探検517 敗軍薩摩はなぜ安堵されたのか
「関ヶ原の戦い」(1600年)の折の出来事です。いささかの手違いがあって、心ならずも 西軍にその身を置くことにしたのが薩摩国・島津義弘(1535-1619年)でした。戦闘についての作戦もそれなりに具申しましたが、ただ西軍指揮官である石田三成(1560-1600年)はそれに賛意を
安土桃山時代の武将。松平広忠の嫡男。1542年,三河国(愛知東部)岡崎城で生まれる。幼少時代を織田氏(尾張清洲)・今川氏(駿河)の人質として過ごしたが桶狭間合戦により独立、織田信長と同盟した。1573年、長年苦しめられてきた武田氏を長篠合戦で破り、勢力を伸ばす。織田信長没後の1584年、羽柴秀吉と対立し小牧・長久手で戦うが後に講和。1590年、後北条氏滅亡後の関東に入封。1596年従二位内大臣となる。1600年に関ヶ原の合戦で石田三成を破り、事実上天下を握ると直後に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。また、大坂夏の陣、大坂冬の陣で豊臣氏を滅ぼし、戦国時代を終わらせた。 。
2022年04月 (1件〜50件)