在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
前回の「【青葉台】石田純一・東尾理子夫妻など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(4)」では、目黒区青葉台の高台にある三田用水跡(暗渠)を散策しながら、石田純一・東尾理子夫妻など芸能人・著名人の自宅を探訪しました。今回も引き続き、市川海老蔵など芸能人・著名人の自宅を探訪しながら、お洒落な街「代官山」を歩き、三田用水跡を散策します。(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関...
こんにちは、あとりです❤ 21年5月11日 京都、『粟田(あわた)神社』に行ってきました。 『粟田神社』は地下鉄蹴上駅から徒歩約15分です。 こちらは三条通に面した鳥居です。 三条通を挟んだ向かいに「合槌(あいづち)稲荷神社」があります。 『粟田神社』も「合槌稲荷神社」も刀剣ブームで聖地となっているそうです。 「感神院新宮(かんじんいんしんぐう)」、あるいは「粟田天王宮」とも呼ばれていましたが、明治になって『粟田神社』と改称されました。 (写真の鳥居には「感神院神宮」が掲げられています。) こちらの鳥居の横に、同じく刀剣の聖地「鍛冶神社」があります。 鳥居の奥に見える参道を登っていきます。 【…
2015年4月のお出かけ記事です。鳴尾八幡神社 其の弐からお次は尼崎えびす神社兵庫県尼崎市神田中通3-82主祭神八重事代主大神配祀神大国主之大神誉田別大神猿田彦大神↑クリックすると大きくなります。拝殿 狛犬さん願掛け馬 勝馬(かちうま)奇石 月像石(つきいし)末社手水舎六福かえるえびす像鳥居高宝院稲荷社 狛犬さん三猿鳥居いただいた御朱印にほんブログ村...
こんにちは、あとりです❤ 21年5月11日 京都、『鍛冶神社』に行ってきました。 『鍛冶神社』は地下鉄東山駅から徒歩約10分です。 『鍛冶神社』は、「粟田神社」の境内にあり、上の写真の「粟田神社」の鳥居のすぐ横に鎮座している、こぢんまりとした神社です。 鳥居の代わりに注連柱(しめばしら)が建てられています。 注連柱とは主に2本の石柱の間に注連縄(しめなわ)を張ったものです。 それぞれの石柱には徳川光圀と、欧陽脩の日本刀を詠んだ歌の一節が刻まれています。 注連柱は平成30年(2018年)8月に完成しました。 『鍛冶神社』の御祭神は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、三条小鍛冶宗近命(さんじょうこ…
こんにちは、あとりです❤ 21年5月11日 京都、『合槌(あいづち)稲荷神社』に行ってきました。 『合槌稲荷神社』は地下鉄東山駅から徒歩約15分です。 『合槌稲荷神社』は三条通をはさんで「粟田神社」の向かいにあります。 こちらが『合槌稲荷神社』の参道入り口です。 鳥居をくぐり、細い路地を進んでいきます。 住居と住居の間にある細い路地を進んで行くと、『合槌稲荷神社』に着きあたります。 鳥居の前もすぐに住居が迫っています。 合槌稲荷大明神の創建年代は不明です。 平安時代中期、刀匠の名人・三條小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が一条天皇から鎮護の名刀を打つように命じられました。 宗近は日頃信仰す…
こんにちは、あとりです❤ 21年5月11日 京都、南禅寺塔頭、『最勝院』に行ってきました。 『最勝院』は地下鉄蹴上駅から徒歩約10分です。 フォトジェニックなスポットして有名な、「南禅寺」の「水路閣」横にある道を、東へ登っていきます。 写真右の道を登って行くと、すぐに『最勝院』に到着します。 駒道智大僧正が、晩年この駒ケ滝最勝院の地に隠棲したのがはじまりです。 駒道智大僧正は秘密の法力により白馬にまたがり生身を天空にかくされたと伝えられています。 それ以来滝を駒ケ滝(お寺から奥200mの場所にあります。)、僧正を駒大僧正といい、僧正をまつる寺を『最勝院』と呼ぶことになりました。 【本堂】 勝運…
こんにちは、あとりです❤ 21年5月9日 京都、『城南宮』に行ってきました。 地下鉄・近鉄竹田駅から徒歩約15分です。 今回『城南宮』には車で行きました。 無料駐車場(200台)があります。 【菊水若水(手水舎)】 手水舎は城南鳥居の手前にあります。 【城南鳥居】 【神楽殿】 【拝殿】 【本殿】 『城南宮』は平安京遷都の時、国の安泰と都の守護を願って創建されました。 御祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)(国土の守護神)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后です。 古くから方除けの神として信仰を集めています。 建物の工事や引越しが無事に成就するよう、また、道中や旅行での安全や、車などの交通…
こんにちは、あとりです❤ 21年4月24日 京都、『智積院』に行ってきました。 前回からの続きです。 前回は自由拝観できる場所をまとめています。 よかったら見てください⤵️ ここから拝観料が必要です。 拝観受付から入りました。 【収蔵庫】 拝観受付のすぐ側に収蔵庫があります。 桃山時代、祥雲禅寺(しょううんぜんじ)の客殿に長谷川等伯(とうはく)とその一派によって描かれた障壁画が、『智積院』に引き継がれ収蔵庫に納められています。 『智積院』に現存する絵は「楓図」「桜図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図(とろろあおいず)」「雪松図」「松に立葵図」などです。 「楓図」(国宝)は長谷川等伯の筆、「桜図」(…
2015年4月のお出かけ記事です。津門神社からお次は甲子園素盞嗚神社兵庫県西宮市甲子園町2−40御祭神素盞嗚命境内から見た甲子園球場阪神甲子園球場のライトスタンド場外に当たることから、阪神タイガースの選手やファン、高校野球関係の必勝祈願者が多くて甲子園神社とかタイガース神社と呼ばれているそうです。額手水舎水口本殿狛犬さん鳥居額種𠮷稲荷神社額狐さん元戎社社殿野球塚星野仙一さん自筆の「夢」という字が刻まれた...
こんにちは、あとりです❤ 21年4月24日 京都、『養源院』に行ってきました。 『養源院』は市バス博物館三十三間堂前バス停から徒歩約3分です。 三十三間堂の東側にあります。 『養源院』は文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の菩提を弔うため、長政の二十一回忌に建立されました。 寺名は長政の法号にちなみます。 その後焼失しましたが、元和7年(1621年)に淀殿の妹で、二代将軍・徳川秀忠の正室・お江が夫に願い、伏見城の遺構を用いて再建されました。 以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌をまつる寺院となりました。 【参道】 青もみじにおおわれた参道を登っていきます。 本堂(客…
こんにちは、あとりです❤ 21年4月24日 京都、『新日吉(いまひえ)神宮 』に行ってきました。 『新日吉神宮』は、市バス東山七条から徒歩約5分です。 「智積院」の北東に位置しています。 【楼門】 楼門は朱色があざやかで、立派でした。 【境内社・山口稲荷社】 楼門の手前、向かって左手にあります。 山口稲荷社は繁昌安泰の守護神として信仰を集めています。 【社殿】 『新日吉神宮』は、永暦元年(1160年)後白河上皇が法住寺殿の鎮守として近江の日吉山王(ひえさんのう)社より勧請したのが始まりです。 御祭神は後白河天皇、日吉山王七神です。 相殿(あいどの)には素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大年神(おお…
こんにちは、あとりです❤ 21年4月20日 京都、『建仁寺』に行ってきました。 前々回、前回からの続きです。 前々回は本坊、法堂周囲の建物について。 前回は本坊内部、苔と青もみじの美しい「潮音庭」について書いています。 よかったら見てください⤵️ 【納骨堂】 【大雄苑(だいおうえん)】 方丈前庭の「大雄苑」は、白砂に苔と巨石を配した枯山水庭園です。 南西部にある七重石塔は織田信長を供養するため、弟の有楽斎が建てたものです。 (写真真ん中より右あたりに七重石塔があります。) 方丈に安置されている御本尊は十一面観音菩薩像です。 方丈襖絵は、桃山時代に描かれた「雲龍図」(礼の間)、「花鳥図」(書院の…
こんにちは、あとりです❤ 21年3月24日 京都、東山、『青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)』に行ってきました。 『青蓮院門跡』は地下鉄東山駅から徒歩約5分です。 今回私は阪急河原町駅から歩き「高台寺」→「知恩院」から『青蓮院門跡』までいきました。 【四脚門】 【長屋門】 【クスノキ(天然記念物)】 門前や境内に巨大な5本のクスノキが立っています。 【植髪堂(うえがみどう)】 植髪堂は『青蓮院門跡』の境内の北側にあります。 自由拝観で、堂内も拝観できました。 植髪堂は親鸞得度(出家のための儀式)の時に剃り落とした髪を、親鸞童形の像に植えたものを祀っています。 植髪堂の北側横にある遺髪塔に、剃…
こんにちは、あとりです❤ 21年4月20日 京都、『神明神社』に行ってきました。 『神明神社』は阪急烏丸駅から徒歩すぐのところにあります。 街中にある、小さな神社です。 この地は平安時代末期、近衛天皇がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠通(ただみち)の屋敷跡で、「四条内裏」などと呼ばれていました。 手水鉢は鳥居を入ってすぐの右手にありました。 藤原忠通の邸内にあった鎮守の社が『神明神社』で、御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)です。 社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪獣が毎夜現れ、都の人々を震えあがらせていました。 弓の名手であった源頼政(よりまさ)…
こんにちは、あとりです❤ 21年4月7日 京都、妙心寺塔頭、『桂春院』に行ってきました。 『桂春院』はJR花園駅から徒歩約10分です。 【拝観入口】 【清浄(しょうじょう)の庭】 (奥に見えるのは「清浄の庭」です。) 方丈北側にある「清浄の庭」は、枯滝を石組みで、渓流を白砂で表し、常に心身の塵垢を洗い浄め清浄無垢であるようにという意味が込められています。 【侘(わび)の庭】 こちらの「侘の庭」が素晴らしい‼ 書院に渡り「侘の庭」を目の前にした時、思わず感嘆の声が出てしまいました。 書院に座ってじっくり眺めることが出来ました。 苔が美しい〜❣️ 梅雨から夏の間の、苔や緑が鮮やかな季節におすすめの…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。