在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
山内一豊の城 掛川城
秋空の掛川城
江戸城 遺構巡り【其の一】@東京都
日本100名城 1番 根室半島チャシ群跡 ヲンネモトチャシ(北海道根室市温根元59・60番地)
備中松山城
<岡山城(3)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-〆は岡山城下を車でドライブしながら遺構を巡る
<岡山城(2)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸上の段・中の段・下の段にも見所満載
<岡山城(1)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-今回”宇喜多押し”が目立った天守内部
日本100名城 弘前城(青森県弘前市大字下白銀町1)
関ヶ原前哨戦「岐阜城の戦い」!信長の嫡孫・織田秀信立て籠もる激戦のあと
丸亀城@香川県
松山城天守閣より松山市内と瀬戸内海を見渡す。
松山城 大天守よりの風景
松山城 戸無門
<津山城(4)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-「三の丸」~「本丸」までの間だけでも約35門
吉備中山ルートを歩いた後、 吉備津彦神社にお参りしました。 本殿脇裏に 綺麗な紅梅♪ 亀🐢も、暖かいからか甲羅干し😊 御朱印は書き置きでした。 墨書きの通常のと、 可愛い桃太郎のがあり、選べました。 (どちらも500円 あら?値上がりしたかも⁉️) 今回は可愛いバージョンにしました。 山歩きも楽しかったし、 お参りもできて、 いい1日でした♪ こちらを押していただけると 更新の励みになります(^^)/
こんにちは。tsuneです。 今日は仕事お休みだったのですがお客様からの電話が来て少し仕事をしてきたついでに以前にも参拝した喜多方市の「出雲神社」に参拝したお話です。 〈目次〉 出雲神社へ 出雲神社 石碑 一乃鳥居 手水舎 ニ乃鳥居 拝殿 本殿 社務所 アクセス 御朱印 出雲神社へ 出雲神社は喜多方市の中心部に近いところにあります。 国道121号線から市街地に入っていきます。 会津縦貫道を降りてまっすぐ国道を進みます。 標識の交差点を左に曲がってまっすぐ進みます。 交差点を越えまっすぐ進むと左側に長屋の商店が見えてきます。その正面に出雲神社が鎮座しています。 出雲神社 社伝によると出雲神社は第…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『法輪寺(達磨寺(だるまでら))』に行ってきました。 『法輪寺(達磨寺)』はJR円町駅から徒歩約5分です。 【達磨堂】 『法輪寺』は三国随一といわれる起き上がり達磨をはじめ、心願成就を願い奉納された八千体余りの達磨を達磨堂に祀っていることから、「達磨寺」と呼ばれています。 (達磨堂の天井画) 【鐘楼】 屋根の上にも達磨が、瓦には「宝」の文字がありました。 御朱印をいただきました。 下は節分の期間限定御朱印です。 今回は閉門間際に行ったため、駆け足の拝観で、庭園などゆっくり見ることが出来ませんでした。 御朱印と写真を撮っただけという感じでした。 達…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『大将軍八神社』に行ってきました。 『大将軍八神社』は「北野天満宮」から徒歩ですぐのところにあります。 平安京の新都造営にあたり、風水を取り入れ、都の北西角に方除守護のため「大将軍堂」を建立したのが、『大将軍八神社』のはじまりです。 【ご本殿】 大将軍神とは方位の吉凶を司る星神で、建築、移動、旅行、婚姻、交通など方除け、厄除けの神として信仰されています。 御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)(大将軍神)とその御子神八柱(五男三女神)を祀っていて、社名も『大将軍八神社』となりました。 ご本殿の横側のこの⤴️扉がすっごくかっこええと感動でした。 【方…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『北野天満宮』に行ってきました。 前回からの続きです。 よかったら見てください⤵️ 【一の鳥居】 【楼門】 (楼門前の臥牛像と梅) 境内には菅原道真公がこよなく愛でた梅の木が50種約1500本植えられています。 (楼門前の花手水舎) 【宝物殿】 コロナの影響で宝物殿での展示は延期となっていました。(21年2月5日現在) 【三光門】 本殿前に建つ中門は「三光門」と呼ばれています。 「三光門」の名は日・月・星の彫刻に由来しているといわれています。 (日と月の彫刻) しかし、星は三光門の天上に輝く北極星のことで、実際には刻まれてはいないため「星欠けの三…
東京は両国にある浄土宗 回向院をお参りに行ってきました。 阿弥陀如来様の御朱印です。東京33観音の御朱印はまた次回! 回向院の入り口です。 回向院はその向かい境内内で相撲の興行がされていたそ
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『地蔵院(椿寺)』に行ってきました。 『地蔵院(椿寺)』は「北野天満宮」から徒歩すぐになります。 私はJR円町駅から歩きました。 『地蔵院』は通称「椿寺」と呼ばれています。 神亀(じんき)3年(726年)、行基(ぎょうき)の開創と伝わります。 与謝蕪村の師である俳人・早野巴人(はやのはじん)(夜半亭巴人)の墓や、赤穂浪士を援助した天野屋利兵衛(あまのやりへい)のものといわれる墓があります。 【地蔵堂(鍬形地蔵尊)】 地蔵堂に安置された地蔵菩薩は行基作のものと伝わっています。 【観音堂(十一面観音)】 【本堂(阿弥陀堂)】 【散椿】 豊臣秀吉から寄…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『東向観音寺』に行ってきました。 『東向観音寺』は「北野天満宮」の南西に位置して、「北野天満宮」の参道に面しています。 御本尊は秘仏・十一面観音で、ご利益は災難、厄除け、除病です。 この十一面観音は菅原道真公御作と伝えられ、25年に一度の菅公御年祭(かんこうごねんさい)の時にご開帳されます。 本堂が東方を向くことから東向観音と呼ばれています。 他に高王白衣観音、岩雲弁財天などを祀っています。 【伴氏廟(石造五輪塔の菅公母君御廟)】 【土蜘蛛塚】 小さな木のほこらが「土蜘蛛塚」で、中に祀られているのが「土蜘蛛灯籠」です。 この土蜘蛛灯籠は明治時代に…
新宿区若葉にある伊賀者(伊賀の忍者)の服部半蔵の眠る、西念寺です。 西念寺ホームページはこちらから♪ 西念寺の入り口です。住宅街にあるので、少しわかりにくいかもしれません。 ご本堂です。
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『大報恩寺(だいほうおんじ)(千本釈迦堂)』に行ってきました。 今回私は『金閣寺』から歩きました。 『大報恩寺』は鎌倉時代のはじめ、承久2年(1220年)に開創されました。 御本尊は釈迦如来で、通称『千本釈迦堂』と呼ばれています。 【本堂(国宝)】 応仁・文明の乱をはじめ、幾多の戦禍を奇跡的に免れた本堂は、安貞元年(1227年)の建築で、京都市街地では現存最古の木造建築で、和様建築を伝える寺と知られています。 【本堂】 快慶作、十大弟子立像(十体)をはじめ、快慶の一番弟子である行快作、御本尊・釈迦如来坐像、定慶作、六観音菩薩像(六体)(いずれも重…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『引接寺(いんじょうじ)(千本ゑんま堂)』に行ってきました。 今回私は「金閣寺」から歩きました。 『引接寺』は御本尊に閻魔法王を祀り、通称『千本ゑんま堂』といいます。 開基は小野篁(おののたかむら)です。 小野篁はあの世とこの世を往来する神通力をもち、昼は宮中に、夜は閻魔之庁に仕えたと伝わっています。 ゑんま堂大念仏狂言(5月1日~4日)は京都三大念仏狂言の一つです。 【鐘楼】 『千本ゑんま堂』の一帯は古くは蓮台野(れんだいの)と呼ばれた平安時代の葬地の入口であり、あの世とこの世の境として閻魔像が祀られました。 お精霊(しょうらい)迎え(8月7日…
日本最後の戦争
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
漢書
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾八
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾五
東京No1の遊郭!吉原の神社に参拝に行ってきました! 逢い初め桜 恋焦がれている人に初めて会うという意味があり、二百年前に吉原神社の御神木として崇拝されていた木が、明治四十四年の大火にて焼失し木
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『平野神社』に行ってきました。 『平野神社』は「北野天満宮」から徒歩すぐのところにあり、市バス・北野天満宮前下車すぐになります。 今回私は金閣寺から歩きました。 【東大鳥居】 (南西側にある鳥居) 『平野神社』は延暦13年(794年)の平安遷都の際に平城京から、平野の地に移されました。 朝廷に厚く崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神様としても崇められました。 平安時代中頃から中世にかけて朝廷から特別な崇敬を受けた「二十二社」の神社の五位に『平野神社』は列しています。 【南門】 南門は御所の旧門を下賜されました。 【手水舎】 【すえひろがね】 【…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『わら天神宮(敷地神社)』に行ってきました。 『わら天神宮』は「金閣寺」、「北野天満宮」、「平野神社」から徒歩10分以内です。 【手水舎】 『わら天神宮』は正式には「敷地神社」といいます。 北山の神という山を神格化したものが起源で、創建時期は不詳ですが、平安時代以前と推定されます。 天長5年(828年)大雨、大地震の際に、淳和(じゅんな)天皇が当社に勅使を遣わせて止雨(しう)を祈願したと伝えられています。 その後、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を御祭神として、北山の神とともに祀られました。 北山天神の丘にありましたが、足利義満の北山…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日 京都、『金閣寺(鹿苑寺(ろくおんじ))』に行ってきました。 前回からの続きです。よかったら見てください⤵️ 【方丈】 写真左端あたり、遠くですが戸に描かれた花の絵を拝観することができました。 また、右側奥の戸にも描いてありました。(写真では上手く撮れず) 【陸舟(りくしゅう)の松】 方丈の北側に京都三松の一つで舟形をした樹齢600年以上の「陸舟の松」があります。 義満のお手植えの盆栽を移植したものと伝えられ、西方浄土へ向かう帆掛け舟の姿をしています。 【銀河泉】 【巌下水(がんかすい)】 義満がお茶の水に使ったと伝えられる「銀河泉」、手を清めた「巌下水…
東京タワー内にある、タワー大神宮に行ってきました! 東京タワー内にある、タワー大神宮に行ってきました! 東京タワーですー。 屋上に到着 外階段の600段を上ろうと思います
こんにちは、あとりです❤ 21年1月31日 京都、長岡京市、『勝龍寺』に行ってきました。 『勝龍寺』はJR長岡京駅から徒歩15分です。 赤い印(上の地図の)の左横隣りの緑の部分が『勝竜寺城公園』になります。 【本堂】 御本尊は十一面観音で鎌倉時代作の重要文化財です。 同和元年(806年)、唐長安から帰国した空海が学んだ青龍寺の名をとって創建しました。 本堂向かって左手前にあるのが空海(弘法大師)像です。 その後、大干ばつ、大飢饉の際に雨乞いで雨が降り、龍神に勝ったという意味から勝龍寺と改名されました。 こちらの梵鐘は三代目です。 元応元年(1319年)に鋳造された初代の梵鐘は大坂の陣の際に持ち…
こんにちは、あとりです❤ 21年2月5日のコーディネート。 パーソナルカラーはブルーベース、骨格診断はナチュラルタイプ、身長164cmです。 【オフホワイト ニットワンピース】 重ね着ニットワンピース。 ノースリロングワンピースとそでもりVネックニットのセットです。 それぞれ単品でも着回せるかなぁって購入したけど、やっぱり一緒に着たほうがかわいい(笑) 薄手の生地なので、アコーディオンプリーツスカート(光沢オフホワイト)を重ね着しています。 【黒ファーストール】 フリーマーケットで購入 2000円 リボンがついたファーストール。 【ベージュ、ダウンコート】 『UNIQLO(ユニクロ)』 フリー…
こんにちは、あとりです❤ 21年1月13日 京都、『豊国神社』に行ってきました。 『豊国神社』は京阪清水五条駅、七条駅から徒歩約10分です。 「方広寺」に隣接していて、「三十三間堂」、「智積院」から徒歩圏内となります。 【手水舎】 『豊国神社』は豊臣秀吉没後、慶長4年(1599年)に東山の阿弥陀ケ峰にて秀吉を豊国大明神として祀ったのがはじまりです。 豊臣家の滅亡後、徳川幕府により廃絶されましたが、明治13年(1880年)に現在地に移転して再建されました。 宝物館(拝観料300円)には豊臣家ゆかりの品々を収蔵しています。 【唐門(国宝)】 唐門は伏見城の遺構と伝えられていて、西本願寺、大徳寺の唐…
こんにちは、あとりです❤ 21年1月13日 京都、『若宮八幡宮』に行ってきました。 『若宮八幡宮』は京阪清水五条駅から徒歩約5分です。 「建仁寺」や「清水寺」から徒歩圏内で、五条通に面しています。 今回私はJR京都駅から他の社寺を拝観しながら歩きました。 平安時代の天喜元年(1053年)、後冷泉天皇の勅願により源頼義が文武の神、治山治水の神、長寿の神として創建したのが始まりです。 源氏一族や武士から信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集めました。 慶長10年(1605年)に五条坂のほぼ中央にあたる当地に移されました。 応神(おうじん)天皇(八幡神の主神)とその父母・仲哀(ちゅうあい)天…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。