在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
<上窪田環濠集落、伝多聞城>の”城門”を巡るー昨年7月に焼失してしまった中世城館と伝多聞城城門
<小泉城・小泉陣屋>の”城門”を巡るー豊臣・徳川両家の取次に苦労した片桐家の陣屋門が移築
<芝村陣屋>の”城門”を巡るー織田有楽斎の四男が藩祖となった陣屋惣門が慶田寺に移築現存
<大和郡山城>の”城門”を巡るー南御門が永慶寺に移築、惣構えの大門一つも再現
<高取城>の”城門”を巡るー”子嶋寺山門”に”二の門”、”石川医院表門””植村家長屋門”等にも
<五条代官所>の”城門”を巡るー”天誅組の変”で襲撃され焼かれるも近くに直ぐに再建された長屋門
<佐和山城>の”城門”を巡るー”赤門”二門が彦根城下に残ると伝わる
<大溝陣屋>の”城門”を巡るー昨年に文具雑貨店”高島文庫”が解体復元された総門
<坂本城>の”城門”を巡るー”西教寺総門”と”聖衆来迎寺表門”に移築と伝わります
<膳所城(4)>の”城門”を巡るー草津市の”鞭崎神社”、遠く泉大津市の”細見邸”へ移築
<膳所城(3)>の”城門”を巡るー”新宮神社””近津尾神社””御霊神社”に移築されている城門
<膳所城(2)>の”城門”を巡るー”膳所神社”に3門が移築、”和田神社”には藩校門が移築
旅日記 No5 平戸島&生月島をドライブ
<膳所城(1)>の”城門”を巡るー摸擬”大手門”だけでなく移築現存の”犬走り門””北大手門”
<水口城>の”城門”を巡るー”徳川家光”上洛宿泊城として築城、出丸に復興高麗門と模擬長屋門
こんにちは、あとりです❤️ 京都、松尾、『地蔵院』に行ってきました。(22年5月21日) 『地蔵院』には阪急上桂駅から徒歩約12分です。 今回「西芳寺(苔寺)」から歩きました。 「苔寺」からは案内が出ていた、こちらの階段の道を進んで行きました⤵️ 【総門】 総門を入ってすぐのところに受付がありました。 こちらで御朱印をいただきます。 総門前の新緑が美しい❣️ この地は歌人・藤原家良(いえよし)の山荘跡地でした。 貞治6年(1367年)、管領の細川頼之が夢窓国師の高弟・宗鏡(そうきょう)禅師を招き、創建しました。 宗鏡禅師は、夢窓国師を勧請開山としました。 通称「竹の寺」、「谷の地蔵」と呼ばれて…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、松尾、『西芳寺(苔寺)』に行ってきました。(22年5月21日) 前回からの続きです。 前回はオンラインからの申し込み方法をくわしく書いています。 よかったら見てください⤵️ 【本堂(西来堂)】 受付を済ませ、衆妙門をくぐると、すぐに本堂が見えてきます。 本堂のまわりにツバメがたくさん飛び回っていました。 【本堂】 『西芳寺』は世界文化遺産に指定されていて、通称「苔寺」と呼ばれています。 推古年間(554~628年)、この地に聖徳太子の別荘があったと伝わっています。 前身の「西方寺」は、行基が開山した四十九院のうちの一つでした。 後に夢窓疎石(むそうそせき)が禅…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『五條天神宮』に行ってきました。(22年5月16日) 『五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)』は阪急烏丸駅から徒歩約11分です。 『五條天神宮』は、平安遷都の時に空海が大和国から天神(あまつかみ)を勧請したのがはじまりです。 御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は薬、医学の神様として信仰されています。 創建当初は、「天使社」、「天使の宮」と呼ばれていました。 現在は厄除けの神様としても信仰されています。 【手水舎】 【御本殿】 源義経(牛若丸)と弁慶が最初に出会った場所は、この地、五條の森と伝えられています。 また、節分に授与される宝船の図は、船に稲穂を一束…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、妙心寺塔頭、『桂春院』に行ってきました。(22年5月13日) 『桂春院』は、JR花園駅から徒歩約20分です。 この日は「旧邸御室」から歩いて行きました。 『桂春院(けいしゅんいん)』は、慶長3年、(1598年)織田信忠(織田信長の長男)の次男・津田秀則によって創建されたのがはじまりです。 門を入って左側に建物の入口があり、建物を上がると受付がありました。 【清浄(しょうじょう)の庭】 方丈北側にある庭園です。 石組を滝に、白砂を渓流に見立てています。 【侘(わび)の庭】 書院の前庭です。 こちらの青もみじが息を飲むほど美しい❤️❤️ 【思惟(しい)の庭】 方丈…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『繁昌神社』に行ってきました。(22年5月16日) 『繁昌(はんじょう)神社』は阪急烏丸駅から徒歩約6分です。 街中にある小さな神社です。 『繁昌神社』は、その昔「班女(はんにょ)ノ社」、「半女ノ社」と呼ばれていました。 牛頭天王の妃・針才女(はりさいしょ)を祀り、それが訛って班女になったと伝えられています。 後世の書物に「班女と繁昌は同音のため、男女参拝して子孫繁栄を祈願する」と書かれていました。 縁結びの神様としても信仰されています。 『繁昌神社』の御祭神は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)で、道を司る神様です。 道路や海路などの流通や市、茶道や華道とい…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『下御霊神社』に行ってきました。(22年4月25日) 前回22年1月28日に訪れた時の記事です。 くわしい説明や、補修工事前の神輿庫の写真など載せていますのでよかったら見てください⤵️ 今回、特別公開に行ってきました。 「令和4年 春季京都非公開文化財特別公開」 22年4月23日~5月15日 【正門】 鳥居と正門の間に鎮座する狛犬です。 前回、正門の彫刻に気をとられていて、全く気づかず、見落とした狛犬・・・。 今回やっと見ることが出来ました❣️ 大きく口を開けた狛犬が、「大笑いをしているようだ。」と話題になったそうです。 【手水舎】 【拝殿】 拝殿に大宮神輿、…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『大行寺』に行ってきました。(22年4月25日) 『大行寺(だいぎょうじ)』は阪急烏丸駅から徒歩約4分です。 真宗佛光寺派本山佛光寺の山内寺院で、「佛光寺」の北側にあります。 今回、特別公開に行ってきました。 「令和4年 春季京都非公開文化財特別公開」 22年4月23日~5月15日 門を入ってすぐのところに受付があり、受付から先は写真撮影禁止でした。 そのため、この日は上の門の写真しか撮っていません。 門と本堂の間に小さなお庭があり、本堂を上がり御本尊、寺宝など拝観しました。 (これ以降の写真は、後日22年5月16日に撮影したものです。)⤵️ 『大行寺』は通常…
あなたはどんな御朱印帳を使っていますか? 私は神社やお寺でいただいた御朱印帳を使っています。さらに神社とお寺で御朱印帳を分けて使用しています。 別の記事で神社でいただいたかわいい御朱印帳を紹介しましたが 今日はお寺でいただいたかっこいい御朱印帳をご紹介します。 ▽この記事の目次▽ いただいた御朱印帳はコレ! この御朱印帳がいただけるお寺 御朱印帳をデザインしたのは 京都で御朱印めぐり 壬生寺の御朱印 梛神社の御朱印 楊谷寺の御朱印 御朱印帳は大切に いただいた御朱印帳はコレ! 〈おもて面〉 〈うら面〉 いかがですか? かっこいいですよね-。 私はこの御朱印帳をお寺の御朱印をいただく用に使ってい…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『清浄華院』に行ってきました。(22年4月25日) 『清浄華院(しょうじょうけいん)』は地下鉄出町柳駅から徒歩約10分です。 【勅使門】 【総門】 『清浄華院』は浄土宗八総本山の一つです。 貞観2年(860年)、清和天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が四宗兼学の道場として御所内に創建したのがはじまりです。 後に後白河・高倉・後鳥羽の三天皇の帰依を受けた法然上人に『清浄華院』はあたえられ、浄土宗寺院となりました。 【松林院旧跡】 【手水舎】 【御影堂(大殿)】 御影堂内も拝観することが出来ました。 法然上人像、泣不動尊像、泣不動縁起絵巻(複製)など安置してあります…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『平安神宮』に行ってきました。(22年4月20日) 『平安神宮』はバス停・岡崎公園から徒歩約3分です。 【応天門】 応天門は青空が似合う❤️❤️ 【手水社】 『平安神宮』は平安遷都1100年を記念して明治28年(1895年)に、平安京創始の桓武天皇を御祭神にして創建されました。 応天門をくぐり、境内に入りました。 【応天門】 応天門から見た境内の風景です⤵️ なんと、奇跡的に人がいない❗🤣🤣 社殿は平安京の朝堂院(ちょうどういん)(大内裏の正庁)を約8分の5の規模で復元したものです。 【青龍の手水鉢】 【神楽殿(結婚式場)】 手前にあるのは、遠くから見ると花の…
御朱印めぐり第10弾は京都府の壬生寺をご紹介します。 ▽この記事の目次▽ 御朱印のご紹介 どんなお寺? 壬生狂言は重要無形民俗文化財 ご利益はたくさん 不思議な体験ができました 公共交通機関での行き方 おすすめ周辺観光 さいごに 御朱印のご紹介 京都府京都市にある壬生寺(みぶでら)の御朱印です。 地蔵尊と書かれていますね。 壬生寺は地蔵菩薩立像が祀られており古くから地蔵信仰のお寺として信仰を集めています。 昭和37年(1962年)の火災でもともとの地蔵菩薩像は焼失してしまいました。 現在の地蔵菩薩立像は奈良県の唐招提寺から移されたもの。重要文化財です。 御朱印は、本堂の右手奥にある寺務所でいた…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。