在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
京都府福知山市の三段池公園の西側に、猪崎城跡があります。猪崎城は天正7年(1579年)の明智光秀の丹波攻めの際に落城した城です。 猪崎城は由良川に面した標...
前話より唐突に出てきた感のある政所執事の摂津晴門。「政所」とは、幕府の財政と領地に関する訴訟を掌る職のことで、「政所執事」とは、そのトップの長官でのこと...
「その2」のつづきです。鬼ヶ城跡を登り始めて約1時間半、ようやく山頂の主郭にたどり着きました。 標高544mの主郭部は木を伐採してくれていて、360度大パ...
「その1」の続きです。標高544m、比高約450mの鬼ヶ城跡に登り始めてから約1時間余り、明らかな虎口跡と見られる遺構が眼前に現れました。 尾根を掘り込ん...
丹波国天田郡と丹後国加佐郡との境に位置する標高544mの山上に、鬼ヶ城跡があります。ここは、「丹波の赤鬼」として知られた丹波国黒井城主の赤井(荻野)悪右衛...
「その1」のつづきです。足利義昭の将軍就任を見届けた織田信長は、永禄11年10月26日(1568年11月15日)、一部の兵を残して岐阜に帰国しました。な...
「その2」のつづきです。登山開始から1時間15分、ようやく山頂の小室城主郭跡に到着しました。 主郭には、錆びた謎の鉄柱があります。 展望台か何かの残骸でし...
「その1」のつづきです。旧胎蔵寺跡をあとにして、小室城跡のある吼子尾山(くずおざん)山頂を目指します。 誘導板とかが設置されていないので、道があっているの...
丹波山垣城から南東約5kmのところにある標高519mの吼子尾山(くずおざん)山頂に、かつて小室城がありました。小室城は丹波の名族・芦田氏の居城で、別名、東...
兵庫県丹波市青垣町にある宝林寺に、「祖父祖父堂」という変わった名称のお堂があります。このお堂は、天正7年(1579年)の明智光秀の丹波攻めの際に謀殺された...
「その1」のつづきです。丹波山垣城跡を登り始めて約10分、中央に祠を祀った削平地に到着しました。縄張り図を見ると、ここは三ノ丸にあたるようです。 何となく...
兵庫県丹波市の最北端にあたる青垣町に、かつて山垣城がありました。山垣城は丹波の名族・足立氏の居城で、ここも、明智光秀の丹波攻めによって攻め落とされた城です...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
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ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。