在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百参拾弐
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百参拾壱
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百参拾
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾九
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾八
(95)デジタルアーカイブ 6 トランプ革命 進撃中!
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾七
「いにしえ」はどの程度昔のことですか?
持続可能な理想郷 – 縄文人の革新的社会
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾六
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾五
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾四
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾参
戦国時代の最強の武将は誰ですか。
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾弐
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾参
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】六拾八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
七尾城訪問記の後編です。 二の丸から本丸、そのあと降りて本丸や桜馬場石垣を近くから見ていきます。 紅葉の二の丸に加えて謙信絶賛の眺望は、言わずもがな素晴らしかった。晴れた日でよかった。 前編はこちら tmtmz.hatenablog.com お城:七尾城 石川県七尾市HP:七尾城跡について - 七尾城史資料館・懐古館情報訪問日:2016年8月、2021年11月 訪問記 二の丸 温井屋敷 桜馬場跡 遊佐屋敷 本丸 桜馬場石垣 感想 アクセス 訪問記 二の丸 改めて全景を確認図中央に曲がって描かれた曲輪群を二の丸(上)から本丸(右)へ向かいます。 二の丸には北端から侵入。振り返ると良い眺望でした。…
仁保の銘水・平家の泉 今回は、山口県山口市仁保にある、平家の泉伝説が伝わる「仁保の銘水・平家の泉」をお届けします。 銘水は山にあり。 見渡す限り山林に囲まれた場所でした。 ここには平家の泉
西国の覇者「毛利元就」 今回は、山口県萩市に建てられている毛利元就の逸話、「三矢の訓像」をお届けします。 「三矢の訓え」は毛利元就が隆元、元春、隆景の三人の息子にあてた教調状をもとに作られた逸話です。&nbs
JUGEMテーマ:歴史吉田松陰、高杉晋作、楫取素彦も収容された獄屋敷跡 今回は、山口県萩市にある「野山獄跡」と「岩倉獄跡」をお届けします。 野山獄は吉田松陰が投じられた獄として名が知られています。
2015年7月のお出かけ記事になります。写真のデータがかなり消えているので、画像は少ないです。露天神社からお次は歯神社大阪市北区角田町二番八号綱敷天神社の境外末社になります。数百年前に梅田一帯が大洪水に見舞われお稲荷さんの御神体である巨石が流れ来る水を歯止めし梅田の水没を防いだことから歯止めの神さまとして慕われたそうです。歯止めの語呂が転じて歯痛止めにご利益があるお社で、歯神社と呼ばれるようになったそ...
能登観光と言えば百名城の七尾城五大山城にも数えられる名城を巡ります。 前編は旧大手道を降りて三の丸方面へ。百名城スタンプのモデルにもなっている野面の5段石垣など、のっけから雰囲気の良さを感じることができました。 お城:七尾城 石川県七尾市HP:七尾城跡について - 七尾城史資料館・懐古館情報訪問日:2016年8月、2021年11月 概要 訪問記 調度丸へ 寺屋敷、安寧寺跡 三の丸 概要 築城年代は不明確ですが、16世紀前半に能登畠山氏が築きました。七つの尾根に跨っていることが七尾の名前の由来とされます。 1577年、上杉謙信が七尾城の戦いの末に奪取、能登畠山氏は滅亡します。謙信は、その眺めを絶…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
タイ行きまでには山陰旅行ネタ書き終えないと・・と思うと、不思議なことにいろいろ書き忘れたネタがあったことが判明してくる(笑)。松江で見た明々庵もその一つ。...
いやー・・タイ派遣の方はもう大変で、金曜だけで様々な指示や通知のメールが4通。まぁとにかくですね、生まれて初めてのPCR検査の結果が陰性だったのは喜ばしい...
2015年7月のお出かけ記事になります。写真のデータがかなり消えているので、画像は少ないです。画像少なくてどこか判断するのも難しく自分の記憶と検索しながら写真を確認しながらですので、もし間違っていたらご指摘いただけたら嬉しいです。綱敷天神社からお次は露天神社(お初天神)大阪市北区曽根崎2丁目5番4号御祭神大己貴大神少彦名大神天照皇大神豊受姫大神菅原道真菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中福島に船泊まりされ...
JUGEMテーマ:神社仏閣神秘的な雰囲気の中に鎮座する「周防国二宮・出雲神社」 今回は、山口県山口市徳地にある「周防国二宮・出雲神社」をお届けします。 参道の木々を抜けた先に出雲神社があり、鬱蒼と
JUGEMテーマ:歴史久坂玄瑞誕生地 今回は、山口県萩市にある「久坂玄瑞誕生地」をお届けします。 久坂玄瑞は、高杉晋作と共に吉田松陰に学び、「松下村塾の双璧」と称されるほど優秀だった幕末の志士であり、その旧宅
松平氏発祥の地、松平郷を巡るショートトリップ、最初はその名もずばりの松平城 松平氏の初代、松平親氏が築いた山城は、あくまでオーソドックスでしたが、その名前と歴史ともに回るとまた違った気持ちになるものです。比高もしれていて歩きやすいですし お城:松平城 愛知県豊田市HP: 松平城跡 | 【公式】愛知県豊田市の観光サイト「ツーリズムとよた」訪問日:2021年10月 概要 訪問記 感想 アクセス 概要 応永年間(1394~1427)に松平親氏が築城したと伝わります。別名 郷敷城。 二代泰親が岩津城に移ってからは、松平信広の居城になったとされます。そのまま松平郷松平家として松平郷を治めました。 文禄年…
こちらでは今、 早咲きの河津桜と玉縄桜が満開間近✨(右手前の白っぽいのが玉縄桜) そこに梅も加わって、花に囲まれた。(俣野別邸庭園) 春だなあぁああ~❀❀❀ 桜のメジロを見ていたら、、、、何故か、 ローリー寺西の顔が浮かんでしまう。私が似ていると思っているだけなんだろうけど(爆) 私は、日常的に「これ(この人)誰かに似てる!」っていう事に気づくことが多い。 職場の周囲の人達にも、似ていてしょうがない人が沢山(笑) 小池百合子に阿佐ヶ谷姉妹、夏目三久、坂口健太郎、ボイパのSHOWGO、 自衛隊、由紀さおり、水前寺清子、砂かけ婆。。。 あああ。。それを誰かに共有したいけれど多分、止めた方が良い場合…
1771年3月4日、小塚原で行われた死刑囚の腑分けに医師の杉田玄白、前野良沢などが 立ち合います。 そして、この席で2人はオランダ医学の正確さに驚き、医学書の翻訳を決意します。 (医学書と人体を見比べる) 杉田玄白は若狭小浜藩医、江戸に来た長崎通詞から蘭方外科の素晴らしさを聞き、医学書の「ターヘルアナトミア」を見るたびにその精密さに驚き、苦労して入手します。 一方、前野良沢は豊前中津の藩医、この前年に長崎に行き「ターヘルアナトミア」を 入手していました。 1771年(明和8年)3月4日、前野良沢は仲間の杉田玄白から死刑囚の腑分けに立ち会う許可を得たとの知らせを受け同行しました。これに小浜藩医で…
開戦の翌年1942年(昭和17年)3月6日、 九軍神が発表されます。 (九軍神とは) 1941年(昭和16年)12月8日、日本軍がハワイ真珠湾奇襲を行ったとき5隻の特殊潜航艇が出撃しています。 翌年の3月6日、大本営はこの潜航艇が戦艦アリゾナを撃沈する大戦果をあげたと発表します。 この発表では、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が「9軍神」とされます。これが、日本の特攻作戦の第一歩となりました。 岩佐直治中佐 横山正治少佐 古野繁実少佐 広尾彰大尉 佐々木直吉特務少尉 横山薫範特務少尉 上田定兵曹長 片山義雄兵曹長 稲垣清兵曹長 【九軍神の大本営発表映像はココ】 (…
2011年(平成23年)3月11日14時46分、 東日本大震災が発生しました。 (観測史上最大の地震) 東日本大震災の震源地は宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル で北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24 km。地震の規模はモーメントマグニチュード 9.0 。 発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震です。 東日本各地での大きな揺れや、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で18,425人の死者・行方不明者を出しています。 ちょうどこの時、おっさんは東京の会社にいました。 東日本大震災では東京も結構揺れました。 最初はゆーらゆーらと船に乗っていたと…
八重垣神社がお祀りしてるのはスサノヲと、クシナダヒメ(イナダヒメともいう)のお二人。漢字としての書き方はいろいろあるみたいだけどWikipediaでは「櫛...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
さて、それではスサノヲ由来の八重垣神社にまいりましょう。ここは松江から徒歩で行くのは無理で、松江しんじ湖温泉駅前のバスターミナルから20分くらい乗った。な...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
咲き進む梅✨ 鶴岡八幡宮に「強運掴み矢」とやらを、買いに行ってきた。 家族の一人が お正月に八幡宮で「大凶」を引いてから悪いことが続いている。。。 と言うので 私が気になってしまって(爆) なんでも 「大凶を引いてしまったら 凶運を強運に変えてくれる」と言う授与品。 「強運掴み矢」 リビングや玄関に置いて、出かける前に掴むというおまじない。何かある時は掴んで出て行く。 私はこれで気持ちが落ち着いたので こういうモノはありがたい。 山安で干物を買って、付近にある古い不動尊へ寄って来た。 巌窟不動尊。 頼朝が鎌倉へ入る前からあると言われている古い物。 元々は山の上に街道があったため 岩屋も山の上だ…
戦時中に造られた、戦闘機などを守る格納庫・掩体壕。宮崎県新富町には、陸軍の新田原(にゅうたばる)飛行場があり、周囲には掩体壕が 4体現存しています。 現存する掩体壕は、頑丈な分厚いコンクリートで造られた屋根がある有蓋掩体壕です。 4基のうち3基を見てきました。 まずはこれ。 基地のすぐ隣にある畑の中にポツンとあります。 そこから少し離れた場所にある別の掩体壕。 畑の中にあるためか農機具が置かれていました。 コンクリートが分厚いのが印象です。 戦争中に作られたので80年ほど前に作られたものですが、つくりは頑丈です。 こちらは掩体壕の後ろ。。 さらに離れたところにもう1基 こうして太平洋戦争当時の…
622年2月22日、 日本初の女帝・推古天皇の甥(兄の子)で 摂政として内外の政治に手腕を発揮した 聖徳太子が49才で死去しました。 聖徳太子は推古天皇の兄の用明天皇の第二皇子で、 馬小屋の前で生まれたことから厩戸皇子とよばれていました。 【推古天皇について書いたブログはここ】 (聖徳太子が生きた時代) 聖徳太子は、日本を天皇中心の集権国家にしようと考え、「冠位十二階」「十七条憲法」を制定し国家の基本理念を示します。 また、制度や法を整備し、さらに大陸と国交を結ぶことで進んだ異国の文化を導入し、仏教興隆にも尽力します。 聖徳太子は20才のときに父の妹の推古天皇のもとで摂政として蘇我馬子と共に天…
2022年(令和4年)の冬に、普段は一般公開されていない寺が、特別に公開されると いうことで見て来ました。 京都市上京区にある臨済宗円通山本山の寺院・興聖寺」(こうしょうじ)です (興聖寺=織部寺) 興聖寺は江戸幕府が開かれた年=1603年に、虚応円耳(きいんえんに)という僧が開山し、大名で千利休の高弟の茶人でもある古田織部により建てられます。そのため “織部寺”としても知られます。 この古田織部という名前、恥ずかしながらおっさんは知りませんでした。この織部さん、この周辺ではかなり有名な方とのことです。 この寺は、江戸時代には後陽成上皇や後水尾天皇の勅願寺となり繁栄しました。 (通常は非公開だ…
京都に、日本最初の天満宮という場所があります。 京都市上京区にある水火天満宮(すいかてんまんぐう)です。 この天満宮は、水難火難避けの神で、地元の人には「水火の天神さん」として親しまれています。 (平安時代に建立) 社伝によると、923年に比叡山延暦寺の天台座主十三世・尊意僧正(そんいそうじょう)によって創建されたそうです。 この天満宮は醍醐天皇の勅願によるもので、「水害・火災を鎮める」守護神として菅原道真が勧請され祀られました。 昔は、現在地より少し西の場所=上天神町に鎮座していましたが、1952年(昭和27年)に現在の場所=堀川通の正面入口、バス停の真ん前に移転しました。 近くには一条戻橋…
日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に対し圧倒的な勝利となった日本海軍の連合艦隊の戦艦三笠。 その三笠が竣工したのが1902年(明治35年)3月1日。 米国のサウサンプトンで日本海軍への引渡し式が行われました。 戦艦三笠は、イギリスの英国ヴィッカース造船所に発注した6隻目の戦艦であり、 建造費用は船体が88万ポンド、兵器が32万ポンドでした。 「三笠」の名前は、奈良県にある三笠山にちなんで命名されました。 戦艦三笠は、竣工2年後の1904年(明治36年)日露戦争が起き、戦艦三笠は連合艦隊の旗艦をつとめ、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が座乗しました。 1905年(明治38年)5月27日 - 5月28…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。