在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
1577年(天正五年)、葛西晴信の家臣が、主君の晴信に反抗したことを口実に、義隆は、その家臣の救援のためと称し、出兵して、晴信と戦った。当時、伊達輝宗は、相馬…
1534年(天文三年)6月、大崎義直の家臣、新田頼遠が、出仕を拒否するようになった。 義直は、激怒して、新田氏の討伐に向かったが、大崎家の執事を務める氏家…
大崎詮持には、満詮、兼持の二人の息子がいた。大崎氏の家督を継承したのは、長男の満詮である。 恐らく、奥州探題職を世襲したと考えられるが、実は、詮持以降の大…
大崎直持の弟、兼頼は、出羽国を掌握し、羽州探題としての地位を確立した。伊達氏・葛西氏・南部氏など、陸奥国における、鎌倉時代以来の名門の有力国人領主は、奥州管…
斯波直持は、奥州管領職を世襲すると、1362年(貞治元年)、陸奥国東海道検断職に相馬氏を任命し、翌年には、足利幕府の命を受け、陸奥飯野八幡社を保護した。 …
なんとなく不思議な気もしますが、「地名を変える」という作業は、日本ではその昔からあまり行なわれてこなかったようです。その背景には宗教的または文化的なある種のタブー意識があったのかもしれませんが、戦国の時代になると、ちょっと雰囲気も変わって、織田信長による
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。