在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
福井旅行 最後は福井城址と焼き鯖寿し
<徳倉城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸を取巻く”石垣”や”櫓台”に度肝を抜かれた!
なぜ人は争うのか?戦国の時代と現代の平和への思いをつなぐ
【大手町を歩くその2】常盤橋公園と国の史跡・常盤橋門の石垣、渋沢栄一像、レアな昭和元年建設の「常盤橋」に見入る!
<津山城(4)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-「三の丸」~「本丸」までの間だけでも約35門
松山城城門 戸無門
薔薇! 薔薇♪
雨の飫肥城を歩く。 その4 <豫章館・小村寿太郎記念館>
雨の飫肥城を歩く。 その3 <旧本丸跡>
<西表島>西表島大自然満喫ツアー
雨の飫肥城を歩く。 その2 <旧中ノ丸西門~松尾丸>
雨の飫肥城を歩く。 その1 <大手門~旧中ノ丸南門>
岡山城二の丸の広場(2)
<高崎台場(砲台)> 幕末にできた立派な石垣造りの台場から明治には砲台に変遷、由良藩邸の門
<洲本城(下の城)> 背後は”三熊山”、前は水堀と石垣で守られた「洲本城下の城」
雨の佐土原城攻城記。 その1 <二ノ丸~中の道登山口>
雨の佐土原城攻城記。 その2 <中の道登山口~登山道>
雨の佐土原城攻城記。 その3 <切通道~本丸>
<徳倉城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸を取巻く”石垣”や”櫓台”に度肝を抜かれた!
<金川城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-多くの技巧的仕掛けと破城の痕跡石が見られる山城
続日本100名城 脇本城跡(秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外)
<岩屋城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-畝状竪堀、大堀切等の仕掛けがある県指定史跡のお城
<医王山城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-北端と南端に技巧的防備があるがよく判らず
<由良古城> シンプルな縄張りの東面に貼りつく”石積み”は当時のモノであってほしい!
鳥越城の支城・二曲城攻城記 その2 <一の郭~四の郭>
鳥越城の支城・二曲城攻城記 その1 <登山口~三の郭~二の郭>
<洲本城> 総石垣の中に日本最古の模擬天守が聳えています
箕輪城 井伊直政が築いた大堀切が残る戦乱の城【群馬・高崎市】
能登七尾城攻城記 その6 <沓掛~寺屋敷跡~調度丸虎口>
能登七尾城攻城記 その5 <安寧寺跡>
こんにちは、あとりです❤ 21年1月13日 京都、『法住寺』に行ってきました。 『法住寺』は「三十三間堂」の東側となりにあり、「三十三間堂」の「南大門」のすぐ近くにあります。 血天井で有名な「養源院」の隣りになります。 『法住寺』は平安時代中期、右大臣・藤原為光が妻と娘の菩提を弔うため創建しました。 後白河天皇は法住寺の地を院の御所と定められ、上皇となり住まわれました。 【本堂】 御本尊・不動明王像(身代わり不動尊像)は方除けの像として信仰をあつめています。 木曾義仲の軍勢による放火の際には後白河上皇の身代わりとなったと伝えられています。 【十三重塔】 【山門(竜宮造)】 『法住寺』では写仏や…
今年最初の3連休です 朝は・・・のんびり起きた(爆)だんなは先に起きてたけどね 洗濯物は、天気がいい日に干すってのが最近少なかったので、外に干せて良かったって…
こんにちは、あとりです❤ 21年1月13日 京都、『三十三間堂』に行ってきました。 前回からの続きです。 よかったら見てください⤵️ 【手水舎】 【鐘楼】 本堂の東側に池泉回遊式庭園がありました。 春には色とりどりのツツジが咲くそうです。 訪れた時は、整備中で立ち入り禁止になっていました。 【太閤塀】 【南大門】 境内南側の通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀(ついじべい)と「南大門」は、ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山時代の建造物(ともに重要文化財)です。 「太閤塀」は高さ5.3m、長さ92mあります。 【久勢稲荷大明神】 境内南西にある「久勢稲荷大明神」です。 手水の水が凍っていました。 本堂拝観入口…
恋愛成就のパワースポットとして人気を集める東京大神宮の御朱印です。書置きですね。 神社に就く前に、目白通り沿いに目立つようにこのようにあります。 鳥居です。目白通りから上がってくる坂道が少
晩秋の京都 モミジの永観堂 紅葉には遅いタイミングでも素敵なお寺でした、ここからとかでなくどこも紅葉ベストスポット、自分好みの景色がきっとある。本堂の極採色やみかえり阿弥陀像も素晴らしかった。御朱印は禅林寺って書いてあります。
晩秋の京都 清水寺 12年間の改修工事が終わり、色白の清水の舞台も面白い(⌒▽⌒) 紅葉は少し遅かったけれど十分に綺麗で人込みを避けられたので満足です。 清水寺オリジナルの数珠 センターの大玉は年末の【今年の漢字】発表で字を書いてる住職さんの字なんだそう、ゲット。(⌒▽⌒)
こんにちは、あとりです❤ 20年12月22日 京都、『瑞泉寺(ずいせんじ)』に行ってきました。 『瑞泉寺』は地下鉄東西線三条京阪駅、京阪本線三条駅から三条大橋を渡ってすぐのところにあります。 今回私は阪急京都河原町駅から歩きました。 『瑞泉寺』は太閤秀吉の甥・豊臣吉次とその一族を弔うため慶長16年(1611年)にこの場所に建立されました。 秀次は秀吉の養子となって関白の位と豊臣家の家督を継ぎましたが、秀吉の愛妾「淀君」に秀頼が誕生したことから、秀吉には次第に疎んぜられ、ついに謀反の疑いを理由に高野山へ追放され、自害させられました。 その後、秀次の子供と妻妾などの女性一族39人が、三条大橋西南の…
築地波除稲荷神社の御朱印です。 「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。 この場所、築地波除神社は、あの有名な牛丼
こんにちは、あとりです❤ 20年12月22日 京都、『檀王法林寺』に行ってきました。 『檀王法林寺』は地下鉄東西線三条駅から徒歩すぐになります。 私は阪急京都河原町駅から歩きました。徒歩約15分です。 (三条通に面した門) 『檀王法林寺』では、盗難や火災などから守る 「主夜神(しゅやじん)」を祀っています。 古くから猫は主夜神のお使いであるとされ、江戸時代中期より主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られていました。 この猫は右手を挙げた黒猫の姿で、他が模索することを禁じられるほど民衆の信仰を集め、招き猫が生まれた寺といわれています。 秘仏・主夜神のご開帳は12月の第一土曜日です。 この法要に合わせて…
寒中お見舞い申し上げます。またまた、お久しぶりです。新年の挨拶も出来ず、今頃になってしまいました(^_^;)未だに2015年のお出かけ内容となっています。亀より遅い更新ですみません。こんなブログですが、今年もよろしくお願いいたします。前回、西宮神社 其の壱の続きから似なります。2015年4月のお出かけ記事です。火産霊神社額百太夫神社額六甲山神社 額大国主西神社額伊勢神宮遥拝所市杵島神社額松尾神社額神明神社額社殿額...
晩秋の京都 東寺 紅葉ライトアップ 参拝。 京都駅から徒歩で向かい、帰りはバスで。京都駅から近いので参拝しやすいお寺さんです。 御朱印と変わり種御籤は 招き猫みくじをいただきました。 写真の腕が未熟でライトアップの素晴らしさが伝えきれないのが残念です。
こんにちは、あとりです❤ 20年12月22日 京都、『本能寺』に行ってきました。 『本能寺』は地下鉄京都市役所前駅すぐのところにあります。 今回私は阪急京都河原町駅から歩きました。 【総門】 『本能寺』は天正10年(1582年)、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られています。 当時は四条堀川にあり、「本能寺の変」で全焼した後、現在の場所に移転、再建されました。 「本能寺の変」が起こった当時の本能寺の跡には、石碑が立っています。 『本能寺』は、「能」という文字を、上のパンフレットに書かれている「のう」という文字に替えて使用しています。 これは『本能寺』は建立から現代に至るまで、五度…
今回は、新宿にある花園神社に行ってきました。 詳しくはこちらのホームパージからどうぞ。 正殿です 正殿には三つの神様が祭られているようです。 境内内にある威徳稲荷神社(いとくいなり
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
柴又七福神巡り! 周った順に掲載します♪ 1.題経寺 毘沙門天 七福神の色紙も売っていました。各お寺に回りハンコをいただくようです。 2.万福寺 福禄寿 3.宝生院 大黒天
東京で一番の恋愛成就の神社今戸神社です。 沖田総司終焉の地や招き猫が有名な神社です。 東京都台東区今戸1丁目5−22 僕が訪れた時は、神社の本堂に猫ちゃんがお出迎えしてくれました。
出世の石段で有名な愛宕神社です。 愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。 しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。 平九郎
武神とは勝負の神であり、現在では除災や招福、開運や厄除、さらにスポーツにご利益があるとして知られています。 また、相殿で祀られている岐大神は、昔から牛馬の守り神や豊穣の神として知られるだけではなく、魔
こんにちは、あとりです❤ 20年12月22日 京都、新京極、『矢田寺』に行ってきました。 『矢田寺』は阪急京都河原町駅から徒歩約10分です。 『矢田寺』は通称「矢田地蔵」で知られていて、本堂に安置している御本尊・地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2mの立像です。 開山・満慶(まんけい)上人は冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれています。 人々の苦しみを代わりに受ける「代受苦地蔵」と呼ばれています。 また、『矢田寺』の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対して「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々に信仰されています。 20年11月5日に「六道珍皇寺」…
こんにちは、あとりです❤ 20年12月22日 京都、新京極、『誓願寺(せいがんじ)』に行ってきました。 『誓願寺』は阪急京都河原町駅から徒歩約8分です。 新京極通に面しています。 『誓願寺』の創建は飛鳥時代で、平安時代から清少納言や和泉式部、豊臣秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことから、女人往生の寺として名高いです。 世阿弥の謡曲の舞台となり、また落語発祥の地として知られることから、芸事上達を祈願する人が多く訪れています。 ご利益は芸事上達、恋愛成就、心願成就です。 御本尊は高さ4.85mの阿弥陀如来坐像です。 御朱印をいただきました。 階段を登り、本堂に入った左側で御朱印がいただけます。 『誓…
このご時世、 初詣しない方がいいんじゃないかと、 家族で意見が分かれたけれど、 夫の意向か義父の意向かわからないけど、 行くことになりました。 朝は早めに8時過ぎに家を出て、 9時前に到着…。 ガラガラでした。 屋台も出ていましたが、 来年のように列はなく。 もちろん、参拝の列もなく、 御朱印も、全く列なし。 御朱印は、もらえないか書き置きかな? と思っていたけど、 御朱印帳に書いてもらえました。 受け取りも、書いてもらっている間待ったくらい。 おみくじも列なしで、 引いてみたら、吉。 読んでみたら、時間をかければ 何事も良い方向に向かうようだから、 一安心。 こんな写真スポットも、 1家族分…
こんにちは、あとりです❤ 20年12月2日 京都、『東福寺』に行ってきました。 前回からの続きです。よかったら見て下さい⤵️ 【殿鐘楼】 (みょうに雲がかっこよくないか?) 漆喰壁におおわれた室町後期の建物です。 銅鐘(重文)は平安初期の鋳造とされ、もと西寺の遺物と伝わっています。 現在銅鐘は収蔵庫に収納されています。 【経蔵】 ここから、通天橋・普門院拝観受付から拝観料が必要でした。 【通天橋】 通天橋は天授6年(1380年)、谷を渡る苦労から修行僧を救うために架けた、方丈と開山堂を結ぶ約27mの橋です。 橋の下の渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の紅葉と新緑は、京都屈指の絶景として有名です。 …
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。