在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
大原の三千院(2)
大原の三千院(1)
大河ドラマ「光る君へ」‐特別解説編‐9
石山寺(いしやまでら)紫式部が『源氏物語』を執筆した場所として有名です 滋賀
NHK 光る君へ に、ツッコミたい③ 11/24
NHK 光る君へ に、ツッコミたい② 11/24
NHK 光る君へ に、ツッコミたい① 11/24
光る君へ 45回
小野小町ゆかりの随心院(3)能の間~小野小町ゆかりの品々
大河ドラマ「光る君へ」‐45
【光る君へ】#44 最終回?一同揃った豪華絢爛望月の夜、まひろと道長が万感の思いを交わす
小野小町ゆかりの随心院(2)小町文塚~榧の大木
小野小町ゆかりの随心院(1)小町の化粧井戸
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(2)
「その3」のつづきです。坂本城二ノ丸の一角に、「明智塚」と書かれた駒札を見つけました。 明智光秀の首塚は京都の粟田口に、胴塚は京都の小栗栖にそれぞれ伝わっ...
「その2」で紹介した坂本城本丸跡から県道を挟んで西側が、かつて二ノ丸だったとされています。二ノ丸跡を歩いてみましょう。 二ノ丸跡の真ん中あたりに、「坂本城...
午後は島北部にある史跡を回ります。 ぶりぶち公園(下田原城跡)まず【ぶりぶち公園】。【下田原(しもたばる)城】の跡です。 『公園』と言っても、座り心地の悪そうな汚いベンチが3つほど並んでいるだけです。もっと気温が高い季節には蚊も多そうで、座
滝山城について滝山城全体図(現地案内版より)続100名城登城5城目(通算103城目)は、東京都八王子市にある【滝山城】です。構造多摩川と秋川を堀とし、丘陵地の稜線にそって曲輪が配置される連郭式の山城です。歴史永正18年(1521年)に木曽義
石垣山城について岩垣山城全体図(バス停すぐの案内板より)続100名城登城6城目(通算104城目)は、小田原の【石垣山城】です。石垣山城は、小田原城からわずか3kmほどの山の上に築かれた山城です。本丸を二の丸・南曲輪・西曲輪が三方から囲む、梯
土浦城についていざ登城土浦は特急を使わなくても都心から1~2時間程度でアクセスできます。今回も朝イチから順調に移動して8:30頃に現地到着。土浦駅は大きな駅でした。土浦駅の向かいのビルは市役所なのですが、一見商業施設っぽい外観です。実際、一
山北町にある河村城は丘陵に築かれた山城で蔵郭を挟んで東西に大きくエリアが分かれているのが特徴です。城の規模も大きく、相模・甲斐・駿河の国境近くにあるため、重要な城だったと思われます。南北朝時代に築かれた砦が起源で、戦国時代は北条の城として整備・拡張されたました。北条の城といえば障子堀が特徴ですが、河村城でもかなり大規模な障子堀が作られています。東側には展望台があり、ベンチもあるので一休みするのにも使えるのですが、近代的で似合わないのが残念。東の端には駐車場とトイレがあるので、車の場合は東側のルートをお勧めします。こちらは西側の馬出郭への登り口。洒水の滝からのハイキングルートになっているようですが、登り口手前に普通車なら1台止められそうなスペースはあります。河村城跡(神奈川県山北町)大規模な障子堀もある
「その1」で紹介した坂本城址公園から150mほど北上したところに、かつて坂本城の本丸があったとされます。現在、その場所には、「坂本城本丸跡」と刻まれた石碑...
近畿の水がめ琵琶湖の南湖西岸に、かつて明智光秀が築いた坂本城がありました。現在、その遺構は都市化によってほとんど残っていませんが、城跡周辺を歩いてみました...
「その10」の続き、番外編です。安土城跡から車で5分ぐらいのところに、安土城関連の展示館が2ヶ所あります。まず訪れたのは、安土城考古博物館。 ここで目を引...
「その9」の続きです。安土城跡をほぼ攻略したので、下山します。下山道は大手道ではなく、旧摠見寺跡ルートを選びました。 「その5」で紹介した「伝織田信忠邸址...
「その8」で天守台まで攻略しましたが、少し戻って安土城伝二ノ丸跡に向かいます。伝二ノ丸跡には、織田信長廟所があります。 石段を上がると、左に「二の丸阯」、...
「その7」の続きです。いよいよ、近代城郭の礎となった安土城天守台に登りたいと思いますが、その前に、天守台石垣を見てみましょう。 上の写真は天主台東南部の出...
「その6」の続きです。伝長谷川秀一邸址をあとにして、二の丸下帯郭を本丸方向に向かって進みます。 伝二ノ丸石垣の向こうに、石段の虎口が見えます。 門の名称な...
「その5」の続きです。「伝織田信忠邸址」を過ぎると、再び石段が始まります。 縄張り図によると、この石段を登ると、いよいよ安土城の中枢部に入るようです。 何...
明智光秀が築いた坂本城があったとされる場所から15世紀後半~16世紀半ばの建物の礎石や井戸跡、多数の水晶加工の遺物などが発見された。 同城築城前から街が栄えていたことがうかがえ、本日午前10時半から現地説明会があるという。[毎日新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
延岡城の内堀が五ケ瀬川の増水時に調整池の役目を果たしていた可能性があることがわかった。 周辺では古墳時代~昭和時代の遺構や遺物も多数出土しているという。[宮崎日日新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
「その4」の続きです。七曲りを登り切る少し手前に、大きな郭跡があります。立ち寄ってみましょう。 その虎口は石段があり、枡形になっています。 虎口に建てられ...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。