合戦】萱津の戦い【尾張統一編】
【信長の合戦】安食の戦い~清州城奪取【尾張統一編】
岐阜城@岐阜県
幕末期に英国駐日公使館付通訳生がいた。その名は「佐藤(薩道)愛之助」。こう聞けば、自然「日系二世」?あたりを連想してしまいますが、その本名を「Ernest Mason Satow」(1843-1929年)といい、生粋の英国人でした。この「アーネスト・サトウ」が着任した頃の日本は、ま
豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で、ともに五大老としてその職責を担っていた徳川家康(1543-1616年)と前田利家(1538?-1599年)のその後は以下のようになりました。○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)○1599年 前田利家の死 (享年62?)○1600年 故・利家の妻・まつ(
九州、福岡県北九州市八幡西区には、神武天皇が日向の美々津を出て神武東征に向かった際に、途中1年間滞在した岡田宮があり、またそこには神武天皇自らが国の安泰を 祈願し祭祀を行った古代祭場跡がありました。 そこが八幡西区にある一宮神社です。 一宮神社は日本書紀に出てくる「岡田の宮」跡で、皇后崎公園(こうがさき)の雑木林に覆われた静かな場所にあります。 北九州市には「岡田」の名がついた岡田神社がありますが、その元宮は一宮神社だそうです。 下の写真が本殿ですが、ちょうど参拝した日は光がさして神秘的でした。 こちら一の鳥居です。 二の鳥居、1900年(明治33年)にできたものですから100年以上前のもので…
鎌倉時代の1221年5月14日、承久の乱が起きます。 後鳥羽上皇が武家政権の鎌倉幕府に対し兵を挙げたのです。 (朝廷の収入源が原因) 承久の乱は、朝廷をないがしろにする鎌倉幕府への反抗ですが、もう1つ経済的な意味もあります。 それはお金です。 鎌倉幕府ができる前までは、朝廷や貴族は全国にあった「荘園」からの租税収入がありました。 しかし、鎌倉幕府が成立し地頭を置いたことから朝廷や貴族はこれまでのような租税収入を期待することができなくなりました。 収入ダウン、経済封鎖であり、これは大きな痛手です。 朝廷側は、この経済的貧窮を何とかせねばと必死でした。 (源氏滅亡) 1219年3代将軍、源実朝が兄…
5月15日は、1932年(昭和7年)に武装した海軍の青年将校などが首相官邸に乱入し、 当時の内閣総理大臣の犬養毅を殺害したものです。 軍部が首相官邸に乱入し、首相を殺害したのはこれが初めてです。 (憲政の神様・犬養毅) (「近世名士写真」国立国会図書館ウェブサイトより) 犬養毅は慶応義塾で学んだあとに郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。 東海経済新報記者をへて、立憲改進党創立に参画。1890年(明治23年)第1回総選挙で 衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで1度も落選することなく19回連続当選。 1932年(昭和6年)、首相となるが、翌年5・15事件で暗殺されます。 尾崎行雄とともに「…
仁徳天皇陵。。大阪・堺にある日本で1番大きい前方後円墳です。 社会の教科書に必ず出てくるこの古墳、おっさんが学生の頃は仁徳天皇陵と呼んでいましたが、現在、教科書では大山古墳となっています。 地元では仁徳天皇陵古墳となっています。 仁徳天皇陵は全長486メートルの綺麗な前方後円墳で1周が2.8キロです。 1周するのに1時間以上かかりましたが、下から見えるのは濠と木だけでした。 濠が張り巡らされていてが、外周からは木々が見えるだけで大きな森のようです。 大き過ぎて上空からでないと、全体の形が見れません。 (ビジターセンター) 古墳の全体像をみたいなら仁徳天皇陵のすぐ横にあるビジターセンターへどうぞ…
これを見てください!!インパクト大ですよね! これは、大阪堺市にある仁徳天皇陵の近くで販売されている古墳カレーです。 この古墳カレーを出しているのが、大阪府堺市にあるお食事処 花茶碗。 お店は「仁徳天皇陵古墳」の拝所から歩いて5分程度、JR百舌鳥駅のすぐ近く。 「古墳カレー」と書かれた幟が目印です。 (古墳カレーを食す) 古墳カレーは全部で9バージョンありますが、今回は、一番見た目のインパクトが強い「古墳の森カレー」を注文しました。 「古墳の森カレー」は1,000円。 ライスにブロッコリーがたっぷり盛りつけられ、古墳の姿をリアルに追求しています。 さらにスプーンとフォークはスコップ型になってい…
5月20日は 初めて外国の戦闘機が日本の領土に侵入し 空襲した日です。 日中戦争中の1938年(昭和13年)5月20日未明、中華民国の空軍の2機の軍用機が 九州上空に飛来しました。その飛行機は米国のマーチンが開発したB-10爆撃機。 これが日本本土に敵国の軍用機が侵入した史上初の出来事です。 (5月20日中国軍機九州に飛来) 1938年(昭和13年)5月19日、中国空軍の徐 煥升大尉を隊長とする12人の飛行士たちは、 2機のB-10爆撃機にのり込み、深夜に浙江省寧波を離陸、夜間飛行を行い九州を目指します。 この徐 煥升大尉は、中国空軍第4チームの隊長で、ドイツとイタリアの航空学校に留学した経歴…
“地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、またそれはいつのことだったのか?初めて精密な日本地図(伊能図)を作った江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)がそれを承知していたことは間違いありません。彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、その
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。