洋の東西を問わず歴史に題材を得た小説に関するトラコミュです。登場人物・主人公などが歴史上の人物でなくても(架空でも構いません)。歴史小説であることだけが条件です。関連する記事がありましたら、気軽にトラックバックしてください。
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1件〜50件
オーストリアのマック将軍は、フランス軍の進路が、南ドイツのシュヴァルツヴァルト、「黒い森」と考え、要衝の地、ウルムに入った。 ウルムは、神聖ローマ帝国の領邦…
『正義』と『平和』
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
『正義』と『平和』
少康には、三人の息子がいたと言われる。 父と共に寒浞を打倒し、夏王朝を再興した、「予」、鄫に封じられた、「曲烈」、会稽に封じられた、「無余」である。 無余の…
『正義』と『平和』
敵味方の立場がコロッと入れ替わってしまうような一筋縄ではいかない 政治的な動きが、幕末には結構多く登場しました。 そうした出来事を並べ立てるなら、それこそ枚挙に暇がないので、そこで 断片的ですが、今回はそうした幕末の変則タッグを取り上げてみました。 時系列にはとんと頓着していませんので、その辺は悪しからずネ。 まずは、公武合体派であった薩摩・会津両藩が、過激な尊王…
ヤジ馬の日本史
第三次対仏大同盟は、イギリスとロシアの同盟に、オーストリア、スウェーデン及び、南イタリアのナポリ王国が、参加して、結成された。 同時に、オーストリアは、ロシ…
『正義』と『平和』
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
『正義』と『平和』
武士政権と聞けば、まず大方は以下の三つの幕府政治を連想することでしょう。 時代順に並べれば、こうなります。 ○鎌倉幕府(1185頃-1333年) 創立者/源 頼朝 ○室町幕府(1336 -1573年) 創立者/足利尊氏 ○
ヤジ馬の日本史
別の伝承では、羿は、自身は、王座に就かず、太康の弟の中康を王位に擁立し、自身は、天下の覇権を握ったと言われる。 伯封の父、后夔は、禹の臣下で、禹が、四瀆(長…
『正義』と『平和』
新年早々の新聞にこんな記事を見つけました。 ~(市は)松山城の天守や内門など計17カ所に、とがった物で線を付けた ようなひっかき傷があったと発表した~ さらには、 ~内壁や柱に6カ所の傷があった天守は、国の重要文化財に指定されている~ 思い出してみれば、筆者もその昔に訪ねたことのあるお城です。 …
ヤジ馬の日本史
ナポレオンは、戴冠式の後、タレーランの進言に基づき、自身が、大統領を務めている、イタリア共和国=旧チザルピーナ共和国の王国化について、協議を重ねた。 タレー…
『正義』と『平和』
蜂須賀家政は、1558年(永禄元年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国の丹羽郡宮後村の宮後城に生まれた。 母は、正勝の正室の大匠院、松。 大匠院の出自は、明確…
『正義』と『平和』
初めての武家政権である鎌倉幕府が誕生する250年も前のこと、すでに武士が台頭し、その勢力を広げ始めていました。その草分け的存在とされているのが、平将門(生年不肖-940年)で、いわば、地方のボスのような存在でした。その一生は波乱万丈に充ち、歴史的にも面白いものが
日本史探検隊
羿は、后羿、または、夷羿と呼ばれ、中国の伝承において、五帝の堯の時代及び、夏王朝の太康の時代の二度、登場するが、時代が、全く、異なるために、明らかに、別人で…
『正義』と『平和』
1804年12月1日、フランソワ・ド・ヌシャトは、元老院の名において、ナポレオンに、人民投票の結果を発表した。 同日、ジョセフィーヌは、ローマ教皇ピウス7世…
『正義』と『平和』
大坂城の留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政は、紀州勢と戦ったが、建設途上の大坂の町は、無防備のため、、紀州勢は、大坂の街を破壊して、焼き払った。 最終的…
『正義』と『平和』
皋陶は、堯及び、舜の時代に公平な裁判を行った、伝説上の人物である。 皋陶は、司法を司る官職の司空・司寇として、活躍し、どのような事件に対しても、公平な裁決に…
『正義』と『平和』
その点は、舜が、帝位を禅譲した、夏王朝の始祖、禹の父である、鯀が、顓頊の五世孫と数えるのと同様である。鯀 は、堯の命令によって、治水を行ったが、失敗した。 …
『正義』と『平和』
1804年9月7日、ナポレオンは、アーヘンを訪れ、シャルルマーニュの墓前に跪いた。 ナポレオンは、「ヨーロッパ」の創設者であり、西ローマ帝国を再興した、フラ…
『正義』と『平和』
中国国分の結果、羽柴秀吉が、当初、求めていた、高梁川以東の毛利領の全面割譲は、受け容れられなかったが、備中国の内、賀陽郡・都宇郡・窪屋郡、美作国及び、備前国…
『正義』と『平和』
戦国の「なんでもあり」の状況から、最終的な勝者の地位を占めることに なった人物が三河国出身の徳川家康(1543-1616年)でした。 その「なんでもあり」の状況には、家康自身も何度も直面しています。 たとえば、家臣・明智光秀(1528?-1582年)の謀反によって主君・織田信長 …
ヤジ馬の日本史
ナポレオンは、1804年7月~1805年9月の間に、四つの異なる、イギリスの本土への侵攻計画を立案した。 その目的は、大艦隊を集結させ、英仏海峡へ前進するこ…
『正義』と『平和』
7月17日には、山崎合戦のあった、天王山山頂に山崎城の普請を開始した、秀吉に対し、安国寺恵瓊が、早々に、毛利輝元及び、吉川元春の使者として、訪れている。 毛…
『正義』と『平和』
後継天皇の即位によって退位された前天皇・皇后は、現在「上皇/上皇后」と呼ばれています。そこで、そうした「皇」の字を使った関連名称を少しばかり集めてみると、ザっとこんな感じになります。天皇/皇后/皇太子/上皇/法皇/新皇/皇帝では、さて、上の言葉の“皇“の
日本史探検隊
堯は、舜に天下の摂政を行わせた、二十年後に舜に禅譲して、隠退し、八年後に死去した。 天下の百姓は、父母を失ったように悲しみ、三年間、音楽を奏でなかった。 別…
『正義』と『平和』
ナポレオンの皇帝即位の翌日、1804年5月19日には、十八人の帝国元帥が、誕生した。 ベルティエ、マッセナ、オージュロー、ジュールダン、ベルナドット、ブリュ…
『正義』と『平和』
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。武田信玄の駿河侵攻。武田・北条・今川の三国同盟。北条早雲がやって来た。上杉謙信の塩対応。二つの大きな杉とねずみ。東国の複雑な人…
歴音 fun
本能寺の変の以前から、既に、羽柴秀吉は、包囲を継続すると同時に、毛利家との講和の交渉に入った。 毛利家は、僧侶の安国寺恵瓊を黒田孝高のもとに派遣し、備中・備…
『正義』と『平和』
堯の息子は、丹朱、または、驩兜と呼ばれる。堯は、臣下に帝位の継承者を推薦させた。 放斉は、堯の息子の丹朱を推薦し、丹朱は、共工を推薦した。 共工は、中国の伝…
『正義』と『平和』
ジェロームと、アメリカ人のエリザベスとの間には、既に二人の子供が、生まれていた。 1804年、兄のナポレオンが、皇帝に即位すると、ジェローム夫妻は、兄に謁見…
『正義』と『平和』
毛利元就の次男、吉川元春が、伯耆国に侵攻して、南条元続の羽衣石城及び、小鴨元清の岩倉城を攻め、経家の雪辱を果たそうと、馬山に背水の陣を布いた。 秀吉は、正勝…
『正義』と『平和』
「戦国時代」はいつ始まったのか?そのひとつにはこんな見方もあるようです。~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・足利義教(1394-1441年)が 暗殺された、その瞬間からだろうなぁ~この見解に従えば、その「嘉吉の乱」(将軍義教暗殺/1441年)の実行犯・赤松光祐(1381-1
日本史探検隊
司馬遷の『史記』は、「五帝本紀」において、黄帝、顓頊、嚳、堯、舜を五帝と数えるが、実は、五帝とは、誰を指すかについては、様々な伝承がある。 黄帝、堯、舜を五…
『正義』と『平和』
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。信長の二条城と大イベント。醍醐寺と藤戸石。藤戸の戦い。吉備国と桃太郎伝説。岡山県倉敷市の藤戸。源範頼と源義経。源平合戦・一ノ谷…
歴音 fun
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。織田信長の堺・名茶器・今井宗久・朝倉義景・武田信玄・若狭武田家にからむ訴訟の一件。若狭湾の恵みと鯖街道。若狭ひとしお。浜焼き鯖…
歴音 fun
1804年5月18日、元老院は、共和暦十二年の憲法を決議し、第一帝政が、開始された。 「フランス人の皇帝」、ナポレオン1世の即位は、共和暦十二年の憲法に定め…
『正義』と『平和』
1580年(天正八年)1月、三木城の食料は、既に底を尽いていた。 織田軍は、三木城内の支城を攻撃し、6日には、長治の弟、友之の守る、宮ノ上砦を、11日には、…
『正義』と『平和』
その本名を「伊勢(新九郎)盛時」と言ったそうですが、これよりは別名の「北条早雲」の方がよく知られている人物です。生まれは1432年とも1456年よも言われ、またその出自についても、一介の浪人に過ぎないとする見方もあれば、室町幕府に何らかの関りを持っていた人物の血
日本史探検隊
黄帝は、姓は、「姫」、氏は、「軒轅」のため、姫公孫軒轅と呼ばれることがある。 黄帝は、その後の四人の五帝及び、夏・殷・周・秦の王、諸侯の先祖とされる。 故に…
『正義』と『平和』
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。本圀寺の変って 何か変。三好三人衆を誘い出せ。信長の二条城。松永久秀のクリスマス・プレゼント。織田信長の戦術。朝倉義景と若狭武…
歴音 fun
「フランス人民の皇帝」の称号は、皇帝が、全ての「フランス人民」、国民を、そして、フランスの全土ではなく、共和国を支配することを強調していた。 「フランス国王…
『正義』と『平和』
山中鹿之助=山中幸盛の死に伴い、一時、中国地方に覇を唱えた、戦国大名、尼子氏の再興は、叶わずに、滅亡したのである。 1577年(天正五年)、順調に進んでいた…
『正義』と『平和』
大庭氏は、三皇の一人、女媧の子孫との伝承がある。 風姓氏族の伏羲、女媧の大庭氏から、姜姓氏族の炎帝神農氏、そして、姫姓氏族の黄帝有熊氏へと、政権が、遷ったこ…
『正義』と『平和』
徳川家光が、保科正之を、徳川秀忠の息子と公表したのは、秀忠の正室で、自身の母である、お江が、死去していたためと思われる。 家光は、異母弟の存在を喜び、保科正…
『正義』と『平和』
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。茶器「九十九髪茄子」。在原業平と伊勢物語。付喪神と日本人。金華山とキンカ頭。ウサギとミミズク。神話のお話し。織田信長家臣団の呼…
歴音 fun
筆者の個人的見解では、「女性」天皇は、容認できるが、「女系」天皇は、容認できない。 即ち、愛子内親王殿下の即位は、容認できるが、愛子内親王殿下の子供が、男子…
『正義』と『平和』
カドゥーダルの陰謀は、ナポレオンの野心に絶好の機会を与えた。 ナポレオンの暗殺の計画は、絶えなかったため、フランスの議員、そして、民衆は、ナポレオンの死によ…
『正義』と『平和』
西播磨の豪族の内、備前国及び、美作国境に近い、上月城の赤松政範は、容易に秀吉に恭順せずに、毛利輝元と協調する、備前国の宇喜多直家との連携を強化した。 その…
『正義』と『平和』
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。織田信長の上洛作戦。足利義昭と信長の入京。義昭将軍。三好勢の敗走。信長の名物狩り。勝竜寺城の戦い。松永久秀を助ける。信長の野心…
歴音 fun
神農は、伝承によれば、医療及び、農耕の知識を人類に広めた、神としての性格を有する、存在である。 神農は、木材を使用して、農具を作り、土地を耕作して、五穀の種…
『正義』と『平和』
聖武天皇には、第一皇子の基王、第二皇子の安積親王がいたが、基王は、一歳で、夭折する。 そして、安積親王は、十六歳で死去している。 ただし、738年には、藤原…
『正義』と『平和』
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極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん The International Military Tribunal for the Far East)は東京裁判(とうきょうさいばん)ともいい、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた裁判である。
第二次世界大戦中に日本軍が編成した敵国の戦艦などに対しての体当たり攻撃を実行するための部隊のこと。通称「特攻隊」。主に航空機を使って攻撃する部隊を指す場合が多い。
未解決事件(みかいけつじけん)は、犯人が検挙されていないなど未解決の事件のことである。一般に「迷宮入り」とも言われる。 3億円事件〜グリコ森永脅迫事件等が有名である。 殺人事件等に〜時効が設定されていますが〜真実が明らかになる場合もあります。時効は本当に必要でしょうか?また短すぎるのではないでしょうか?多事争論を求めます。
マスメディアの戦争責任(‐せんそうせきにん)とは、マスメディアが国民に事実を報道することを怠ったり、対外強硬論を助長する報道を行うことで、開戦に至ったり戦争の長期化を招くこと。 軍部に迎合したり視点の極端に偏った取材とその掲載は、報道機関の使命を逸脱したものとして批判の対象とされるが、しばしばそのような国家では軍部の報道への介入が見られるため、表立った批判は難しいとされる。
日本軍(にっぽんぐん、にほんぐん)とは広義には日本が有する軍隊のこと、狭義には第二次世界大戦で敗戦するまでの日本、すなわち大日本帝国が保持していた軍隊(大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の両軍)を指し、後者の場合は旧日本軍、または旧軍と略称される。さらに国軍、皇軍(こうぐん)、皇御軍(すめらみいくさ)、帝国軍、大日本軍などの呼称もある。ここでは旧日本軍について主に記述する。
板垣信方は、戦国時代の武将。武田信虎、晴信の2代に仕えた。武田二十四将、武田四天王の一人。 武田晴信が父信虎を追放して家督を継ぐと家臣団の筆頭格となる。晴信が諏訪氏を滅ぼすと諏訪郡代となり、諏訪衆を率いて信濃経略戦で戦功をあげた。晴信と村上義清との上田原の戦いでは先陣となり緒戦で村上勢を破るが、逆襲を受けて討ち死にした。
甘利虎泰は、戦国時代の武将。武田氏の家臣で、武田二十四将、信虎時代の武田四天王の一人である。 家系は甲斐源氏・一条忠頼の流れをくむ武田氏の庶流にあたる。甲斐国巨摩郡甘利郷を領していたと考えられている。天文17年2月14日に武田晴信が小県郡に侵攻して村上義清と戦った上田原の戦いにおいて、板垣信方を討ち取って意気上がる村上勢から晴信を守り、初鹿野伝右衛門らとともに戦死した。国務大臣・経済産業大臣の甘利明は子孫にあたる。
武田信虎、武田信玄の2代に仕えた宿老中の宿老で、その剛勇は甲山の猛虎と呼ばれて敵味方から恐れられたほどの猛将であり、武田二十四将の一人に挙げられる。 彼の率いる部隊は全員が赤い軍装で揃えられ、武田の赤備えとして甲山の猛虎と言う異名とともに、精強武田軍団の代名詞ともなった。のちに弟の山県昌景をはじめ、井伊直政や真田信繁等が赤備えを受け継いでいる。
高坂昌信は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。正しくは、春日虎綱。また、元服直後の名前は春日源助という。武田信玄、武田勝頼の2代に仕え、武田四名臣の一人として数えられる。武勇に秀でる武田諸将の中において、昌信は治世面に高い手腕を有すると共に、非常に慎重な采配と見事な退却戦指揮能力で逃げ弾正の異名を取った。江戸時代に編纂された甲州流軍学の教書甲陽軍鑑は、高坂弾正が著者という体裁をとっている。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」に関するブログ記事です。
皆さんの街のアイヌ語由来地名を集めましょう。それっぽい地名なら何でもOKです。どんどん登録してください。
一時的に独裁必要
さまざまな歴史的な事件や、テレビドラマ、映画、小説、漫画などの舞台となる家・屋敷の間取り図を思いっきり想像力を働かせて楽しんでみませんか?
ブログは、平成17年頃に一般に普及し始めました。現在でも、その当時からブログを続けておられる。そんなブログを原始ブログと名付けました。「いにしえララバイのブログ」も平成22年から始めています。