在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
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源義経は、兄の頼朝との対立が、決定的になると、叔父の源行家と共に、後白河法皇に、源頼朝追討の院宣を求めた。 後白河法皇は、義経に強要され、院宣を下したのか、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
バイレンの戦いは、戦略的に重要性はなく、大規模ではない。 しかし、スペインでは、バイレンの勝利は、神話に近い程、祭り上げられた。 スペインの周辺部の戦場にお…
源頼朝は、源義仲討伐軍には、年貢の納入に滞り、食糧不足に陥っている、京に大軍を入れたため、乱暴狼藉を働いた、義仲の轍を踏ませなかった。 頼朝は、範頼の軍勢を…
あまり有名な出来事ではないかもしれませんが、1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発(ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる「遣欧使節団」が、幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した事実があります。 これより2年ほど前の
紀元前635年、周の襄王が、叔帯の乱を避けて、鄭に亡命して、諸侯に支援を求めたが、権威の低下した、周王室を敢えて、助けようとする、諸侯はいなかった。 狐偃…
翌月、7月2日に、鳥羽院が崩御すると、京の緊迫は極限状態に達した。 崇徳院と後白河天皇の天皇家の対立、藤原忠実・頼長と藤原忠実の父子兄弟の対立が、頂点に達し…
701年創建の本山寺には、先月行った誕生寺の法然の両親である漆間時国公夫妻が1132年、参詣、祈願し、生まれたのが、法然なんだそうです。では正面の仁王門から。ぼろぼろに古い。門の中にちゃんと仁王像がある。ちょっと漫画チックな顔。仁王門をくぐって振り返ると、かなり標高があることがわかる。上の写真の右端に見えてるのが長屋門というんだそう。これは新しい。中に本坊と思われる建物があるけど、人が住んでいる気配はなかった。とにかく誰もいない。でも庭の手入れはしてある。この鐘楼の古めかしさ。立派な本堂。造りが美しい。常行堂というそう。その雪の屋根越しに見る三重塔。昔の上人像らしいけど、苔生しぐあいがすごい。中世にはかなり栄えていたようです。ふもとから山道を登ってお参りするのは大変だっただろうなぁ。だからこそのおかげだったのか...法然誕生にも関係する本山寺
新田義兼の本宗家は、名ばかりに過ぎず、鎌倉時代を通じて、山名氏及び、里見氏は、独立の御家人として、新田本宗家に従わなかった。 新田本宗家は、新田義兼、その息…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
源頼朝は、源義仲討伐の功績により、正四位下に叙任した。 官位は、得られなかったが、その際、頼朝は、源義仲及び、源行家に与えられていた、平家没官領を与えられて…
「燕返し」の秘剣を生み出した、佐々木小次郎の墓を訪ねて 今回は、山口県阿武郡阿武町にある「佐々木小次郎の墓」をお届けします。 佐々木小次郎については、「巖流島の決闘」で宮本武蔵に敗れ、慶長17年(1612)4
JUGEMテーマ:歴史「奈良の大仏のふるさと」長登銅山跡の資料が展示してある「大仏ミュージアム」 今回は、山口県美祢市見東町にある「大仏ミュージアム」をお届けします。 ここには、長登銅山文化交流館があり、古代
JUGEMテーマ:歴史目の前には、壮大な国宝「瑠璃光寺五重塔」が眺められる「枕流亭」 今回は、山口県山口市「香山公園内」にある、幕末の志士たちが集った「枕流亭」をお届けします。 この建物は、山口市道場門前の旧
JUGEMテーマ:歴史三丘領主宍戸氏が士民教育振興の為に創設した「徳修館(とくしゅうかん)」 今回は、山口県周南市にある藩士子弟を教育した場所「徳修館」並びに、その周辺の史跡や公園をお届けします。
JUGEMテーマ:国内小旅行アニメ「ねこねこ日本史」と山口市がコラボレーション! 今回は、アニメ「ねこねこ日本史」と山口県山口市がタッグを組んだ「出張!ねこねこ日本史 in Yamaguchi」をお届けしま
その時、フランス、スペインの双方が、予想しなかった、スペインの増援が、南から、現れて、フランス軍の左翼に向けて行軍した。 その正体は、デ・ラ・クルーズ大佐で…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した関連施設が残っていて見ることができます。 そこで今回は 赤江にある海軍飛行場関連施設を紹介します。 (弾薬庫??) 太平洋戦争末期には海軍赤江飛行場は、沖縄戦の特攻隊出撃基地になり、ここから多くのパイロットが出撃しました。 現在は宮崎空港に隣接する畑になっていますが、ここにコンクリートでできた 建物が2つ、ポツンとあります。 案内板には弾薬庫と説明されています。 この2つのコンクリートでできた建物を見てみましょう。 下の写真の右奥と左手前の2つある…
ガダルカナル島。。 南太平洋に浮かぶイギリス領ソロモン諸島の1つで太平洋戦争の激戦地の1つです。 【ガダルカナル島:グーグルマップより】 (日米激戦の地・ガダルカナル島) ガダルカナル島では1942年(昭和17年)8月から翌年の2月まで日本軍とアメリカ軍との激しい戦いが繰り広げられました。 圧倒的な物量に勝るアメリカ軍に対し日本軍は、補給不足から困難をきわめ、弾薬や 医療は底を付き、多くの兵士が玉砕し戦死・餓死者は約2万5千人に上りました。 ガダルカナル島は、短縮してガ島と呼ばれますが、日本兵が、この島で食糧不足になり飢餓に苦しんだために飢餓の「餓」を取って 餓島とも呼ばれました。 (2月1日…
2月7日は北方領土の日です。 江戸時代末期の1855年(安政元年)2月7日に「日魯通好条約」が調印されました。 この条約で、日本と帝政ロシアとの国境は、「択捉島とウルップ島の間」に画定されました。 このことからも、北方領土は日本の領土であることが国際的にも明確です。 その歴史的な意義と、平和的な外交交渉によって領土の返還を求める北方領土返還要求運動の趣旨から、2月7日が「北方領土の日」に設定されました。 また、2月は「北方領土返還運動全国強調月間」とされています。 (北方四島) 北方四島は、国後島、択捉島、歯舞諸島、色丹島の4つで日本の領土でしたが 第2次大戦の終戦後にソ連に占領され現在もロシ…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した掩体壕(中攻用・小型機用)およびその関連施設が 残っていて見ることができます。 赤江飛行場のように、1つの地域に大小の掩体壕が数多く集まって残っているのは 全国的に珍しいそうです。 そこで今回は 本郷地区にある中攻用の掩体壕を紹介します。 本郷地区には下の写真のように住宅地の中に4か所中攻用の掩体壕が点在しています。宮崎県の資料を基に、 写真右の壕から、1号基と番号を付けています。 (1基は一般公開開始) 本郷地区にある4基の中攻用掩体壕は、まず、…
宮崎空港の西側の一角に、 「宮崎特攻基地慰霊碑」が建っています。 (特攻基地赤江飛行場) 宮崎空港は、太平洋戦争中は海軍の航空基地・赤江飛行場で宮崎海軍航空隊がありました。 戦争末期には、赤江飛行場は、特攻隊の出撃基地となり、ここからも海軍の特攻兵たちが飛び立っていきました。 下の写真は、宮崎特攻基地慰霊碑の案内板に書かれていた特攻で赤江を出撃した飛行機です。 (遺族や関係者が慰霊碑を建立) 1983年(昭和58年)、この赤江飛行場の近くに、元特攻隊員や遺族、地域住民らが「宮崎特攻基地慰霊碑」を建立しました。 海軍赤江飛行場から出撃した特攻隊員など385柱と宮崎出身者でここ以外の飛行場から 出…
1996年(平成8年)2月12日午後8時50分、 歴史作家の司馬 遼太郎(しば りょうたろう)さんが腹部大動脈瘤破裂のため72歳で死亡します。 司馬遼太郎さんと言えば 歴史小説の第一人者。 「国盗り物語」「燃えよ剣」「龍馬がゆく」「花神」「坂の上の雲」 「飛ぶが如く」「項羽と劉邦」「播磨灘物語」・・・夢中になりましたね。 このような作品に小さい頃から触れたことで、おっさんの物の見方に影響を与えた一人です。 司馬さんは産経新聞の記者で在職中の1960年(昭和35年)に「梟の城」で直木賞を受賞しました。 その後、数々の歴史小説を世に出し、また「街道をゆく」をはじめとする多数のエッセイも発表しました…
2月11日は建国記念の日です。 (「建国記念日」ではなく、なぜ「建国記念の日」) 2月11日、古くは「紀元節」今では「建国記念の日」と言います。 「建国記念日」ではなく「建国記念の日」です。 この表現、よく考えると不思議ですよね。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」。 世界には「建国記念日」はありますが、日本では「建国記念の日」、 すなわち「の」が入っています。 なぜ「建国記念日」とは言わないのか? それには理由があります。 太平洋戦争で負けた日本は史上初の外国の占領下になります。 そして軍国主義の風潮が封鎖され、皇国史観の「紀元節」も公には表舞台から消え去ります。 さらに紀元前660年・紀…
【鎌倉殿の13人 前回第4話「矢のゆくえ」のストーリーはコチラ】 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第5回では、 ついに源平合戦が始まります。 北条宗時率いる源頼朝軍は闇夜にまぎれ、伊豆国を取り仕切る伊豆国司の代官(目代)・山木兼隆と堤の館を襲撃します。 (義時初陣) 義時にとって今回が初戦(はついくさ)。 血が飛び散る戦の状況に戸惑いながら兄・宗時と父・時政に助けられながら初戦を 終了。 この弱弱しい義時が、これから回を重ねるごとにやがて勇ましく成長します。その過程も見所の1つです。 (平家の怒り) いくさに勝利した頼朝は、平家側の土地を奪って分配することにします。 しかし、これを知った平家方が怒…
19日華子さま世界文化賞受賞式典 20日今上雅子さま受賞者と懇談
セット売りは怖い?・・・佳子さま愛子さま二人連れ
11月第4週 18日~24日 ご予定
11月11日~17日 天皇皇后 ご動静
16日 百合子さまお舟入り(2)主に映像
16日 百合子さまお舟入り(1)主に資料
【三笠宮妃百合子さま ご逝去】(2)
101歳、三笠宮崇仁親王妃殿下百合子さま ご逝去
ネットで話題のアレコレ、、どんなに上手に隠しても
【朗報】なれどモヤっと・・12日 鴨場接待復活が発表される
天皇皇后 10月28日~11月3日のご動静、11月4日~11月10日のご動静
10日 今上、雅子さま 全国豊かな海づくり大会式典、稚魚放流
9日 今上、雅子さま 大分県開催「第43回豊かな海づくり大会」へ
8日 彬子さま急遽英国から帰国
やはり一人では無理?・・園遊会と茶会の愛子さま
太平洋戦争中の 1942年(昭和17年)2月15日(日)午後7時50分 日本軍は大英帝国の重要拠点シンガポールを 陥落させます。 しかも無条件降伏です。 (10日足らずの戦闘で陥落) シンガポールは難攻不落の要塞と言われ、またこの時点でイギリス兵の兵力は日本兵の2倍でした。 日本軍は 1942年2月8日、シンガポール島に対して砲撃と飛行機による爆撃を行い、 その夜、マレー半島とシンガポールの間を隔てる「ジョホール水道」を渡りシンガポールに入ります。 シンガポールとマレーシアを結ぶのがコーズウェイ橋です。 【シンガポール総攻撃のニュース映像:2つあります】 (白旗を掲げ英軍降伏) シンガポール上…
1946年(昭和21年)2月16日の夕刻、幣原内閣が終戦後のインフレ対策として、金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、及びそれに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切り替え政策を発表します。これが新円切り換えです。 これは銀行の預金をいきなり封鎖してしまい、一定の範囲内の額しか現金を引き出せないようにするもので国民には不意打ちでした。 (新円切り換えの背景) 太平洋戦争終戦後から物価が高騰します。 一説には1945年(昭和20年)8月から1年で物価は5.4倍に、さらにその後の1年間に物価は3.3倍になります。つまり、2年間で物価は18倍になったのです。 政府は、この激しいインフレー…
(またまた高視聴率)北条義時が主人公の2022年(令和4年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(総合、日曜午後8時、BS午後6時)第6回「悪い知らせ」が2月13日に放送され、平均視聴率(世帯)は13.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しました。 この数字は前週第5回の13.4%から、0.3ポイントのアップです。 (第6話のストーリー) 第6回では、、梶原景時が山中で頼朝を見逃す歴史的にも有名な場面がありました。 この場面は頼朝の人生の大きなターニングポイントでした。 (梶原景時見逃す) 大庭景親率いる平家方の前に大敗を喫した源頼朝たち。 この石橋山の合戦で、北条家を引っ張ってきた宗時…
古代の征夷大将軍は、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂の二代しかなく、その後、蝦夷征討を行った、文屋綿麻呂は、征夷将軍であり、「大将軍」ではなかった。 征夷大将軍は、…
七つの海を跨く「イギリス帝国」を構想し、世界に「植民地」を拡大していていたのが19世紀のイギリスであり、海禁(鎖国)中のアジアの超大国・清国(中国)に対して起こした「アヘン戦争」(1840-1842年)も、まさにそうした行動の一つでした。完膚なきまでに叩きのめされた
宋の国民は、大いに怒り、成王の無礼を正すため、襄公は、楚に挑戦することになった。 楚軍は、首都の郢を発し、襄公は、決戦の地に宋国内の泓水の畔を選んだ。 楚軍…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
源義国には、義重、義康、季邦の三人の息子がいた。 三男の季邦は、以仁王の挙兵に際して、源頼政と共に、宇治川の戦いに敗れて、戦死したと言われる。 季邦には、息…
しかし、牧の方の兄、大岡時親に「牧の方が、継母だから、仇をしようと思っているのだろう」と押し切られ、最終的には、軍勢を率いて、畠山重忠と重保の父子を討伐した…
「将軍」とは、中国発祥の言葉であり、文字通り、「軍を将(ひき)いる」ことである。 将軍は、比較的大規模な、軍隊の指揮官に与えられる、官職及び、称号であると同…
スペインのレディング将軍は、未だ、フランス軍が、東に残っているかもしれないと、警戒して、数個大隊をバイレンに駐留させると、7月18日には、残りの2個師団を率…
寿永二年十月宣旨は、源義仲が、平家追討のため、京に不在中に出されていた。 東海道を除けば、信濃国・美濃国・北陸道は、実際は、源頼朝ではなく、義仲の支配下にあ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
時代劇でもしばしば取り上げられる「新選(撰)組」。非常に微妙な存在であることはその正式な名乗りからも窺えます。~京都守護職/会津藩松平肥後守容保中将/御預浪士/新選(撰)組~同じ頃活動した「京都見廻組」が幕臣(旗本・御家人)で構成された正規(公的)の組織であ
重耳は、斉にて、妻を持ったため、斉を離れようとは、思わなくなっていた。 これに対し、狐偃・趙衰達は、重耳を連れて、斉を出ることを計画する。 「この計画を斉姜…
源義光の四男、盛義は、信濃国佐久郡平賀郷を領有して、平賀盛義を称した。 盛義の嫡男の義信は、平治の乱において、源義朝に従い、十七歳の若さで、参戦する。 源氏…
武田信義は、以仁王の令旨を受けると、源頼朝と同時期に挙兵して、甲斐国を掌握する。 更に、信濃国に侵攻して諏訪を領有した。 前述の安田義定は、甲斐源氏の一族と…
評価:60点/作者:野口実/ジャンル:歴史/出版:1994年 『武家の棟梁の条件~中世武士を見なおす』は、日本人が、好きな「武士」について、暴力団と断じ、…
デュフォア将軍は、ゲリラ軍の攻撃を予測していたため、グアロマンとラ・カロリーナに進軍して、スペイン軍と対峙した。 その結果、ヴィーデル将軍が、夜中の行軍の末…
源義仲が、破竹の勢いで、京に進撃し、平家を都落ちさせると、甲斐源氏、信濃、美濃、近江等の武士達は、義仲に従って、平家と戦った。 義仲の勢力は、頼朝を上回り、…
たとえば江戸時代の人が「東海道五十三次」の旅行に挑んだとします。江戸日本橋から京都三条大橋まで、あるいはその逆のコースでも同じですが、東海道の道のりは490km余り。さて、それだけの距離の徒歩旅行ともなれば、宿場町という一種のサービス・エリア?がある地域はとも
周の襄王が使節を遣って恵公に封建領主の継承を命じる詔勅、襲封の勅命を授けた時に、郤芮は、呂甥と共に恵公の礼を助けたが、恭敬の心に欠け、恵公も礼に欠けていた。…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
佐竹昌義の長男、忠義は、大掾氏の後継者となり、次男の義弘は、分家し、国分氏祖となった。 佐竹氏の家督は、三男の嫡子、隆義が、継承する。 佐竹隆義は、平治の乱…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。