在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:1992年 『体系 日本の歴史⑤~鎌倉と京~』は、小学館ライブラリーの「体系 日本の歴史」の第五弾。 …
7月9日、スペイン軍のラペーニャ将軍の師団は、エル・カルピオからポルクナにかけて、展開され、アンダルシア軍は、フランス軍に対し、示威を始めた。 カスターニョ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
知れば知るほど魅力ある維新の先覚者、傑僧「月性」 今回は、山口県柳井市にある長州藩でいち早く、尊王論・倒幕論・海防論を唱えた月性の資料が展示してある「月性展示館」をお届けします。 前回、月性につい
平家の棟梁、平宗盛は、源頼朝の提案を拒絶した。 父の平清盛が、「頼朝の首を、我が、墓前に供えよ」、「「我の子孫は、一人、生き残る者といえども、骸を頼朝の前に…
最初の「黒船来航」(1953年)の折、開国を迫ったペリー艦隊は、その帰りしなに、幕府に対してこんな挨拶を言い残しました。~また来年もお邪魔に上がりますから、どうぞヨロシクね~この言葉にアワを食ったのが幕府でした。なぜなら、開国を迫るようなウットウしい奴らには
紀元前651年、献公は、大夫の荀息に息子の奚斉の後見役を任せ、死去した。 同年10月、大夫の里克は、叛乱を起こし、奚斉は、殺害された。 荀息が、献公を埋葬し…
西国の覇者、大内氏館の遺跡 今回は、山口県山口市にある大内義隆の菩提寺である「龍福寺」とその境内にある「大内氏館跡」をお届けします。 毛利元就の長男隆元が、養父大内義隆の菩提寺として、天皇の綸旨を受けて建立し
「オラが大将」の愛称で呼ばれていた「田中義一」 今回は、山口県萩市の偉人「田中義一」をお届けします。 幕末の萩で、下級武士の家に生まれました。 陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業、日清戦争出征後、ロ
尊攘の大義を唱え、海防の急務を説いた「海防僧月性」 今回は、山口県柳井市にある妙円寺に生まれた幕末の傑僧「月性」をお届けします。 先に勘違いされないように前置きさせて頂きますが、西郷隆盛と入水した「月照」と「
中山神社からの帰路、誕生時に寄ってみました。シロヤマテラスへ行くたび、国道に表示されてるのに気が付いてました。誕生ってお釈迦様の誕生を祝うとか?と思ってたら、法然。法然の名前くらい、私でも知ってるけど、ここが誕生の地とはねー。法然は浄土宗の開祖なので、行事などには大勢来るらしく、バスの駐車場もある。なんと七不思議があるそうな。これが1つ目の逆木の公孫樹(いちょう)。2つ目の御影堂と宝珠。御影・・・1133年生まれで、あの時代に80才で亡くなったというから、かなりの長寿。15才で修業に旅立つ法然の像。歴史的意義は高いんだろうけど、建物的に目を引いたのはこの唐門かな。唐門を入った客殿と庭園は200円の入場料がかかる・・・ということは見応えがあるんだろうけど、この日はやめて、またシロヤマテラスに行くときの楽しみにとっ...法然の誕生時
源義高は、父の源義忠の極位を越え、義理の兄、河内源氏の棟梁の源為義の極官、従五位下を凌駕し、当時の清和源氏の血脈の中で、最高の官位を得ていた。 義高は、清和…
源義忠は、二十七歳の若さで、暗殺されるが、前述の通りに、幼い、五人の息子がいた。 経国・義高・忠宗・義清・義雄である。 即ち、義忠の五人の息子達は、源家及…
シロヤマテラスの周りにまだ見てないところはないかと探したら、中山神社があります。一宮なので格式高いらしく、かなり広い敷地です。遠目にも立派そうな屋根。本殿は永禄2年(1559年)の尼子晴久(あの月山富田城の)による再建で、入母屋造妻入の他地方には例を見ない「中山造」と呼ばれる構造とのこと。背後の屋根には雪が残ってる。本殿の奥のほうに猿神社なる矢印があり、細い道が続いてる。猿神社?と進んでみると、崖の上のほうへくねくね。小さな祠に赤い猿のぬいぐるみがたくさん。帰宅してから検索すると、面白い話が日本伝承大鑑に出てたので引用:『今昔物語集』第26巻7話には、次のような話が残されている。中山神社の祭神は“猿”であるが、毎年、未婚の処女を生贄として供えていた。その年もある家の娘が生贄に選ばれた。そこへ東国からやって来た男...「今昔物語」の中山神社@津山
評価:80点/作者:オーギュスタン・ピエリ/ジャンル:歴史/出版:1833年 『メロヴィング王朝史話』は、ガリア及び、ゲルマニアの一部を支配した、フランス…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
アンダルシアのデュポン将軍は、明確な指示がないまま、シエラ・モレナ山脈の隘路への撤退より、グアダルキビール川畔の保持を優先し、バイレンとハエンに攻撃を仕掛け…
源頼朝は、清和源氏の棟梁を自負していたため、親王でさえない、以仁王の令旨を受け、挙兵した、その他の清和源氏の一人に過ぎない状態を改善したいと考えていた。 下…
「古事記」では「木花之佐久夜毘売」、「日本書紀」では「木花開耶姫」、一般的には「木花咲耶姫」と表記される「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」という名が神話に登場しています。咲く花をイメージさせるまことに美しい名の姫です。実はこの姫、「天孫降臨」を果たしたニニ
前述の通り、晋の分家、曲沃の第三代当主、姫称は、紀元前679年、翼の本宗家を滅ぼし、晋を再統一し、武公の諱を送られる。 武公の死後に、武公の晋の再統一戦にて…
山の中に現れた石の壁。キチンと並んでいます。 これは福岡県行橋市とみやこ町の境にあるホトギ山(御所ヶ岳)にある、古代山城の 遺跡・御所ヶ谷神籠石(ごしょがたに こうごいし)です。 上記写真は、その御所ヶ谷神籠石の中門の石塁で1300年以上に建設された石積で、高さ7mです。 中門は、上から見るとこんな感じです。 (神籠石とは) 「神籠石(こうごいし)」とは、山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のことです。 現在、北部九州から瀬戸内海沿いの地域にかけて、16ヶ所が確認されていて、いずれ敵の侵攻を見張り、また妨害するために古代の官道を見張りやすい位置に築いたとされています。 そのため、この御所ヶ…
1995年(平成7年)1月17日火曜日の朝5時46分に、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分の場所で、深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。 この地震は、日本初の大都市直下を震源とする大地震で、死者6,434名、行方不明者3名で戦後史上最悪でした。 住家被害は全半壊が24万棟以上で、約46万世帯に及び被害総額は約10兆円規模に達しました。 また気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録されました。 ★阪神淡路大震災で犠牲になられた方に対しお悔やみを申し上げます。 (淡路島北淡震災記念公園) 阪神淡路大震災の震源地・淡路島にある淡路島北…
戦国時代、会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる有力商人などによる自治組織が仕切り、貿易などのより商売が栄え、黄金の日々を謳歌していた堺。 この堺を舞台に海外貿易で財を成したのが呂宋助左衛門(るそん すけざえもん)です。 その呂宋助左衛門の像が、堺の港にあります (ルソン壺の呂宋助左衛門) 呂宋助左衛門は、大阪・堺の貿易商人・納屋才助の息子として生まれます。 フィリピンのルソン島との貿易を行い、南方の物を日本に紹介し、販売し、また日本の産品をルソンで販売することで一財産を築きます。 ルソン島から運んできた壺は「ルソン壺」と呼ばれ人気を呼び高価で売買されます。 名前の呂宋助左衛門の呂宋(ルソン)は、ル…
源義親の息子の内、義俊、義泰、義行、宗清の四人の事跡は、不明である。 義親の七親である、頼純は、義親の死後、父の遺領、摂津国堀江にて、生まれたとされる。 生…
<戸切地陣屋・白老陣屋>の”城門”を巡る-幕末に国防の為に幕府の命で築城した”出張陣屋”
<松前城>の”城門”を巡る-復興門2基と移築現存門が復元天守と現存櫓門に花を添える!
『全国の「櫓門」を巡る』の「メニューバー」をリニューアルしました
全国「城門」を巡る ”はじめに”
雨の佐土原城攻城記。 その1 <二ノ丸~中の道登山口>
雨の佐土原城攻城記。 その2 <中の道登山口~登山道>
雨の佐土原城攻城記。 その3 <切通道~本丸>
紅葉が美しい摂津池田城逍遥
<御殿総集編> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-全国90の御殿遺構や再建建造物を訪ねよう!
<伏見城(14)> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-伏見城激戦跡の”血天井”を見る
<伏見城13> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-”福山城”の復元”御湯殿”と沼名前神社の能舞台
<伏見城12> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-平等院塔頭”浄土院”内の子寺”林養庵”にも移築
<岡山城(3)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-〆は岡山城下を車でドライブしながら遺構を巡る
<岡山城(2)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸上の段・中の段・下の段にも見所満載
<岡山城(1)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-今回”宇喜多押し”が目立った天守内部
源行家は、源頼朝を嫌い、源義仲の死後、後白河法皇に召され、和泉国、河内国を支配した。 河内国は、河内源氏の本拠地である。 頼朝と義経の関係が、決定的になると…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:55点/作者:エインハルドゥス&ノトケルス/ジャンル:歴史/出版:不明 『カロルス大帝伝』は、ドイツ語名、カール大帝、フランス語名、シャルルマーニュ…
ナポレオンは、スペイン北部の脅威の他には、アンダルシアの制圧を重要視していた。 アンダルシアの郊外に住み、伝統的な住民達が、スペインの新国王、ジョセフ=ホセ…
近世とは、ルネサンス期~18世紀中頃までとされます。ルネサンス期は、14世紀~16世紀後半にあたります。中世~ルネサンスの関連記事。 https://ameb…
前述の通り、源頼朝は、富士川の戦いの後、有力御家人の説得により、上洛を諦めた。 この時、頼朝は、己の無力さを痛感したであろう。 富士川の戦いの後、源頼朝は、…
江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849年)には、数多くのユニークな逸話が残されています。 たとえば、○改号すること30回?(異見もあり/「北斎」はその内の一つ)。○生涯に93回?の「引っ越し」を繰り返した。○どの住まいも掃除をすることなく「ゴミ屋敷」化が
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1927年(昭和2年)12月30日、日本で初めて、東洋でも初めてとなる地下鉄が開業します。上野と浅草の間で2.2キロ。現在の東京メトロ銀座線です。 列車は、当時は蒸気機関車が主流でしたが、この地下鉄は電車でした。 (初日だけで10万人が利用) 12月30日午前6時、地下鉄の改札口には朝早くから押しかけた市民で長蛇の列ができました。開業初日は10万人が利用したそうです。 地下鉄の開通で2,2キロの上野と浅草がわずか5分でつながるようになりました。 電車の運転感覚は3分で運賃は10銭。夜の12時まで運行します。 地下鉄の車体は、暗い地下でもわかるように黄色に統一され、車内は影が出にくい 間接照明で…
1905年(明治38年)1月1日に、ロシア軍旅順要塞司令官ステッセルから 日本陸軍第三軍司令官乃木希典に降伏申し出の文書が届けられます。 (露軍降伏) ロシア軍は二百三高地が陥落し、その後の戦闘で予備兵力が枯渇していきます。さらにコンドラチェンコ少将が戦死した中でも抗戦抗戦という姿勢を捨ていませんでした。 しかし東北面の主要保塁が陥落したとで旅順要塞司令官ステッセルは、抗戦を断念し、1月1日16時半に日本軍へ降伏を申し入れます。 下の文書がステッセル将軍より乃木将軍に送られた書簡です。 「引用:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06041211500、明治38月1月1日発 ステッセ…
【水師営での写真(出典「日露戦役写真帖第13-14巻」:国立国会図書館ウェブサイト・デジタルコレクション)】 上記写真は、日露戦争の中で両軍合わせて約8万7千人もの死傷者を出した旅順攻囲戦でロシア軍が降伏した後の水師営(すいしえい)の会見での記念写真です。 一見すると同盟国の記念撮影のような和やかな雰囲気を醸し出していますね。 負けて降伏したロシア軍勢は通常、降伏した側には許されない帯剣姿、しかも軍装で 勲章もつけています。 これは明治天皇からの「武士の名誉を保たしむべき」との聖旨を受けて、敗将の名誉を重んじたもので、これぞ武士道です。 (旅順攻略) 日露戦争は1904年(明治37年)2月10…
前年の1988年(昭和63年)後半より腸からの出血が続き(当時は下血(げけつ)と言っていました)容態が危ぶまれていた昭和天皇が1989年1月7日(土)に逝去しました。 (目が覚めたら昭和天皇が亡くなっていた) 昭和天皇は亡くなる前年の秋頃から天皇の容態が悪く、TVでは夜中に皇居の生映像が 放送され字幕で、宮内庁発表の、「天皇の下血、脈拍」が紹介されていました。 ちょうどソウル五輪と同じ時期です。 天皇の容態が思わしくないので世の中は自粛ムードでお祭りや大騒ぎは御法度でした。 おっさんは昭和最後の日・1989年1月7日(土)のことを良く覚えています。 当時は学生でした。 天皇が崩御した日、目が覚…
2022年(令和4年)1月9日(日)より 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がオンエアされます。 【第1回放送分の予告は下をクリック】 (「鎌倉殿の13人」とは) 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、三谷幸喜監督が描く平安時代末期から鎌倉時代初期の話です。 物語の主人公は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻・北条政子の弟です。 この義時が執権に昇りつめるまでの姿を描いています。 タイトルの「鎌倉殿の13人」の13人とは、主人公の 北条義時、北条時政、比企能員、安達盛長、和田義盛、梶原景時、三浦義澄、大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政、足立遠元、八田知家、初代鎌倉幕府将軍の源頼…
天孫降臨の地・宮崎。神武天皇が御所を置いた地・宮崎。 宮崎県には神武天皇に関する史跡がありますが、宮崎県新富町新田には神武天皇が東征の際に、湯あみをされたと伝わる「神武天皇御湯浴場跡」があります。 (湯之宮神社) 宮崎県新富町新田(にゅうた)にある「湯之宮神社」。 この湯之宮神社は、梅の名所として知られる「湯之宮座論梅」の向かいにあります。 神武天皇が東征の際にこの地に立ち寄り、湯浴みされたと伝わっています。 (神武天皇御湯浴場跡)社殿を下ると、神武天皇が湯浴みをされたと伝わる浴槽の跡がありました。 正面の石碑には「伝説 神武天皇御湯浴場跡」と書いてありました。 石の柵に囲まれた中には、湧き水…
1月13日は、 「吾妻鏡」によると1199年に源頼朝が53歳で亡くなった年です。 源頼朝と言えば 源氏の棟梁であり日本史上初の全国規模の武家政権となる鎌倉幕府を開いた人です。日本史の本では必ず出てきます。 (不幸な死に方をした頼朝の子供たち) 源頼朝の子供たちはいずれも不幸な死に方をしています。 頼朝の家族構成を見てみます。 【頼朝の家族構成】 長女の大姫はメンタルがやられ悲惨な最期を遂げます。 【頼朝の長女:大姫の死について書いたブログはココ】 長男で嫡男で2代鎌倉将軍の頼家は、修善寺で殺害されます。 その弟の3代将軍の実朝は頼家の子供の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺されます。 次女の三幡も短命でし…
皆さん、日本史の教科書で「室町時代の1573年に15代将軍足利義昭が織田信長によって追放され,幕府が滅亡した」と習いますよね。 しかし、京都を追放された足利義昭は、その後も、幕府復興を願い 地方で生活し、征夷大将軍のまま過ごしていました。 その最後の室町将軍の足利義昭が、将軍職を辞したのが1588年1月13日でした。 このときには、義昭を追放した織田信長はすでにこのようなく、豊臣秀吉が関白として天下を取り、刀狩をした年です。 (足利義昭とは) 室町幕府の最後の将軍・第15代将軍の足利義昭(よしあき)は、第12代室町幕府将軍・足利義晴(よしはる)の子供で、第13代将軍・義輝の弟です。 室町時代の…
当時、江南の地の楚の成王は、徳を有し、恵みを施し、諸侯と旧交を結び、人を派遣して、周王に朝貢した。 そのため、周王に、「南方を鎮定せよ」との言葉を賜り、以…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
源義広は、1180年(治承四年)に、甥の源頼朝等と同様に、弟の源行家から、以仁王の令旨を受けたとされる。義広は、鎌倉に政権を築いた、頼朝に合流せず、逆に、野…
源義朝の上洛後、義朝の長男、頼朝の兄の義平が、東国において、勢力を拡大し、叔父である、義賢と対立していた。 1155年(久寿二年)、源義平は、武蔵国比企郡の…
評価:85点/作者:五十嵐修/ジャンル:歴史/出版:2001年 『地上の夢 キリスト教帝国~カール大帝の<ヨーロッパ>』は、現在の西ヨーロッパの大部分、即…
江戸時代(1709年)のこと、燃える使命感を抱き、なんと髪を月代に剃り和服に大小二本差しという武士姿になって、日本(屋久島)上陸を果たしたイタリア人カトリック司祭・シドッチ(シドッティ/1668-1714年)がいました。かなり本格的?な変装ではあったものの、日本語が使
スペイン各地における、「スペイン人」の蜂起によって、8万人のフランスの駐留軍は、北のパンプローナ及び、サン・セバスティアンから、マドリード、南のトレドまでの…
『史伝 北条義時』/山本みなみ/小学館 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まります。 主人公の北条義時には以前から興味をもっていました。鎌倉幕府初期の群雄を次々と打ち倒し、朝廷にも勝って、ついに最高権力者にまでのぼりつめた男は一体どんな人物だ、
以前にも同じことを書いたのですが、宮崎駿ジブリ劇場アニメには、多くの場合、 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。