ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
「歴史」カテゴリーを選択しなおす
知将、謀将、軍師、名将、英雄だと思う人たちを独断で推薦してください 日本史、世界史、架空の名将(山本勘助とか)でも可とします
当時物発掘!!ケイテック・リトルスパイダー。偶然の出会いを思い出します。
敷石住居
人生初の化石発掘☆
青谷上寺地遺跡
縄文時代の陥し穴
瓜郷遺跡
あいち朝日遺跡ミュージアム
昼飯大塚古墳
白滝遺跡群
耳環
井出丸山遺跡
下寺尾西方遺跡
ホケノ山古墳
横穴式石室
前二子古墳
国立科学博物館「古代DNA―日本人のきた道―」展が面白い!(1)
日本考古学協会
巨大プロジェクト「古墳」・その3 〜信仰から律令へ
吉備の石棚〈いしだな〉
二つの「はにわ」展
巨大プロジェクト「古墳」・その2 〜普通の人々
古墳から見つかった「煙突」
巨大プロジェクト「古墳」・その1 〜特撮映画『妖星ゴラス』
赤ちゃんの墓
溜池から生まれた村
エジプト展 ピラミッドの魅力 損切も
蛇を考える・その5 〜生と死
謎のうつわ
蛇を考える・その4 〜弥生・古墳時代の蛇
NYU博士号過程の生徒と共に、古代ローマ美術の講義に参加する
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」⑧鶴岡八幡宮別当公暁
前述の通り、源頼朝の嫡男、第二代の鎌倉殿の源頼家には、一幡、善哉、栄実、禅暁の四人の息子と娘の竹御所がいた。 源実朝にとって、甥、姪に当たる。 比企能員の娘…
気になるブログをフォロー!
登録は不要で無料で使えます
フォローできる上限に達しました。
新規登録/ログインすることでフォロー上限を増やすことができます。
フォローしました
リーダーで読む
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」⑦源実朝の右大臣任官
前述の通り、源実朝は、大江広元に対して、源氏の正統な血統は、自分の代で終わり、子孫が継ぐことはないと述べており、生涯、子供ができないことを自覚していたと思え…
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」⑥源実朝の官位上昇
前節、「北条義時」と、本節「源家滅亡」は、年代順に記述していない。 最大の理由は、源実朝の治世を年代順に記述すると、一節では、収まらなくなり、特に、和田義盛…
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」⑤源実朝の渡宋計画
1213年(建暦三年)5月3日、和田義盛の乱が、鎮圧されると、戦後処理が行われた。 同年9月19日、日光山別当の法眼弁覚が、大夫阿闍梨重慶が、謀反を企ててい…
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」④源仲章
北条義時は、1205年(元久二年)閏7月の牧氏事件によって、父の北条時政を追放し、第二代執権の座に就いたことは、既に述べた。 父の時政の性急な権力独占が、多…
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」②東重胤
前述の通り、源実朝は、1203年(建仁三年)9月、十二歳の年、征夷大将軍に任官した。 当初、外祖父の北条時政が、執権として、実権を握っていたが、牧氏事件によ…
【武都】章『天地鳴動』編「源家滅亡」①日本史上における北条政子
日本人の歴史教科書と言われる、NHKの大河ドラマは、2024年までの六十三作までに、北条政子、豊臣秀吉の妻のねね、川上貞奴、春日局、日野富子及び、前田利家の…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑫和田一族の滅亡
1206年(建暦三年)5月3日、朝比奈義秀は、鎮西の住人である、小物資政を討ち取り、土屋義清、古郡保忠と、三騎、轡を並べて、敵陣に突入すると、将軍の軍勢を攻…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑪朝比奈義秀
年(建暦三年)5月2日午後六時、和田軍は、一斉に大倉御所を襲撃して、御所を警護する、将軍の軍勢、北条泰時、北条朝時、足利義氏等の兵と合戦に及んだ。 そして、…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑨三浦義村の思惑
北条義時の思惑とは異なり、将軍の源実朝は、泉親衡の乱は、終焉し、危機は去ったと認識していた。 泉親衡の乱の目的は、北条義時の打倒であり、将軍の源実朝ではなか…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑧和田朝盛
1213年(建暦三年)3月9日、源実朝の意向の名目によって、和田義盛の一門、九十八人の面前で、北条義時の郎党、金窪行親、安東忠家は、和田胤長を二階堂行政に引…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑦和田胤長
泉親衡の乱に参加していたのは、和田義盛の四男の和田義直及び、五男の義重、そして、和田義盛の弟、義長の息子の胤長である。 三人が、泉親衡の乱に参加したのは、武…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑥和田一族
泉親衡の乱は、首謀者の泉親衡の逃亡及び、その与同者達の配流及び、恩赦によって、終焉を迎えた。 しかし、泉親衡の乱は、鎌倉の武家政権の草創以来の最大の内乱の発…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」⑤泉親衡の乱の顛末
千葉成胤が、安念を北条義時に引き渡した。 義時の郎党である、金窪行親の尋問の結果、安念は、謀反の全容を自白した。 首謀者は、泉親衡、与同の武士は、張本百三十…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」④泉親衡の乱
源実朝は、北条義時が、自身の郎党を武家政権の御家人に列することを認めなかった。 義時の嘆願を却下したため、実朝は、和田義盛の上総介への推挙を認めることができ…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」③和田義盛の願望
1209年(承元三年)5月12日に、源頼朝の挙兵以来の功臣下、侍所別当の和田義盛が、上総介任官の推挙を源実朝に求めた。 和田義盛は、三浦義明の孫であり、三浦…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」②新古今和歌集
源実朝は、1203年(建久三年)の比企氏の乱の動乱と共に征夷大将軍に就任し、二年後の1205年(元久二年)、畠山重忠の乱及び、牧氏の変が、勃発している。 源…
【武都】章『天地鳴動』編「北条義時」①日本史上における北条義時
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人の』主人公は、北条義時である。 後世、鎌倉幕府と呼ばれる、武家政権の構築者、政治的天才の源頼朝及び、瞬く間に、平家を…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑩宇都宮朝綱の失脚
1205年(元久二年)8月7日、牧氏の変の翌月、下野国の有力御家人、宇都宮朝綱が、謀反を疑われた。 宇都宮頼綱は、宇都宮業綱の息子で、宇都宮朝綱の孫に当たる…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑨牧氏事件
源頼朝は、「坂東武士の鑑」として、畠山重忠に、「頼朝の後胤」を護ってくれるように、慇懃の詞を尽くしていた。 しかし、畠山重忠は、比企氏の乱の際、妻の父、北条…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑧平賀朝雅の院昇殿
平朝雅は、源義光の四男、源盛義の孫である。 源義光の長男の義業は、常陸国の佐竹氏、次男の義清は、甲斐源氏の祖となり、佐竹氏及び、甲斐源氏は、治承・寿永の乱の…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑦牧の方
牧の方は、北条時政の後妻で、北条政子、北条義時、阿波局、北条時房の継母である。 北条時政は、1138年(保延四年)の生まれのため、1180年(治承四年)の源…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑥稲毛重成の誅殺
北条義時は、畠山重忠討伐に疑念を抱く、御家人達を見て、事実関係を確認していった。 父の北条時政が、言葉を失い、畠山重忠の謀反は、冤罪であると証明されたが、源…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」⑤二俣川の戦い
1205年(元久二年)6月22日、鎌倉は、謀反が発生したと大騒ぎとなり、御家人達は、謀反人を誅するべく、由比ヶ浜へ先を争って走った。 畠山重忠の嫡子の重保は…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」④畠山重忠の乱
坊門信清は、京の朝廷の後鳥羽上皇の外叔父であると同時に、鎌倉の三代征夷大将軍、源実朝の義父になった。 坊門信清は、朝廷の頂点の上皇及び、鎌倉の頂点の将軍、双…
旧練兵場遺跡
常陸大宮市歴史民俗資料館
物部太媛
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾八
泉坂下遺跡
上宮田台遺跡
平原遺跡
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾七
南堀貝塚
吉備真備
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾六
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾五
角二山遺跡
岡倉天心
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」③坊門信清の娘
1204年(元久元年)9月10日に始まった、平賀朝雅の平家残党軍との合戦は、三日後の12日には、鎮圧され、その後、伊賀国の残党が、追討された。 わずか、三日…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」②元久元年の三日平氏の乱
源全成の死後、北条時政が、千幡の乳母夫の立場になったが、乳母は、北条時政の娘、阿波局のままであった。 牧の方は、北条政子、北条義時、阿波局にとって、継母のた…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「源実朝」①日本史上における源実朝
源実朝は、1192年(建久三年)8月9日、源頼朝と北条政子の次男として、生まれた。 同年7月12日、源頼朝は、念願の征夷大将軍に任官しているため、実朝は、生…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑫伊豆国修善寺
1203年(建久三年)9月5日、源頼家は、危篤を脱し、意識を回復すると、嫡子の一幡及び、比企一族の滅亡を知ると激昂した。 源頼家は、堀親家を使者として、仁田…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑪比企氏の乱
1203年(建久三年)9月2日、北条時政が、比企能員を暗殺すると、能員の従者達は、能員の暗殺を比企一族に伝えた。 比企能員の息子の宗員、時員、五郎、猶子の河…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑩比企能員暗殺
源全成が、誅殺されると、同年7月16日、全成の三男、阿野頼全が、京の東山延年寺で、源仲章によって、誅殺された。 四男の阿野時元は、外祖父の北条時政、叔母の北…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑨阿野全成事件
前述の通り、1199年(正治元年)10月、梶原景時弾劾事件によって、梶原景時は、失脚。 翌年の正月20日、景時は、戦死した。 その三日後の正月23日、三浦義…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑧源頼家の征夷大将軍任官
佐々木盛綱は、越後、佐渡、信濃国から参じた、御家人達を編成し、阿賀野川を渡った。 佐々木盛綱は、城資盛に軍使を使わすと、資盛は、鳥坂城の付近で戦闘を行うと返…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑦建仁の乱
梶原景時の変の一年後、1201年(建仁元年)正月23日夜、城長茂が、京の三条大路南の東洞院大路東に所在する、小山朝政の邸宅を襲撃した。 朝政は、この時、大番…
探検524 幕末鬼っ子新選組
「京都守護職/会津藩松平肥後守容保中将/御預浪士/ 新選(撰)組」(前身は壬生浪士組).これが「新選(撰)組」の正式な名称ということになる。ただ、「新選組」と「新撰組」の表記については、さして拘りがなかったのか、局長の立場にあった近藤勇(1834-1868年)自
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑥北条時政の国司任官
梶原景時は、源頼朝の死後、わずか、一年後に滅ぼされた。 十三人の合議制は、解体し、鎌倉の有力御家人の権力闘争の皮切りとなった。 そして、その最終的な勝者が、…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」⑤梶原景時の変
1199年(正治元年)12月29日、梶原景時の鎌倉追放後、事件の発端である、結城朝光の兄の小山朝政が、景時に代わり、播磨国守護になり、同時に、美作国守護は、…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」④梶原景時の失脚
三浦義澄・三浦義村・千葉常胤・千葉胤正・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・藤原朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・大井…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」③梶原景時弾劾の連判状
源頼朝の死後、鎌倉殿になったのは、北条時政の娘、北条政子の息子、源頼家である。 源頼朝は、1182年(寿永元年)の頼家の誕生時、比企尼の養子の比企能員、比企…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」②三左衛門事件
1199年(正治元年)正月11日、源頼朝の重病危急の情報は、18日には、京都伝わり、世情は、不穏な空気に包まれた。 村上源氏の嫡流、土御門通親は、その前年に…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人闘争序曲」①日本史上における三浦義村
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』において、三浦義村を山本耕史が演じたため、義村の知名度は、飛躍的に上昇した。 大河ドラマの放送前、三浦義村の名を知…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】九十九
范蠡は、同じく、勾践の家臣、文種に手紙を書き、「狡兎死して走狗烹られ」を説くと、更に、「越王の容貌は 長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑯稲毛重成
稲毛重成は、秩父一族の畠山重能の弟、小山田有重の息子で、畠山重忠の従兄弟である。 1180年(治承四年)の源頼朝の挙兵の際、父の小山田有重は、畠山重能と共に…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑮畠山重忠・参
1186年(文治二年)、源義経の愛妾の静御前が、源頼朝の命で、鶴岡八幡宮にて、白拍子の舞を披露したとき、重忠は、銅拍子を打って、伴奏を務めた。 翌年、畠山重…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑬畠山重忠・弐
畠山重忠の軍勢は、源頼朝の許に向かおうとした、三浦一族の軍勢と鎌倉の由比ガ浜で、遭遇する。 三浦一族の惣領、三浦義明の娘は、畠山重能の妻であり、縁戚関係のた…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑬畠山重忠・壱
畠山重忠は、秩父平氏の一族の嫡流、畠山重能の嫡子である。 重忠は、武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄によって、存命中から、「坂東武士の鑑」と称された。 後世、良…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】217.マリー・ルイーズとの結婚
1810年2月16日、ウィーンにおいて、2月7日のナポレオン及び、マリー・ルイーズの婚姻契約が、批准された。 2月23日、ナポレオンは、未だ、会ったことのな…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】九十八
呉の滅亡を招いた、傾国の美女である、西施は、出身地の苧蘿村に「施」の姓の家族が、東西二つの村に住んでいて、彼女は、西側の村に住んでいたため、西村の施との由来…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑫葛西清重
葛西清重は、桓武平氏良文流の秩父一族の庶流、豊島清元の息子である。 秩父一族は、平良文の孫、平将常が、武蔵国秩父郡中村郷を所領として、秩父氏を称した。 将常…
【武都】章『鎌倉騒乱』編「御家人列伝」⑪下河辺行平
下河辺行平は、小山政光の弟、下河辺行義の息子で、下河辺政義の兄である。 行平は、小山朝政、結城朝光の兄弟の従兄弟であり、宇都宮朝綱、八田知家の兄弟の縁戚にな…
1件〜50件