在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百参拾四
土佐坊昌俊邸跡と堀川夜討
ダブル富士に興奮!多摩川浅間神社で富士山を拝む
頼朝の軍議と安産祈願の寺・日蓮宗大巧寺:江ノ島・鎌倉日帰り旅②
探検630 奥州藤原三代の特異な伝統
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】八拾九
妙本寺(2)比企一族の墓
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】八拾八
言葉編38/どこが違うの?違いがハッキリ!
妙本寺(1)比企一族ゆかりの寺
葛の葉伝説が伝わる地、信太の森にて歌を鑑賞す ~源頼朝との意外なつながり
北条義時の孫・長時が創建した浄光明寺
安達氏の菩提寺・無量寿院跡に建つ鎌倉歴史文化交流館
数字編13/時代による将軍上洛の風景
和田義盛の眠る和田塚
平成29年(2016年)4月6日に日本城郭協会から「続日本100名城」が発表されましたが、そのなかに、2つの城を1セットとして選ばれた城があります。その城...
<前編>の続きです。案内板のあった郭跡からほんの2~3分登ると、急に視界が開けます。そこには、見事な大堀切跡が。 写真じゃ伝わりづらいでしょうか? 幅約1...
奈良県宇陀市にある宇陀松山城跡を訪れました。宇陀松山城跡は同じ大和国の大和郡山城から25kmほど南西、同じく大和国の高取城から13kmほど北東に位置します...
<前編>の続きです。多気北畠氏城館跡内にある庭園を散策します。ここからは有料。 入口横には、「名勝及史蹟多気北畠氏城館址」と刻まれた石碑があります。 案内...
南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢国の守護大名だった北畠氏の城館跡が、三重県津市の多気の地にあります。多気(たげ)と読みます。 多気北畠氏城館跡は多気のほ...
今回は、かつて北摂津にあった高槻城跡を歩きます。江戸時代、高槻城は北摂津唯一の城郭として重要な役割を果たしていました。 現在、高槻城の縄張りは市街地化によ...
「その2」のつづきです。岸和田城大手門の北西には、かつての二ノ丸跡があります。現在は二の丸広場として市民憩いの公園となっています。 いまは芝生広場になって...
「その1」の続きです。岸和田城内堀北西の土橋を渡って本丸に向かいます。土橋入口の左右に設置された行灯には、それぞれ「千亀利城」と「猪伏山」という文字が書か...
だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市にある岸和田城は、犬走り石垣の代表的な城として知られています。「犬走り」とは、石垣と堀の間や土手の斜面に設けられた細長い...
先日の稿で紹介した摂津の芥川山城主だった細川氏や三好氏のルーツとなる城が、徳島県にあります。続日本100名城に選定された勝瑞城です。 県道松茂吉野線沿いに...
「その3」で主郭まで攻略しましたが、続いて、主郭北西にある曲輪に向かいます。 主郭北西にある細い道を下ります。 主郭北側の一段下がったところにも、曲輪跡と...
「その2」の続きです。二之郭の北の細い道を西に進むと、急に視界が開けた場所に出ます。 そこには、芥川山城跡ではなく「城山城跡」と刻まれた小さな石碑がありま...
「その1」の続きです。芥川山城を登り始めて約30分、切通し虎口があります。縄張り図によると、ここを抜けると第2曲輪となっています。 「切通し」とは、丘など...
今回は大阪府下最大の規模を誇る芥川山城を攻めます。芥川山城は阿波徳島から攻め上ってきた三好長慶が管領・細川晴元を追い落として入城し、畿内統治の本拠としてい...
「その3」の続きです。本丸を後にして、一宮城南側に向かいます。 一宮城の縄張りは大きく北城と南城に分かれていて、「その2」「その3」で紹介した才蔵丸、明神...
「その2」の続きです。一宮城本丸跡まで登ってきました。眼前に姿を見せた本丸石垣の迫力に圧倒されます。 一宮城本丸は標高約144.3mに位置し、ここだけ、総...
「その1」の続きです。一宮城の縄張りは大きく北城と南城に分かれていますが、その北城の東側にある才蔵丸と明神丸を分断する大堀切が下の写真です。 見事なV字で...
先日の稿で紹介した勝瑞城跡から直線距離で12kmほど南西にある一宮城跡を訪れました。ここも、勝瑞城跡と同じく平成29年(2017年)4月6日に日本城郭協会...
前稿まで引田城の攻城記を起稿してきましたが、その続100名城スタンプがある讃州井筒屋敷を訪ねて来たところ、臨時駐車場が設けられていて観光客がいっぱい。何か...
「その2」のつづきです。引田城最東端の引田鼻灯台から北西に向かいます。 誘導板には「東の丸約70m」とあります。 ここからまた登りになります。 「東の丸」...
「その1」のつづきです。本丸西の郭を後にして、30mほど登ったところに、本丸(天守台)と北二ノ丸の分岐点があります。 本丸(天守台)まで約40mとあります...
今回は香川県の引田城跡を攻めます。引田城は東かがわ市引田の北側に岬状に突き出した標高82mの城山山頂に築かれています。 登城口です。案内板と幟があります。...
「その2」のつづきです。登山をはじめて約40分、ようやく黒井城本城の東曲輪に到着しました。パンフレットによると、東曲輪の広さは20m×15mだそうです。 ...
「その1」のつづきです。黒井城跡の登山口にやってきました。ここに車を停めて、ここから登山です。 駐車場には、明智光秀と赤井(荻野)悪右衛門直正の戦いを紹介...
兵庫県丹波市にあった黒井城は、戦国時代、豪勇をうたわれた赤井(荻野)悪右衛門直正の居城として知られています。天下統一を目指していた織田信長の丹波攻めの際、...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。