在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾八
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾四
京都嵐山に行き JR嵯峨嵐山駅から竹林の小径に向かう途中に偶然見かけたのが、 光厳天皇髪搭。 光厳天皇!!あの光厳天皇です。生年月日:1313年8月1日~死没:1364年8月5日 (51歳) (なかった事にされた天皇) 少し説明しますと、鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕に失敗したときに, 光厳天皇が鎌倉幕府によって皇位につきます。 しかし、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が復活した時に、後醍醐天皇は自身の廃位とその期間に在位した光厳天皇の即位を否定します。 こういったいきさつがあるため、光厳天皇は現在、歴代天皇としてカウントされていません。 (南北朝時代に上皇として院政を行うも・・) 光厳天…
人間魚雷回天。。。 太平洋戦争中に日本海軍が開発した兵器で、人間が座ったまま操縦し敵艦に体当たりをする兵器です。 全長は14.75m、先端部分には1.55トンの爆薬を装備していて大型艦船でも一発で 沈めることが可能だと考えられていました。 「回天」という名前には「天を回らし戦局を逆転する」という願いが込められていました。 (人間魚雷回天の基地 山口県大津島) 人間魚雷回天の基地は日本各地に作られましたが、その1つ山口県徳山市の大津島は 訓練基地があり、現在、訓練基地の建物が現存する日本で唯一の場所です。 大津島は、JR徳山駅から徒歩7分の徳山港からフェリーで向かいます。 (この船がエンジン音が…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「その3」のつづきです。賤ヶ岳砦主郭北西の一段下の曲輪から、北側にある余呉湖が見えます。 俗に「賤ヶ岳の戦い」と言いますが、ここ賤ヶ岳は羽柴軍の砦のひとつ...
「その2」のつづきです。賤ヶ岳砦の山頂、南郭に登ってきました。 曲輪の南端に、「七本鎗古戦場賤ヶ嶽」と記された木碑があります。「賤ヶ岳の七本槍」とは、羽柴...
「その1」のつづきです。賤ヶ岳リフトを降りて、頂上の賤ヶ岳砦跡を目指します。 リフトを降りたところが頂上というわけではありません。誘導看板には、「賤ヶ岳0...
静岡市南西部、用宗地区にある駅前のお城、持船城へ。 日本坂の街道と海を眺める立地にある持船城は、かつて今川、武田水軍の拠点でした。 今は東海道の交通の大動脈を眺める静かな展望台になっています。 お城:持船城 静岡市駿河区HP:自治体のHPはありません。訪問日:2021年10月 概要 訪問記 撮り鉄ごっこ 感想 アクセス 概要 築城年代は不明です。今川氏の頃は関口親永らが城主を務め、水軍の拠点かつ駿府の西の守りとされました。 1568年、武田信玄に攻められ落城、その後武田家の水軍城として整備されます。 1579年、徳川家康の駿河侵攻により落城しますが、翌年、武田勝頼が奪い返します。しかし、158…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
西国の覇者、大内氏館の遺跡 今回は、山口県山口市にある大内義隆の菩提寺である「龍福寺」とその境内にある「大内氏館跡」をお届けします。 毛利元就の長男隆元が、養父大内義隆の菩提寺として、天皇の綸旨を受けて建立し
国指定重要有形民俗文化財 岸見の石風呂 今回は、山口県山口市徳地岸見にある重源上人ゆかりの「岸見の石風呂」をお届けします。 とても山深い場所に岸見の岩風呂があります。 文治2年(1186)俊乗房重源
「オラが大将」の愛称で呼ばれていた「田中義一」 今回は、山口県萩市の偉人「田中義一」をお届けします。 幕末の萩で、下級武士の家に生まれました。 陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業、日清戦争出征後、ロ
足利氏館の後は、お隣足利学校へ。本当にすぐ隣なので訪問しない手はありません。 日本最古の学校と言われる足利学校。落雷による建物焼失で歴史にも分からないところはありますが、今見られる姿は最古のフレーズに違わない美しいものでした。 概要 訪問記 足利学校見学 足利駅 概要 創建は、奈良時代、平安時代初期、鎌倉時代初期など諸説ありますが、少なくとも1439年には関東管領だった上杉憲実が学校を再興したことが分かっています。 全国から学徒を集め、1549年にはフランシスコ・ザビエルから「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」とも称されました。 明治5年に廃校となり、一時は多くの建物が撤去されますが、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
近畿の水がめ、琵琶湖の最北端に接した標高421mの賤ヶ岳は、かつて天下分け目となる戦の舞台となりました。天下分け目の戦いといえば関ヶ原の戦いを連想しますが...
JR彦根駅前に、彦根藩初代藩主・井伊直政の騎馬像があります。佐和山城跡に登った帰りに立ち寄りました。 遠江国井伊谷(現・静岡県浜松市引佐町)で生まれた直政...
小泉八雲記念館や小泉八雲旧宅、武家屋敷なんかがズラリと並ぶ塩見縄手(しおみなわて)は松江城の北側の堀に面した一角で、松江観光に来た人なら必ず行くエリア。松...
1995年(平成7年)1月17日火曜日の朝5時46分に、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分の場所で、深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。 この地震は、日本初の大都市直下を震源とする大地震で、死者6,434名、行方不明者3名で戦後史上最悪でした。 住家被害は全半壊が24万棟以上で、約46万世帯に及び被害総額は約10兆円規模に達しました。 また気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録されました。 ★阪神淡路大震災で犠牲になられた方に対しお悔やみを申し上げます。 (淡路島北淡震災記念公園) 阪神淡路大震災の震源地・淡路島にある淡路島北…
戦国時代、会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる有力商人などによる自治組織が仕切り、貿易などのより商売が栄え、黄金の日々を謳歌していた堺。 この堺を舞台に海外貿易で財を成したのが呂宋助左衛門(るそん すけざえもん)です。 その呂宋助左衛門の像が、堺の港にあります (ルソン壺の呂宋助左衛門) 呂宋助左衛門は、大阪・堺の貿易商人・納屋才助の息子として生まれます。 フィリピンのルソン島との貿易を行い、南方の物を日本に紹介し、販売し、また日本の産品をルソンで販売することで一財産を築きます。 ルソン島から運んできた壺は「ルソン壺」と呼ばれ人気を呼び高価で売買されます。 名前の呂宋助左衛門の呂宋(ルソン)は、ル…
順序がメチャクチャになるが、松江観光の話も書き始めよう。 山陰旅行初日(つまり夜行バスで鳥取駅に到着した日)はまず白兎神社に行ったあと奥出雲まで鉄道で移...
引き続き北関東の100名城へ 続いては栃木の足利氏館。 鎌倉時代の方形居館は今は足利氏の氏寺、鑁阿寺(ばんなじ)となっています。 城館として見るととてもシンプルですが、きっと鎌倉の頃から同じような見た目なのだろうと思うと、また一味違って見えるかも。 お城:足利氏館(15)栃木県足利市HP:鑁阿寺(ばんなじ) - 足利市公式ホームページ訪問日:2018年10月、2021年7月 概要 訪問記 感想 アクセス 概要 諸説ありますが、ここでは現地の看板を参照して記載します。 平安時代後期、源義国、足利義康(足利氏の祖)親子が築いたとされる堀と土塁を持つ方形居館です。 1196年、足利氏2代、足利義兼が…
戸塚区 俣野別邸のロウバイ。 この時ロウバイの受粉係り?のメジロが3羽、ヒヨドリも1羽、飛んで逃げて行った。 私も機会があったら、ロウバイの蜜を、味見してみようっと( ゚Д゚)👆 放置された切り株、 甲虫の幼虫が眠っているかなぁ。。もうちょっと腐った方が良いのかな。。。 ホトトギス、冬バージョン。 種の鞘が開いて、まるで花の様だ。 枯れた葉の色と種鞘が 同じ色になって時間が止まった様に見える。素敵✨ この花で秋に沢山見つけた ルリタテハ幼虫の越冬蛹を探したけれど、見つからず。 冬枯れの植物は、色も透け感も綺麗だ~。。。。 ジョビ子さん「・・・・。」 ジョビ子さん「綺麗って言った?、、、、あたし…
井伊家歴代藩主の墓所がある清凉寺、井伊家ゆかりの龍潭寺から少し北に歩いたところに、井伊神社があります。その名のとおり、井伊家藩主を祭神とする神社です。 天...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
出雲国風土記 飯石郡 『狭長社(狭長神社)』
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『釜石』
あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編
全国の神々が集う!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編
出雲国風土記 出雲郡 『加毛利社(加毛利神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『多倍社(多根神社)』
出雲国風土記 飯石郡 『日倉社(日倉神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『佐久多社(嘉羅久利神社)』
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 境外摂末社編
出雲国風土記 大原郡 『船林社(船林神社)』
出雲国風土記 意宇郡 『賣豆貴社(賣豆紀神社)』
出雲国風土記 大原郡 『宇乃遲社(宇能遅神社)』
山の中に現れた石の壁。キチンと並んでいます。 これは福岡県行橋市とみやこ町の境にあるホトギ山(御所ヶ岳)にある、古代山城の 遺跡・御所ヶ谷神籠石(ごしょがたに こうごいし)です。 上記写真は、その御所ヶ谷神籠石の中門の石塁で1300年以上に建設された石積で、高さ7mです。 中門は、上から見るとこんな感じです。 (神籠石とは) 「神籠石(こうごいし)」とは、山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のことです。 現在、北部九州から瀬戸内海沿いの地域にかけて、16ヶ所が確認されていて、いずれ敵の侵攻を見張り、また妨害するために古代の官道を見張りやすい位置に築いたとされています。 そのため、この御所ヶ…
佐和山城西麓の龍潭寺の南隣りにある清凉寺は、彦根藩主井伊家の菩提寺です。ここに、井伊家歴代藩主の半数が眠ります。 清凉寺は、慶長7年(1602年)、彦根藩...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
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忍城を見た後は、行田市駅までの間、忍城周辺の蔵を散策です。 足袋で栄えた蔵の街。「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち」として日本遺産にも登録されています。 大部分は現代の住宅街になっても昔ながらの蔵がたくさん残り、今も使われており、見て歩いて楽しい街でした。 足袋蔵の街行田を散策 散策はマップを参考に、赤矢印の通り、忍城からバスターミナルあたりまで戻り、蔵がたくさんある通りを通って行田市駅へ向かいます。 回ったところはこちらに記載してあります。各数字をクリック頂くとスポットの名前が表示されます。 最初は2の松坂屋蔵から。一見普通のお菓子屋さんですが、戦後まもなく作られた倉庫を利用したもの。…
9代藩主・毛利元蕃は維新の大業に尽力し、初代藩主とともに祭神となっている「祐綏神社」 今回は、山口県周南市徳山にある「祐綏神社(ゆうすいじんじゃ)」をお届けします。 祐綏神社は、文化8年(1811)に徳山藩家
「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 令和の世となり3度目の1年が、まもなく終わりを迎えようとしています。 本年最後の日は、昨年同様寒波に見舞われました。この12月は18 […]
久しぶりに奈良へやってきました。奈良公園、春日大社以来ですね。本日の目的地はこちら。世界遺産 特別史跡 平城宮跡広いとは聞いてたけど、広すぎでしょ。朱雀門前は…
2015年7月のお出かけ記事になります。ここから写真のデータがかなり消えているので、画像は少なめです。まず最初に向かったのはうつぼ楠永神社大阪市西区靱本町2丁目1御祭神楠永大神楠玉大神靱(うつぼ)公園にある神社です。細長い公園なので、魚のうつぼと思っていたのですが、そうではないようで、豊臣秀吉が市中巡視をした際に町で魚商人たちが「やすい、やすい」と魚を売っていましたのを秀吉はそれを聞き、やす(矢巣)と...
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 新年1発目は、埼玉の続百名城、忍城へ。有名な難攻不落の名城、忍の浮き城、のぼうの城などなどとても有名なお城です。 遺構は少ないですが、覚えてもらえるスポットになっているだけでも良いのかな。 お城:忍城(118)埼玉県行田市HP:忍城 | 行田市観光NAVI訪問日:2021年7月 概要 訪問記 水城公園 御三階櫓 感想 アクセス 概要 諸説ありますが、15世紀後半に成田氏が築城したとされます。広大な沼地に点在する島を利用して築かれ、難攻不落の名城として名を馳せました。 幾多の攻城戦、小田原平定での石田三成の水攻めにも耐えますが、小田原城開城を受…
「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 新年、明けましておめでとうございます。 お陰様を持ちまして「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」は、本日で節目の開設10周年を迎えました< […]
毎度 出遅れる私ですが。。。。(爆) また一年、気楽に無理せず楽しくをモットーに ブログ更新していきたいと思っています📝 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 元旦の初日の出は 新東名の浜松SAで拝むことになった 朝焼けの富士山も 車の中から。。。いつもと違う角度✨ 4年振りの岐阜帰省へ向けて 朝5時半に藤沢を発って 何時間かかるかしらと思ったら。。。。 高速はガラッガラで、4時間程度で着いてしまった♪ 元旦に帰省するのって、良いかも知れない👆(笑) 義父母はコロナを恐れているので いつもの様には泊まらずに 夜は土岐市の宿泊施設を利用して 翌日、帰路へつくことになるのだが。。。。。 秋の頃だ…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。