在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
神社ポタと神道
仏教に改ざんされた神話、日本の“本当の神代”はどこへ行ったのか
天地創造の神が敗北する?封印された日本神話の謎
富士山が記紀に登場しない理由を探る:古事記・日本書紀の謎
心に残ったのは自然の美しさ。それでいいのだ。(九州の神社を巡った。2025GW)
自分の知らない瓜二つの人…
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十三の巻 奏聞記・後編 〜 裂けたる潮 〜 理念の及ばぬ地にて
若い頃に
【言霊】イザナギの臨死体験(黄泉路のエピソード)
これだって有酸素運動よね&スズメバチ怖い
下照姫とアメノワカヒコ【磐舟山の碑】から日本神話の謎解き(2)
分国論
古事記と太安万侶。【磐舟山の碑】から日本神話の謎解き(1)
一支国
【磐舟山】石碑伝承(河内国風土記)と繋がる【産湯玉之井】
1805年10月21日、ナポレオンの大陸軍が、ドイツの地で、ウルムの戦いに勝利した、翌日、スペインのトラファルガー岬の沖にて、フランス海軍が、イギリス海軍に…
渋沢栄一の父、市郎右衛門元助は、農民の身分であるが、教養を重視した。 そのため、栄一は、六歳の頃から、父に読書を授けられた。 市郎右衛門は、江戸時代の主流の…
「死んでも生きている」?別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありませんが、実は「その時死んだ」ことが歴史の事実として確定しているにもかかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と主張される人物が、日本史には少なからず登場しています。これ
伊尹の太甲の追放及び、霍光の劉賀の廃位は、本項のテーマの一つ、「皇位簒奪」と並び、中国史の運命を決定したと言える。 先例とは、口実であり、口実は、正当化に利…
10月13日、スールト元帥の第4軍団は、東から、メミンゲンに向かっていた。 16日、小さな衝突が生じ、フランス軍の損害は、16名に対し、オーストリア軍は、カ…
渋沢栄一は、1840年(天保十一年)2月13日に、武蔵国榛沢郡血洗島村、現在の埼玉県深谷市血洗島において、渋沢市郎右衛門元助の長男として、誕生した。 母の名…
前述の通り、商の湯は、天命を受け、桀の悪政を正すとして、賢人の伊尹の助力を得ると、挙兵した。 そして、鳴条の戦いで、夏の軍勢を撃破し、最後の王である、桀が、…
ネイ元帥は、ロワソンの第2師団及び、マラーの第3師団を、ドナウ河の右岸に沿って、ウルムへ行軍させ、1個竜騎兵師団に支援された、デュポンの師団がウルムに直接、…
日本人のビジネスマンであれば、渋沢栄一の名は、一度は、聞いたことがあるであろう。 2021年には、渋沢栄一を主人公とする、NHKの大河ドラマ、『青天を衝け』…
御三家の筆頭に当たる尾張家の第七代藩主・徳川宗春(1696-1764年)の名が登場する場合は、一方で第八代将軍・徳川吉宗(1684-1751年)の名が挙げられることが多い印象です。それもそのはずで、幕府の財政破綻に直面し、いわゆる「享保の改革」と呼ばれる徹底的な「質素倹約
考古学的には、1951年に、鄭州市で、発見された、二里岡遺跡の二里岡文化が、初期の商王朝の中心地に比定される。 紀元前1,600年頃~1,400年頃の二里岡…
マック将軍は、ヴェルティンゲンの敗北を知ると、右岸に沿って東へ撤退するのを止め、ドナウ河の左岸、即ち、北岸において、軍事行動を継続する意を決した。 そのため…
蜂須賀至鎮は、木津川口砦攻略後に、同地に布陣していたが、水野勝成が、博労淵砦を攻略する前に、自身が、砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵が、荻に隠れて…
別の伝承では、契は、舜の時代、夏王朝の祖、禹の黄河治水を助けた。 舜は、契の業績を評価し、契を司徒にすると同時に、「商」の地に封じて、「子」の姓を与huji…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。