在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
#852 レビュー 『田辺聖子の古典まんだら 下』田辺聖子
#851 2024年10月の購入本その3 2冊
#今日のひとことブログ 禅語「真観清浄観」
#850 レビュー 『田辺聖子の古典まんだら 上』田辺聖子
#855 本レビュー『歴史街道 令和6年11月号』の感想
#849 レビュー 『月と日の后 下』 冲方丁
#848 献本到着『伝兵衛』夏之始
#847 レビュー 『月と日の后 上』 冲方丁
#846 第39回「とだえぬ絆」感想~大河ドラマ『光る君へ』
#845 2024年10月の購入本その2 3冊
#今日のひとことブログ 禅語「只管打坐」
#844 2024年9月の読了本 15冊
#843 レビュー 『デカメロン』ボッカッチョ
#842 2024年10月の購入本その1 2冊
#841 レビュー Eテレ『理想的本箱「EDITION 愛」』
左に赤く見えているのが現在地。ここからようやく、今回の生駒縦走が始まります。 弘法大師空海と四国八十八ヵ寺ご本尊の石仏。正確に数えていませんから、これ…
昔しの小町通りは、「瀬戸耕地」と呼ばれる農道で、1889年に横須賀線鎌倉駅が開業すると市街化が進み、関東大震災で多くが被災し、小町通りに集団移転し、現在は電線類地中化工事も終わり夜も賑わっています。 画像の続きはフォトムービーでお楽しみください 源頼義が1063年由比郷鶴岡に京都の石清水八幡宮を勧請し鶴岡若宮を称したのが始まりで、源頼朝は1180年に現在の地に移し、鎌倉のまちづくりを開始、1191年には火災を機に、上下両宮の現在の体裁となりました。本宮前から、若宮大路を中心とした街の灯りが望めます。 神奈川県鎌倉市小町JR鎌倉駅 動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。
武蔵野観音霊場の中でも第十五番札所の松林寺や第十四番札所の妙善院のある所は、中世までは武蔵野の原野が広がる場所だったようですが、松林寺が江戸時代前期の承応年…
祖師堂の手前左側には、日蓮の像があり写真では伝わりにくいですが、周囲の木々や建物の高さと比較してみると、その大きさが分かります。 画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 祖師堂の右手手前には、比企一族の供養塔があります。沢山の緑に守られるように供養塔が並んで、ここでもひげ文字で彫られたものがあり、中でもひときわ大きい塔は、前田利家の側室の千代の供養塔です。 一幡之君は、源頼家と若狭局の間にできた子どもで、北条氏に攻められた時、わずか6歳で亡くなりましたが、遺体は見つからず焼け跡から見つかったわずかな袖を祀ったのが、この袖塚で今でも供養の花が絶えることはありません。 神奈川県鎌倉市大町JR鎌倉駅 動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。