在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
【60】続日本100名城 引田城跡(香川県東かがわ市)
上田城千本桜まつり【後編】
満開の桜と上田城【前編】
国立飛鳥歴史公園・甘樫丘地区のヒナゲシ畑
【59】続日本100名城 勝瑞城跡(徳島県板野郡)
鹿島神宮
奈良発観光報告 (57)熊野那智大社
悲しい話を伝えるのは
藤原京跡 桜と菜の花が満開
八代市東陽村「若宮神社」
石川県 ツキノワグマ出没目撃情報 [2025.4.5]
【58】続日本100名城 一宮城跡(登山口だけ)〜ランチは「和美彩美」さんで(徳島県徳島市)
奈良発観光報告 (56)熊野速玉大社
【56】続日本100名城 岡豊城跡/長宗我部元親の居城に興奮(高知県南国市)
【54】日本100名城 高知城①/現存建物など見どころ沢山の城(高知県高知市)
「その8」のつづきです。三田村氏館跡と伝わる伝正寺から西へ200mほど歩いたところに、戦国時代末期のものと見られる石塔群があります。これは、元亀元年6月2...
「その7」のつづきです。徳川家康が陣を布いた岡山から姉川を挟んで約1km北方にある伝正寺は、戦国時代、浅井氏の家臣・三田村氏の屋敷跡と伝わります。元亀元年...
「その6」のつづきです。織田信長の本陣跡と伝わる陣杭の柳から800mほど西に、岡山と呼ばれる低い丘陵地があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7...
「その5」で紹介した陣杭の柳から300mほど南に、浅井氏の重臣・遠藤直経の墓があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦...
「その4」のつづきです。茶臼山古墳から250mほど西に、「陣杭の柳」と呼ばれる柳の木があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた...
「その3」のつづきです。姉川戦死者之碑から姉川を挟んで1kmほど南東に、茶臼山古墳という前方後円墳があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月3...
「その2」のつづきです。血川から直線距離で600mほど北上したところに、「陣田」と書かれた説明板があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30...
「その1」のつづきです。姉川戦死者之碑から150mほど北上したところに、「血川」という物騒な川の名の伝承があります。ここも、元亀元年6月28日(1570年...
元亀元年6月28日(1570年7月30日)、近江国浅井郡を流れる姉川を挟んで、織田信長、徳川家康連合軍と浅井長政、朝倉景健連合軍が激突しました。世にいう「...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。