在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
3月24日~30日 ご予定
4日 イタリア大統領皇居訪問・大統領主催コンサート
27日 【速報】悠仁殿下成年式日程が発表される
『女性自身』11・18日号のあれ?「テレ東ビズ」のおや?
23日 虚飾虚栄、貧乏くさい宴会で祝った令和の天皇誕生日
天皇誕生日記者会見・・陛下は水のひと皇后は月のひと
類まれなるリンクコーデ・・18日 今上ご夫妻、トルコ国会議長夫妻と面会
三行日記風覚書・・今上ご夫妻の場当たり的対応が
無残やな、、、1月27日~2月2日天皇ご一家ご動静
国際親善?ご自分へのご褒美旅行?アメリカ行きたいアピール中?
今上ご夫妻の神戸余話・・レッドカーペット、提灯奉迎の件 (付記あり)
17日 両陛下追悼式典ご出席
16日 今上ご夫妻神戸到着 雅子さま点景
no.383 天皇のオムライス
天皇皇后 10月28日~11月3日のご動静、11月4日~11月10日のご動静
「その1」に続いて、東京湾に浮かぶ砲台跡「品川台場」を歩きます。土塁の上を一周してみました。 土塁上は遊歩道になっています。 台場の南端の土塁上に、砲台跡...
平成29年(2017年)4月6日、日本城郭協会から「続・日本100名城」が発表されましたが、そのなかに、ひとつだけ趣を異にした存在があります。東京湾に浮か...
「その7」のつづきです。黒井城跡の南麓にあるJR黒井駅の前に春日局像があります。 小さな駅です。 こちらが春日局像。幼き日の姿でした。お福像といった方がい...
「その6」のつづきです。黒井城のあった猪ノ口山の登山口にある興禅寺は、かつての下館跡と言われています。 石垣、土塀、水堀に囲われた興禅寺は、まさにかつての...
「その5」のつづきです。千丈寺砦から45分かけて、また黒井城本城まで戻ってきました。写真は西曲輪から見た本丸です。 さて、ここからは「その1」の登城道とは...
「その3」の続きです。福井城天守跡から内堀を挟んで北西にある、福井神社を訪れました。このあたりには、かつて西三の丸御座所があり、藩主の生活の場でした。 福...
「その2」の続きです。福井城本丸跡の県庁庁舎と県警本部の間の通路を北に進むと、本丸跡北西の隅に天守台跡が残ります。 天守台です。 天守台登り口の案内板には...
「その1」の続きです。福井城本丸跡に建つ県庁庁舎ビルの前には、初代福井藩主の結城秀康の像があります。結城秀康は徳川家康の次男で、「関ケ原の戦い」の翌年にあ...
過日、福井県を訪れた際に福井城跡に立ち寄りました。福井城は、徳川家康の二男で初代福井藩主となった結城秀康が慶長11年(1606年)に築城し、約270年間1...
「その4」のつづきです。本丸まで攻略しましたが、まだまだ黒井城にはたくさんの砦があります。 写真は西曲輪から見た北側の眺望です。北丹波が一望できます。 見...
「その3」のつづきです。三ノ丸の西側にある虎口から、二ノ丸に登ります。 微妙に喰い違い虎口の形状が見られます。 上から見た二ノ丸虎口。 二ノ丸から見下ろし...
「その3」で有子山城跡をすべて攻略したので、下山して麓の出石城跡を散策します。出石城は関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)、有子山城主だった小出吉英が山...
「その2」の続きです。有子山城を登り始めて約1時間、ようやく本丸(主郭)までたどり着きました。眼前に現れたのは、見事な石垣。 450年近く前の野面積みの石...
「その1」の続きです。有子山城を登り始めて約40分、ようやく石垣の遺構までたどり着きました。 写真は主郭から数えて6段目の第6郭の石垣です。 こちらが縄張...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。