在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
湯元 小金湯(北海道札幌市南区小金湯25番地)日帰り入浴
豊平峡温泉(北海道札幌市南区定山渓608番地2)
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お宿 欣喜湯(北海道川上郡弟子屈町川湯温泉1-5-10)
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高知駅近くの神社。 あまり大きい神社ではありませんが、名前が変わってますよね。 どうも、江戸初期の、お坊さんの名前(薫的和尚)みたいです。 短くまとめると、薫的和尚は、お寺の格式の関係で他のお寺とケンカになり、当時高知に入ってきた山内氏の重役から無実の罪をきせられて投獄され、ハンストの末、高知城を睨み付けながら獄死。 権力にこびない薫的和尚にちなんで?、勝ち運の神、学問、スポーツの神様として、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
こんにちは。今回は難攻不落の城として有名な 「小田原城」周辺の「城址公園」についてご紹介します。 小田原城址公園は天守閣などがある本丸、 各門や資料館などがある二の丸を中心に整備されています。 城址公園の大部分は国の史跡として指定されています。 小田原城址公園全体図 小田原駅からはお堀端通りを通って正面入り口、 二の丸の「馬出門」から入るのが王道ルートです。 ここから入場しましょう 二の丸 馬出門 銅門 常盤木門 各資料館など 小田原城歴史見聞館 NINJA館 郷土文化館 こども遊園地 報徳二宮神社 二の丸 馬出門 馬出門は二の丸正面に位置する門です。 馬出門と内冠木門の2つの門からなる 構造…
~日本の真ん中ってどこだろう~ふと、こんな疑問が頭に浮かんだので、ついでのことにチョイと調べてみようと思い立ったのです。ところが、「日本の真ん中」を決めるにも、実に多種多彩なモノサシがあることを知りました。たとえば、こんな具合です。○国土の重心・・・石川
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
・ 2021年(令和3年)も残すところ、あととわずかとなりました。 このブログ、「おっさんの人生これから大逆転だぜえ」も1日も休むことなく 無事新年を迎えることができそうです。 そこで、今回は2021年(令和3年)に参加した式典やイベントを振り返ります。 ①1月17日:阪神淡路大震災追悼式 ②2月12日:司馬遼太郎の命日・菜の花忌 ③2月22日:聖徳太子没1400年目命日に「太子二才まいり」 ④4月3日:橿原神宮で神武天皇祭に参加 ⑤4月3日:法隆寺で聖徳太子没1400年祭 ⑥4月20日:150年目の郵政記念日に記念品をもらう ⑦7月:ひまわり畑を訪問 ⑧8月1日:B29体当たり勇士慰霊祭に参…
1927年(昭和2年)12月30日、日本で初めて、東洋でも初めてとなる地下鉄が開業します。上野と浅草の間で2.2キロ。現在の東京メトロ銀座線です。 列車は、当時は蒸気機関車が主流でしたが、この地下鉄は電車でした。 (初日だけで10万人が利用) 12月30日午前6時、地下鉄の改札口には朝早くから押しかけた市民で長蛇の列ができました。開業初日は10万人が利用したそうです。 地下鉄の開通で2,2キロの上野と浅草がわずか5分でつながるようになりました。 電車の運転感覚は3分で運賃は10銭。夜の12時まで運行します。 地下鉄の車体は、暗い地下でもわかるように黄色に統一され、車内は影が出にくい 間接照明で…
こんにちは。神奈川県小田原市にある 難攻不落の城として有名な 「小田原城」とその周辺の「城址公園」について 2回に分けてご紹介します。 今回は小田原城の天守閣、常盤木門近くにある 「SAMURAI館」についてご紹介します。 小田原城の天守閣へは 小田原駅からお堀端通りを通って正面入り口、 二の丸の「馬出門」から入るのが王道ルートです。 (徒歩15分~20分程度) 時間に余裕がなく、とりあえず天守閣だけでもという方は、 北入り口から入るとショートカット出来ます。 (徒歩10分程度) 小田原城址公園全体図 天守閣見学に際して、今回もアソビューのオンラインチケットを あらかじめ購入しておきました。 …
管仲は、公子糾の帰国を急がせると同時に、競争相手である、公氏小白を待ち伏せして、暗殺しようとした。 管仲は、藪から毒を塗った、矢を射て、車上の小白の腹に命中…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
2021.10.26 参拝「初生衣神社」にやって参りました。国学の泰斗本居宣長の「玉勝間」平田篤胤の「古史伝」等にもここ初生衣神社の由緒が記されているそうです。鳥居をくぐって目の前に現れるのは初生衣神社の拝殿。片隅に絵馬掛けが立てられています。先に進むためヒョコっと拝殿の左側に出た時。向こうに御本殿が見えます。「おんぞ祭り」の幟が参道に立てられています。おんぞ祭りについてはこちら。https://www.ubuginu.jp/even...
検索でいきなりココに辿り着いた人はその1からどうぞ。→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3880.htmlさてお参りをしましょう。「濱名惣社神明宮」は延喜式神名帳に記されている、遠江国浜名郡英多(あがた)神社にあたり式内社です。明治六年〜昭和二十年までは郷社として信奉されてきたとの事。浜名惣社神明宮https://ja-jp.facebook.com/pages/category/Religious-Organization/濱名惣社神明宮-239733196545251/御祭...
その結果、源義朝の九人の息子の内、三男の頼朝、七男の全成のみが、生き残った。 頼朝の死後まで、生き延びたのは、全成のみである。 全成は、北条政子の妹、阿波局…
北千住で古い建物をたっぷり見たいわんやだが、極めて重要な物件をまだ見ていない。ぜひ見たかった物件だ。これは宿場町通りから少し歩いて現在の日光街道を越える必...
今回はまた新たな紀行文を読み込んでみたいと思います。南詢病居士「湯沢紀行」という貞享元年(1684年)の紀行文ですが、その中にいくつか興味深い記述が見えますので、それらを掘り下げてみます。今回は差し当たり「近世紀行日記文学集成 一」(津本 信博編 1993年 早稲田大学出版部、以下「集成」)に所収されている翻刻に従って読み進めます。巻末の解題によれば、著者は次の様に紹介されています。南詢病居士とあるのは、...
今年はクリスマスを一緒に過ごすために、はるばるヨークシャーから泊まりに来てくれたAちゃん達。でもいつも行ってる教会のクリスマス礼拝には行けないので、代わり...
幸いこちらイングランド南西は少々のにわか雨くらいで済んだものの、Aちゃんたち滞在中はお天気グズつき気味でした。でも元気玉2つのチビーズは、ずっと家の中だと...
前述の通り、本作の主人公、足利尊氏を演じるのは、真田広之。 1987年の『独眼竜政宗』にて、松平忠輝を演じた、真田は、二作目の本作で、大河ドラマの主演になっ…
1926年12月25日午前1時25分、療養中だった大正天皇が48才で葉山の御用邸で崩御します。 これに伴い、26才の皇太子裕仁親王が践祚し、新元号を「昭和」とします。 大正が崩壊し、昭和の時代となりました。 (健康がすぐれなかった大正天皇) 大正天皇は幼少時から健康に優れず、第1次大戦期には十分に政務を行うことが困難でした。そのため息子の皇太子・裕仁親王が1921年(大正10年)からは摂政になり国事行為を行っていました。 大正天皇の崩御から2時間後の午前3時15分には御用邸内謁見所で皇太子裕仁親王が皇位継承をおこないました。 また御用邸で閣議が開かれ元号に関しての協議がなされ、午前11時に枢密…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「かにが坂飴」。土山SAで見つけて購入したもの。----------------------------蟹ヶ坂飴のいわれhttp://tsuchiyamagakku.com/kanigasaka.html「蟹ヶ坂飴」は、古くから土山宿の名物と知られ浅井了意の「東海道名所記」(万治元年1658年)に「生野、茶屋あり、飴を煎じて売る。」とあります。大昔、鈴鹿山麓に身の丈3mの巨大な蟹が出没し、旅行く人や近郷の村人に危害を加えていました。ある時恵心院...
今日は午後3時すぎに、Aちゃん達が到着予定。彼女たちの家はイングランド北東、うちはイングランド南西なんで、直行でも4時間以上ドライブ。それに今回は途中、シ...
評価:85/訳注:金谷治/ジャンル:歴史/出版:1963年(原本は、中国の紀元前と考えられる) 『孫子』は、中国に伝わる、戦争に関する、様々な事象を理論化…
名倉医院から再び宿場町通りを南下。最前歩いた時からこの通り沿いにはいろいろ古い建物があるということに目星をつけておいたから、片っ端から写真撮っちゃおうじゃ...
幕末の英傑たちの銅像が並ぶ「松陰記念館」 今回は、吉田松陰の資料や当時の様子を再現した松下村塾などが見られる「松陰記念館」をお届けします。 松陰記念館は、道の駅萩往還内にある施設で、表には、松陰先生をはじめと
山口県で満足満足、周南市の史跡を巡ってみましょう! 今回は、山口県周南市の史跡・歴史をお届けします。 私も地元の史跡を巡りながら、知らないことが多かったです。 まど・みちおさんにしても、周南市出身と
「大仏ミュージアム」の愛称で知られる「長登銅山文化交流館」 今回は、山口県美祢市美東町にある「長登銅山文化交流館」(大仏ミュージアム)内に展示してある「大田・絵堂戦役」の遺品をお届けします。 前回、「金麗社」
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
アラフェスの暴動事件によって、王太子のフェルディナンドは、王室の逃亡を阻止して、ゴドイを罷免させた。 翌日の3月19日には、カルロス4世は、ゴドイの助命を得…
「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 引き続き、近江源氏と大蛇の因縁“渡合淵”の伝説をお届け致します。 敦実親王によって渡合橋に棲まう大蛇が征討され、平和がもたらされた奥 […]
少し前の過日、大阪へ行った帰り、淀屋橋周辺の光の饗宴イルミを見に寄った淀屋橋から観る本町エリア。この辺りは、歩道も含めて8車線?なんかもう、凄い本町はその昔、…
平治の乱に敗北し、源氏の棟梁、源義朝は、殺害されて、源家は、壊滅状態に陥った。 平清盛によって、死罪を免れて、十四歳にして、伊豆国の流人となった、源義朝の三…
約2000点のコレクションを所有する歴史ある嵐山オルゴール博物館へ~紅葉ももう終わった頃、冬にしては温かな行楽日和で、久しぶりに嵐山へ曇りがちな日だったけど、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
散歩ランチ図鑑をやったから、ついでに都内散歩を続けよう。今回は北千住だ。北千住ってこれまでのジンセイでたぶん一度も行ったことないんじゃないかと思う。しかし...
東京と京都・・・ 現在皇居がある東京とかつて皇居があった京都、この2つの大都市には大きなタワーがありますが、いずれも12月に開業しています。 【東京タワー】 東京タワーは1958年(昭和33年)12月23日に完成。 朝鮮戦争で使用した米軍の戦車を解かして鉄骨にしています。 昭和33年に完成した高さ333mの電波塔で数字の3が並んでいます。 東京タワーについては下をクリック。 【京都タワー】 1964年(昭和39年)12月28日に開業しました。 高さ131メートル。世界一高い「無鉄骨建築」です。 京都の街を照らす灯台をイメージして作られているそうですが、おっさんには お寺が多いので、ろうそくのよ…
久しぶりに集落神社シリーズ。 有名な愛媛県の「大山祇神社」にあやかっているのかもしれません。 しかし小規模。 集落神社好きにはたまらないサイズ感です。 GRデジ…
2021.10.26 探訪「濱名惣社神明宮」にやって参りました。案内板によれば「上古三ヶ日地方を統治した濱名縣主が、祖神太田命を祀ったのに創り、その後天慶三年(940)この地方が伊勢神領になるに及んで、天照皇大御神が主祭神となり太田命は従的位置になったものと推定される」とありました。鳥居をくぐってすぐ側にあったもの。隙間から写しましたが…石灯籠?次の鳥居をくぐりましょう。左手側に御神木があります。先に進みましょ...
連称及び、管至父の二人は、憤り、釐公の寵愛した、公孫無知を奉じて、反乱を起こそうと考えた。 同年12月、公孫無知達、叛乱軍は、斉の宮中に押し入ると、宮中の人…
新紙幣の顔の渋沢栄一さん 今大河ドラマでも放送されていますね実は ももっち母さんの父方の先祖が 渋沢栄一さんのお世話になっていますももっち母さんの 父母のお墓…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1963年(昭和38年)12月8日に 力道山が刺され15日に死亡します。 (力道山ヒストリー) 力道山。。。 「日本プロレスの創始者」であり、プロレス以外でもマンションやスポーツ施設、 レジャーランドなどを経営する大事業家でもある、国民的英雄の一人です。 力道山は、相撲の関脇を廃業し、建設作業員を経て、プロレスラーとなり渡米。 米国でプロレスのノウハウを身に着け、帰国後は日本プロレス協会(JWA Japan Pro-Wrestling Alliance)を設立し、プロレスを広め定着させます。 力道山以外にも、日本にはプロレスを始めた人がいました。 団体も各地にありました。 しかし、次第に淘汰さ…
2021年(令和3年)は太平洋戦争が開始して80年にあたる年です。 この太平洋戦争では、私たちの先輩が、志半ばで命を絶たれ、あるいは自らの命を投げ出し祖国を守り、またある方は自分の意思とは無関係に残念な最後を遂げられました。 おっさんはいつも思うのです。 現在、不自由なく平和に暮らしていけるのも、このように志半ばで無念の死を遂げられた先輩方、理不尽な思い強いられつつも歯を食いしばって耐えてきた方々の犠牲ご尽力によるものだと。 だから残されたものとして、先輩方への感謝と敬意を忘れてはいけないと常に感じています。また先の大戦で何が起きたかをきちんと語り伝え残していく必要があるとも考えています。 そ…
12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。 年末になると必ず話題にあがるのが「忠臣蔵」。 大河ドラマや映画などでも何度も紹介されましたね。 (忠臣蔵とは) 「忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。 1701年(元禄14年)旧暦3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、江戸城で吉良義央(上野介)を刀で切りつけました。 いわゆる松の廊下の刃傷事件です。 「浅野殿、殿中でござる 殿中でござる」 吉良に斬りかかる内匠頭を、その場にいた人が背後から取り押さえるシーンは、 芝居やドラマでおなじみです。 吉良は、命を落とすことはありませんでしたが、傷を縫うケガを負いました。 …
12月15日、 高杉晋作が、長州藩の俗論派を打倒するために 山口県下関市長府にあるお寺・功山寺で挙兵をします。 功山寺挙兵・回天義挙です! (挙兵をした功山寺) 挙兵をした功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある長府毛利家の菩提寺です。 幕末の1863年 、八月十八日の政変で失脚した尊王攘夷派の7人の公家が、京都を追放され長州藩へ落ち延びたました。 そのうち三条実美など5名がこの寺に滞在しました。 1864年年12月15日、高杉晋作は功山寺に潜居していた三条実美ら五卿に藩内改革のために決起する決意を述べ挙兵します。 その背景には松下村塾の師匠・吉田松陰から「生きている限り、大きな仕事が出…
12月19日は、日本初の飛行に成功した日です。 (陸軍 の練兵場での初フライト) 日本で初めて飛行機が飛んだ日は12月19日、東京代々木の練兵場、 現在ここはJR原宿駅から歩いてすぐにある代々木公園になっています。 当時、代々木練兵場には飛行場もあり、1910年(明治43)12月19日に軍主催の“飛行記録会”が行われました。 この会で、徳川家の流れをくむ徳川好敏大尉がアンリ・ファルマン式複葉機で先に飛行し、次いで士族の日野熊蔵大尉もハンス・グラーデ式単葉機で飛行に成功しています。 まず最初に飛んだのは徳川好敏大尉です。当時27才でした。 徳川好敏大尉は午前7時50分にアンリ・ファルマン機で滑走…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。