在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
福井旅行 最後は福井城址と焼き鯖寿し
<徳倉城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸を取巻く”石垣”や”櫓台”に度肝を抜かれた!
なぜ人は争うのか?戦国の時代と現代の平和への思いをつなぐ
【大手町を歩くその2】常盤橋公園と国の史跡・常盤橋門の石垣、渋沢栄一像、レアな昭和元年建設の「常盤橋」に見入る!
<津山城(4)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-「三の丸」~「本丸」までの間だけでも約35門
松山城城門 戸無門
薔薇! 薔薇♪
雨の飫肥城を歩く。 その4 <豫章館・小村寿太郎記念館>
雨の飫肥城を歩く。 その3 <旧本丸跡>
<西表島>西表島大自然満喫ツアー
雨の飫肥城を歩く。 その2 <旧中ノ丸西門~松尾丸>
雨の飫肥城を歩く。 その1 <大手門~旧中ノ丸南門>
岡山城二の丸の広場(2)
<高崎台場(砲台)> 幕末にできた立派な石垣造りの台場から明治には砲台に変遷、由良藩邸の門
<洲本城(下の城)> 背後は”三熊山”、前は水堀と石垣で守られた「洲本城下の城」
とっても寒くなった。。。すぐ近所の公園の銀杏。黄色い絨毯の上は柔らかい。。 夏の間、すっかり油断していた私に。。。。 先日、こんな感じの出来事があった。 ・・・取りに行くことが条件、、、、か。 仕方が無い。私は家族1名を伴って向かうしかなかった。 一人では危険すぎた。 朝早く、箱根の山を越え 三島を南下し 受け渡し場所へ向かうと 約束の時間まで まだかなりある。 落ち着くためにも我々は 周囲の観光スポットへ行く事にした。 明治初期にはこんな感じに 荒れていた場所へ。 韮山反射炉。 江戸末期に国防の一つとして築造され 大砲数百門を鋳造した世界文化遺産。 1857年~1864年に使用されていた。そ…
藤枝市つながりで田中城へ。 街中の平城ですが、同心円の特徴的な縄張りで有名でしょうか。名残は曲がった道路くらいかと思っていたら意外と点在していて、歩き疲れました。 概要 訪問記 田中城下屋敷 住宅街の遺構巡り 感想 アクセス お城:田中城 静岡県藤枝市HP:史跡田中城下屋敷/藤枝市ホームページ訪問日:2020年9月、2021年11月 概要 約500年前に今川家の家臣、一色氏が築いた徳一色城が始まりと言われます。 1570年、武田信玄の手に渡り、家臣の馬場信春が改修、田中城と改名。今につながる円郭式縄張りの原型や三日月堀が作られました。 甲州征伐では徳川勢の攻撃を受け、何度も耐えますが、1582…
JUGEMテーマ:歴史幕末の長州藩士「寺嶋忠三郎誕生の地」 今回は、吉田松陰先生の門下生で、最期は久坂玄瑞と共に互いに刺し違えて自害した「寺嶋忠三郎」をお届けします。 山口県周南市には、「寺嶋忠三郎誕生の地」
初代内閣総理大臣 伊藤博文公生家ある「伊藤公記念公園」 今回は、山口県光市にある「伊藤公記念公園」敷地内にある「伊藤公資料館」、「旧伊藤博文邸」、「伊藤博文生家」をお届けします。 吉田松陰先生の門下生であり、
JR長浜駅の東口を出てすぐのところに、羽柴(豊臣)秀吉と少年・石田三成の出逢いの像があります。石田三成は、ここから5kmほど東の近江国坂田郡石田村(現在の...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1724年11月22日、浄瑠璃および歌舞伎の作者、近松門左衛門が亡くなりました。 (上方文化の担い手の1人) 徳川時代になり、戦のない平和な世が続き、物の流通が盛んになり、江戸、京都、大阪は賑わいを見せます。 全国から集められた米や特産物が取り引きされ天下の台所と呼ばれていた大阪、天皇が住む御所を中心とする上方では、都市の繁栄を背景に経済力を持った町人を担い手にする新しい文化=元禄文化が栄えます。 その文化の担い手の1人が近松門左衛門です。門左衛門は現実に起きた物語を元に浄瑠璃や歌舞伎の台本を書きます。 1685年に門左衛門が描いた「出世景清(しゅっせかげきよ)」は、近世浄瑠璃の始まりといわれ…
「その3」のつづきです。「その2」で紹介した石田三成屋敷跡の石碑がある石田会館から100mほど東に歩いたところに、石田氏の氏神と伝えられる八幡神社が鎮座し...
11月25日は、1940年(昭和15年)に、皇紀2600年記念行事の1つとして天孫降臨の地・ 宮崎に建設されていた八紘之基柱・平和の塔が完成し、その竣工式が行われた日です。 (八紘之基柱) この塔は、現在は、「平和の塔」と呼ばれていますが、戦前・戦中は、「八紘之基柱」 (あめつちのもとはしら)と呼ばれていました。 この塔は、神道で使う御幣を形どっていて、設計は著名な彫刻家の日名子実三が担当しました。高さは36.4メートルで当時、日本で1番高かった丸ビルを超えます。 建設から80年以上たってもがっしりしています。 (正面に刻まれた「八紘一宇」) 塔の正面には、当時の天皇の弟で、大正天皇の次男の秩…
このところの一週間は天気が良かったので こまめに出かけて 森さんぽ 海さんぽ 川さんぽを楽しんだ♪ 冬に向けて 段々空気が乾燥してきたので ドライアイ復活。 また今年も、風が顔に当たると右目から涙が流れる季節(爆) 森さんぽでは・・ 海を観ながら ひとつしかないベンチの端と端で 知らないお爺さんと日向ぼっこしたり。会話無し(笑) 眩しいオレンジ色、秋型キタテハ。この時期の、小さなキク科の花は可愛いなあ。 頭の上で、風が吹いてシャラシャラシャラ~~~と葉音がして 銀杏の葉っぱの雨。うわあ素敵~✨と、上を見上げて立ち止まる。 顔に葉っぱが乗るかな?としばらく静止したけど、当たらないものだ(笑) w…
東京都北区、JR板橋駅前には、近藤勇墓所・新選組隊士慰霊碑が建てられています。 近藤勇…幕末に活躍した新撰組の局長ですね。 【東京都調布市にある近藤勇生家の看板に使用されている近藤勇の写真】 ここには、土方歳三が函館で戦死した副長・土方歳三など百十名にのぼる新選組隊士と共に供養されています。 (流山で捕まり板橋で死刑。首は京都へ) 新選組は池田屋事件等での活躍し、幕末の京都を警護する部隊として有名になっていきます。 しかし世の中の動きが討幕へ進む中、鳥羽伏見の戦いでやぶれ、近藤勇は江戸にもどります。新選組は甲陽鎮撫隊と名をかえ戦いを続けますが、苦戦が続きます。 また、方針の違いから永倉新八とも…
沖田総司。。新撰組1番組組長。。。 沖田総司は、新撰組の中でも人気がある1人です。 時代が幕末から明治に変わろうとする1868年(慶応4年)5月30日、結核におかされていた沖田総司が命を落とします。 その沖田の終焉の地が東京台東区にあるというので行ってきました。 台東区にある今戸神社です。 (新撰組1番組組長:沖田総司) 沖田総司は、幕末に白河藩の足軽小頭の家に生まれます。 その後、江戸・市ヶ谷にあった近藤勇の天然理心流道場・試衛館で剣術を習い、 10代で免許皆伝、18歳で師範代を務めます。 1863年、沖田は、近藤勇や土方歳三とともに上京し、芹沢鴨と壬生浪士組を結成、8月に壬生浪士組は新撰組…
11月21日、平将門の乱が起きます。 平安時代の939年、関東で平将門の乱が起きました。 乱を起こした平将門は、千葉県西部の下総を本拠地としていた豪族・平良将の子で 903年頃に生まれた様子です。 出自は桓武天皇を先祖に持つ系統で、宇多天皇の勅命にて平姓を賜与され臣籍降下した氏族です。 (一族の争いから関東一円を巻き込む) 将門の乱は、下総国、常陸国に広がった平氏一族の争いから、やがては関東一円を巻き込む争いへと発展します。 平将門は、戦いに勝利し下野と上野へも進軍して支配し、関東一円を手中に収めます。 (自ら新皇と称す) 12月19日に上野国府で新皇を自称し、岩井(現在の茨城県坂東市)に政庁…
笠間城散策のあと、城下町を少しだけ散策。行きのバスで見かけた笠間稲荷神社に惹かれたので、参拝しに行きました。 予習なしでも目を惹く門前町は、日本三大稲荷に数えられる大きな神社のそれでした。 B級グルメもありましたし、笠間城見学からの参拝はおすすめコースです。 笠間稲荷門前通り散策 笠間稲荷神社 笠間いなり寿司 笠間稲荷門前通り散策 笠間城散策の拠点となる、かさま歴史交流館の真正面の通りが笠間稲荷の門前通り 小綺麗な舗装に誘われて散策開始です。 実際のところは先日のアクセスの記事の通り、笠間駅へのバスは午前中だけで、笠間城から帰ってきたころには終バスも無く、駅まで歩くしかないわけですが。でもこれ…
尊王攘夷の志士たちも集った「山田家本屋」 今回は、山口県周南市湯野にある「山田家本屋」をお届けします。 ここは温泉も湧く地域であり、山田家本屋の入り口には「足湯」もあります。 地元の方達が、足湯につ
「その2」のつづきです。石田三成屋敷跡の石碑がある石田会館から200mほど北上したところに、石田三成の生誕時の産湯に使われたと伝わる井戸があります。 細い...
「その1」のつづきです。石田三成が生まれ育ったとされる屋敷跡を訪れました。現在、その屋敷跡には石田会館という公民館があります。 石田会館の建物前には植栽の...
1872年(明治5年)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました。 これにより ①1年を365日、12か月とし、4年毎に閏年を置く ②1日を24時間とする という事が決められ旧暦の1872年(明治5年)12月3日が 新暦の1873年(明治6年)1月1日に定められました。 (大隈重信が太陽暦を採用) 太陽暦を採用したのは、佐賀藩士の大隈重信。 早稲田大学を創設した人物としても有名です。 それまで日本で利用されていたのは、月の満ち欠けを利用した太陰暦でした。 しかしこれでは1ヶ月が短くなりずれていくため、数年に一度は閏月(うるうづき)と…
1940年(昭和15年)11月10日(日)、 東京の皇居前広場で昭和天皇・皇后隣席の下、 内閣が主催する「紀元二千六百年式典」が 盛大に開催されました。 紀元2600年記念行事とは1940年(昭和15年)が初代神武天皇が即位して2600年目に あたる年とされ、国を挙げての大祝賀となりました。 11月10日の夜には、皇居前にかがり火がたかれ、夜更けまで賑わいます。 花電車も登場し、お祭りムードを盛り上げます。 皇紀2600年記念式典は翌11日にも開催され、2日間にわたるこの式典には、合計で5万5千人の参列者を迎えました。 【式典の様子を伝える東京朝日新聞の臨時夕刊の記事】 (式典はラジオで全校に…
11月11日は、1944年(昭和19年)に 長野県の松代大本営の着工工事が始まった日です。 (11月11日11時11分工事開始) 太平洋戦争終戦の前年1944年(昭和19年)11月11日11時11分、象山で最初の発破が 行われ、長野市松代地区の象山・舞鶴山・皆神山の3か所に地下坑道を掘りめぐらせる松代大本営の工事が着工されました。 お気づきのように発破の時間が「1」が並んでいます。 この時間が選ばれたのは、漢字の十と一を縦書きにすると「士」に通じることから縁起を 担いだためです。 工事は、西松組や鹿島組といった当時の日本の建設業界最大手が担当しました。 ご存じのように、当時は太平洋戦争末期で、…
まもなく11月15日、 この日は坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります 大政奉還が行われたわずか1カ月後で、坂本龍馬33回目の誕生日にあたる 1867年11月15日に、坂本龍馬は京都で暗殺されます。 龍馬暗殺の地京都には、ゆかり場所がたくさんあります。誕生日&命日を機に龍馬関係史跡を周ってみては いかがでしょうか? ⓵龍馬が襲撃された伏見地区 ②龍馬の隠れ家があり、暗殺された河原町周辺 ③龍馬のお墓がある霊山護国神社 ・・この3つが京都龍馬史跡の重要地点です。 いずれも近いので1日あれば十分見ることが可能です。 ①龍馬が襲撃された寺田屋周辺(京都伏見) 京阪電鉄の中書島駅からスタートします。…
大政奉還が行われたわずか1カ月後の 1867年11月15日、 坂本龍馬は京都で暗殺されます。 その日は坂本龍馬33回目の誕生日でもありました。 (大政奉還を演出した坂本龍馬) 坂本龍馬は、幕末の土佐藩脱藩浪人で維新の立役者。 貿易会社で日本初の総合商社である亀山社中、のちの海援隊を創設。 当時、対立していた薩摩藩と長州藩を結び付けて薩長同盟を締結させ、 討幕運動を仕掛けた人で、大政奉還をも演出した人です。 (龍馬、誕生日に暗殺される!) 坂本龍馬は、1867年11月15日、京都にある隠れ家・酢屋から歩いて数分の地にある 近江屋という醤油屋の2階で中岡慎太郎と会っていました。 そこを突然襲撃され…
先日、戦時貯蓄債券と特別報国債券を頂きました。 これらの表面を見ますと「昭和17年」「昭和18年」「昭和19年」の文字が書かれています。太平洋戦争中ですね。 債券とは「国家、公共団体、銀行、会社などが必要な資金を借り入れる場合に発行する公債、社債などの有価証券」のことです。 今回頂いた戦時貯蓄債券と特別報国債券は、国が国民から戦争で使うお金を集めるための手段として戦争中に販売した「債券」の1つです。 (貯蓄債権発行の背景) 1931年(昭和6年)に日中戦争が起きると莫大な軍事費が発生しました。 その軍事費は、増税だけではまかなえることができなくなったため、1927年(昭和12年)9月10日、臨…
中学技術の教科書を読んで【本紹介】
今月読んだ本
【本レビュー】犬型ロボットは日本の特異性という話【私たちはAIを信頼できるか】
【エンタメ】変な絵 あらすじ、考察(ネタバレなし)
【本のレビュー】成瀬は天下を取りにいく-宮島未奈著-感想
初めてのブログ奮闘記 その3(-13日目)~ブログを学ぶ編~【おすすめ本レビューあり】
#205 ブックレビュー『才能をひらく編集工学』著:安藤 昭子
#217 ブックレビュー『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』 ジョン・プレヴァス著
#218 ブックレビュー『バズる書き方』著:成毛 眞
#219 ブックレビュー『書評の仕事』著:印南 敦史
#222 ブックレビュー『ニッポンの書評』著:豊崎 由美
#616 レビュー 『イリアス(上)』ホメロス
#242 読了:『大人が読みたい 平家物語 』 ~日本の古典『平家物語』を読むために
#611 レビュー『図解でスッと頭に入る紫式部と源氏物語』
#247 本レビュー『頭がいい人の読書術』著:尾藤 克之
写真は奈良県の吉野です。 この吉野で、11月17日、源義経の愛人・静御前が捕らえられます。 静御前に関して、史料による記録が見られるのは、「吾妻鏡」だけです。 その「吾妻鏡」を中心に静御前の吉野での動きを見て見ます。 (義経・弁慶とともに吉野に逃げる) 1185年、平氏を壇ノ浦の戦いで滅ぼしたものの、兄の源頼朝と対立した義経は やがて、朝廷から「義経追悼の院宣」が頼朝に下されてしまったために、朝敵となってしまいます。 そして逃げ延びたのが吉野。 吉水院という修行僧の僧坊、のちの吉水神社に潜伏します。 (ちなみにここは南北朝時代には南朝の皇居になります) ここには源義経潜居の間があります。 ここ…
2021年(令和3年)11月14日(日) 人間魚雷回天の乗組員たちの追悼式に参加しました。 人間魚雷「回天」の訓練基地跡が残る山口県周南市の大津島。 この島で回天の搭乗員らの追悼式がありましたので参加してきました。 この式は正式には回天烈士及び搭載潜水艦戦没者追悼式と言います。 式には、関係者ら約40人が出席し、若くして命を落とした145人の霊を慰めるとともに平和を祈りました。 (人間魚雷回天) 回天は太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器。 全長は14.75m、胴体の直径は1mで1人乗りで、推進装置には、九三式酸素魚雷の エンジンを使っていました。 イスに座る形でこの回天の中にいて、乗組…
坂本龍馬の没後154年の命日となる11月15日(月) 京都市の霊山護国神社で、 龍馬や中岡慎太郎らを慰霊する「龍馬祭」が営まれたので参加してきました。 (龍馬が眠る:霊山護国神社) 坂本龍馬は1867年(慶応3年)11月15日、京都の醬油商、近江屋で中岡や下僕の藤吉とともに暗殺されまた。この日は龍馬の誕生日でもありました。 龍馬の遺体は霊山護国神社の境内に埋葬され墓が建立されました。 (命日に龍馬の墓参り) 霊山護国寺は京阪本線の祇園四条駅から徒歩15分で、ちょうどいい散歩コースです。 境内は龍馬命日用で坂本龍馬と中岡慎太郎の肖像画が掲げられていました。 龍馬像も去年同様マスク姿。 (龍馬の墓…
永観堂の紅葉が見頃を迎えたとのことで、夜間ライトアップに行ってきました。17時半からでしたが、17時前に行くとすでに長蛇の列が(・_・;)入場できたのは18時…
高森本陣近くに宿泊していた吉田松陰 今回は、山口県岩国市周東町にある、江戸時代に藩主・役人・公家など、身分の高い人が宿泊した本陣の跡「高森本陣跡」と、その近くにあった吉田松陰の親戚岩本家に数回逗留した「吉田松陰宿泊の地
引き続き笠間城。大手門から本格的に城跡を巡ります。 大手門付近では石垣があるとは言っても道路が敷かれているし、とそんなに盛り上がらなかったのですが、天守曲輪で思い切り裏切られました。 天守曲輪まで登らないともったいないです。 お城:笠間城(112) 茨城県笠間市HP:笠間市公式ホームページ訪問日:2019年9月、2021年4月 訪問記 大手門~本丸 天守曲輪 本丸 下屋敷へ 感想 アクセス 訪問記 大手門~本丸 かさま歴史交流館で続百名城スタンプを押して(詳細はこちら)、えっちらおっちら辿りついた千人溜(的場丸)奥の大手門からスタート。 まずは大手門脇の看板で縄張りと進み方を確認。今いるのは中…
近江横山城跡のある横山丘陵の西麓にあたる長浜市石田町は、戦国武将・石田三成の出生地と伝わります。 石田町内には三成ゆかりの史跡がいくつかあり、観光客用の駐...
大阪の住吉大社・博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の1つ、長門国一の宮「住吉神社」 今回は、山口県下関市にある、長門国一の宮「住吉神社」をお届けします。 山口県には一の宮の神社は2件あり、その一つになりま
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った神様 今回は、山口県防府市にある周防国一の宮「玉祖神社(たまのおやじんじゃ)」をお届けします。 周防国一の宮として、とても由緒深く、御祭神は三種の神器の一つである八尺瓊
鎌倉の谷戸の色づき具合。 日中はまだ、日焼け止め塗らなきゃ💦って思う位 陽射しがジリっと来る事もある。 紅葉のスイッチは 最低気温が8度以下になる事。 藤沢市では 一昨日やっとその7.8度を記録したところ。 最高気温は19度くらいあるけど☀ それでも 足元には秋らしい芸術的な色たちが。 銀杏の実の美しいグラデーションはあの匂いを忘れるくらい シックで素敵。 切り株に生えた、サルノコシカケに オナモミの実が落ちて、アクセントに。 ランダムに重なるラインと輪郭が美しい✨ 家の周囲に、こんな色の光景があって欲しいなぁ。。。 あ!木のてっぺんに 葉っぱみたいな色をしたジョウビタキ🐦 鳴かなければ気づか…
引き続き茨城のお城めぐりは続百名城の笠間城へ スタンプはコロナ前に押していましたが、当時は雨で登れなかったのでリベンジです。 まずはスタンプを押して登り口まで。スタンプのある場所は良き歴史交流館でした。 お城:笠間城(112) 茨城県笠間市HP:笠間市公式ホームページ訪問日:2019年9月、2021年4月 概要 訪問記 続百名城スタンプ@かさま歴史交流館井筒屋 笠間城へ 概要 1219年、笠間氏初代の時朝が築いたとされます。以後約370年この地を治め、南北朝時代には南朝方として北朝方の佐竹氏を撃退しています。 小田原の役のあと宇都宮氏に攻められ、1590年に笠間氏は滅びます。 その後入った蒲生…
関門海峡の眺めが美しい「みもすそ川公園」 今回は、安徳天皇が入水した源平合戦の舞台「壇ノ浦の戦い」や、幕末の長州藩が外国船と戦った「下関戦争」など、歴史と浪漫にあふれる「みもすそ川公園」をお届けします。 関門
近江横山城跡のある横山丘陵の南東麓にある大原観音寺は、あの石田三成が羽柴秀吉に三杯の茶を献じたという伝承のお寺だそうです。 写真は観音寺惣門。まるで城門の...
大宝城の次は、大宝城と関係の深い関城へ。同じく南北朝時代に歴史の表舞台に立ったお城です。 こちらも突き出した台地の先端に位置して基部には堀を施して。 そんな城には珍しい遺構がありました。 お城:関城 茨城県筑西市HP:関城跡 | 筑西市公式ホームページ訪問日:2021年7月 概要 訪問記 関城へ 関城跡 坑道跡 騰波ノ江駅 感想 アクセス 概要 鎌倉時代初頭に関氏によって築かれました。 かつての大宝沼に突き出す半島の突端に位置し、東西南を大宝沼に囲まれ、陸続きの北には堀を設けてありました。 南北朝時代、小田城から北畠親房が移り、城主関宗祐、宗政親子とともに南朝軍として戦いましたが、1343年、…
「その4」のつづきです。横山城跡をすべて攻略したので、下山します。 「その2」で紹介した展望台まで戻ってきました。登りは峠地蔵経由のコースを登って来ました...
「その3」のつづきです。観音寺登山口から登り始めて約1時間、横山城跡の北城主郭に到着しました。 東に近江の最高峰、標高1377mの伊吹山が見えます。 「横...
「その9」のつづき、シリーズ最後です。「その1」で紹介した野村古戦場跡から西へ700mほどのところに、「血原」という物騒な名称の場所があります。ここは、元...
萩の生んだ総理大臣「桂 太郎旧宅」 今回は、山口県萩市が生んだ萩市出身の内閣総理大臣、桂 太郎の「桂 太郎旧宅」をお届けします。 桂太郎は、第11代・第13代・第15代内閣総理大臣を務め、笑顔の「ニコポン宰相
立冬を過ぎたけど、今日の藤沢市の予想最高気温は22度🌡 色づいた子福桜 最近の富士山(両親宅から) 先日も 両親の家へ行く時に、 小さい虫かごに用意しておきながら、持って出るのを忘れて出かけてしまった。 飼っている残りのオケラ1匹、早く元の畑へ返してスッキリしたいのに。 既に持って行くのを2度、忘れている(爆) 朝早くバタバタと出かけるので 全く眼中に無い様だ💧 そろそろホントに土に返さないと 冬眠の時期だ💦じ、次回こそ! 自宅の庭に放したとして 一匹だけでは可哀そうだからなぁ💧 やはり、仲間の居る畑に返して終わりにしたい。 今回は両親宅へ行く前に 御殿場駅から市内の高台にある 平和公園まで …
『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり』(誠の心で接すれば、動かなかった人は今まで誰もいない) 今回のテーマは、吉田松陰。 山口県萩市。山口県では、吉田松陰に尊敬の意を表し、「松陰先生」
明治・大正時代の建築技術の粋を極めた壮大な建物 今回は、旧毛利家本邸をご紹介します。 本来は、毛利氏庭園も一緒に紹介しようと思いましたが、広大過ぎて別にする事にしました。 毛
日本全国に約250箇所ある「庭園の国指定重要文化財」国指定名勝「毛利庭園」 前回の「旧毛利家本邸」に引き続き、今回は、「毛利氏庭園」をご紹介します。 25,000坪の広大な敷地には、小高い丘や小川
菊屋家のお庭は、美しい回遊式庭園 今回は、菊屋家の庭園をご紹介します。 まあ、素晴らしい!! 個人のお宅であんなにいりますか、と突っ込みたいですが、保存され、美しく手入れされた庭園を見せて頂けるのは
TBS「ぴったんこカンカン」でも紹介された、萩の豪商「菊屋家住宅」 今回は、萩藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅です。 屋敷は江戸初期の建築で、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。