石上神宮【前編】
石上神宮【中編】(まろ出現!!)
石上神宮【後編】(七支刀賜わる)
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】八
巫師の巡礼記(25):山の神・水の神・雷神を祀るローカルな神社
豪族
リアル・キングダム(3):秦と倭人との関係
出雲口伝を秦氏との関連から読み解く(4):邪馬台国と出雲王国の滅亡
出雲口伝を秦氏との関連から読み解く(3):物部氏の東征とヤマト王国の姫巫女
出雲口伝を秦氏との関連から読み解く:出雲王国と徐福
ちょっと変わった巡礼記:國津比古命神社・櫛玉比賣命神社
'欽明天皇
#445 TVアニメ『まんが日本史03「大和朝廷の成立-古墳と大王たち』の感想
久宝寺遺跡
【田原本町蔵堂】応仁の乱ゆかりの村屋坐彌冨都比賣神社 大神神社の別宮で三穂津姫命と大物主命の夫婦神が祀られています
縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良時代の謎。神社、遺跡、古地に足を運び、忘れられた記憶、隠された暗号を探ります。近ごろは、古いサイノカミ・アラハバキ信仰の視点で(横断的に)探ることも多くなりました
歴史や民俗に関係するならアカデミックなことからサブカルチャーまでなんでも語ります。キーワードは「想像力」です。単に知る楽しさだけでなく、いろいろなことを考えていく楽しさを共有できたらうれしいと思います。
下侍塚古墳 発掘調査現地説明会 (12/14) 大田原市湯津上
12月14日に開催された下侍塚古墳の発掘調査現地説明会に参加した。上侍塚古墳の調査は10月で終了し、11月からは下侍塚古墳の調査が行われている。現地説明会の2日前の12日に、NHKの栃木NEWS WEBが『大田原 「侍塚古墳」東日本では珍しい埴輪の破片が複数出土』と「円筒埴輪」とみられる(突帯や透かし孔が確認できる)破片が複数出土したことを報じ、期待が高まった。下侍塚古墳は4世紀後半の築造とされていて、この時代の東日本の前方後方墳から円筒埴輪の出土はこれまで1例しか確認されていなかったとのこと。しかも、この埴輪片の出土が最初に発見したのは11月23日の発掘体験の体験者とのこと。羨ましい。 S3…
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。上熊本方面へウォーキング2025/1/1(水)晴最高気温13°早朝-2°早朝は寒かったが、快晴の暖かい日になる。子供たちが孫を連れて来てくれた。おせちでお腹もいっぱいになったところで、返信の年賀状を持って午後15時半からルーティーンのウォーキングに出かける。途中郵便ポストは複数個所あるが、距離を稼ぐために上熊本郵便局(写真1参照)まで歩く。 帰路は植物を探しに少し回り道をして、赤い実が美しいノイバラ(写真2参照)を見る。 コマツナギの実(写真3参照)がいっぱいなっているのを見て、アズキの鞘のようにパチンと弾けないかと手に取ってみる。充分に弾力性があり弾けるのは未だ先のようである。 ススキの穂(写真4参照)が西に傾いた光を受けて、あちこちで白く...上熊本方面へウォーキング
江戸時代 宝永4年頃に創建 武田翁頌徳碑 愛宕神社 (静岡県榛原郡吉田町片岡字上川原1993)
静岡県榛原郡吉田町片岡(はいばらぐん よしだちょう かたおか)の愛宕神社(あたごじんじゃ)は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)頃に江戸芝 愛宕神社より勧請。祭神は、国生みの神の伊弉冊命(いざなみのみこと)です。祭日は10月24日(変更・中止になる場合あり)。愛宕神社
古墳時代中期,後期 前方後円墳1基と円墳5基 ネット初公開 欠山古墳群 (静岡県磐田市匂坂新字欠山)
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
毎月26日が縁日の日限地蔵尊 臨済宗妙心寺派 月江山 大圓寺(大円寺) (静岡県榛原郡吉田町住吉511)
静岡県榛原郡吉田町住吉(すみよし)の臨済宗妙心寺派 月江山 大圓寺(大円寺)は、南北朝時代(室町時代前期)の永和2年5月10日(1376年5月28日)に天徳和尚が能満寺(吉田町片岡)の末寺として開創しました。江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康が寺領高3石を寄進。本尊は薬師
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳4基 ネット初公開 上屋敷古墳群 (静岡県焼津市策牛字上屋敷)
静岡県焼津市策牛(むちうし)の上屋敷古墳群(かみやしきこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳4基で構成されています。静岡県道213号 焼津岡部線(高草街道)東側の丘陵に3基、西側に1基の古墳が分布。上屋敷古墳群
12月22日に開催された茨城県境町の清水遺跡の現地説明会に参加した。清水遺跡は、境町の南西部、利根川左岸の標高約13mの低地上に位置する。調査区の東側は、平成18年度に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)建設事業、昨年度に境町利根川左岸河川防災ステーション事業に伴い、茨城県教育財団が調査して、縄文時代・古墳時代・平安時代の複合遺跡であること、特に古墳時代前期に大規模な集落が営まれていたことがわかった。今年度は、古墳時代前期の坩(かん)が出土。出土した坩は高さ32cm、腹囲96cmとかなりの大型。また、現地説明会の直前に小さな山形土偶が出土。 発掘情報いばらき 清水遺跡 (調査期間:2024年9月1…
1つ目の国:命令の王国(強制の民度) かつて「命令の王国」と呼ばれた国があった。この国は驚くほど秩序正しく、美しい都市と完璧なシステムを持っていた。しかし、その全ては「強制」によって維持されていた。 すべての市民は、幼少期から教育を受け、何を学び、どのように振る舞うべきかを...
2025年あけましておめでとうございます。年始早々に考察と改訂。 考察:三貴子について。 すでに月読は瀬戸内に定義してある。残る天照と素戔嗚だが、イメージどおり、天照は太平洋、素戔嗚は日本海でよいだろう。三貴子とは、それぞれの海の《沿岸の地域勢力》である。 改訂:時系列図 時系列図 2025 母系先祖を辿ると葛城氏系が多いが、東海の尾張氏に通じるのは仁徳[16]しかおらず、その仁徳は聖帝などと持ち上げられている。一方で、その系統の最後にあたる武烈[25]は残虐とされ、貶められている。 次代の継体[26]は日本海側の越前に所縁があり、続く蘇我氏も国造本紀によれば北陸を地盤する日本海側の系統である…
昔々、とても豊かで美しい国がありました。その国では、何でも簡単に手に入り、誰もが贅沢な生活をしていました。けれども、人々は次第に感謝を忘れ、使わなくなったものを捨て、新しいものをどんどん欲しがるようになりました。 ある日、大きな嵐が国中を襲いました。嵐が過ぎ去ると、森の木々...
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