在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「その6」のつづきです。屏風折れ石垣の曲輪から北に向かって少し歩いたところに、「温羅舊跡」と刻まれた大きな石碑があります。 温羅(うら)とは、「鬼神」「吉...
「その5」のつづきです。鬼ノ城跡いちばんの見どころ、屏風折れ石垣にやってきました。 見事な高石垣が見えます。 ここまで歩いて見てきたコースでも、平野を見下...
「その4」のつづきです。鬼ノ城第4水門までやって来ました。 立て札の表記によると、第4水門は長さ11.1m、高さ4mあるようです。 水路の上に架けられた木...
「その3」のつづきです。鬼ノ城南門にやってきました。 敷石の向こうに角材の柱のようなものが見えます。 神籠石状列石が整然と並んでいて、一段下がったところに...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
2020年(令和2年)年末、清水寺で発表される今年の漢字を見に行った帰り、 清水五条駅に向かう途中の五条坂にある、若宮八幡宮を訪れました。 【2020年今年の漢字を見に行った時のブログはココ】 (京都 五条にある若宮八幡宮) 若宮八幡宮という名前が付く神社は全国各地にあります。 若宮八幡宮とは「八幡宮の若宮」のことで、八幡神(やはたのかみ)は、清和源氏、 桓武平氏といった日本全国の武家から武運の神として崇拝されました。 この若宮八幡宮は、清水焼発祥の地・五条坂の途中にありました。 歴史は古く、平安時代後期の1053年に後冷泉天皇の命により、八幡太郎義家の父の源頼義が六条醒ヶ井(さめがい)の邸内…
赤間神宮は、本州最西端、関門海峡を望む山口県下関市にあります。 朱色の建物の実に見事な、綺麗な建物です。 この朱色は、神道において生命の躍動を現すとともに、厄除けや災厄を防ぐ色としても また朱の原材料は水銀=丹で、昔から木材の防腐剤としても使われてきました。 (安徳天皇を祀る) 赤間神宮は、1185年に壇ノ浦で亡くなった安徳天皇を祀ってあります。 壇ノ浦の戦いで、敗北が決まると安徳天皇の祖母で、平清盛の妻の二位尼が、安徳天皇を抱きかかえ入水します。安徳天皇はわずか8歳(かぞえ年)で生涯を終えます。 【悲劇の天皇・安徳帝について書いたブログはココ】 壇ノ浦の戦いの6年後の1191年壇ノ浦を望むこ…
学問の神様の菅原道真が座ったという石があるお寺に 行ってきました。 大阪市天王寺区にある天然寺です。 門の入り口には「右大臣 菅原道真公跡おちつき天神」と看板があります。 お寺なのに神社がある。しかも祀られているのは菅原道真。。これは何?? 入り口の右側に天満宮がありました。 天満宮の鳥居をくぐると、その右手に 菅原道真が腰を掛けたと伝わる「お座りの石」がありました。 これに座ると道真公同様、頭が良くなるかもしれないので当然、座ってきました。 しかしそれから月日が経ちましたが、その効果は出ていないようです。 (秀吉の命で引っ越してきた) このお寺のいわれを書いた説明書がありました。 この寺は潮…
曼殊院天満宮を出て、東側に曼殊院門跡があります。曼殊院門跡は古くは竹之内門跡と呼ばれていました。この辺りの地名が「竹之内」だったそう。よく知られた門跡寺院ではありますが、観光客は少なめ(秋の紅葉シーズンは多いかも)。有名寺院にある威張った感じがない、とどこかの本で紹介されていました。お寺と言うよりは公家のお屋敷。門跡寺院は、皇族出身の人たちがたくさん入ったお寺なのでこういう雰囲気が出るのでしょうか...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「その2」のつづきです。向こうに復元された西門と土塁の城壁が見えます。 西門をあとにして、南へ向かいましょう。 通路に敷石が敷かれています。鬼ノ城では、城...
カウンターを新しく設置し直しました。以前どれだけカウントしていたのかわからず、0からのスタートです。2015年4月のお出かけ記事です。喜多向稲荷からお次は松原天満宮兵庫県西宮市松原町2-26御祭神菅原道真公鳥居額手水舎手水拝殿本殿夫婦久寿夫婦久寿の社筆塚鎮宅霊符社額狛犬さん火之御子社(右)白太夫社(左)皇太神宮社(右)ゑびす福神社(左)松神社(右)福部神社(左)絵馬いただいた御朱印にほんブログ村...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「板垣死すとも自由は死せず」 1882年(明治15年)4月6日、このセリフで有名な板垣退助が遊説中の岐阜県岐阜市で 襲撃されます。 板垣退助・・・年配の方々には赤茶色した「100円札の肖像画の人」として、なじみがあるかもしれません。 (自由民権運動の指導者、板垣退助) 板垣退助は、江戸時代末期の1837年に土佐藩で生まれました。 その後、世の中は江戸幕府がつぶれ、明治政府になりました。 しかし当時の明治政府は、倒幕運動の中心だった薩摩藩と長州藩、公家の、 しかも一部の人を主軸にした人たちによって行われていました。 そこで「国会を開き国民の意見を聞いて政治を行うべきだ」と主張する自由民権運動が各…
4月13日は 巌流島で、 宮本武蔵と佐々木小次郎が 決闘をした日です! (巌流島)巌流島は、山口県下関市と福岡県北九州市門司区の間にある関門海峡に浮かぶ小さな 無人島です。下の地図の赤丸部分。 この島で、江戸時代初め、豊前小倉藩の小倉城下で道場を開いていた佐々木小次郎に、諸国を修行中だった宮本武蔵が決闘を申し込みました。 決闘の地、巌流島は、当時舟島と呼ばれていました。 宮本武蔵は、島にわざと遅刻し、佐々木小次郎をイライラさせ平常心を失わせ、 倒しました。 その後、戦いに敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるように なりました。 (巌流島散策) 巌流島は、山口県下関市と福岡県…
(伊根湾に面した伊根町) 日本海に通じる丹後半島の西北端にある伊根湾。古くから漁業が盛んな湾です。 ここにある京都府与謝郡伊根町(いねちょう)には舟屋があります。 舟屋は、海に面して建てられた独特の建物の事です。 写真のように1階が舟屋とよばれる舟用のガレージ、2階が居住空間になっています。 (伊根浦地区) 舟屋が固まって見れるのが伊根浦地区です。 両側に舟屋の集落を見ることができます。 (江戸時代から続く舟屋)舟屋は江戸時代から続き、現在は、およそ230世帯の舟屋が残されています。 伊根浦地区には、伊根町教育委員会が建てた案内板があり、そこには古い写真が掲載 されていました。 舟屋の集落にか…
【写真は2021年(令和2年)高杉晋作の命日に訪れた終焉の地に掲げられたものです】 4月14日は、 幕末の中心的人物の1人、 長州藩士・高杉晋作の命日です。 (高杉晋作とは・・) 高杉晋作は幕末に倒幕派の中心となった人物です。 藩校明倫館、松下村塾に学び1863年に外国船から攻撃をうけた時に奇兵隊を結成し、 外国勢と戦います。 翌1864年に四国連合艦隊との講和において正使として活躍します。 また第1次長州征討の後、長州藩を討幕に転換します。 1866年6月におきた第2次長州征討では指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ります。 (「近世名士写真」国立国会図書館ウェブサイトより) また、高杉晋作は、…
4月17日は、 1895年(明治28年)に 下関条約(日清講和条約・馬関条約)が結ばれた日です。 (大日本帝国、初の外国との戦争:日清戦争) 日清戦争は日本が大日本帝国となり外国との初めての戦争でした。 1868年(明治元年)徳川幕府を倒し、明治政府になった大日本帝国は、西洋諸国に 追いつこうと近代化に着手し殖産興業と富国強兵につとめます。 1889年(明治22年)には大日本帝国憲法を公布、そして施行して近代国家の仲間入りを進めていました。 一方世の中は国際的にみれば帝国主義、植民地主義の時代でした。 中国を治めていた清は大国でしたが1840年に起きたアヘン戦争、その後のアロー戦争で相次いでイ…
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「その1」のつづきです。鬼ノ城跡西側の展望デッキから見た復元西門です。 今からあそこに向かいます。 展望デッキから歩いて約5分、城域にやってきました。写真...
日本100名城に選ばれている城のほとんどは、戦国時代から江戸時代にかけて築かれた城ですが、いくつか、もっともっとずっと昔に築かれた古代城もあります。今回は...
大変ご無沙汰しています。久しぶりの更新です。西宮神社からお次は喜多向(きたむかい)稲荷漢織・呉織伝承の旧蹟西宮市西宮市松原町11御祭神織姫大明神光玉大明神宇賀之魂鳥居額狐さん社殿にほんブログ村...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
先月末、出張で富山県高岡市を訪れていたのですが、実はわたし、富山県を訪れること自体が初めてでして、せっかくなので、仕事の合間を縫って高岡城跡を訪れました。...
先週末、京都北郊の山中にある、常照皇寺を訪れました。ここに、「九重桜」と呼ばれる樹齢650年と伝わるみごとなしだれ桜があります。ここは紅葉の名所としても知...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は狸谷山不動院から瓜生山へ登ります。瓜生山は標高301メートルの比較的登り易い山。室町時代には、北白川城、別名、勝軍山城が築かれていました。築城したのは細川高国。高国は室町幕府の管領、いわゆる、将軍に継ぐNO.2のポジションにいた人です。一時は将軍をもしのぐ権力を有していました。ところが高国の敵は多かった。長年権力争いをしてきた細川澄元の息子、晴元、のちに京都を支配することになる三好家のトップ、三好...
3月19日金曜日今日は近所の狸谷山不動院、瓜生山に行ってきました。狸谷山不動院は平安京遷都のときに桓武天皇が平安京の鬼門封じとして、たぬき不動をこの地に安置したことに由来します。このあたりは延暦寺や崇道神社など鬼門封じのための寺社が多いです。ここではあの宮本武蔵や朋厚法師というお坊さんも修行したそう。最寄は、叡山電鉄一乗寺駅。私は近所なので自転車で行きます。一乗寺駅周辺。この辺りは、ラーメン屋やカ...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。