在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
この歳になって・・初めて・・源氏物語・・なんとな〜く・・わかったような
歴史チップス2025年2月号商人味更新
京都の風俗博物館(7)
平安女子は、みんな必死で恋してた イタリア人がハマった日本の古典/イザベラ・ディオニシオ
伊勢物語/坂口由美子
平安時代の潔斎文化と護符作り:その儀礼と精神性
飛鳥奈良・平安が舞台の時代小説を紹介 日本史の復習にもおすすめ
平安時代から続く悠久の歴史 桂濱神社参拝
「光る君へ」ロスの方へ ディープな3選
歴史チップス2025年1月号ヘビ味更新
白ヘビと白亀を祀った神社 白子神社 千葉県白子町
光る君へ その後
NHK 光る君へ に、ツッコミすぎた理由を述べたい
光る君へ 48回目(終)
古代の交通ルール
【元気いいね!】百枝小学校で、豊後大野かるたの先生になる親方 in 大分|青年団なないろベース
【想い出】2月19日 結婚記念日、つば九郎、プロ野球、青年団、沖縄、大分etc...
【熱いぜ!】大分県連合青年団&大分市青年団の活動報告会で、夢が見える!
【会うのがいいね♪】大分県豊後大野市青年団なないろベース総会で、楽しみが増えた♪
【人懐っこい♪】三重東小学校の「豊後大野かるた教室」で寒さを吹き飛ばす!【大分 青年団】
【地域愛♪】大分県「豊後大野かるた」で、地元好きへ♪|菅尾小学校で授業【青年団 なないろベース】
【30年】阪神大震災の教訓をつなげよう|当時の大阪府青年団長から学ぶ「つながり」
【2文字が特徴】豊後大野かるたで、ものしり博士を目指せ!「三重第一小」で授業【青年団 大分】
【おめでとう✨】大分市20歳のつどいで、大分市青年団がドリンクやゲームで応援【成人式】
【久しぶり!】初のオンライン会議|大分県豊後大野市青年団なないろベースが語る!
【大分】✨14歳✨|豊後大野市青年団なないろベース、地元を知ろう♪
【元気だね!】豊後大野かるたで、ものしりを目指そう!新田小学校で先生になる大分の親方2024
【衆院選2024】あなたの一票を大切に✨|衆議院議員総選挙、私も投票 in 大分県豊後大野市
【想い出】10月23日|岡山、山口、長崎、熊本、大分、アイドル、青年団etc...
【想い出】7月29日|高校野球、サッカー、祭り、青年団、グルメ、温泉、大分、熊本etc...
「その3」の続きです。大手道にもどります。 ようやく太陽が照ってきたので、もう一度大手道石段の写真です。 前稿で紹介した「伝羽柴秀吉邸址」上の段の虎口から...
「その2」の続きです。伝前田利家邸跡から大手道を挟んで向かい側(西側)に、ひときわ大きな郭跡があります。 その入口には、「伝羽柴秀吉邸址」と刻まれた石碑が...
「その1」の続きです。大手道を進んで安土城の登城スタートです。 ここからは入城料500円掛かります。 大手道の案内板と縄張り図。 真っ直ぐに伸びる大手道石...
戦国時代の覇王といえば、織田信長。その信長が天下統一を目前にした天正7年(1579年)に天下布武の象徴として琵琶湖湖畔に築いた天下無比の城が、安土城です。...
「その8」のつづきです。彦根城東側の玄宮園の南にある桜橋駐車場の横の金亀児童公園に、幕末の幕府大老・井伊直弼の像が建てられています。 井伊直弼は文化12年...
杉山城について続100名城登城2つめは、埼玉県比企郡嵐山町にある【杉山城】です。杉山城は戦国時代の山城で、築城の年代や築城主ははっきりしていません。時代は室町~戦国時代、築城主は山内上杉氏か後北条氏か地元豪族の金子氏か…と様々な説がありいま
菅谷館について菅谷館全体図(城内の案内版より)杉山城の見学は午前中で終了しましたが、埼玉県比企郡嵐山町にはもう1つ続100名城に選ばれた史跡があります。というわけで、続100名城登城3つめは【菅谷館】。鎌倉時代の御家人、畠山重忠の館跡です。
「その7」のつづきです。彦根城最北端の山崎曲輪の外側から、中堀に沿って歩きます。 上の写真はその山崎曲輪の高石垣。 その西側には前稿で紹介した山崎御門の冠...
「その6」のつづきです。今回は内堀の西側を南から北に向かって歩きます。 南側の内堀です。彦根城の石垣の特徴的な見どころのひとつで、土手の上部に鉢巻石垣、土...
「その5」のつづきです。今回は彦根城内堀の東側の外にある庭園、楽々園と玄宮園を歩きます。 写真は楽々園に通じる黒御門跡です。ここから、また別の入稿券が必要...
品川台場について全体図(現地案内版より)続100名城登城4つめは品川台場です。品川台場とは、江戸時代末期に異国船から江戸湾を守るために作られた海上砲台の跡地です。 嘉永6年(1853年) のペリー来航を脅威と感じた江戸幕府が急ぎ作らせました
岩櫃城について11月最初の連休を利用して、群馬県内の続100名城…『真田三城』とも称される岩櫃城・名胡桃城・沼田城を回ってきました。今回の小旅行の最初の目的地、続100名城登城9城目(通算107城目)は群馬県吾妻郡東吾妻町の【岩櫃城】は、標
名胡桃城について現地案内板の全体図小旅行の2つ目の目的地・続100名城登城10城目(通算108城目)は、群馬県利根郡みなかみ町にある【名胡桃城(なぐるみじょう)】です。岩櫃城から電車で1時間、上越線後閑駅から直線距離で3kmほどの位置にある
西洋のお城も観たい!城巡り番外篇、西洋の城【ロックハート城】です。ロックハート城は、イギリスから移築された本物の貴族の邸宅を中心としたテーマパークす。ヨーロッパ風の独特の外観から映画・ドラマ・MVのロケにもよく利用されています。以前から一度
沼田城について沼田公園入口付近の案内図より図の右方が北です。続100名城登城11城目(通算109城目)は沼田城です。沼田城は群馬県沼田市内、利根川と薄根川な合流点近く、河岸段丘の上に築かれた城です。歴史沼田城は享禄5年(1532年)、沼田氏
忍城について 忍城址内にある案内図より(通常の地図と逆に図の下方が北)続100名城登城12城目(通算110城目)は、映画にもなった【のぼうの城】の舞台、忍城です。 構造忍城は埼玉県北部の行田市内にある戦国時代の城です。広大な湿地帯に点在する
大多喜城について博物館下のゲート付近にあった図 続100名城登城13城目(通算111城目)は、 千葉県夷隅郡大多喜町の大多喜城です。構造 大多喜城は、現在いすみ鉄道大多喜駅のあるあたりから西に三の丸、現在大多喜高校のあるあたりが二の丸、山の
唐沢山城について唐沢山城全体図(武者詰にあった案内板より)続100名城登城14城目(通算112城目)は、栃木県佐野市の【唐沢山城】です。構造唐沢山城は唐沢山山頂を本丸とし、尾根に沿って曲輪がほぼ一列に配置される【連郭式】の大規模な城郭です。
佐野城について佐野城全体図(現地案内板より)続100名城巡りの番外篇です。唐沢山城からの帰り…といっても現着は13時過ぎ…に、昼食のついでに佐野城を見学することにしました。構造唐沢山城の南方4kmの平地、南北400m・東西100m・比高10
本佐倉城について本佐倉城全体図(東山馬場下駐車場付近にあった案内板より)続100名城登城15城目(通算113城目)は千葉県佐倉市の【本佐倉城(もとさくらじょう)】です。構造本佐倉城は平山城です。築城当時この一帯には広く湿地が広がっており、そ
「その4」のつづきです。天守まで制覇しましたが、彦根城めぐりはまだまだつづきます。本丸北西の搦手門を出て、西の丸に向かいます。 本丸搦手門の石垣です。 本...
「その3」のつづきです。本丸をひと通り見て回ったので、いよいよ天守に向かいます。彦根城天守は周知のとおり現存12天守のなかのひとつで、国宝5天守のひとつで...
ザグロス山脈のふもとケルマンシャー州サルポルエザハブ郡で紀元前4世紀~西暦6世紀にかけて建造された長城とみられる壁の跡が発見された。 壁の跡には多くの石や石膏モルタルが見つかっているという。[ハザードラボ]...
駿府城公園で見つかった豊臣秀吉の天守台跡に隣接した場所で新たな天守台跡が発見された。 大規模な天守に併設される「小天守」の跡とみられ、渡り廊下のような石垣も発掘されたという。[静岡新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
岐阜城天守閣西側で、織田信長が城主だった時代(1567~1575)に築いたとみられる「天守台石垣」が発見された。 天守閣があったとすれば日本最古のもので、14~18日の午前10時~正午と午後1~3時に現地公開するという。[岐阜新聞・毎日新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
「その2」のつづきです。天秤櫓の内側は太鼓丸と呼ばれる曲輪です。太鼓丸は鐘の丸と本丸の間の通路のような曲輪で、平坦なスペースは少なく、緩やかな傾斜の中央に...
「その1」のつづきです。表御殿横で入場券を購入し、本丸に向かう石段を登ります。 石段は見ての通り、登り始めは一段の幅が広いのですが・・・・ 進むにつれてだ...
今回は国宝天守を頂く彦根城を歩きます。関ケ原の戦いの勝利で、徳川家康は西軍の敗将・石田三成の所領、近江18万石を取り上げ、徳川四天王のひとり、井伊直政に与...
石田三成が居城とした佐和山城彦根城より歴史が古く「三成に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」とまで謳われた城を訪ねてみました。彦根駅から佐和山へ向かうと見えてきた山が佐和山城があった山、近江鉄道のトンネルが城山に通っています。山裾を縫うように小道を進むと石田三成屋敷跡の石碑がぽつんと建っていました。周りは竹林で印がなければこんな所に屋敷があったとはわかりませんね。散策コースには案内板が建てられているので、それを頼りにお城へ向かっていきます。散策コースの案内には無かったですが寄り道して東山公園に。ここから「佐和山城跡」の大きな看板が見えます。そして石で造られた佐和山城天守のモニュメントがありました!散策路に戻って清凉寺、そして龍澤寺へ。ここの門前に佐和山城の説明図がありました。佐和山城は関ヶ原合戦後に井伊...佐和山城(滋賀県彦根市)城の麓まで散策
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。