在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
石造宝篋印塔(遊女塚) 神戸市垂水区
奈良女子大学記念館(重要文化財)
【旧三井銀行小樽支店】大衆美術と歴史を一度に楽しむ小樽散策!【小樽芸術村】
【松島・五大堂】すかし橋 板ふみしめて 松の島|60歳からの御朱印めぐり〔084/541〕
ニコライ堂を見学(重要文化財)
日本100名城 弘前城(青森県弘前市大字下白銀町1)
【松島・瑞巌寺】金襖 伊達なお寺の 桃山美|60歳からの御朱印めぐり〔083/541〕
丸亀城@香川県
松山城 大天守よりの風景
松山城 戸無門
松山城城門 戸無門
高松城@香川県
高知城@高知県
【仙台・大崎八幡宮】政宗の 伊達なお社 麗しや|60歳からの御朱印めぐり〔082/541〕
あの時、思い浮かんだことが実現していた
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
2015年5月のおでかけ記事です。今回から写真を大きくしてみました。今回は猫舌さんと一緒のおでかけです。まず最初に向かったのは岸城神社大阪府岸和田市岸城町11-30御祭神天照皇大神素盞嗚尊 品陀別命以前のお詣りした時の記事は岸城神社 (大阪 岸和田市) 其の壱岸城神社 (大阪 岸和田市) 其の弐社号標 狛犬さん手水舎手水水口鳥居額拝殿 狛犬さん神馬ちぎりの糸の奉納所「ちきり」とは、機(はた)のたて糸をまく器...
日時:令和3年6月23日 04時30分ごろ 住所:兵庫県丹波市春日町黒井 状況:熊による人身事故が発生 国史跡「黒井城跡」(猪ノ口山)登山道で登山中の男性が体長約100センチのツキノワグマ1頭に襲われ、左足をかまれて軽いけが。男性は自力で下山して帰宅したあと、消防に通報したという。現場はJR福知山線の黒井駅から北東に約1km。周辺に黒井小学校、興禅寺、春日局庵、猿田彦神社、氷上高校などがある。 ※ツキノワグマは、...
「その5」のつづきです。本丸(鐘丸)の南側に降り、前稿で紹介した石垣の場所に戻ってきました。 やはり、何度見ても圧巻の石垣。 説明書きの駒札の下に、大堀切...
「その4」のつづきです。桜馬場跡のすぐ上に、立派な石段が残る虎口跡があります。 ここは黒金門と呼ばれる虎口があった場所で、ここが、小谷城主郭部への入口でし...
大阪港に面した天保山(てんぽうざん)。 この天保山は、かつて日本で1番低い山でした。 現在では仙台の日和山に記録を抜かれ、日本で2番目に低い山です。 天保山は、大阪港に面していて、幕末には大阪港の台場でもありました。 大阪港から見たのが下の写真です。 (標高4.53メートルの山) 「日本1低い山 天保山」の看板は、大阪港側にあります。 写真の中央に見える高い石の碑が目印です。 その横に天保山山頂の看板が表示されています。 この高い石の碑は、「明治天皇観艦之所碑」で、明治天皇が1868年(明治元年)に、 ここで軍艦を観艦したという記念碑です。 その石碑の横にある「日本一低い山」の看板。 この手前…
6月22日は、ボウリングの日です。 江戸時代末期の1861年旧暦5月15日(新暦の6月22日) 、長崎の大浦にあった長崎居留地内の唐人屋敷波止場の近くにあった、広馬場という所には、外国人専用のボーリング場で 、日本初のボウリング場となる「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設されました。 これがわが国最古のボーリング場です。明治元年が1868年のことですから、明治が始まる7年も前のことです。 同年、長崎大浦では、日本初の英字新聞「ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバイザー」が創刊されました。 当初、その新聞にはしばらくの間「6月22日インターナショナル・ボウリング・サロン開設のご…
江戸時代、庶民の間で大ブームとなったものがあります。 お伊勢参り、すなわち伊勢神宮に参拝することです。 伊勢神宮は三重県伊勢市にあり、日本全国に8万あると言われる神社の最高位・中心となる本宗(ほんそう)で「お伊勢さん」とも呼ばれています。 伊勢神宮には、皇室の御祖先の 天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする 内宮(ないくう)と 衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする 外宮(げくう)があります。 (江戸時代に誰もが憧れたお伊勢参り) 「お伊勢参り」は、江戸時代の日本人が一生に一度は実現したいことと言っても 大げさではなく、伊勢音頭には「伊勢へ行きたい、…
猿沢池は、 奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池です。 この猿沢池は、奈良時代の749年に興福寺が行う、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式の「放生会」で放つ池として、造られた人工の池です。 猿沢の池は実に風流で、おっさんが好きな場所の1つです。 興福寺の五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しいです。 (鹿ちゃんも元気!) 奈良と言えば鹿! 猿沢池周辺には鹿ちゃんも放し飼いでいました。人を全然怖がりません。 (100年前、明治時代の猿沢池の写真) 1898年(明治31年)発行「日本名勝写真帖」に記載された猿沢の池 1900年(明治33年)発行の…
奈良市に饅頭の神社があった!! お饅頭の神社ですよ、お饅頭!!どんな神社でしょうか?? ・・ということで行ってきました!! (饅頭の祖神 林神社) 奈良市の近鉄奈良駅すぐ近く、漢國神社の中にある林神社が饅頭の神社です。 林神社と書いて「りんじんじゃ」と読みます。 漢國神社の境内の中にある神社です。 道路に面した漢國神社の入り口にある赤い鳥居。その左下にある石碑には・・。 左にある碑には、饅頭の祖神 林神社と 刻まれています。 饅頭の祖神!!なんというフレーム!!凄まじい!! (饅頭誕生ストーリー) 日本で初めて本格的な都がおかれた奈良、ここにはシルクロードの最終地点となる 平城京がありました。…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「その3」のつづきです。赤尾屋敷から大手筋に戻って、御馬屋跡の上にある桜馬場跡やってきました。 かなり広い曲輪です。 説明書きの駒札と復元絵図です。 そし...
さんぽネタいくか。「車窓から見て気になった風景シリーズ」。京王線で新宿方向に向かう時、明大前駅をすぎて進行方向右側を見てると和田堀給水場が見える。この給水...
「その2」のつづきです。御馬屋跡からその上の桜馬場跡に登る途中に、東にそれる脇道があります。その入口には、「右 赤尾美作守屋敷址」と刻まれた石碑があります...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「その1」のつづきです。小谷城中腹の番所跡まで登ってきました。 ここから、本格的な城の曲輪群が始まります。 小谷城絵図の看板です。これはわかりやすい。曲輪...
6月5日は、2人の軍人、しかも両人とも元帥、の国葬が行われた日です。 その2人は、東郷平八郎と山本五十六です。 (東郷平八郎) (「近代名士写真 其1」:国立国会図書館ウエッブサイトより) 東郷平八郎は、日本海軍での世界史上例のない完全勝利、しかも大国ロシアに対しての大勝利が有名です。 東郷平八郎は、父が鹿児島藩士。戊辰戦争に従軍し、維新後、1871年(明治4年)にイギリス海軍に留学。帰国後、海軍中尉となる。日清戦争では浪速艦長として活躍。日露戦争では連合艦隊司令長官として、自ら作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で 全滅させます。 1934年(昭和9年)5月30日午前7時に亡くなり6月5…
コロナ禍の今、大阪市中央区道修町にある少彦名(すくなひこな)神社には、 コロナ終息への願いを込めて多くの人が詰めかけています。 (くすりの道修町) 大阪市中央区道修町は、古来より薬種屋がたくさん集まった場所で、今も製薬会社が 多く「くすりの道修町」と呼ばれています。 この道修町のビルに囲まれた場所に少彦名神社があります。 下の写真の赤で囲んだ部分です。 正面から見るとこんな感じでビルとビルの間のその奥に神社があります。 御神木が大きいのがわかりますね。 この少彦名神社は、地域の人から「神農(しんのう)さん」と呼ばれ、日本医薬総鎮守で、病気平癒・健康成就の社として信仰を集めています。 (江戸時代…
この前、ツイッターで自分の御先祖様を知るにはどうしたらいいかという話が出て、 おっさんが自身で調べるために体験したことを書いたら、 そのやりとりで多くの人が「いいね」をつけてくれたり「私もやりたい」 「私も実際に取り寄せた」など意見が寄せられて盛り上がりました。 皆さん、自分の先祖を調べることに関心があるようですね。 そこで今回はおっさんが簡単にできたご先祖様を調べる方法を紹介します。 (自分の先祖は・・・) 自分の両親、その上のお爺さんお婆さん、そこまではすぐにわかると思います。 また、人によっては、ひい爺さんひい婆さんまでは、たどり着ける方もいるかと 思います。 でもその先となると、なかな…
1889年(明治 32年)6月14日、北野天満宮のすぐ近く、当時の住所で言うと大阪市北区 此花町1丁目79番屋敷(現在の住所では大阪市北区天神橋 1丁目16-12)で、川端康成が生まれます。 生誕の地は、マンションになっています.が、その入口付近には、生誕の石碑が建って います 川端の生家があった場所は今はマンションが建てられる以前は「相生楼 (あいおいろう)」という老舗の料亭でしたが、2017年に今のマンションに建て替えられました。 生誕の碑は大阪天満宮の正門から徒歩1分くらいの場所にあります。 写真右の通りの奥に見えるのが大阪天満宮。左には生誕の碑が見えます。 (ノーベル文学賞受賞) 川端…
千本口駅と吉野山上駅を結び吉野山へ続くケーブルカー これは国内最古のケーブルカーです。 ケーブルカー乗り場は、近鉄吉野駅からすぐ近くです。 近鉄吉野駅から山に向かって歩きます。徒歩1分。 「ケーブルのりば」の赤い看板が目につきます。 ケーブルカーの千本口駅に着きます。 乗車時間は朝9時20分から17時20分まで15分に1度の間隔で運転しています。 料金は大人片道450円です。 (国内最古のケーブルカー) ケーブルカーはこのように小さいものでした。 実はこれ、国内現役最古のロープウェイです。 1928年(昭和3年)3月25日に近鉄吉野線の前身である吉野鉄道が吉野駅を開業します。その翌年の1929…
第4章 平成初期 5 社会的身分差別(3) イブラヒム1世
第4章 平成初期 4 社会的身分差別(2) 行 基
第4章 平成初期 3 社会的身分差別(1) 足利義昭
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】四
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
心に刻まれる夕焼けの輝き
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
国際知識検定 国旗Ⅲ(国旗と人物) 3級・2級・1級 認定証到着!
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
第3位【ナポレオン・ボナパルト】250.ロシア遠征の決断
第4章 平成初期 2 部落差別(2) ゾフィー大公妃
2015年4月のお出かけ記事です。月森神社からお次は櫻井神社兵庫県尼崎市南城内116-11御祭神櫻井信定公配祭神櫻井忠重公楼井忠喬公他13柱 ↑クリックすると大きくなります。社号標手水舎手水拝殿お賽銭箱も桜 尼崎城天守棟瓦本殿写真うまく写ってなかったのですが、拝殿の軒瓦にピンク色の桜がいっぱいなのですが本殿にも桜鳥居尼崎瓢箪山稲荷神社↑クリックすると大きくなります。 狐さん鳥居契沖社出雲社多賀社↑クリックすると...
近畿の水瓶・琵琶湖の北端に、かつて北近江を支配した戦国大名・浅井氏の居城、小谷城がありました。小谷城は滋賀県長浜市湖北町にある標高495mの小谷山(伊部山...
朽木西山城の西麓に、「信長の隠れ岩」と呼ばれる大きな岩があります。あの織田信長の「金ヶ崎の退き口」の「朽木越え」の際に、一時身を潜めたという伝承がある岩で...
ちょっと地元ネタいくか。いわんや夫婦の現在の仮住まい、富士見荘からはカトリック墓地が見える。その向こうに団地や住宅も見える。よーく見るとそのまた向こうに妙...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
<前編>のつづきです。愛宕神社の東側の切岸を登れば、いよいよ西山城主郭部に入ります。 切岸の下にある説明板です。 復元図を拡大します。中央に広い主曲輪があ...
千葉県・松戸散策 介護職員初任者研修の資格の勉強をしています。 2ケ月の講義と演習が終わり、今は施設実習をしなくてはいけないのですが、 コロナで実習はできなくなっているので、見学のみとなっています。 見学に行った施設の近くに神社と寺院がありました。 帰りに寄ってみました。 場所は常磐線の馬橋駅近くです。 王子神社と萬満寺 王子神社 王子神社は萬満寺の守護神として創建された神社です。 幸江序命、市杵島姫命、猿田彦命を祀っています。 小道を挟んですぐ隣に位置する古刹万願寺の守護神として創建され、当時地域一帯は水が乏しい砂丘だったため、諏訪明神を勧請負し寺領の鎮守としました。 文明年間(1469~1…
長谷山 本土寺の紫陽花 松戸の本土寺に行ってきました。 本土寺は「四季花の寺 あじさい寺」とも言われていて、春は桜、初夏は紫陽花や菖蒲、秋は紅葉と四季折々楽しめるお寺です。 日蓮宗 本山 長谷山 本土寺 JR常磐線の北小金駅北口より、商店街を少し抜ければ参道にかかり、松杉などの大木が連なること約500m。 正面にそびえる丹塗りの仁王門を仰いで境内に入ると、木の間ごしに台上の本堂が見えてきます。 浄域1万坪の起伏にとんだ地形と桜・楓の古木が織りなす春秋の趣は殊更であり、特に初夏の菖蒲とあじさいの花時は大変な賑わいとなります。 本土寺に行ってみたいと思いながら10年経ってしまいました。 近いのでい…
「於岩」は「お岩」と読む。四谷ときて、お岩ときて、田宮とくれば、これはもう泣く子も黙る四谷怪談の世界。前回記事で遠回りを強いられたいわんやが「一か所寄り道...
新撰組。。人気ありますねえ。 さて、その新撰組を一躍有名にしたのが池田屋事件。 京都の池田屋に集まり、京都御所焼き討ちなどを計画していった尊皇攘夷派の志士を 襲撃した事件です。 その池田屋事件が起きたのが1864年6月5日です。 (時代背景) 幕末、日本は開国し世の中は、天皇中心で外国勢を排除する尊王攘夷派と朝廷と幕府が協力する公武合体派に分かれます。 下の写真は京都御所ですが、朝廷内でも同じように2つに分かれます。 (八月十八日の政変) 1863年、朝廷内の公明天皇や公武合体派の中川宮朝彦親王が、会津藩や薩摩藩と協力し、尊王攘夷派の公卿・三条実美など7人と長州藩を京都の御所から追放する政変を…
幕末の1863年6月7日、奇兵隊が設立されます。 1863年、6月7日、長州藩の高杉晋作が藩から下関の防衛を任せられ、 その1つとして奇兵隊を設立します。 山口県下関市には、奇兵隊結成の地があります。 (白石邸で奇兵隊結成) 奇兵隊が結成される前の5月10日、長州藩が、下関の亀山砲台から関門海峡を通る 外国船に対し砲撃をくわえました。攘夷です。 【長州藩の外国船への砲撃について書いたブログ記事】 (高杉晋作奇兵隊を設立) 外国船に砲撃した長州藩は、外国軍艦の報復・来襲に備えます。 そこで、高杉晋作が、下関市にある廻船問屋の白石正一郎邸で、身分に因らない志願者で集めた兵隊組織・奇兵隊を結成します…
6月10日は時の記念日です。 日本書紀によると、飛鳥時代の671年、天智天皇が日本で初めて「漏刻」という水時計を使って時間を知らせたのが671年の旧暦4月25日でこれを新暦に換算すると6月10日になることから東京天文台や生活改善連盟がこの日を「時の記念日」と定めました。 (漏刻とは) 漏刻は簡単に言うと水時計です。 漏刻を復元したものが天智天皇を祀る滋賀県大津の近江神宮にあります。 おっさんも実際に見てきました。これです。 ぱっと見てもなんだかわからないですよね。 説明します。 四段の水槽があり、上の水槽から管を通して順々に水が落ちていきます。最下段の水槽には矢が立てあり、その水槽に水が入りこ…
朽木陣屋の北側にそびえる標高356m、比高200mの西山の山頂に、かつて西山城がありました。今から城跡に登ります。 西山城に関する史料が未発見のため詳細は...
琵琶湖の北西にあった朽木陣屋は、かつて近江源氏佐々木氏の庶流・朽木氏の代々の居館でした。現在、その遺構はほんの一部しか残っていませんが、現在は史跡公園とし...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
2015年4月のお出かけ記事です。其の壱からの続きからになります。鳥居額白龍社鳥居額市庭戎神社 狛犬さん鳥居愛敬三社相殿社榎社鳥居社号標いただいた御朱印にほんブログ村...
前稿で紹介した大徳寺総見院から南へ800mほど下ったところに、織田信長を祀る建勲神社があります。ここは明治2年(1869年)に明治天皇の御下命により創建さ...
本所ダークツーリズムのつづき。横網町公園の一角に復興記念館っていうのがあるのは知らなかった。もちろん入場無料というのも知らなかった。さっそく入ってみた。 ...
昨日の稿で京都阿弥陀寺にある織田信長の墓をお参りしましたが、京都市北区にある大徳寺の塔頭・総見院にも、信長の墓があります。ここは、信長の死後、羽柴(豊臣)...
1955年(昭和33年)6月1日(水) 1円硬貨が発行されました。 皆さん、消費税でおなじみのあのアルミ貨です。 アルミニウム製の1円硬貨は、日本の現在発行している6種類の通常硬貨の中で、 ただ1つ素材に銅が含まれていない硬貨です。 (若葉のデザインは一般公募) 1円玉は、重さは1枚1g、直径は20mm(2センチ)で厚みは約1.5mmです。 表面には「日本国」と「一円」の文字が刻まれ、「若木」が描かれています。 このデザインは一般公募で決まったもので、日本で現在発行している6種類の通常硬貨のなかで、デザインが一般公募によって決定された唯一の硬貨です。 (1円玉が登場した年・1955年) 1円硬…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。